ヤグネットの毎日
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2002年08月31日(土) この高速はいらない

 まだまだ夏は終わっていないことを感じさせる暑さの一日だった。
 午前中本屋でとても興味深い本をみつけた。タイトルは「この高速はいらない」。ジャーナリストの清水草一氏が著したものだ。三推社と講談社の共同出版。
 この本のすごいところは、2000キロもの建設・計画中の高速道路に沿い著者自身が実踏調査をしてまとめあげている点だ。周辺の道路事情や交通量や住民の生活環境までを調べあげ、その必要性や採算性を厳密に採点している。その造るべきかやめるべきかを、独自に提案しているのだ。

 僕の注目点はなんといっても第二名神道路についての評価。実はまだ読みはじめたばかりなので、拾い読みの域を出ないのだが、著者がとても現実的で具体的な提言をしていることが印象的だ。
 明日にでも著者の主張などを紹介したい。

 30日午後、市役所にいくと「議員定数削減を求める請願」が出たという情報が入ってきた。
 「リストラなどで民間がギリギリの努力をしているなかで、議会だけが聖域でよいのか?」というのが請願の趣旨のようだ。だが、この主張に僕は同意できない。
 だいたい、いまの不況は長年の自民党政治の深刻なゆきづまりの結果生まれているものだ。リストラや社会保障の切り捨てなど、不況のしわ寄せをうけるのは、つねに市民である。
 痛みと我慢を強いられている市民の立場にたって、市民の暮らしをよくするために知恵と力を出すのが議会人の仕事のはずである。それを、不況を理由にして議員削減という手法をとるのでは、不況→議員削減→不況→議員削減という悪循環のくり返しで、結局、行政のチェック機構、市民要求実現の代弁者としての議会、議会人の役割を極端に低め、弱める結果につながる。
 だいたい、市の一般会計の予算のなかで、議会費が占める割合は、約1%にすぎない。
 議員の数を減らしたからといって、よくいわれる「行革」の効果があらわれるわけでもない。ましてや、「議員の数を減らして、歳費の引き上げを」などの議論は、この議員削減のねらいが、底の浅い「お手盛り」論議の域をでないことを示しているのではないか。

 リストラや市民のくらしの大変さをいうのなら、行政運営の浪費とムダにこそメスをいれるべきである。通る見込みや必要性が疑問視されている、第二名神道路の建設にむけて、東上して陳情したり、他市にでかけていって、建設要望のパフォーマンスをくり返す、大型事業だのみの行政運営にこそ思いきってメスをいれるべきではないのか。
 そのために、行政のチェック機構として議会がしかるべき役割を果たすべきではないのか?

 いずれにせよ、議会運営委員会で論戦が展開される。よく準備して、この企みの粉砕へ渾身の力をこめる。
 

 
 


2002年08月30日(金) ネットサーフィン

  29日は、午前中「活動ファイル」を作成し自分のサイトの更新作業。午後からは、埼玉で開かれている全国地方議員代表者会議での志位委員長の報告をビデオで視聴。委員長の報告は、とくに後半から力がこもっていた。そのくらい、中央幹部の位置付けや思いがひしひしと伝わってきた。
 あらためて、「住民の福祉と利益のために献身的にはたらく」という党議員の任務の原点をみつめさせてくれる報告だった。国政でも地方でも「成熟」しつつある、客観的な情勢の大きな変動。ここを攻勢的にとらえた活動が重要だ。
 
 夜、ネットサーフィンをして全国の党議員のホームページを見た。僕のサイトは、とにかく文章が多い。全国の仲間たちのサイトは、実に多彩だ。ある議員さんのサイトは、トップページにいきなり家族の写真がのっていたりする。これには、驚いた。趣味の写真を存分に生かしてページをつくっている方もあった。
 なにか自分のサイトがワンパターンだな、という思いを強くした。1周年を迎えてサイトもいっそうの工夫が必要になっていることを痛感させられた。
 


2002年08月29日(木) 子どもの医療費について考える


 先日来、この日記でも「乳幼児医療費無料制度の拡充を求める」ネットワークに携わることになったことを書いた。23日の会議での発言要旨もアップしている。(24日付参照)
 その会議の場で僕は、子どもの医療費の無料化は、「早期発見や早期治療にも役立つ」という趣旨のことを強調したのだが、参加していたやましろ医療生協の職員の方が、「それ以上に、子どもの医療費の無料化は、親や子どもにとって、『待ったなし』の切実な要求ではないか」と発言されたのが印象に残った。
 その方が、昨晩電話をしてきてくれて、時間外や休日、深夜に6才未満の子どもたちが病院にかかるといくらかかるのか、という資料を提供してくれた。
 僕の息子も深夜になんどか病院に駆け込んだことがあるけれど、あらためて額の大きさに驚いた。

 診療所と病院別にみると、次のようである。

 【診療所の初診料】
  時間外 約1400円 
  休日  約1800円
  深夜  約2550円

 【病院の初診料】
  時間外 約 966円
  休日  約1800円
  深夜  約2490円

 上記以外に、処置や薬、注射代などが加算されるわけだ。何故に、小さな命を救うために初診料だけで2500円ものお金を払わなければいけないのか?
 「命の沙汰も金しだい」ーーこんな嫌な言葉をこの地上からなくすためにも、「乳幼児ネット」の活動を大いに前進させたい。

 


2002年08月28日(水) 保運連のホームページ立ち上げ



 僕が中心的に関わっていることの一つに保育運動がある。いま、城陽保育運動連絡会の会長をやらせてもらっている。その城陽保運連の活動で年度当初から宿題になっていたものに、ホームページの開設がある。
 27日にようやく立ち上げることができた。各保育園の保護者会の活動の様子や保育情報、子育てに関する情報交流などを目的にしたものだ。だが、各保育園の紹介やイベント紹介などが未完成。とりいそぎ交流サイトとしても機能できるようにした。

 URLは次のとおり。
 http://isweb44.infoseek.co.jp/school/joyokko/
 
 ぜひ、訪問して掲示板へ書き込みをしてほしい。

 これで、僕が管理人をつとめるサイトは、自分の公式サイトとプライベートサイト、久世保育園の保護者会と保運連と4つに膨れ上がった。保育関係のサイトを別の人に管理してもらえるようにするのが、目下の課題である。


2002年08月27日(火) 悪徳・マルチ商法を許すな

 長引く不況で庶民のくらしは大変だ。「お金がほしい」「安定した暮らしを送りたい」と願うのは、あまりにも当然な人間の欲望である。まして、若い世代は就職難が続き、高校や大学を卒業してもフリータ−として働かざるをえないという厳しい現実がある。
 だからこそ、政治を変えなければいけないのだが、世の中には、人間の欲望や善意をうまく利用して儲けを働こうという不心得者が存在する。残念ながら、これが悲しい現実だ。

 先日、「息子が怪しげな商売に引っ掛かったようだ」と知人の方から相談の電話があった。
 40万円もの大金と引き換えにパソコンを購入し、ネットビジネスをはじめるという。
 「さらに紹介者を増やして、ネットワークを広げみんなで手を携えて幸せになろう。」というのだ。知人の方が怪しいと判断したのは、契約書にも学生は契約することができないことが明記されているにもかかわらず、若い世代をターゲットに「市場拡大」を狙っていることだ。事実、知人の息子さんはまだ学生の身分だった。息子さんは、「お金を儲けて両親を幸せにしてあげたかった」と、契約の動機を語っていたそうだ。
 
 インターネットを駆使して調べると、この会社は「悪徳」というレッテルをはってもおかしくない、文字どおり怪しい会社であることが判明した。
 マルチ商法自体が違法なのではない、ともいわれている。しかし、学生を公然と引きずり込み、ネットビジネスを通じて「みんなで幸せになろう」と囁き、「十分な儲けがでるまでご両親にはこの商売のことは言わないこと」など徹底したセミナーでの「洗脳」を施すさまは、明らかに「悪徳商法」と断じるべきだろう。
 
 幸い、知人の息子さんはクーリングオフで契約破棄することができた。
 今、この会社の実態をさらに調べあげ、名前を公表する準備をすすめている。
 若くて未来ある青年たちが、これ以上被害にあわないために、世論づくりに協力したいと考えている。

 簡単に、すぐに儲かる話など、この世の中にはないーーこの自明の真理をみんなのものにするためにも。


2002年08月26日(月) 息子の虫とり初体験



 25日は、夏休みに息子と約束をしていた残り2つの約束を果たすのに時間をかけた。一つは、「仮面ライダー龍騎」の映画を観にいくこと。もう一つは、虫とりに行くこと。
 仮面ライダーの映画は、朝9時10分スタート。朝早く家を出発したものの、すでに映画館の前は親子づれでごった返していた。ようやくチケットをゲット。前列のほうだったので、少し首が痛かった。
 映画の終了時間は11時6分。つまり2時間近く、子どもたちは映画館の中にいることになる。小さい子どもにとっては、少し長過ぎるのだ。映画に飽きてきた子どもたちの声が、「龍騎」の映画の中盤あたりから大きくなる。これが、大人だったら困ったものだが、子ども向けの映画なのだから仕方ないことだ。
 映画自身は、大人でも十分楽しめる内容。「龍騎」は、テレビの最終話を映画で先にみせてしまう、というユニークな試み。中身の話に立ち入って申し訳ないが、この仮面ライダー龍騎は、毎回、罪のない人たちが、モンスターという敵によって、「ミラーワールド」という世界に引き込まれて命を奪われる。
 「こんなに簡単に人の命が奪われていいものだろうか?」と少々疑問を抱いていたのだが、この映画ではそうした命が奪われることについて、それを戒めるメッセージのようなものが描かれていたので救われた思いだった。

 夜は、虫とり。季節はずれになってしまったけれど、元理科の教師の先輩議員であるごどう辰文さんに案内されて、息子、僕、妻が参加。さすがにカブト虫はもういなかったけれど、コクワガタを2匹とることができた。息子は、興奮し大喜びだった。
 子どもに自然の豊かさを実感させ、現実と非現実の区別をつけさせる。この夏の目的は一応達成できたように思う。今朝、保育園にいった息子は、よほどうれしかったらしく、お友達に虫とりにいったことを報告していたらしい。


2002年08月25日(日) 城陽の自然と人間をみる


 24日は午前中に、生き物調査などに市内の小中学生を巻き込んで熱心に取り組む方とお話をする。
 「城陽生きもの調査隊」は、セミガラ調査などをはじめ今ではかなりメジャーな団体となった。その活動に当初からかかわっている方だ。
 僕は、テレビゲームなどに熱中し自然と親しんだり、外で遊ぶ経験がなくなりつつある最近の子どもたちの変化とそれが子どもの成長に与える影響など、夏の合研で学んだことなどを話した。
 Tさんは、青谷の地域でひらいている「くぬぎの里」での子どもの様子などを話してくれた。誰から指示を受けることもなく、自発的に作業をすすめ、自然と親しむ子どもたちの姿などがイキイキと伝わってきた。

 「子どもの居場所づくり」ーーこの問題が二人の共通した話題になった。
 いま、城陽では子どもの居場所が少なくなっている。お隣りの京田辺市では、「スケボー練習場」の建設にむけて、ワークショップ形式で市民の声を聞く活動が具体的にスタートしようとしているそうだ。
 休耕田生かしたりしての「遊び場づくり」、いつでも子どもたちが集まりたいときに集える場所=たとえば児童館づくり。条件づくりこそ大人の、いや行政が果たすべき責務ではないか。

 午後からは、文化パルク城陽の会議室で講演会があり参加してきた。
 城陽市環境基本条例の制定を記念して、「暮らしを育む自然」というテーマでの講演会。講師は京都教育大学教授の広木一紀先生。城陽市動植物環境調査に携れた方である。会場は、100名近くの方で熱気ムンムン。関心の高さに驚いた。
 広木先生は、自然を「人間の意図に依存しない営み」としたうえで、自然は原生林のような日常から離れた場所だけではなくて、花壇など私たちの身近なところにも存在する。そうした身近な自然のなかに、人間の意図に依存しない営みを発見し、共生していくという意識が薄くなっている意味で、自然離れは由々しき問題ではないか、とお話をされた。
 そして、自然離れをどう克服するのか、と問題を提起した広木先生は、生涯学習や自己および相互啓発野中で、3段階の取り組みを提唱。
 第1段階として、とにかく親しみ楽しむこと。第2段階は、学ぶ意識をもって親しむこと。とくに、人間の営みに依存しない営みの存在に注意し、自然のいろんなつながりに注意し、人間のくらしと自然のつながりに注意することなどが強調された。
 そして、第3段階として、個人のくらしや社会のあり方のなかでの自然との賢いつきあい方を工夫すること。この場合、賢いつきあい方とは、人間と自然双方にとってよい、持続的なつきあい方という意味だ。

 以上の3段階を豊富な資料にもとづいてお話をしていただき、とてもわかりやすいお話しで刺激的だった。

 講演会のあと、歴史民俗資料館で開かれている特別展「自然と人間」〜ふるさとの生き物たち〜を見学。ふるさとの歴史を自然環境という視点からひもとくユニークな展示に加え、やましろ里山の会や城陽生きもの調査隊など、市民団体の調査結果の展示などもあり、すばらしい展示会だった。
 
 そのなかで、僕の目をひいたのが、山砂利採取場についてのコメントである。山砂利採取がはじまって40年をふりかえったのち、次のように結ばれている。

  かつては、誰でも目にしていたバイカモも、今では知る人は少なくなりました。このまま放置すれば災害につながることもあって、山砂利採取の跡地も修復整備が進められています。損なわれた自然を安易につくりだすといったことではなく、地域の生態系が自己回復するような活力をとりもどすことを願って。

 あの地域では、バイカモという稀少価値のある藻が絶滅の危機に瀕している、という。地元の小学校ではそのバイカモも繁殖させる取り組みがはじまっているそうだ。100年先の子どもたちがバイカモも愛でることができるような環境を整備することは、今を生きる城陽の人々に課せられた重く、しかし大切な課題である。


2002年08月24日(土) 乳幼児医療無料化城陽ネットでお話

 昨晩は、城陽市で乳幼児医療費無料化の制度拡充を求めるネットワークの会議。僕は、そこで15分程度でお話をさせていただいた。以下は、そのときのレジュメである。文章をおこしたものをまたサイトにアップすることにしたい。

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乳幼児医療費の無料化の拡充をすすめる運動の前進のために

 すべてを子どもたちのために 
 〜子どもを守ることは人にやさしいまちづくりにまっすぐ続く


1、家庭での子育てから社会・地域での子育てへ〜夏の合研で学んだこと〜

(1)今日の子育て環境、子育て意識
 ○すすむ少子化。その背景に女性の労働条件の悪化と子育ての孤立、そしてライフスタイルの変化
 ○子育てに向う時間的、経済的ゆとりのなさは、子どもの心に大きく影響。
 ○それだけに、子どもや親たちの生活の背景をつかみ、子どもや親の気持ちにそった保育、また多面的なサポートがますます必要に。

(2)子どもの問題は大人の問題 
 ○大人自身の社会が命と人権を大切にしたものとなっているか
 ○小さな子どもたちが声をあげることができない以上、いまこそ大人たちが声をあげるとき

2、城陽市で乳幼児医療費の無料化を拡充することの大切さ 〜3つの意義〜

(1)就学前の子どもをもつ親の世代にとっては、経済的負担の軽減にもなり、お金のことを心配せずに病院にかかれることは、早期発見、早期治療にも役立つ。この時期に必要な医療が安心して受けられる条件をつくることは大切なことである。
 ○内臓など身体の重要部分の形成は六歳ぐらいまで。「医者いらず」は小学校高学年でようやくだ。
 ○アレルギーの血液検査は高額なうえ、最近顕著になっているアトピー性皮膚炎や不登校などの心身症的訴えなどは、より時間をかけた対応が必要に。
 ○将来的には、思春期までの無料化の拡大がどうしても必要。
 
(2)もっとも弱い子どもたちのいのちと健康を最優先に考えることは、結局のところは市民一人ひとりのいのちと健康を大切にすることにつながる。社会的に問題をとらえて、一人ひとりの健康を第一に考える社会をつくるためにも、小さい子どもたちのいのちと医療を考えることは、大事な出発点となるものではないだろうか。

 ○環境ホルモンが人体に与える影響ははかりしれない。
 ○「カップ麺やスナック菓子」が「キレる子ども」の増大の一因に。
 ○親子とのコミュニケーションを増やしたくても、リストラや長時間労働、低賃金が当たり前では、「絵空事」。
 ○若年性の「脳硬塞」「心筋梗塞」の増加も過労とストレスが影響。

(3)「まちづくりの着想」「めざすべきまちづくりの方向」に規定されるものだ。人口減が叫ばれる中、いつまでも安心して住み続けられるまちづくりをすすめるためには、小さな命を行政がどれだけ大切にしているかが、そのメルクマールとなるものだ。
 ○城陽市で就学前まで無料化を実現するには、約1億円前後(単費)が毎年かかる。
 ○JR長池駅スタジアム公園線に5億円。東部丘陵地利用計画は基盤整備だけでも750億円。第二名神道路建設の地元負担は未知数。城陽市は、企業誘致を積極的にすすめ、山砂利採取の跡地を利用して14000人規模の都市をつくる計画。宅地需要の減少傾向や地価の停滞など不透明な経済情勢を考えれば、東部丘陵地への14000人規模の都市形成などは、「絵に書いた餅」になる危険性が。いまやるべきは、自然環境の回復を最優先に有効な跡地利用を市民参加で再検討していくこと。ハード面でのまちづくりから、ソフト面での市民のくらし応援へと切り替えることこそ必要ではないか。
 ○岐阜県笠松町では、95年まで人口減少に歯止めかからず。乳幼児医療費無料化制度の充実により、95年までは170〜180人の出生数が、250〜260人へと確実に増加。医療費助成はムダな医療費が増加するという政府はいうが、受診率をみると笠松町では1.34%に対して隣の岐阜市は1.40%と変わり無し。
 ○早期発見、早期治療で重症化を減らすことで、医療費節約へ。国民の懐も心もあたたかする、人にやさしい施策。

3、さいごに

 ○ひとりひとりの手つなぎこそ行政を動かす原動力
 ○子どもに死ぬことを教えるのではなく、希望をもって生きることを教えることができる世の中に
  〜童謡「しゃぼんだま」に込められた野口雨情の思いをかみしめて


2002年08月22日(木) この夏に読んだ本リストpart1

 お盆休みを前後して読んだ本のリストを書いておく。随時、プライベートサイトのブックレビューに感想をアップしなければならない。最近、このブックレビューを書くのが少し「重たく」なってきた。なぜか、と考えたら、例の3色ペンで線を引きながら(つまり内容を逐次押えながら)読むことにしてないからだ、と気づいた。やはり原点に立ち戻って、読み込む努力を続けたい。

 【この夏に読んだ本リストpart1】

○「案外、知らずに歌っていた本 童謡の謎」合田道人著(祥伝社)
○「殺意を描く子どもたち 大人への警告」三沢直子著(学陽書房)
○「21世紀はどんな時代になるか」不破哲三著(新日本出版社)
○「居場所なき時代を生きる子どもたち」
  三沢直子/宮台真司/保坂展人共著(学陽書房)
○「千里眼 ミドリの猿」松岡圭祐(小学館文庫)
○「千里眼 運命の暗示」松岡圭祐(小学館文庫)
○「千里眼 洗脳試験」松岡圭祐(小学館文庫)

 「童謡の謎」では、普段何気なく口ずさむ童謡には、その時代時代に懸命にいきる作者たちの熱い思いが込められていることを知ることができた。「殺意を描く子どもたち」と「居場所なき時代を生きる子どもたち」は、全国合研で講演をされた三沢直子先生の話があまりにショッキングだったので、もっと学んでみたいと思って買ってきた本だ。子どもたちの描く絵がこの20年ぐらいの間に、明らかに変わってしまった。子どもたちをとりまく家庭、地域、学校、社会の環境が必ずしもよい方向へと向かっていないことを物語っている。これは、大変なことだという思いを強くしている。
 不破さんの本は、ひさしぶりに党の文献を読んだ、という感じで反省している。しかし、あらためて日本社会の改革の必要性と方向性を確認できる本だった。
 妻からは、「あなたは本を読むだけではなくて、それをわかりやすく周りの人に知らせる仕事がある」と指摘された。全くその通り。そのためにも、著者や作者が投げかけてくる熱いテーマを血肉化する努力が必要だ。


2002年08月21日(水) なんでも自分でできるんだよ

お盆休みを過ぎると、吹く風に秋らしさを感じる。里帰りしていた妻と息子を迎えに行き、20日の午前中は荷造りやらでバタバタとする。
 お昼御飯を食べ終わって、荷物を車に積みはじめようとしていたとき、おじいちゃんが家の裏のほうから、息子の名前を呼ぶ。
 「大きな青大将がおるぞ。さとし、見においで」。
 息子と妻、そして僕がデジカメをもって裏の田んぼのほうへと走る。裏のおばさんの蔵のところを、青大将がイソイソと田んぼにむかって逃げようと必死だ。
 「ヘビ、ヘビだよ。ボク初めてみたよ。ワ−ッ!」息子は大興奮。ついにヘビは、僕たちの前から逃げて田んぼのほうへと姿を消した。

 今年の夏の息子の体験を象徴するような出来事だった。
 日頃から、テレビやビデオばかりを見がちな息子に自然を体験させて、現実と非現実の区別をしっかりさせてあげること。普段、テレビの中でしかみてないようなものも自分の目で見て、触って確かめるような体験をさせてあげたい。これが、妻と二人で話し合った今年の夏休みの目標だった。
 温泉、プール、魚釣り、花火…。この日記でも空白になっている日付けでその様子を載せたいと考えている。
 息子はいろんな初体験をしてたしかに成長したと思う。

 岐阜の実家を出発し、お土産を買ったころから、息子は眠りだし名神高速の養老インターでようやく起きた。お腹がすいたと言い出し、軽食コーナーでうどんを注文。

「ぼくね、お箸でおうどん食べられるんだよ」といっておもむろにお箸を持った息子は、僕の前で上手にお箸を使ってうどんを食べはじめた。あまりに上手なもち方と使い方に、まわりを忘れて僕は思わず拍手。
 それだけではなかった。
 「おとうちゃん、うんちしたいよ。連れてって」というなり、僕の手を引いてトイレへ。
 「僕が、全部じぶんでやるからね。お父ちゃんは、外で待っていて」そういうと、さっさとトイレに入り、中からカギをかけてしまった息子。さすがに小さい子をトイレで独りにしてカギがかかった状態にするのは、危険だ。僕は、「危ないからカギはかけないで!」といっても聞かず。幸いカギは簡単に開閉できるものだった。
 息子は、独りでおしりもティッシュで拭いて出てきた。「なんでも自分でできるんだよ」と得意顔だった。

結局、養老インターで過ごした時間、なんと1時間。家に着いたのは、8時を過ぎるころだった。

 この夏に考えたこと。あとでこの日記でもまとめて書きたいと思うが、これからの僕の人生の一つの大きなテーマは、一言でいうと、わが子は言うに及ばず、「すべてを子どもたちのために」ということだ。

 いま、頭のなかを整理中だが、この視点をもってこれからは、少しずつでも前に進んで行きたい。
 
 


2002年08月20日(火) 家族を迎えに岐阜へ

 

 朝から風が強い。台風13号の接近の影響だろう。この日は、午後から家族を迎えに岐阜へ出発するので、軽装でおまけに帽子をかぶってでたのだが、何度も飛ばされそうになったので、途中で鞄の中にしまいこんだ。午前中は党の会議。会議終了後、その足で急いで宇治駅で切符を買い、岐阜へ向かった。
 電車の中で、この間すっかりはまっている松岡圭祐さんの『千里眼 洗脳試験』(小学館文庫)を読む。630ページもある大作だが、下呂に降り立ったころには半分ぐらいまでページをめくっていた。
 メフィスト・コンサルティングという悪行を働く陰謀組織に殺害されたと思われていた友里佐知子が、実は生きていた。そして謎の自己啓発セミナー「デーヴァ瞑想チーム」という組織を使って、4000人もの人間をあやつる「洗脳」を施そうとする。その非人間的な策謀を主人公・岬美由紀が阻止するために奮闘するストーリー。岬美由紀にとって、かつての恩師、上司であり母親のような存在であった友里佐知子とは、いかなる人物なのか、その衝撃的な結末がこの小説の最後で展開されるらしいのだが、いつものように読みすすめるのが勿体無くなり、僕は何度も文庫本を閉じてしまうのだった。端から見ている乗客の人たちは、首をかしげていたかもしれない。
 
 飛騨宮田の駅におりると、むしろ風はひんやりとしていた。駅に妻が迎えにきてくれていた。切符を運賃箱に確かに入れたのだが、運転手兼車掌さんが「切符はどうしましたか?」と少し口をとんがらして、窓から声をかけてきた。「さきほど、まちがいなく入れましたよ」とこっちも少し口をとんがらして応えてしまった。「そんなにむきになっていうもんじゃないわよ。」と妻。たしかにそうだ。ワンマン運転は大変だろう。反省した。
 妻の実家にもどると息子が、とびついてきた。二人でお風呂に入った。20日は、そろって京都に戻る。


2002年08月19日(月) 地蔵盆のお手伝い

 

 僕が住む城陽団地の自治会では、8月17、18日で「地蔵盆」が開かれた。
 地蔵盆の行事を僕は京都に来て初めて知った。僕の実家の水戸では、夏といえば「黄門まつり」だった。
 その何日か前には、偕楽園の眼下に広がる千波湖というところでわりと大きな花火大会が開かれる。
 僕の実家があったところは、千波湖から少し高台にあがった地形だったものだから、絶好の花火見物のスポットだった。ちょうど北側の窓や西側にあった屋根にのぼって、楽しんだものだった。

 地蔵盆とは、簡単にいえば、道ばたに祀られているお地蔵様の縁日のことだ。お地蔵様は子どもの「守り神」であり、幼くして亡くなった子どもたちを慰める存在である。
 地蔵盆では、お地蔵さんの前にお菓子をささげ、そのお菓子を子どもたちが持ち帰えれることから、子どもたちにとっては、楽しいひとときとなる。

 17日は、岐阜から夕方に戻ったため、お手伝いができなかったので、18日に地蔵盆の行事のお手伝いをさせていただいた。朝9時から読経。その後、老人会主催でお茶が振る舞われ、10時から子どもたち待望のビンゴゲーム。それにしても、子どもたちの多さにあらためて驚いた。城陽団地には、約70〜80人の小学生がいるが、お盆で里帰りしているお孫さんなども参加し、ビンゴゲームの受け付けは100人を軽くこえる。僕は、ルーレットで出てきた数字を黒板に書き並べていく仕事をやらせてもらった。
 賞品は、結構な品物がそろっているので、子どもたちも必死。たちまち集会所は子どもの熱気でムンムンになった。
 ビンゴゲームの後はジャンケン大会。全員に景品があたるゲームだったけれど、結構もりあがった。
 午後からは、シャボン玉飛ばし。みんな思いおもいに楽しんでいたけれど、近所の知り合いの子がまわりの大人から可愛がられている姿をみていた小学校低学年の女の子が、ボソリとひとこと「○○ちゃん、愛されてるのね」とつぶやき、シャボン玉を飛ばしていたのが少し気になった。でも、そのあとすぐみんなと遊びはじめたので、安心した。

 最後は、スイカ割り。といっても、本物のスイカを割るわけではない。ビーチボールをおもちゃのバットでたたいて、当てるというものだ。でも、これが結構難しい。目をさらしで隠し、ボールの前を3回ぐるぐると回される。1歳半ぐらいの小さな子もチャレンジをしたりして、キャーキャーいいながら楽しんでいた。

 最近になって気づくこと。僕は、子どもたちと一緒にいるとき(もちろんわが子もそうだが)が、一番自分らしいと感じる。どの子もキラキラと輝いていて宝物のように感じて、何かしてあげたくなる、そんな気持ちの高揚があるのだ。
 お手伝いをしたあとの、ガンガンに冷えたお茶がとてもおいしかった。


2002年08月18日(日) 『千里眼』運命の暗示 を読む

『千里眼』運命の暗示 松岡圭祐著(小学館文庫)を読み終えた。すっかりはまってしまった「松岡ワールド」。この「『千里眼』運命の暗示」は、千里眼シリーズの第三弾にあたる。第一弾、第二弾もこの機会に感想をアップするので興味のある方は覘いてほしい。
 本作品は、前作「『千里眼』ミドリの猿」の続編である。中途半端に幕を閉じ、いくつもの謎を残したままページがきれるので、読者にとってはいたたまれず、次を読みたくなる。もちろん僕も本屋に走ってしまったクチの一人だ。
 他の愛読者もそうだろうが、主人公の岬美由紀のキャラクターがこのシリーズの魅力だ。
防衛大学を優秀な成績で卒業し、航空自衛官として「トップガン」まで上りつめる直前で除隊する。災害地での救援活動の折り、被災者への献身的なカウンセリングを施す友里佐知子の姿に感銘し、心理カウンセラーとしての道を歩み始める。
 頭脳明晰、オフのときには、ピアノやバイオリンをたしなむ。格闘技は滅法強く、社会悪や権力には徹底して立ち向かう一方で、弱いもの(とくに子ども)は体を張って守り抜く。その正義感は、時として破天荒な行動につながり、新たな事件のきっかけをつくることにもなる。『千里眼』での活躍が認められて内閣官房長官直属の首席精神衛生官の職についた美由紀が、野口官房長官とともにОDA援助国へ視察に赴いたとき、戦闘に巻き込まれそうになった子どもたちを助けようとして暴走してしまう。実はこの暴走が、前作『千里眼ミドリの猿』のプロローグとなり、アフリカ大陸から、中国、そして日本という壮大なスケールのストーリー展開がはじまることになるのだ。具体的なストーリーはぜひ本作品を読んでほしいが、「千里眼」シリーズは、「心理カウンセラー」という職業が登場し、催眠療法や精神障害についての記述も出てくる。
 メフィスト・コンサルティングという世界的規模で暗躍する組織の陰謀で、中国の人たちが集団催眠にかけられ、岬美由紀を悪の象徴として、口々に殺意を叫ぶシーンがある。その部分で、こんな描写がある。少し長いが引用する。

すべてメフィスト・コンサルティングの罠なのだ。それがわかっていても、誰も申し立てを聞いてくれない。
美由紀も、いままで出会った数多くの人たちも、皆かつては赤ん坊だった。母親が身ごもり、出産の苦労を経てでもこの世に送り出そうとした生命だ。生まれたとき、子は親にどんなに愛されたことだろう。誰もひとりでは生きられない。赤ん坊のころはなおさら のことだ。
生命を、そして人生を歩みだすことを支えてくれた大人がいる。だからいまがある。誰もがそうだ。そのはずだ。少なからず愛を受けて始まったはずの人生が、なぜ憎しみあいに変わってしまうのか。私利私欲のために人を傷つけてもいいと、いつ学ぶのか。
殺せとか、死ねとか叫ぶ。自分がそうされたいとは絶対に思わないはずのことを他人にはぶつけられるのか。美由紀にはわからなかった。


こうして、憎しみ合う人の心に美由紀は号泣するのだが、松岡圭祐さんの作品の根底には、人間に対する深い愛情がある。人間のよりよく生きようという本能についての信頼のようなものだ。
だから、描かれる人物像は、深く多面的だ。複雑な存在だが基本的には前を向いて歩いていくそんな人間の可能性を秘めた登場人物が松岡ワールドを、より広がりのある世界へと読者をいざなう。

実は、本作品もまだ完結したとはいえない。岬美由紀にとって、宿敵ともいえるある重要な人物が死亡したとおもわれていたのに、最後にミステリアスな形で再登場する。次の作品もすでに文庫化され、店頭に並んでる。早く読みすすめたいという衝動に、駆られ続けている。


2002年08月16日(金) 向かっていく心意気

 

 夏休みに息子と約束をしたいたことの一つが大きなプールに行って泳ぐことだった。
 保育園では、すでに小さいプールで遊んでいる。最近、「僕、水の中で泳げるんだよ」と話していたので、一緒に泳ぐことにしていたのだ。

 僕は、いまでこそ肥満体で泳ぐのも一苦労だが、泳ぐことは得意だ。下呂町の合掌村と隣り合わせにある、上ヶ平ビレッジというプールに足を運んだ。25メートルのコースが4本あり、その隣りに幼児用のプールも用意されている。
 準備体操をしてからいざ、プールに入ろうとするのだが、息子は飛び込もうとする。あわてて制止して、しばし水のかけあいやおんぶをしてワニのように歩くなど水に慣れる遊びをした。すると息子は、まわりの子どもたちが使っている、ビート版や両腕につけるうき輪をつけてほしい、とねだっきた。両腕にうき輪をつけてあげると、ぷかぷかと浮かびながら立ち泳ぎをはじめた。それがとても上手でどんどんと前に進んでいく。
 バタ足の要領がわからないようなので、両足をもって教えてあげる。最初は、うまくいかないがしばらく練習しているとそれらしくなってくるから不思議だ。

 僕もひさしぶりのプールだったので、コースを7〜8回往復する。クロールと平泳ぎを交互にしながら泳ぐが、たちまち動悸が激しくなる。やはり日頃の運動不足がたたっている。
 僕が泳ぐ姿を見ていたらしい息子は、妻に「お父ちゃんのほうに連れていけ」とせがむ。
 「大人のコースには入っちゃダメだよ」と制するが、なかなか納得しない。そこで、幼児プールのすぐ隣りのコースで泳がせることにした。するとどうだろう。犬カキのような感じで、どんどん泳いでいく。
 少し休憩して、また泳ぐ段になると、今度はスロープになって水中に入っていくところに仰向けになり、頭から滑り込もうとする。「お水は恐くないの?」と聞くと、「こわくないよ」。

 どんどんと水のなかに向かっていこうとする心意気にすっかり感心してしまった。
 もっと自分の子は、臆病で人の後から何ごとをするにつけついていくタイプなのかな、と勝手に思い込んでいた。ところが、初めてのプールで息子のまったく違う面を垣間見ることになったのだ。

 僕は、水の中で、自分の小学校4年生のときを思い出していた。山形の蔵王スキー場に近所の友だちのスキーツアーで連れていってもらったときのこと。ジャンプ場の近くの急斜面に連れていかれて、コーチが下から「滑り降りてこい!」と声をかける。急斜面だったけれど、転んでは起き上がり、起き上がっては転んでなんとかコーチのもとに辿り着いた。お昼をみんなで食べているとき、コーチが「まさあき君の一生懸命雪に向かっていく姿に先生は、涙がでそうなくらい感動したよ」と誉められた。それが、大人になった今も忘れられない。「先生がないちゃうくらいすごいことをしたんだな」と子どもながらに、うれしかったのだ。
 僕は、子どもがのびるには、うまく出来たことを素直に、正しく評価して励ましてあげることが大切だと、思う。
 僕は、水に立ち向かって泳ぐ息子に向かって、室内プール一杯に響き渡るくらいの大きな声で、
 「うまいよ、お父ちゃん、感動したよ!」とほめてあげた。息子は、誇らし気にまたさらに泳いでいた。


2002年08月15日(木) 息子の初温泉

息子とプールに行く約束をしていた。萩原町の隣り、馬瀬村に「美輝の里」という温泉がある。自然が豊かなところで、吹き抜ける風も涼しい。確か釣掘りもあったと思い、息子、妻、祖母、僕の四人で出発。以前来たときに比べ道路がうんと整備をされていた。通行量に比べてこの立派さはいかがなものか、などと仕事柄つい考えてしまう。「美輝の里」の近くにあると思っていた釣り掘りはどこを探しても見当たらず。確かにインターネットでも紹介されていたので間違いはないはずだがない。結局釣掘りは断念。インターネットは、そこに載っている情報を頼りに訪れる人もあるのだから、情報は正確にかつ最新のものを載せておくべきだ。レジャーや観光のものであれば、なおさらだ。もちろん、利用する側もいろんな手段で情報の精度を確認する努力が必要だが。
 温泉は息子にとって初体験。釜風呂や打たせ湯など、バラエティにとんだ湯が用意されている。でも、湯の温度が熱すぎて息子は露天風呂には入れなかった。でも、広めの湯船で顔をつけ、少しだけ泳ぐ格好を見せてくれた。得意気な顔がかわいらしい。


2002年08月12日(月) バケツを二度ひっくり返したような雨

 朝から出発するはずが岐阜への帰省の出発はお昼過ぎに。家の片付け、やり残した仕事の処理などを済ませていざ出発。
 名神高速道路は、あまり込んでいなかった。順調に流れにのると、音楽を聴きたくなったので、生協で注文した『琉球的哀華』をかけた。
 なぎげなくきいていたが、「島歌」のザ・ブームや加藤登紀子など、すごいアーティストの曲が収録されている。「解説」でも紹介されているが、沖縄というところは、「青い海」というイメージや「戦争の爪あとを残し基地問題をいまなお抱える地」という側面に加え、「音楽と芸能」の島なんだ、という思いを強くする。しかも沖縄の歌や音楽は、沖縄の人々の暮らしのなかからうまれたものばかりだ。だから、心のなかに染み入るのだろう。
 運転中に、上々颱風の「愛より青い海」が流れてきた。フロントの前方には夏の入道雲。曲のイメージとぴたり合って心躍る思いがした。
 中央道に入ると、さっきまでの青空が一変。
 雷とともに暗雲がたちこめ、どしゃぶりの雨が降り出した。バケツを二回ぐらいひっくり返したような雨。たまらず、内津峠のパーキングエリアに退避して雨が弱まるを待った。息子はおおはしゃぎで、「車の外に出てみよう」などという。
 20分ぐらい立ち往生して、ようやく飛騨に向けて出発した。山の天気は変わりやすいものだ。


2002年08月11日(日) 最初はダベリングでも

 

 10日は、会議づくし。夕方から帰省用のお土産を買いに行く。息子は車の中で眠ってしまったので、だっこしてお店に入ったのだが、こんなに重たくなっていたのか?とわが子の成長ぶりをだっこで痛感する。手が痛くていたくて…。
 帰り際に目をさました。すると、とたんに「おもちゃ売り場に行きたい!」と言い出した。
 息子のお目当ては、「轟来旋風神」の大きな模型オモチャ。値段を見るとなんと、12800円!合体や変型ができるわけでなく、ただ飾っておくだけのオモチャが10000円とは、どうなってるんだ!と妻と怒りをあらわにしつつ、必死に息子を説得。「ただ飾っておくオモチャじゃ、何も面白くないでしょ。」「さとし君がもって遊ぶこともできないのを買っても全然面白くないよ」…。
 「いや!ほしい!ぜったい、ぜったいほしい〜〜〜!」
 駄々をこねる息子。必死に説得をする妻と僕。

 「お父ちゃんとお母ちゃんには、このオモチャを買うお金はありません!!」

 最後は、ピシャリ。すると息子は、とたんにケロッとして、「わかったよ」と了解。
 でも、すかさず「じゃあ、小さな怪獣がほしい。」12800円と700円を天秤にかけるのはよくないが、思わずその怪獣のオモチャを買ってしまった父であった。

 夜は、地域の党の会議。はなしのなかで、後援会づくりへ、みんなが楽しく集まってこられるような企画がしたい、という声がでた。すぐに政治の話しに結びつかなくても、ダベリングでもいいと思う。みんなが顔をあわせて、地域のこと、家族のこと、政治のこと、仕事の事をこもごも語り合うことから出発したらいい。
 そこから、新しいエネルギーが湧いくると思う。


2002年08月10日(土) 駅頭宣伝

 

 朝、近鉄久津川駅でマイク宣伝。夏休みで子どもたちの通学の姿はなく、お盆前で通勤する人も少しだけ少なめ。僕が訴えた中身は大要、次のようなことだ。

 9日は、長崎へ原爆が投下された日。今年の原爆の日は、特別に意義のある日ではないか。というのも、今年、国会には初めて有事法制が上程された。有事法制とは、アメリカがアジアなど世界で起こ戦争に、日本の自衛隊はもちろん、国民の様々な権利を抑えてまで協力することを義務づける「戦争法」だ。日本共産党は、いち早く反対の声をあげたが、残念ながら当初、マスコミなどの反応は鈍いものだった。しかし、国会審議や草の根での署名や宣伝行動を通じて、有事法制の危険性は、瞬く間に全国に広がり、ついに延長した国会でも成立させることができなかった。これは、あのヒロシマや長崎での原爆の被害をはじめ、「戦争を起こす国も侵略される国にもならない」という日本国民の平和を願う固い決意が、脈々と流れているからではないだろうか。政府や自民、公明、保守の与党は、秋の臨時国会での成立を狙っている。今日、原爆の日を引き続き有事法制の制定を許さずに、憲法九条の心を世界に発信する、出発の日にしよう。

 小泉内閣は、来年度の予算編成にむけて各省庁からの概算要求をうけるさいの基準をこの度発表した。その中身をみて、心から怒りが湧いた。長引く不況で国民のくらしは限界に近いのに、社会保障費を約2000億円も削減する、という。逆に医療改悪で1兆5000億円も国民負担を増やす算段だ。
 一方で公共投資は約3%の縮減にとどまっているという。なんのことはない。3%とは、建設資材の物価下落分にすぎず、事実上、公共投資の大幅なカットは見送られ、無駄遣いや利権の温床の継続宣言をしている始末である。日本の財政は、社会保障費が国と地方あわせて20兆円、公共事業費が50兆円と逆立ちしている。私たちは、社会保障費を充実させて将来への不安を取り除き、消費税減税で国民の懐を直接あたためる内需拡大を主張している。これは、なにも共産党だけが主張している話しではない。
 FRB(米国連邦準備制度理事会)によると、90年代の日本の景気対策をふりかえって、「消費税減税と社会保障費の充実がされていれば、経済の再生は可能であった」と結論づけている。アメリカの機関でさえ、このように分析しているのに、小泉内閣がやろうとしているのは、全く逆方向。これでは、日本経済は再生どころかますます混乱と低迷の道をすすむだけだ。
 いまこそ、国会を解散して総選挙を行い、政治の流れをおおもとから変えよう。

 しゃべっていると、滝のように汗が流れていく。

 午後からは、調べものをしてその後、部屋の掃除にとりかかった。僕の部屋にあふれているもの。本、CD、文房具、書類。書籍を処分することは、僕にはとうていできない。以前、野口悠紀雄さんの本で読んだ「とりあえず捨てる」式で、段ボールにつめ、倉庫や妻の実家に持っていくようにしている。それでも、2つのラックはすでに満杯状態。優先順位をきめて、「とりあえず捨てる」作業にとりかかる。
 CDは、パソコン雑誌の付録のものと、音楽CD。あらためて、その量の多さに我ながら驚く。昔のパソコンで使っていたものは思いきって処分した。音楽CDもせっかくプライベートサイトで紹介するコーナーがあるのだから、目録代りに聴いた感想などを順次のせようとかとも思っている。
 パソコンがありピアノ(以前住んでいた方が置いていったもの)があり、今度妻の仕事スペースとして簡易机も買ってきた。それに加えて、ラックやカラーボックスがある。それらが六畳の部屋でひしめきあっている状態。まだまだ整理は続く見込みだ。

 夜は、地域の要求実現をはかるための意見交換の会議。
 ふだんあまり、ゆっくりとお話をする機会がなかった方とお話ができて、とてもうれしかった。
 「子どもたちを対象にビデオ上映会ができないか」「地域文庫など開いてはどうか」「文化的側面から子どもたちを支援できないか」…いろんな話題があふれでる。どれも魅力的。子どもたちを親だけではなくて、地域でも育てていくことの具体的な中身がここにある。
 直接の話題は、JR奈良線を境にした東西の交通をどう整備するのか、道路の安全対策や踏切ではないところを横断していく人がいる事態をどう改善するのか、等々だったが、この点でもいろんな知恵が出てきたので、僕も積極的に協力をしていきたいな、と考えている。


2002年08月09日(金) 公立保育園の施設を視察

 

 午前中に、奥村議員、飯田議員、若山議員らともに、市内の保育園の施設を議員団として現地視察をしてきた。実際、現場をみると、外壁など補修や塗装が必要なところが何ケ所かあった。改修計画の具体化が急がれれる。同時に、保育士の先生方が自分たちで様々な工夫や努力で、少しでも使いやすい施設にしようという熱意も伝わってきた。
 ある保育園では、玄関から2Fにあがる階段とフロアの木目の床を手作業で、ワックスをはがし木目の間のゴミを取り出しその上からまたワックスをかける作業をしたそうだ。歩かせていただいたが、ピカピカだ。
保育施設には生身の、そして未来ある子どもたちが毎日、暮らしている。子どもたちのために、最善の環境を。そんな保育士の方々の情熱にふれて、爽やかな気持ちとともに、「私も頑張られねば」、という思いにかられた。

 話は変わるが、松岡圭祐さんの『千里眼』シリーズがとにかく面白い。合研にいくバスのなかで、『千里眼ーミドリの猿』を読了した話は前に書いた。実は、物語は「ミドリの猿」では完結していない。続編の『千里眼ー運命の暗示』を読みはじめているのだが、壮大なスケール、考え抜かれたプロット、登場人物の人間像の深み、所々に散りばめられる作者の社会、文明批判。読みはじめたらとまらない。
 でも、息子と一緒のときは読めない。「お父ちゃん、何よんでんのよ。僕の本を読んでよ〜」と中断させられるからだ。今度のお盆休みは、自分のことよりも息子のせがむことを最優先にしてあげたいと考えている。


2002年08月08日(木) 寺田学童保育所のモルタル片落下事故で申し入れ


午前中は、団会議。それに先立って、7月31日の午後に発生した寺田学童保育所でのモルタル片落下事故にかかわって、党議員団として市長あてに申し入れを行った。議員団は7人全員が参加。市側は、市長と助役ともに不在のため、福祉保健部の部長と次長が対応した。申し入れ全文は、ホームページに載せているのでぜひ、読んでほしい。
 寺田学童保育所に通わせている保護者が安全性の点から不安を募らせているのは、同じ保護者としてよくわかる。あれだけ古い建物だから、「絶対に安全」ということはありえない。
 新しい学童保育所の建設はすでに決まっているが、モルタル片が落下した部分の補修にとどまらず、この際、床や窓、トイレなどなど保護者の不安の声に謙虚に耳を傾けて、安全確保に全力をつくすべきである。そのさい、大事なのは、保護者や子どもたちへの十分な説明と理解を求める努力がされているかどうかだ。
申し入れのなかで市側は、夏休みいっぱい、寺田小の図書館と体育館をかりての学童保育を実施すること。その間に、床の修繕等、保護者からの要望でできることは、すぐに対応する旨の説明があった。さらに、他の児童保育施設についても、専門家とも協力しながらの点検などを強化していく方向、との話しがあった。

 僕たちは、議会人としても、安全確保がどれだけはかられるのかを厳しくチェックをしていく必要があると考えている。また、学童保育所以外でも、公立の保育所は、青谷と鴻ノ巣を除いて、築後25年〜30年が経過したばかりの施設だ。これらの安全点検などはどうなっているのか。施設改修計画などはいまだに具体的に示されていない。8日には、保育園の施設を議員団として回る予定をしている。
 なにしろ、保育施設には、生身のそして、未来ある子どもたちが毎日、暮らしているのである。


2002年08月07日(水) 毎日更新が崩れてる

 毎日更新が売りの一つの「ヤグネットの日記」がこの間、毎日更新できずにいる。8月2〜4日まで静岡で開かれていた全国保育合同研究集会に参加している間、携帯電話を使って更新しようとしたけれど、あまりにすばらしい集会で書きたいことが山ほどできて、でも、頭の中を整理するのに時間がかかって…。
 城陽にもどってきたら、寺田学童保育所のモルタル片落下事故などなど、いろんなことがたてこんで…。ついつい、更新ができずに推移してしまっているわけだ。
 でも、書きたいことは山ほどある。少しずつ、抜けた日のところにこの間少しずつまとめている文章をアップするようにしたいと考えている。
 読書も、わが尊敬する笠木透さんの『私に人生と言えるものがあるなら』(萌文社)と大好きな作家・松岡圭祐さんの『千里眼ーミドリの猿』(小学館文庫)を読み終えた。プライベートサイトのほうへ感想をアップしたい。

 最近、息子が「キックスケート」(正式な名前はわからない)をやりはじめた。スケートボードにハンドルがついているようなもの。
 家の前の道路で少しだけ遊び、公園にいった。
 いつもの親ばかだけれど、息子があまりに上手に乗りこなすので、びっくりしてしまった。坂道などは、自分で体重を移動をしながらブレーキングをしてバランスをとっている。いつのまにこんなことを覚えたのか?子どもの吸収力ってほんとうにすごい!

 近くの公園にはじめて足を踏み入れた。新しくできた団地につくられたものだ。何人かの母子がいた。ベンチに座って子どもの散髪をしてあげている母子。ブランコにのせている人。息子は、元気によくその公園に入っていく。僕は一瞬のためらい。少し心臓がドキドキする。(ほんと)
 「公園デビュ−」の若いお母さんたちの気持ちがよくわかる。
 幸い、みんな「こんにちは」とあいさつをしてくれた。僕も、少し照れて「こんにちは」。

 

 


2002年08月02日(金) 柿しぶ

僕の欠点の一つは、何ごともギリギリにならないと重い腰を上げられないこと。二日から保育の全国集会にいくので、幾つも仕事をこなさなければいけなかったのに、出発の前日になってあれこれと必死になってやりはじめた。その一つが三日の保育園の遊具の防腐剤ぬりの準備。僕は参加できないが、今年は有機溶剤ではなく、柿しぶを使おうと提案していたものだから、言い出しっぺとして、作業の準備だけはしておこう、と柿しぶを買いに南山城村まで車を走らせた。R24 号線からR163号に入り木津川の流れに沿って走る。爽快!の一語につきる。柿しぶは、もともと漢方薬として、体内の毒素をとることに優れていたが、現在では、塗料として多く利用されている。使用される木材に優しいのはもちろん、人体にも有用なので、最近、学校や保育園の施設にも防腐剤等で使われることが多くなっている


2002年08月01日(木) キレる園児が増加

31日の午前中は、僕の大先輩の西やすひろさんと「しんぶん赤旗」の読者を増やす活動。西さんは、対話がうまい。相手に警戒心などを抱かせず、自然と話をしたくなる人。対話を通じて、いろんな話を聞き出し政治の話へとつなげていく。とても勉強になる。

 インターネットでニュースを読んでいたら、とても興味深い記事をみつけた。以下、全文を紹介する。「毎日新聞」からの引用だ。

「他の子の腹を訳もなくたたく」「おもちゃの取り合いで何度も『ぶっ殺す』と言う」「注意されると自分の手足をひっかく」―― 楠凡之・北九州市立大助教授(臨床教育学)らによる保育園の全国調査で、園児のこんな問題行動が報告された。4、5歳児クラスの半数で観察され、背景に虐待被害を想定する保育士が多かった。少年犯罪で注目された「キレる」現象の“幼年化”とも言えそう。楠助教授は「問題児扱いするのではなく、虐待などを見落とさないよう注意が必要だ」と指摘する。

 調査は昨年5月、北九州市を中心に全国120の保育園に質問用紙を郵送。保育士が「キレた」と感じた園児の人数(出現率調査)や具体的行動(事例調査、複数回答)を尋ねた。

 回答は66園(計6892人)が寄せた。出現率は2・9%(45園計202人)で、年長者ほど増えた。事例調査の回答は37園から72人分(2〜6歳)。類型で分けると、身体攻撃が最も多く73%。以下「長時間泣き続ける」など感情制御が困難63%▽「ガラスを割る」など物に当たる33%▽「死ね」「ばか」などの暴言26%。自傷行為も6%あった。

 72人のうち、保育士が「虐待を受けている可能性がある」と受け止めた子が40人に上った。一方で医師から注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されるなど、病気が原因とみられる園児は12人(16%)だった。

 全国保育士会の藤岡佐規子・前会長(北九州市)は「親のストレスは家庭内で弱い立場の子供にぶつけられる。キレる行為は助けを求める悲鳴に思える」と話す。楠助教授は「虐待も障害も対応には高い専門性が求められるが、国の基準では4、5歳児30人に保育士1人しか配置されない。保育環境の充実が不可欠だ」と話している。


 実は、この記事に出てくる楠助教授は、妻の知り合いで、教育現場のあれこれの悩みなどをよく相談にのってもらった人だろうだ。
 この記事の結論が興味深い。

国の基準では4、5歳児30人に保育士1人しか配置されない。保育環境の充実が不可欠だ」
そうだ!保育室の広さや保育士の配置などの最低基準は、もう40年以上も改定されないままだ。これだけ子どもたちをめぐる環境が変化しているのに、なんという時代遅れ!
 こうした客観的データをもっと広くみんなのものにして、知らせたい。
 明日から、全国合研。いつものように、携帯電話からの書き込みになるので短くなるが、保育運動や保育に関わる知識をいっぱいつめこみ、全国の仲間たちと交流を深めてきたい。


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