ヤグネットの毎日
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2002年07月31日(水) 議会運営委員会

 午前10時からは、議会運営委員会が開かれた。6月議会の結果をお知らせする「議会だより」の発行についてが議題。城陽市議会の議会だよりは、議会事務局で質問内容等をまとめ、割り付けまでしてくれる。
 コンパクトにまとめあげるその技量は相当のものである。今後、いっそう市民に読んでもらえる内容とするためには、どうすればよいのか。これらの問題こそ、議会運営委員会のイニシアチブが求められるところだ。

 話は変わるが、この日の地元紙の一面トップは来春の京都府議会議員選挙に、市会議員の北尾茂さんが立候補されることが報道されていた。現在のところ、自民党と新政会(いずれも保守系会派)の現職と北尾さんの3人。新政会の女性府議は、北尾さんと支持基盤や支援体制がほぼ重なるから、今後、どう調整がはかられるのかが注目される。わが党も一日も早く候補者を発表できるようにしなければ…。

 午後からは、保育運動連絡会の仕事で合研Tシャツを各保育園におろす。各園をまわってあらためて感じたことは、城陽市のほとんどの公立保育所は住宅地のなかにたてられており、地域に溶け込んでいること。
 この公立保育所を地域の子育て支援のセンターとしての位置付けをいっそう高めていくことが必要だ。

 夜は、引退された保守系の議員さんが叙勲を受けたのでそのお祝をする会に参加。
 僕自身は、叙勲などに特別な思いをもたないが、純粋にお祝をしたい、という気持ちは大切なことだ。それに、こうした会合に出席することで他の議員さんと交流したり、情報収集をはかるのには、格好の場でもある。
 行政や議会に関することで、いくつか新しい情報を得ることができた。

 
 


2002年07月30日(火) 笠木透著『私に人生と言えるものがあるなら』を読む

夏の暑さで思考能力も低下ぎみ。議員団の会議が午前中にあると思い込んで市役所までいくと、全く姿が見えず。あわてて手帳を開いたら、午後1時30分からになっていた。あっちゃ〜〜。
 午前中は、日記をサイトにアップしメルマガ第77号を発行。
 
 眼鏡が壊れた。眼鏡屋さんに行くと、「そんな簡単に壊れるしろものではありませんけどね。」
 最近、息子とじゃれあって、格闘することがある。そのときに、何度か眼鏡が飛ばされた。たぶんそのときの衝撃が原因だろう。レンズはまったく問題なかったので、レンズにあうフレームで頑丈そうなものを妻に選んでもらった。それができるまでのほんの20〜30分だけだが、裸眼で店の近くを歩く。僕の視力は、左右とも0.1以下。つまり、眼鏡がなければかなり不自由になるのだ。
 眼鏡の助けを借りれば、不自由なく歩くことができるが、視覚障害の方はどうだろう。その立場にたって、街の中を見渡せば、危険なところだらけだ。お年寄りや障害者が安心して歩くことができるまち。バリアフリーの必要性にあらためて思いを馳せた。

 いま読んでいる本。笠木透さんの『私に人生と言えるものがあるなら』(萌文社)読み終えたところで、感想はいつものようにこの日記で紹介したいと思うが、期待どおりの「心を揺さぶる」本である。
 
 最近になって、僕はフォークソングにあらためて関心を持ち出した。「あらためて」とは、中学生の頃に学校の講演会で高石ともやさんがギターを片手に話をしにきてくれて、そのときになにやら、フォークソングとは人生の喜びや哀しみを表現するもの、という話をされたのを記憶している。高校生になっても少しだけギターをやっていたが、そらからの16年間は、まったくギターやフォークソングから離れた生活を送ってきた。ところが…。

 生きづらい社会、人間が大切にされない日本の現実を見るにつけ、さらには、その中で人と人との結びあいを大切にするどころか、バラバラにされている「ギスギスした人間関係」を見るにつけ、僕のなかにムクムクと沸き上がる「何か」があった。
 豊かな森林、清らかな水、道ばたで咲く花々、生きにくいのに懸命に生き延びる動物たち。この地球のうえで、限られた命を伝えあっていこうという、生きとしいけるものすべてに心を向けて、ともに生きていく社会をつくるためには、自らの意志をもって自らの歴史をつくることができる人間が変らなければいけない。そのためには、腹のそこから怒りや哀しみや喜びを表現し、周りの人間にそのことを伝えていくこと。そして、異なる価値観や生き方にも、たとえ同じ生き方ができなくても共感、共鳴して自らの人生に生かすこと。そんな、感応しあう社会関係、人間関係の構築こそ必要ではないのか。そのためには、他人の人生を疑似体験したり、あるいは美しいものを自分なりに表現したり、伝えたいことを形にする芸術、そして文化というものが大切になってきているのではないか。そんなことを考えるようになってきた。
 僕にとって、その一番身近な表現の仕方が、音楽であり、フォークソング、ということになる。
 
 笠木透さんの生き方には、僕の最近の問題意識をより豊かにしてくれるキーワードがいっぱいちりばめられている。いま、最後まで読み切るのが惜しくて仕方ない。最初からもう一度、三色ペンで書き込みをしながら読み込みたい。そして、「私に人生と言えるものがあるなら」などをギターで歌ってみたい。


2002年07月29日(月) 平田オリザ著『芸術立国論』を読む


 最近僕が強い問題意識をもっているテーマの一つに、芸術や文化が社会に果たす役割、というものがある。何度も引用して恐縮だが、今村克彦さんが、ご自身が指導するダンスチーム「今村組」について、テレビで語った次の言葉とそれを読み取った僕の次の言葉に、僕の問題意識は端的に示されている。

 僕らは、祭りの関係者や祭りのチームなど、そういうものに評価される踊りをしようとは、というか、僕はさせようとは、思っていない。
 そこにいる、おじいちゃんだったり、おばあちゃんだったり、同じ若者だったり、その人らが本当に笑顔になれる踊りをしたいな。その笑顔を感じさせたい。札幌でも、本当に自分たちの踊りを喜んでくれる人がいる。札幌という大きなところにきて、私たちのチームなんて、屁のようなもんだ、と思っているヤツがいっぱいるかもしれない。でも、そうではない。お前らの存在価値はそんなところにあるんではない。もちろん、心は、技や踊りをとおして表現しなければならないと思うが、あいつらの心をめいっぱい、技、踊りで表現したときに、あいつらの値うちというのは、見ている人を通じて、自己確認ができるんだ、それが「今村組」にとっても、あいつらの今後の生き方にとっても、すごいいいことではないかな。


 この言葉を聞いて、僕は次のような感想を日記に書き記した。
 
  踊りや技を通じて心を伝え、見て喜んでくれる人たちの姿を通じて自己表現し、自己確認ができる。人は、自分がこの社会の中で、この世界の中で、かけがえのない存在であると認められたときに「生きがい」を実感できるものだ。「自分」というものの表現の仕方や自己確認のあり方は、いろいろあっていい。他に一人としてない「自分」を見つけだすことを応援してあげる、少しだけ手伝ってあげられるチャンスや「場」があるかどうかが、大切なことだ。音楽や芸術は、その「場」であり「手段」なのだろう。

 芸術が人間や社会に果たす役割を考える学問を、「アート(ツ)・マネジメント」と呼ぶこととも、恥ずかしながら平田オリザさんの『芸術立国論』(集英社新書)で初めて知った。線を引きつつ考えながら読みすすめたので、少し時間がかかったが、読み終えたので感想を書いておく。

 「日本再生のカギは芸術立国論をめざすことにある」という平田オリザさんの言葉に、「大上段に構え過ぎではないか?」などと斜に構えた僕だったが、読後の感想は、決して大袈裟ではなく、この本には、日本をそして日本人を元気にする方法のキーワードがちりばめられている」というものだ。
 あとがきでも著者自身が述べているが、本書は2つの視点が最初から最後まで貫かれている。
 
  一つは、大きな国家目標を失った日本が、個人のそれぞれの価値観を大切にする成熟社会へと移行する中での、芸術文化の役割を考えること。もう一つは、高度消費者会の中で、「参加する芸術」という視点で芸術文化をとらえ。さらに教育や文化政策についても考えていくこと。 

 この2つのテーマについて、それぞれ著者はどういう考えを述べているのか、その全体像は本書をぜひ読んでいただきたい。とても一回の読書感想では書ききれないほど、たくさんの内容がつまっている本だ。だから、いつもながら、「つまみ食い」式に、僕が赤線をひいたところを、箇条書きで紹介したい。


◆これからの地域社会になぜ芸術文化が必要なのか

 かつては地方にこそ、無駄なもの、無駄な時間、無駄な空間が流れていた。伝説、伝承、お化け、鎮守の森、祭り…。ところが、村落共同体が崩れ、全国一律の近代化を達成した日本では、そんな無駄なものはどこを探しても見つからない。だが、無駄な場所は時間を失った地域は、価値観も画一化し、重層性を失っていく。バブルとそれ以後の不況によって、国民の精神を一様に狂乱や沈滞へと巻き込んでいるのは、まさに社会が重層性を失い危険な状態にあるから。失ってしまった何ものかを、私たちは、別の形で取り戻す方策を真剣に考えなければらない。それを可能にするのが、文化が芸術ではないか。著者は、こう提起する。
 では、文化や芸術は地域社会や自治体において、どんな役割を果たすものなのか?
 著者は、演劇を専門にする劇作家であり、演劇を例にして次のようなことが語られる。

 芸術の創造現場では、あらかじめ決まっていることなど何もないのだ。お互いの価値観をいったん尊重し、その個々の価値観はそのままにして、それを摺り合わせていくところから、創作の過程が開始される。そして、この新しい問いかけ、「異なる価値観を異なったままに、新しい共同体をつくる」という試みこそが、いままさに地域の共同体、地方自治体に求められている事柄なのではないだろうか。ここに、自治体が文化行政に関わることの、もっとも積極的で今日的な根拠がある。

 ここから著者がさらに、これからの自治体のあるべき姿として、選挙権を持たない小さな子どもたち、あるいは、いまその自治体に住んでいるわけでなない市民など、「明日の住民」にもコミュニケーションの視野を広げているか、またそのための手段として「交流の広場」となる、文化やスポーツなどの基盤整備を行っているか、が大事だと指摘する。

 人はもはや、そこに住んでいるからというだけでは共同体の成員になるわけではない。その共同体が提示する価値観に共感できるものがなければ、しなやかな帰属意識はうまれない。さらに、その価値観も一様ではなく、多種多様でなければならない。ここに芸術文化行政の難しさがあり、また可能性がある。

 これだ!行政自体がもっと文化性をもたなければならない、という僕の考えはまさに著者の指摘とぴたりと重なる。うれしい!

◆芸術は生き死にの問題か

 僕の先輩である京都音楽センター代表の時田裕二さんが、感想を述べておられた箇所である。

 著者が講演会にいくと、「医療や経済生活は生き死にの問題だが、芸術、文化はなくても死なない」と芸術文化の役割を低めるような声を聞くことについて、著者の考えが展開されている。

 著者の反論を少し長くなるが引用したい。

 しかし本当にそうだろうか。自殺者が年間三万人を超えるこの時代に、果たして行政は、それに対して有効な施策を行ってきただろうか。凶悪化する青少年犯罪が地方都市に広がるこの時代に、なんらかの処方箋を、私たちはもっているだろうか。
 日本の行政は、身体(健康)や頭(教育)には、ずいぶんお金をかけてきたが、こと精神については、まったく予算を使ってこなかったのではなかったか。(中略)
 多発する青少年犯罪には、「心の教育」が叫ばれるが、いったい、その「心の教育」とは何か、を誰も明確には示せない。(中略)命の大切さを知るために、豊かな生活を捨て、コンピューターを捨てて自然に帰ろうと語るのは簡単だ。しかし現実にはさまざまな困難がつきまとう。少なくとも、いまの豊かな生活の水準を維持しながら、青少年に命の大切さを実感させようとするならば、さまざまな現実を疑似体験するシステムを、社会の側が用意していかなければならないだろう。
 芸術が社会において果たせる一つの大きな役割がそこにある。いまこそ私たちは、芸術文化を享受する権利を守ることは、「生き死にの問題だ」と力強く主張しなければならない。


 社会をつくり、前にすすめていく力は人間の共感能力や共同する力。そして、よりよく生きたいという心の内面からおしあがってくるエネルギーではないか、と最近つよく考える僕にとって、最初にも書いたように、日本を再生するカギをこの芸術や文化が握っていることを、深くつよく実感させた著作だった。
 


2002年07月28日(日) 草の根から政治を変えること



 27日の午前中、業者後援会のみなさんと一緒に業者さんを回り、お商売のことや政治のことを語りながら、しんぶん赤旗を購読していただく行動に参加した。
 この不況のとき、月々800円とはいえ、わざわざお金を出して新聞を購読していただくのは大変なことだ。自営業の方は特に、入るお金より出るお金のほうが多い。「とりあえず読んでほしい、ではなく『政治を変えるためにぜひ読んでほしい』、と正面から訴えてみましょう」、一緒に回る後援会の方とそう「決意」しあって、いざ業者さんのもとへ。1軒目。真夏のうだるような暑さに加え、機械が回るモーターの熱で気温ははるかに体温を超えているようだ。事務室に通されて名刺を交換する。社長さんは、耳が少し不自由な方だった。
 話すぶんには支障がないが、相手の話しが聞き取りにくい。僕は、筆談でお話をさせていただくことにした。

 ○先日国会では、医療「改革」(ぼくたちは改悪といっています)法案が成立しました。国民に負担ばかりを押しつける政治が続きます。どう思われますか?
 ○そのうえ、税制「改革」などといって、中小業者や国民にさらに負担を重くすることばかりを考えていま
す。
 ○自殺者が年間3万人を超えるといいます。人間を粗末に扱う政治は許せません。どうしても政治を変えたいと思って、今日は訪問させていただきました。
 
 ここまで、書いた時、その社長さんは、「私はその自殺者の予備軍かもしれません。融資をなんとか借りやすくしてほしいのですが…」と話された時には、胸がつまるおもいだった。
 そのあと、なんとか身ぶり手ぶりで、次の事を訴えた。

 ○朝日新聞では、医療改悪について、「来春から3割負担」と結果の報道だけ。「赤旗」は、「実施許さぬたたかいを広げよう」と報道しています。これを見ていただければ、赤旗は政治を変えたいと願う人たちの思いを応援し、どうすれば変えられるかを示す新聞であることが分かっていただけると思います。草の根から政治を変えるためにも、ぜひ私たちの新聞をご購読いただきたいのです。

 

 この社長さんに購読していただけることになった。心をこめて、真剣に訴えることが大切なんだ。本当にうれしかった。

 もう一人の方。月曜日に納期の仕事があるので、土日も出てきて作業。従業員には休んでもらって、自ら汗だくになって仕事に打ち込んでいるところをお邪魔した。
 小泉内閣には、当初「何かしてくれるのでは」と期待したが、期待はずれだったと今の政治への批判は手厳しい。「自分は、何がなんでも共産党、というわけではないけれど結局、共産党がいうことが自分の意見とあうところが多い」という。一言ひとことを考えながらお話をされる。政党助成金をなぜもらわないのか?政権をとる気持ちがあるのか?それならば、もっと大胆な方針を出して本気で政権をとってほしい。など、疑問や注文も寄せられた。
 僕たちは、「○○さんのようにご自分の意見をしっかりもっておられる方が、私たちの新聞も読んでいただいて、この新聞にはこんなことが書いてあるよ、と話題や情報を回りの方にも広げる役割を果たしていただけたら、こんなに有り難い話はありません。結局、一人ひとりの国民のつぶやきや会話、声が大きな渦になって政治を変える力になると思うんです。」と訴えさせてもらって、購読をしてもらえることになった。

 政治を変えるには、一人ひとりの人間の「政治を変えなければ」という内発的な力を引き出し、一つに束ねることが不可欠だ。草の根から政治を変えるとは、そういうことをいうのだろう。
 考えてみれば、壮大な仕事だけれど、それをやらなければ、政治も社会も変らないと思えば、少しずつでも粘り強く取り組んでいこう、という気持ちが湧いてくる。


 暑い夏はまだまだ、終わらない。空を見上げると、青空に白い雲。そういえば、ひさしぶりに空を見上げたことに気づいた。



 
 
 


2002年07月27日(土) 党後援会で市政報告



 朝、近鉄久津川駅で若山市会議員と宣伝。前日に国会で強行採決された医療改悪法案についての抗議と、実施を許さない世論と運動を広げよう、と訴えた。
 年間の自殺者が3万人を超し、40〜50歳代の働き盛りの自殺者が経済的理由などから自ら命を絶っていること。そのうえさらに、サラリーマンに多大な負担を押しつける小泉政治に草の根から怒りの声をあげていこう、と握るマイクに力を込めた。
 午前中は、党の会議。夜は、城陽市の日本共産党後援会で市政報告をさせていただいた。大要はメルマガでお知らせをしたい。
 僕は、昨年9月の市長選挙での大善戦とその後の市民のたたかいが、2つの点で新しい特徴をつくりだしていること。すなわち、1)橋本カラーが出せず、大西・前市政の継続課題をこなすのが精一杯の1年となろろとしていること。2)「共産党をのぞく」が事実上破たんし、市民要求にもとづく自由な共同が生まれつつあること。これらのことに確信を持ち、いっせい地方選挙での日本共産党の躍進で、市民が主人公の政治の新たな高揚をつくりだそう、とよびかけさせていただいた。


2002年07月26日(金) 乳幼児医療費の無料化を拡大する運動

25日の夜、城陽市で乳幼児医療費の無料化を拡大するネットワークを立ち上げようと会議がもたれた。
 僕は、城陽保育運動連絡会から出席させてもらった。いわば、当事者でもあるので、自らの要求や課題として全力で取り組むつもりだ。
 だが、就学前の子どもをもつ親の世代というのは、城陽市全体でみれば多数派ではない。だから、子育てが終わった世代にも、お年寄りの世代にも、未婚の若い世代にも、働き盛りのサラリーマンにも、自営業者の方にも理解と共感を持って受け止めてもらえなければならない。
 会議でも発言させてもらったが、僕は3つぐらいの角度でこの運動に取り組む意義を広げていければ、と考えている。
 第1は、就学前の子どもをもつ親の世代にとっては、経済的負担の軽減にもなり、お金のことを心配せずに病院にかかれることは、早期発見、早期治療にも役立つ、ということだ。6才くらいまでに、内臓など身体の重要な部分の形成をはかる、との医学的な面からも、この時期に必要な医療が安心して受けられる条件をつくることは大切なことである。
 第2は、もっとも弱い子どもたちのいのちと健康を最優先に考えることは、結局のところは市民一人ひとりのいのちと健康を大切にすることにつながる、ということだ。
 環境ホルモンが人体に与える影響ははかりしれない。不規則な生活が子どもの発達に与える影響もしかり。これらのことは、実のところ社会的な世論や監視のなかで、規制をかけていくべき問題が少なくない。親子で過ごすべき時間を多くとりなさい、といくら言われてもリストラや長時間労働があたりまえのようにまかりとおる社会の現実のもとでは、「絵空事」との批判をうけるだけだろう。社会的に問題をとらえて、一人ひとりの健康を第一に考える社会をつくるためにも、小さい子どもたちのいのちと医療を考えることは、大事な出発点となるものではないだろうか。
 第3は、第2と重なるが、城陽市で就学前まで医療費の無料化を実現しようと思えば、僕の試算では、約1億円前後かかることになる。城陽市の一般会計予算が約230億円。そのなかでの1億円を高いとみるか、安いとみるのか。これは、煎じ詰めれば、そのまちの「まちづくりの着想」「めざすべきまちづくりの方向」に規定されるものだ。人口減が叫ばれる中、いつまでも安心して住み続けられるまちづくりをすすめるためには、小さな命を行政がどれだけ大切にしているかが、そのメルクマールとなるものだ。小さいころから健康に生きることの大切さを学ぶ子どもたちは、将来にわたってかかる医療費もトータルでみれば抑制されるはずだ。(統計を調べたわけではないが)長い目でみて、どの分野に税金を使うことが、まちづくり、人づくりの観点からみても大切なのか。いま、そうした長期的視点にたった税金の使い道がもっと真剣に検討されてしかるべきではないか。

 ときあたかも、参議院の厚生労働委員会で、医療改悪法案が自民党、公明党など与党の多数のごり押しで可決されたとき。経済に大きな影響を与え、受診抑制で健康を害する国民を増やし、結局保険財政を圧迫する、この悪循環になぜ、気づかないのか?


2002年07月25日(木) 息子三回目の散髪

 頭がクラクラするほどの暑さ。
 昼間は、保育運動や議会関係でデスクワーク。
ニュースを読む。働き盛りの世代を中心に勤労者の自殺に歯止めがかからない、という内容。「時事通信」の記事によれば、専門家の指摘として精神面での悩みは、人事面でマイナスとなることが多く独りで抱え込んでしまうケースが多く、「不況による競争の激化や終身雇用の崩壊で職場が余裕を失い、職場で相談相手を探すのは困難になっているのが実態」だという。「愛媛新聞」の4月18日付の「社説」は、こうした親の世代の自殺が子どもに影響を与えていることを指摘している。以下にURLを書いておくので興味のある方は読んでほしい。

http://www.ehime-np.co.jp/arc/2002/shasetu/np-shasetu-0418.html

  夜は、建築労働者の後援会の方と「しんぶん赤旗」をおすすめする行動。
長引く不況で仕事がなくくらしも大変なときに、健保改悪など許せない話し。草の根から政治を変えるためにも、国民の立場から政治のこと社会のこと、くらしのことを報道する「しんぶん赤旗」をぜひお読みください、と訴えさせていただき、新しく読者になっていただく方を増やすことができた。

 9時すぎに家に戻ると、息子がすっかりかわいらしくなっていた。髪がのびすぎて、「さと子ちゃん」などといわれていたので、生まれて三回目の散髪をした。(妻がハサミを入れたのだが)
 でも、ますますかわいらしくなってしまって、また女の子と間違えられるかも…。


2002年07月24日(水) 子育てと発砲酒 〜不況つながり


 午前中は議員団の会議。午後は、地域に全戸配布させていただくビラの印刷。そして、夜に行う保育運動に関する学習会の準備。
 僕はいま、城陽保育運動連絡会の会長をやらせていただいているが、昨晩は城陽市公立保育園保護者会連絡協議会(略称:保連協)の役員会に講師としてよばれていた。
 今日の保育をめぐる情勢と保育運動の課題、城陽市の保育行政の現状などについて、約40分程お話をさせていただいた。そのあとのディスカッションで出された感想や意見で印象的だったのは、「不況のときには、よい保育や子育てができにくい」という話し。
 たしかに、不況で生活が苦しくなれば、毎日のくらしに追われることになる。時間におわれ、経済的問題に追われるのでは、子どもとゆとりをもって接することなどできにくいだろう。
 だから、よい保育、よい子育てをめざす運動は、他の社会的問題とけっして無関係ではないのだ。
 また、寺田西保育園の方が、先日の保育園まつりが成功したことを、生き生きと語っておられたのも、印象的だった。
 楽しくお弁当をほお張り、バザーや出店で楽しく買い物をして、夜空に輝く花火をみて「きれいだね」と親子が声をかけあう…そんな、すばらしいまつりを企画し成功させた保育園の保護者と保育士の姿をみて、「なくしてしまえ」などと冷たい言葉を発することができる人がいるだろうか?
 自分たちの地域にある、子育てに欠かせない拠り所の場、それが保育所だ、というその思いが強ければつよいほど、そしてよりよい保育をめざして心をあわせる人たちの目が輝けば輝くほど、保育所を守る力は強くなるにちがいない。

 けさ。缶を出す日なので、ゴミステーションまでいくとあるわあるわ。不況だと缶ビールの空き缶も、発砲酒が中心だ。ケースで買うと1000円単位でちがってくる。最近では、発砲酒とビールで味の違いも大差がなくなってきていることも拍車をかけているのだろう。
 


2002年07月23日(火) 若草山と大きな和尚さん

 先日来、岐阜からきてくれていた義母が23日に戻ることになったので、22日は午後から急きょ息子もつれて奈良の東大寺と若草山にいってきた。
 若草山は、4月に大学時代からの友人である「たぬぽんさん」に一度連れていってもらったので、下見ずみ。奈良市街を一望できるスポットだけれど、あいにくこの暑さで視界が悪かった。でも、鹿が群れをなして木陰で休んでおり、息子はおおはしゃぎ。
 東大寺では、いきなり鹿の手荒い歓迎を受け、息子はキャーキャー言いながら逃げ回っていた。
 それにしても、なんで奈良の鹿はあそこまで、図々しいのだろうか?もはや野生ではなくなっている。鳩まで人間になれきっていて、ピタピタという音を立てながら、石畳を歩いていた。

 大仏をひさしぶりに見た。息子は、開口一番「大きな和尚さんだね〜〜」。
 彼は、名コピーライターではないか、といつもの親ばか。
 僕は、左斜めから見上げる大仏の顔がなんとも穏やかで大好きだ。息子は、柱くぐりをおもしろそうに何度もチャレンジして、あたりの観光客から拍手喝采だった。周りに人がいると俄然燃えてくるというのは、親譲りなんだろう。奈良の大仏を最初に見たのは、中学三年の修学旅行のとき。そのときは、たしか、柱くぐりにチャレンジして、軽くクリアできたのに、いまは、右足だけでも通れない。。。。

 京奈和自動車道を使うと、片道30分もあれば城陽から奈良へついてしまう。いまは、山田川からさらに木津(奈良)まで延びているのだ。帰りは、制限時速に気をつけながら夕食に間に合うように家路を急いだ。
 


2002年07月22日(月) 早すぎる死

 梅雨明けした京都は暑さを通り越して、サウナに入り続けている状態。夏本番である。
 21日の午前中、日本共産党京都府委員会の副委員長である水谷定男さんの夫人、故・和代さんの葬儀に参列した。水谷副委員長は、長く京都の選挙対策の責任者をつとめられている。95年から99年まで、京都府委員会の政策宣伝部のスタッフとして僕は、府内各地の選挙を転戦して政策やビラづくりを手伝う機会が多かった。
 ある北部の選挙でのこと。なかなかビラの構想がまとまらず、徹夜してつくった僕のつたない原稿を民家に泊まり込んでいた水谷さんのところにもっていくと、布団から飛びおきて点検をしていただいたものだった。

 たしか93年の赤旗スキーまつりでのこと。当時僕は、京都の事務局をしていたが水谷夫妻も参加していた。ところが、和代さんがスキー中に足をねん挫するというアクシデントがあった。その対応にあたふたしたものだった。そのときも、和代夫人の足をかばう水谷さんの姿をみて、とても夫婦仲がよく、友だちみたいな関係だな、と感じたことを覚えている。

 出棺の直前、喪主として水谷副委員長があいさつをした。まっすぐ前をみつめ、毅然としたあいさつだった。それがまた、涙をさそう。そのなかで、わすれらない言葉がある。こういう趣旨だ。

それぞれが、必死にいきてきたものだから、家族そろって食事をすることなど、ほとんどなかった。亡くなる一ヶ月ほどは、病室で家族四人で食事をして、談笑しながらいろんな話をした。とても喜んでいた。その楽しい思いを胸に、安心して永眠することができたにちがいない。 
 
 党専従という仕事の性格にもよるが、水谷副委員長は、現場主義をとても大切にする人だけに、あちこち飛び回る日々が続いたにちがいない。
 誰もが笑顔で、家族のだんらんを味あうことができる社会をめざして政治を変える先頭にたって、戦いつづける一人の職業革命家。自分の幸せだけでなく、人のために生きることを喜びとする革命家は、その最愛の妻の人生の最期に、「家族そろって食事をとりながらの団らん」という、人間としてごくあたりまえの願いを実現することにこだわり、そして続けた。

 現代社会において家族そろって夕食をとる、その喜びをわかちあうことは、庶民にとっては、一つの「たたかい」なのだ。
 だってそうではないか。
 企業の容赦ないリストラ。若い労働者は小さな子どもを抱えながら、長時間・過密労働。テレビから流れるのは、腐り切った利権政治の醜態。年老いた父や母に十分な医療や介護を受けさせられるか、心配の種はつきない。
 
 妻の臨終の直前にあって、彼がいちばんしてあげたかったこと=家族の団らんは、幾千万の庶民の願いと重なりあうものだ。大多数の人々の幸せのために、人々の悩みや苦しみをわがこととして生きるという、日本共産党員としての生きざまを見るおもいだった。和代さんも、そんな夫の生きざまを誇りに思っていたにちがいない。

 そしていつも、最後におしよせてくるのは、「お前はそんな生き方ができているか」という自分自身への問いかけである。そのことを反すうするたびに、涙があふれでた。

 それにしても、和代さんは享年53歳。あまりに早すぎる死ではないか。

 
 
 


2002年07月21日(日) コーラルフェスタ2002

 20日は、音楽づくしの一日。城陽コーラスフェスタ2002に「ジョイナスグリー」の一員として舞台にたち、他の合唱団の演奏を聞かせていただき、とても充実した一日だった。
 声をあわせること、心をあわせること。それぞれの思いを音楽にのせて表現すること。なんというすばらしいことだろう。
 宇治市少年少女合唱団や大阪淀川工業高校、西城陽高校合唱部、そしてアウトサイダーという男声コーラスのグループがゲスト出演したが、どれも高い水準の演奏で、「カルチャー・ショック」を受けるほどの感動を覚えた。

 ところで、全体を通じて、合唱あるいは音楽には二通りの楽しみ方があるのではないか、と漠然と考えた。それを書き記しておきたい。
 一つは、徹底して音楽そのものの完成度の高さを追求すること。美しいものに感動するのが芸術のあり方だとしたら、当然のことかもしれない。しかし、それは時としてスキルアップにとらわれすぎて、荒削りでもダイナミックな表現や演奏する人間の心の開放などが抑制されてしまうきらいはないだろか?
 もう一つは、ある程度の技術の水準は前提として、いま書いたような、自分たちのグループの個性を生かして、それぞれが思いおもいに表現し楽しむことにウエイトをおいた楽しみ方である。
 僕は、どちらが良い悪いをいっているのではない。両方の楽しみ方を追求できれば最高だろう。
 
 それでも、いまの僕にとっては、先日来書いている、今村克彦さんの言葉ーーーー

もちろん、心は、技や踊りをとおして表現しなければならないと思うが、あいつらの心をめいっぱい、技、踊りで表現したときに、あいつらの値うちというのは、見ている人を通じて、自己確認ができるんだ、それがあいつらの今後の生き方にとっても、すごいいいことではないかな。

が耳から離れない。

 フェスタ終了後は、近くの焼き鳥屋「ときちゃん」で打ち上げ。この時間と空間が、僕はたまらなく好きだ。今日のステージの反省から、これから団がどんな方向をめざすのか、仕事の事などなど。話はつきず、5時から8時すぎまで一次会。コーラスグループが一次会で終わるはずがない。カラオケボックスにみんなでかけこみ、熱唱につぐ熱唱。あっという間に時間がすぎた。その後、家が近所の団員の方とラーメンをすすりながら政治の話しなどなどをして、家路ついたのは午前様直前のことだった。

 僕が京都府委員会にいたころ、そしていまも大変お世話になっている党府委員会副委員長の水谷定男さんの奥様が亡くなられた。
 この夜がお通夜だった。そのことを気にしながらの夜の交流会。翌日の告別式には参列させていただくつもりだ。


2002年07月20日(土) 言葉と情報の伝えあい


 午前中は党の会議。午後から市役所で調べもの、アルプラで整理用のケースを買う。そのついでに本屋に立ち寄ったら、ついつい新書を2冊購入してしまった。1冊は、本のネット注文でこの本屋さんで受けとることになっていた、平田オリザさんの『芸術立国論』(集英社新書)。僕の先輩で尊敬する京都音楽センター代表取締役の時田裕二さんがセンターのお便りで紹介されていた一冊。ぜひ読みたいと思って注文したのだが、なんとすでにこの本屋さんにあったではないか。ネット注文との差し換えでひと足先にもらうことにしたものだ。
 もう一冊は、杉原達さんの『中国人強制連行』(岩波新書)。メルマガ第75号で、秋田県大館市へ視察にいったことを書いた。すると、新しく読者になってくれた知人から次のようなアドバイスをいただいた。

視察報告といった直接的なこととあわせて、視察目的や視察地などをヒントに、幅広く矢口さんの考えなりを出すことも大切なのではないでしょうか。
 
 そう、これこれ。僕がめざしているコミュニケーション。情報を発信してそれが新しい情報を生み出し、どんどんまわりの人たちに伝わっていく。言葉と情報の伝えあい。肝心なことを最近忘れていた、と思い出しさっそく、紹介しくれた新書を購入した、というわけだ。

 夕方から、岐阜のおばあちゃんがきれてくれるので京都駅に迎えにいく。伏見から南区に入る24号線ぞい。すっかり風景が変わってしまっていた。もの悲しい。

 明日は、コーラルフェスタ。こんな練習不足の人間がステージにたってよいものか?と少しためらいがあるが、ステージにたつ喜びは何ものにも代えがたい。一所懸命うたってこよう。


2002年07月19日(金) 「党創立80周年を記念する夕べ」

一つの仕事をやりとげたときの爽快感、感動をもらたときのうれしさ。心を揺り動かされた有り難い瞬間。いろんな形容詞をつけたくなる、「党創立80周年を記念する夕べ」だった。朝に一回、午後から一回どしゃ降りの雨。夜も降り続けたらどうしよう、と胃が痛くなりそうだったがなんとか夕方からは、小雨状態。
 今回のつどいは、若い人たちが企画の中心にすわり準備。第2部の中井作太郎委員長の話しも、国会審議の中身などを裏話もふくめわかりやすくすすめられ、小林多喜二や山本宣治の戦前のたたかいでは、組織と人間というテーマを感動的に話されて、演説を聞いて感動する経験をしたのは、ひさしぶりだった。
 中井さんは、作家・三浦綾子の「母」(小林多喜二の母親をテーマにした小説)の一節を引用されていた。

 国家権力の弾圧に対して、あくまでも正義をつらぬき国民の生活を守って命がけでたたかう不屈の心情ー同時に、その強さは日本国民にたいして親や兄弟、近親者にたいしてもあたたかい燃えるような愛情があったから。その愛をもっとひろく日本国民のために、捧げようとして、先輩の共産党員たちは、その生涯を苦難にめげず勇敢にたたかった。それは、イエス・キリストの姿に重なる。

 日本共産党員として生きるとはどういうことか。そのことを端的にあらわした言葉で、胸につきささる言葉だった。
 
 第1部の山本亜希さんのトークとライブは、期待どおりのすばらしいステージとなった。
 NHKの「ポップジャム」風に、同世代の司会二人とのトークを取り入れたのだが、ごく簡単なシナリオと事前の短時間での打ち合わせだったのに、みんなねらいやイメージを十分に受け止めてくださって、本番はとても新鮮で、笑いもあり、感動もありのすばらしいトークとなった。司会の二人は、トークのなかで、山本亜希さんの人となり、めざしていることをうまく聞き出しながら、自分たちの夢や生き方を重ねて語る。また、それを即座に受け入れて、自分の意見を絶妙な角度をつけて返す山本亜希さん。若い人たちのやわらかな感性に心が癒された。また、企画の意図を十分汲み取り、うまく「からんで」くれた、山本亜希さん。恐るべし、の一言に尽きる。
 この人、トークと音楽ともの書きの三拍子そろっている。これからさらに伸びていく人だ、そんな偉そうなことを直感的にだが感じた。司会をしてくれたMさんとM君、本当にごくろうさま、そしてありがとう。
  
 それにしても山本亜希さんの語りには、いつもホロリとさせられる。ご本人の了解が得られれば、当日のトークで印象に残った言葉を、僕のサイトやメルマガで紹介したい。

 イベントが終わって、少しだけハンディがあるひとりの少年が亜希さんに近づいてきた。握手をしたあと、何かいいたそう。
 「なにか、いいたいことあったら、ほら、思いきって」とまわりの人にすすめられる。
 
 「俺、きょうの歌、ずっとここにある」と自分の胸をたたいて、語ってくれた。こういうシーンをみると、僕の涙腺は完全に開放状態になってしまう。
 山本亜希さんは、ライブのなかで、「21世紀は、自由に自分らしく生きていっていいんだ。そんな世の中になるように、自分の表現活動が生かせたらいい」「まだまだ自分は、欲求がたくさんあって、自分のためにやりたいことがいっぱいある。それらをみんなやったのちに、無償で人のためにしてあげられる人間になりたい」と語っていた。(表現は僕なりにまとめているけど)

 少年との握手と少年の言葉を聞いていたら、亜希さんは謙遜されるかもしれないけど、「もう立派に、人に感動を与える表現活動と、まわりに勇気を与えているよ」と伝えたい。
 僕も舞い上がってしまって、あまり感謝の言葉を伝えられなかったけれど、そのことが言いたかった。
 山本亜希、サイコ−!


2002年07月18日(木) 公式サイトのリニューアル


 この間、メールマガジンの発行が滞っていたので、73号から76号までをまとめて発行した。
 毎日のことは、「ヤグネットの日記」があり、インターネットを利用しない人たちには、毎週の「しんぶん赤旗」に折り込む「活動ファイル」がある。IT時代といっても、情報を得る媒体やチャンスというのは、いつの時代になっても、多様であるはず。ならば、それらにあわせた情報の提供の方法というものを、送り手のほうが研究しなければならないはずだ。
 僕にとっては、マイクでの宣伝、訪問しての対話とあわせ、どれもが重要な情報提供の手段。肝心なのは、続けることなのだ。
 
 それから、公式サイトを全面的にリニューアルしてみた。手作りなので、見映えは自信がないけれど、見やすさを追求してみたものだ。よければ、この日記サイトからもアクセスできるので、訪問してほしい。そして、感想や意見を聞かせてもらえればありがたい。

 http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yagunet/

 いよいよ18日は、党創立80周年を記念する夕べ。山本亜希さんのライブのときに、会場がいっぱいになっているかどうか、がポイント。18日は朝から準備に追われる。
 妻が、期末の成績つけなどで、忙しくしており、息子も落ち着かない。ごめんなさいね。


2002年07月17日(水) 本屋をぶらり

 18日の党創立80周年を記念する夕べの諸準備で、朝からバタバタ。夜は、地元の党支部の会議。
 午後に本屋とCDショップをぶらりする。書籍の流通の回転は、最近とくに速くなっているのではないだろうか?以前から読んでみたいと思っていた、平田オリザさんの『芸術立国論』(集英社新書)を探すが、ついに見つからなかった。松岡圭祐の『千里眼ーミドリの猿』(小学館文庫)と『知事が日本を変える』(文春新書)を購入し、隣のCDショップで森山良子のシングル「さとうきび畑」を買った。カップリング曲は、「涙そうそう」。(「なみだ」ではなくて、「なだ」と読むんだね)BEGINが作曲したとは、初めて知った。
 CDショップで意外だったのは、カバー曲を集めたCDの多さ。60〜70年代の名曲が次々よみがえる。
 なぜ、カバー曲なんだろう?僕たちの少年時代は、「この先に何か新しい何かがあるかも…」という期待に胸をふくらませた時代。不況が続き、カサカサした気持ちになりがちな今だからこそ、あの時代に郷愁を感じるのだろうか?

 実は、メールマガジンをもう2週間も発行できていない。下書きしたものを溜め込んでしまっている。
 17日にまとまって発行する予定だ。
 


2002年07月16日(火) 自己表現に徹すること


 午前中は、議員団の会議。7月は、議会のそれぞれの常任委員会が今期最後の管外行政視察を組んでおり、議員団も毎週誰かが出張状態。まとまって会議をする時間がとれず苦労する。
 午後は、田中康夫・長野県知事の「失職会見」の生中継を見ながらデスクワーク。
 今年度の当初予算は修正のうえ可決、6月の定例議会で提案された補正予算と人事案も可決されているのに、不信任案が提出され可決される不思議。「憎悪」「怨念」のみで知事に牙を向く連中の理不尽さの現れだ。田中康夫さんには、知事選挙で再び県民の信任を得て返り咲いてほしい。個人的な意見だけれど。

 夕方は、台風の接近が心配だったが、近鉄大久保駅前で街頭宣伝。7月15日は日本共産党の党創立記念日。80年を記念しての街頭宣伝で、躍進にむけての募金なども訴えさせていただいた。
 
 14日の深夜。毎日放送で『映像02 炎のダンス ツッパリ先生と60人の子どもたち』が放送された。ビデオにとっておいたものを、昨日の昼間に観た。
 京都・精華町をホームタウンに活動するダンスチーム「今村組」と元ヤンキーの現役教師・今村克彦さんが、札幌の「YOSAKOIソーラン」への初出場をめざして猛練習をつむ姿をまとめた1時間のドキュメンタリーだ。
ダンスチーム「今村組」と今村克彦さんのバンド「ノンストップ・パーティー」の演奏を一昨年、城陽で聴いて以来ファンになった。
 番組でも紹介されているが、「今村組」で踊るメンバーの多くは、様々な理由でこれまでの人生に「つまづき」をもっている。それは、親からの暴力であったり、学校への不満であったり。苦悩の中で今村克彦さんに出逢い、ダンスと出逢う。
 踊っているときの彼ら、彼女らの表情は美しい。ストップモーションで映し出される一人ひとりの表情をみるだけで、涙がでてくるのはなぜだろう?そして、みんなはなぜ踊るのだろうか?
 この素朴な問いに、番組の中で今村さんがサラリと語るなかでこたえていた。こういう趣旨だ。

僕らは、祭りの関係者や祭りのチームなど、そういうものに評価される踊りをしようとは、というか、僕はさせようとは、思っていない。
 そこにいる、おじいちゃんだったり、おばあちゃんだったり、同じ若者だったり、その人らが本当に笑顔になれる踊りをしたいな。その笑顔を感じさせたい。札幌でも、本当に自分たちの踊りを喜んでくれる人がいる。札幌という大きなところにきて、私たちのチームなんて、屁のようなもんだ、と思っているヤツがいっぱいるかもしれない。でも、そうではない。お前らの存在価値はそんなところにあるんではない。もちろん、心は、技や踊りをとおして表現しなければならないと思うが、あいつらの心をめいっぱい、技、踊りで表現したときに、あいつらの値うちというのは、見ている人を通じて、自己確認ができるんだ、それが「今村組」にとっても、あいつらの今後の生き方にとっても、すごいいいことではないかな。

 

踊りや技を通じて心を伝え、見て喜んでくれる人たちの姿を通じて自己表現し、自己確認ができる。人は、自分がこの社会の中で、この世界の中で、かけがえのない存在であると認められたときに「生きがい」を実感できるものだ。「自分」というものの表現の仕方や自己確認のあり方は、いろいろあっていい。他に一人としてない「自分」を見つけだすことを応援してあげる、少しだけ手伝ってあげられるチャンスや「場」があるかどうかが、大切なことだ。音楽や芸術は、その「場」であり「手段」なのだ。

 今村克彦さんにとっては、教師という職業も、ミュージシャンも、祭人として「今村組」を引っ張ることも、すべて自分を表現し、自己実現をはかる、大切な「場」だ、という趣旨のことを、以前ご自身の著書で読んだことがある。
 今村組のメンバーが「相談がある」といえば、自宅で遅くまで相談にのる。そのシーンも番組で紹介されている。

 果たして、いまの僕に、ここまで「他者の自己表現、自己実現」を応援することに徹することが、いや、自分を表現することに徹することができるだろうか?そんな強烈な思いにかられた。
 いつも、「優等生」の側にいて喫煙する友人を先生にチクったり、偏差値にもとづく受験競争にすっかり翻弄され続けたり。
 いまの僕は、ピュアな政治をつくりたい、と思ってそれを職業にしている。しかし、もっとつきつめて、ピュアな生き方、自分をつきつめているのか?そう問いつめれば、もっと今の自分を崩して、新しい自分をつくりつづけていかなければいけないのだろうか?
 


2002年07月15日(月) ライブ宣伝に初挑戦

14日は、午前中に地元の党支部の会議。夕方は、18日に予定している「党創立80周年を記念する夕べ」の宣伝を近鉄大久保駅で行った。なんと、青年たちと一緒にギターを弾きながらのライブ宣伝である。無謀というか、目立ちたがりというか、「翼をください」「ヒロシマのある国で」を弾きながら、イベントへの参加をよびかけた。
 知り合いの方が、何人か僕の目の前を通り過ぎる。でも、まさか僕がギターを弾いているなど思っていない。「こんにちは!」と声をかけたら、とても驚いていた。
 いつもは、家の中で弾いているが、ストリート・ライブでは、相当強くストロークしなければいけない。
コードの押えも甘いとうまく音も響いてくれない。でも、こんなにストリート・ライブが気持ちの良いものだとは!すっかり、はまりそうである。


2002年07月14日(日) 寺田西保育園のまつり



 夜明け前、ものすごい雷。どこかに落ちたかもしれない。そんなこともあり、寝不足ぎみの一日のスタートだった。
 午前中は、家族で買い物。息子も雷のせいで寝不足だったのかもしれない。眠たい時のいつものグズリで、「大きなケーキが食べたい」といって駄々をこねる。車の中で、母親の顔をひっかいたり大声で泣きじゃくったり。あまりに「ヤンチャ」をいうので、ついに僕は「マジ切れ」してしまった。
 「うるさい!静かにしろ!」ーー大きな声を出したからといって息子が泣き止むわけではない。それまで以上の大きさで泣きじゃくり、しばし収拾つかず。母親が背中をトントンしながら落ち着かせ、ようやく落ち着いた。

 午後からは、地元の党支部と宣伝。僕は、国民の8割がいまの政治家、あるいは政治を信頼していない、という世論調査の結果をしめしながら、鈴木宗男衆院議員のように、大きな顔をして公共事業を食い物にしたり、利権を働く政治をこれからも続けるのか、利権型の政治をあらためて、国民市民の願いにもとづき、くらし、平和、民主主義を大切にする政治を国民とともにつくりあげることを誠実に努力する政治、議員を多数派にしていくのか、国政でも地方政治で求められていること、を訴えた。
 とくに、自民党の宮路厚生労働副大臣の帝京大学の不正入学あっせん疑惑の問題では、お金をもらって一部の人の利益を擁護する人が、その片方で国民には、途方もない痛みと我慢を押しつける。こんなことが許せるか、と訴えた。最後の演説箇所は、車の通りが多いところでもあったが、クラクションを鳴らしたりしての声援など、反応も上々だった。

 夜は、城陽保育運動連絡会の仕事で、寺田西保育園の「夏まつり」に参加。合研Tシャツの販売が主な目的だが、近く開設予定の城陽保育運動連絡会のホームページで、参加者の声なども交え「小さくてアットホームな育ちの場、寺田西保育園」と紹介するため取材活動も兼ねていた。
 まつりは、午後6時過ぎから、城陽市内を中心に活動する太鼓サークル「砂鼓夢」の勇壮な太鼓でオープニング。太鼓と囃子の音色、浴衣姿のかわいい子どもたちの姿が「まつり」のムードを演出する。
 園内の会場では、スーパーボールつりやバザー、保育士の先生によるパネルシアターなど楽しい企画が続く。初めて参加したという4歳の子どもさんをもつお父さん(33)は、「初めて参加した。寺田西保育園は、保育士の先生がみな熱心で雰囲気がよい。まつりも楽しいですね。」とはなしてくれた。
 息子と孫を寺田西保育園に通わせた、という近所に住む男性(67)は、「自分も体がしんどくなってきているので、近くに子どもをみてくれる施設があるのは有り難いこと。まだ保育園に通わせる年の孫がいるので、寺田西に通わせたい」とはなしてくれた。
 まつりの最後は、花火大会。カウントダウンをして花火に点火。いっせいに、花火が踊り出す。
 子どもたちも、まぶしそうに、うれしそうに見つめていた。この保育園をなくしてはならない。あらためてそう決意して、帰った。


2002年07月13日(土) 息子、保育園を休む


 忙しいときに限って、子どもが熱を出したり、保育園にいくのを渋ったり。これは、保育園に通わせている親にとって、「そうそう、よくある」と共有できる話題だ。
 12日がまさに、そうだった。午前中は党の会議があり、ためこんだ仕事もある。なんとか処理をしなければいけない、と朝から気合いを入れていた。ところが、車にのせて保育園に向かって出発をしたとたん、息子は「保育園に今日はいかない。お父ちゃんといる。」と言い出した。
 息子の頑固さは、だれの血を引いたのか知らないが、一度言い出すと、絶対にひかない。説得を重ねたが、ついに僕のほうが折れてしまった。
 息子をつれて、会議に出席。事務所の勤務員のみなさんに子もりをお願いすることに。図々しさも親譲りで、すっかり事務所でリラックス。会議を終えて、「帰ろう」というと、「いや、帰らない」などと言い出す始末。ようやく車にのせて、家に向かったのだが、その途中で寝てしまった。
 やはり、眠たくて体がだるかったのかもしれない。

 読書報告。この間、2冊の本を読み終えた。
 1冊目は、小説で松岡圭祐さんの『千里眼』(小学館文庫)。もう1冊は、ニューステーションにも出演されていた、朝日新聞編集局顧問の轡田隆史さんの『うまい!と言われる文章の技術』(三笠書房)
 『千里眼』はシリーズ化しており、映画化もされている。作者は臨床心理士。精神医学など専門的な知識に裏付けられた、人間心理についての奥深く繊細な描写、次々と展開していくストーリー。読むものをグイグイと引き込む描き方は、エンターテイメントとしての最高クラスに達してると評価できる。本作品では、中盤から後半にかけての意外なストーリー展開に、思わず「えっ!」と声をあげてくなるはずだ。

 『うまい!と言われる文章の技術』は、5W1Hなどの基本から、「思う」などの表現を削ることで、しまった文章になるなど、実践的な内容がぎっしりつまっている。


 


2002年07月12日(金) 耳から離れない音

 文教常任委員会の視察を終えて、無事京都にもどった。息子の屈託のない笑顔がなんとも可愛らしい。
 今回は、台風の進路を気にしながらの視察であった。実はもう一つ、一生忘れられない出来事に遭遇した。帰宅直後、玄関にかけつけた息子をギュ−ッと抱き締めたとき、あの音がよみがえってきた。

 視察の二日目、文教常任委員会の一行は、秋田駅で奥羽線の「特急かもしか3号」に乗り換え12時48分に出発。大館駅に14時10分に到着する予定だった。 
 ところが、能代市に入り、車両の両側が緑の壁に挟まれたようになったところで、いきなり何かを巻き込んだような音がして、警報装置とともに急ブレーキがかけられた。300メートルぐらいすすんだところで、ようやく列車は停車。僕たちは、進行方向一両目に乗車していたが、あまりの衝撃の大きさに思わず前のシートをつかみ頭をすくめた方もいた。
 車掌があわてて、車両を走りぬけていく。どうやら人をはねたようなのだ。
 ということは、あの何かを巻き込んだような音は…。
 
 結局、僕たちは約1時間現場に立ち往生することになった。視察先でも視察時間を短縮せざるえなかった。
 列車のなかで待たされている間、ビジネスマンが取引先に携帯電話で連絡をし、時間に間に合わない旨、頭を下げながら連絡する姿もみられた。恋人同士と思われる二人連れ。女性のほうが、人身事故と聞いた瞬間、悲鳴をあげた。
 
 翌日の新聞の社会面には事故の様子が報じられていた。それによると、亡くなったのは秋田市内の男性でまだ26歳だった。進行方向の左側から線路に入り、しゃがみこんだところを約50メートル手前で運転士が発見。急ブレーキをかけたが間に合わなかった、という。なぜ線路に入ったのかなど、原因を調べている、と記事は結ばれていた。

 仮に自殺であったとすれば。
 列車への飛び込み自殺は、瞬時に命を奪われるが、遺族もふくめ後に残される者にとっては、決してその代償は小さいものではない。「迷惑」という言葉さえ使われるときもある。
 しかしーー。それでも僕は、「なぜ死を選んだのか?」とその原因に同情の念を抱きながら、思いを馳せてしまう。
 最近の自殺の最大の理由は、生活苦などから人生に展望が見出せない、というものである。これだけ、不況で生活が痛めつけられ、政治が腐敗し、人間が粗末に扱われている現代社会において、自ら死を選択する者に冷たい視線だけを送るのは、僕にはできない。
 この世に生まれた以上、人間は与えられた寿命を自らの力で輝かせなければいけないのではないか。それをできなくしている障害は人間の力で取り除いていかなければいけないのではないか。まして、それが政治の力で解決できるものなら、なおさらのことだ。
 政治の一端にたずさわるものとして、僕には決して他人事とは思えないのである。
 線路にしゃがんだ26歳の青年にも、僕の息子のようにあどけない笑顔で親に抱きついた時代があったことだろう。
 一瞬、自転車がからんだのか、と思うような乾いた金属音。その音がいまも、耳を離れない。
 

 


2002年07月11日(木) 文教委員会視察二日目


 文教常任委員会の管外行政視察二日目。朝から雨。台風6号が東北地方に向かってどんどん近づいてくる台風6号の行方を心配しながら、秋田県の大館市に向かって出発。
 大館市では、1)図書館ボランティア、2)学校週五日制の取り組み、3)学校評議員制度、の三項目について調査。以下、各調査項目に沿って、ポイントを報告する。

 1)図書館ボランティア
 大館市では、市立中央図書館を中心に、「図書館ボランティア」と「大館親子読者会」が活動している。「図書館ボランティア」の登録会員数は40名。平成9年に発足し5年が経過。主な活動内容としては、書架整理、図書の補修などである。以前は、高校生によるボランティアもあったそうだが、私的理由で自然消滅をした、ということだ。
 「大館親子読者会」は、登録会員数は14名で昭和52年に発足し、すでに25年が経つ伝統あるボランティアである。活動内容としては、毎月第1金曜日に児童コーナーで読み聞かせをし、第2水曜日には、読書会を定例で実施。その他、年3回、「母と子の絵本をたのしむ会」として、大型紙芝居や人形劇、絵本などを読み聞かせている。その他、小学校や保育園での読み聞かせにも取り組んでいる、ということである。
 図書館ボランティアの活動の中心は、あくまで中央図書館であり、学校の図書室との連携などが積極的にはかられれば、なおすばらしい活動になるのではないだろうか。城陽市でもとくに、学校の図書室などは、司書免許をもつ教師が兼任でみている状況である。司書資格をもつボランティアなどを積極的に登用する、というのも一つの考えであろう。ただ、市立図書館などで正規の職員を減らして、ボランティアの活用を、との「行革」がらみの発想には、疑問符を投げかけたくなる。この当たりは、もっと研究をしてみたいテーマである。

 2)学校週五日制の取り組み
 このテーマでは、秋田県の事業として「自学自習支援事業」のはなしに興味をもった。
 これは、毎週土曜日午前中、年間で40回程度、市内の公共施設を開放して、自習をしてもらう、という取り組みである。各施設ごとにアドバイザーを配置している、とのことだった。しかし、先輩の議員さんから、「学校五日制」になって、土曜日に自習を奨励するとは、いかがなものだろうか?との疑問の声が出された。この質問に、説明する側の職員も「大館市教育委員会としては、この事業に抵抗感があったが、県の事業なので実施にふみきった」と正直な気持ちを吐露していたのとが印象的だった。

 3)学校評議員制度について
 城陽市でも、すでにこの制度が実施されているこの制度。もともと、保護者や地域住民の意向を把握し、学校教育に反映させるとともに、その支援を得て学校運営等が行われるように、学校長が指名するものだ。
 昨年度の小中学校の評議員の活動の成果と課題が列挙されてあった。新しい制度でもあり、総合的な評価はこれからだと思うが、学校と評議員、評議員と地域、保護者との緊密な連携が大きなカギを握ってことを、あらためて認識した。
 
 
 


2002年07月10日(水) 学びのビジョンが鮮明な仙台市の教育

 
 7月9日から11日まで、文教常任委員会の管外行政視察に参加してきた。
 初日の9日は仙台市を視察。
 調査項目は、1)完全学校週五日制への対応、2)学校支援ボランティア推進事業、3)クリーン、グリーン仙台9万人のトライについて、の3項目である。
 
 総論的なことになるが、仙台市は学校現場出身の教育長のもと、ユニークな事業を意欲的に展開している、との印象を受けた。その最大のものが「仙台まなびの杜21」〜仙台市の教育ビジョン〜である。
 これは、新世紀を生きる力、自ら学び考える力、夢にチャレンジする精神、市民として社会に主体的にかかわり、共に生きる知恵をどう培うのか、こうした学びの仕組みを、仙台市でいかにつくりあげるのかを、体系的に明らかにした基本方針である。まちづくりには、「みんなで力あわせ、こういう方向ですすめよう」との「旗印」が大切だ、と常々考えてきた僕にとって、とても刺激的で参考になるものであった。
 以下、調査項目ごとにポイントを紹介する。

 1)完全学校週五日制への対応について

  完全学校週五日制とは、子どもたちに「ゆとり」を確する中で、学校、家庭、地域社会が相互に連携しつつ、子どもたちに生活体験、社会体験や自然体験など様々な活動を経験させ、自ら学び考える力や豊かな人間性などの「生きる力」をはぐくむことをねらいにしたものである。
 仙台市では、これらの「生きる力」を育むために、
 1)主に子どもを対象とする事業ーー「主役になる」
 2)主に親子とを対象とする事業ーー「主役にも脇役にもなる」
 3)子どもも対象となる事業ーー「みんなの中のひとりとなる」
 との3つのコンセプトを設定し、特に週末を中心に市民センターや博物館・科学館等で様々な体験や学習ができる取り組みをすすめている。

 とくにユニークな取り組みとして僕が注目したのが、「どこでもパスポート」事業である。これは、小・中学生を対象として、原則として学校が休みの日に社会教育施設等が無料で利用できるというもので、仙台市以外でも多賀城市など14市町村と連携して21施設を対象にしている。
 この事業の効果だが、平成13年度と14年度で5月のゴールデンウィークを比較すると、13年度の利用人数が約2500人なのに対し、14年度では5000人で2倍に伸びている。「子どもの居場所づくり」、という点で非常に効果があるもので大いに参考になった。

2)学校支援ボランティア支援事業について

 僕の理解では、学校支援ボランティア事業とは、「学校という枠組みをこえて、地域などが積極的に子どもたちを育てる活動に参加する」とのイメージが強かった。毎朝校門にたって、「おはよう」と声をかけてあげることなども立派な学校支援ボランティア活動の一つだろう。仙台市の場合は、「学びのための情報資源をいかに広く提供するか」にウエイトをおいた取り組みをすすめている。
 その第1は、冊子「学びのための情報資源ーー企業編・市役所編・大学編ーー」の作成と配布である。
 これは、ボランティアとして、学校の児童生徒へ以下のような内容を支援実施して、冊子をまとめ全市立学校へ配布している。
 a)児童生徒の電話による問い合わせ/b)職場への見学と体験/c)学校への講師派遣/d)インターンシップなど。
もちろん、これらa)〜d)までを全部網羅している組織ばかりではないが、大きな成果をおさめており、平成13年度の上半期だけで、800件近くの活用がされている、ということだ。
 また、とりわけ商工業種に限った同様の事業として、学校支援事業「楽学プロジェクト」も今年度からスタートしている。
 このほか、他市にはない取り組みに、「仙台市嘱託社会教育主事設置要綱」がある。青少年の地域活動や社会参加についての指導や援助にあたる、というのが主な内容だが、その多くが教職員が兼任する形をとっている。兼任する形態がよいのかどうかは、評価がわかれるところが、僕自身は、社会教育を生涯学習に包摂させることなく位置付けていることに、大きな意義があると評価したい。

3)クリーン、グリーン仙台9万人のトライについて
 
 仙台市は、政令指定都市で初めてISO14001を取得するなど、環境政策に力をいれている。ISO14001とは、地球環境の負担を軽くする(地球にやさしい)ために活動に積極的に取り組んでいることを証明する、国際的な規格、認証のことだ。これを取得することで、環境問題に積極的に取り組んでいることがわかる、世界の信頼の象徴のようなものだ。
 仙台市は、ISOの取り組みを学校に応用したものとして、「杜の都エコ・スクール」という事業を推進している。「クリーン、グリーン仙台9万人のトライ」とは、その中での重要な活動の一つ。具体的には、平成9年度から、仙台市立の児童生徒が、夏季休業中に家庭等において環境に係わる自然体験、社会体験、ボランティア体験を実践する、というもので、こららによって、児童生徒が環境問題に対して自分で課題をみつけて行動する資質や能力を身につけることを目的としている。
 13年度の実績をみると、小中学校あわせてや72793人が取り組んでおり、初期の目的を達成しているといえる。

 視察が始まる前は、パラパラだった雨も宿舎に戻るころには、本降りに。台風6号が南からおいかけてくる格好だ。翌日は、秋田県大館市。交通機関は大丈夫だろうか?


2002年07月09日(火) 「わらべうたが子どもを救う」を読む

先週、議会運営委員会で視察にいったとき、もう1冊読み終えた本があった。
 『わらべうたが子どもを救う』(健康ジャーナル社)だ。脳生理学の第一人者で京大名誉教授の大島清さんと町田コダーイ合唱団指揮者の大熊進子さん、神戸大学教授の岩井正浩さんの共著である。

 最近、日本語がブームになっている。あるいは国語ブームといってもよいかもしれない。
 本書は、「人間を人間たらしめている理想でも理性でもない。情緒だ」との偉大な数学者岡潔さんの言葉を紹介しつつ、こうした感動を伝えるためには、コトバが必要であり、コトバを理解し、はなすためには左脳だけではなく、情緒をつかさどる右脳の働きが大切である、と強調する。
 そして、母国語としてのわらべうたを、最初は歌詞の意味など理解できずとも、口ずさむうち、全身や五感を使って、自然と理解ができ、脳全体が活性化していく、とする。
 グローバル化、デジタル化が人間の脳から愛を奪っていく(大島清)現代だからこそ、小さいころから、コトバ磨きによって、自然の美しさに感動する心、喜怒哀楽を相互に伝えあう、コミュニケーションをつちかうことが大切だ、というわけだ。
 
 本書で、「コトバ磨き=わらべうた」の具体的はなしが展開されていくのは、後半からである。
 全国のわらべうた約8000曲のうち、「レド」だけでできているのが、約1割。その多くが、「レ」で終わっていること。それは、子どもののどが大人のように強靱ではないために、狭い音域でも歌えるように、工夫されてきたものであること。さらに、わらべうたの役割とは、耳、動きの育ち、そしてイントネーション、文化、その他の様々なことを遊んでいるうちに、しっかりと体得することができること。
 僕が興味をもったのは、わらべ歌は、けっして教えてはならない、ということだ。
 教えるのではなく、「伝える」ことが大切だ、という。町田コダーイ合唱団指揮者の大熊進子は、いう。

見る、ひたすら見る、観察する、やってみる、できない、工夫する、見る、やってみる、でもできない、かんしゃくをおこして泣く、泣いても助けてもらえない、がまんする、また、見る、工夫する……という試行錯誤が前頭葉を育て、また、小さい時代の器に入り切る喜怒哀楽を体験することによって、感性も磨かれていくのです。
 
 
 神戸大学教授の岩井正浩さんは、全国のわらべ歌や民謡の実態を、地域をフィールドワークによってつかんで実証的につみあげて研究をすすめておられる。他国とは違い、わが国の子守唄が、「子守り奉公人」が歌っていたものであることや、1970年代から、80、90、2001年という通時的な調査の結果、子どもの遊びとともに、わらべ歌などが極端に歌われなくなってきていることなどの指摘は、とても興味深かった。


 9日から11日まで、文教常任委員会の行政視察。仙台市と秋田県大館市へいってくる。学校支援ボランティアや図書館ボランティアなど興味のあるテーマが盛り沢山。しっかりと勉強して、この日記でも報告したい。


2002年07月08日(月) 「人糞製造機」になるな

7日は、母親が仕事で必要な書籍を購入するため京都市内へ外出したため、息子と家で過ごす。午後2時からは、今年3月に亡くなられた阪江繁一さんを偲ぶ会に出席。長く宇治市職員労働組合の委員長をつとめ、城陽の年金者組合の結成ややましろ健康医療生協の立ち上げにも参加するなど、宇治・城陽の労働運動、市民運動の礎を築かれた方だった。生前、僕も親しくお話をさせていただいたが、もっといろんな教えを乞いたかった。御冥福を心から祈りたい。
 その後、前回の僕の選挙でも大変お世話になり、その後もことあるごとに様々面でアドバイスを受けている知りたいの方とひさしぶりに話をする。
 直接の話題は、長野県の田中知事不信任のこと。脱ダム宣言はいいけれど、それに代わる治水・利水対策をどうするのか、県民はそのことで明解な対案がだされることを望んでいるのではないか、という問題意識からこの方が独自に考えた、巨大ダムに代わる治水対策について熱く語られた。ここでは紹介できないが、そのユニークで新しい発想に脱帽した。
 知り合いの方のはなしで、あらためて考えさせられたのが、「人糞製造機にはなるな」という一言。
 昨年11月6日付の日記でもこの言葉は書いたが、意味は以下の通りである。
 この言葉は、私の知り合いが小学生のときに、先生から言われたひとことで、ずっとこの言葉が頭から離れなかった、とのこと。

この世に生まれたからには、ただ食べて、寝て、人糞をだすだけの人間で終わるな。
 家族とともに人間らしい暮らしをおくることももちろん大切だが、人の役に立つ人間となるよう一日、一日を精一杯生きろ。

 
 背筋がピンとはるようなはなしではないか。最近、僕があらためて考えさせられる、「大義に生きること」「人のために生きること」とはどういうことか、ということ同じことをズバリを言い当てた言葉だ。
 また再会する約束をして次の用事にむかった。
 
 息子は、午後から母親と学校にいった。そこで、たくさん絵を書いてきた、といって夜見せてくれた。
 「椅子に座っているウルトラマン」など、とてもユニークな絵。その中に、「お父ちゃんとお母ちゃん」という絵があった。絵を書く時には、いつも自分の親の絵を書いてくれる。存在感がある証かな、と妻と二人で喜んだ。でも、いつも母親の顔のほうがでかい…。(写真の向かって左が僕、右側が妻)

 
 


2002年07月07日(日) 第32回城陽母親大会に参加


6日は、午後から城陽母親大会。今年で32回目となる、伝統ある集会であり参加させていただいた。8月に静岡で行われる全国保育団体合同研究集会への代表派遣を考えている。参加費の一部をカンパで集める必要があり、会場でTシャツを販売するのが目的だった。
 
 オープニングは、城陽親子劇場による「人形劇」。少年少女合唱団の再生に向けての活動を軌道にのせられていない僕にとって、子どもたちの姿がまぶしく、「合唱団もなんとかしなければ」という思いを募らせた。
 続いて、今回のメイン企画である記念講演。「パレスチナは今」というタイトルで、京都大学助教授の岡真理さんが、ご自身がこの5月に現地で撮られた写真やドキュメンタリー映画など多彩なツールを駆使して、2時間余り、熱く語りかけた。中身ももちろんだが、訴える迫力にまず圧倒された。
自分の足で歩いて、現地の様子をつかみ、人々と語り合うことで、現地の人々の苦しみや悲しみをわが事として受け止めようとする、真摯な生き方がよく伝わってきた。岡さんの講演を聞いて、僕が学んだことは次のことだ。いつもの事ながら箇条書きで記しておこう。

●イスラームの女性たちは、イスラームという宗教(伝統、文化、戒律)によって自由、人権を抑圧されているというステレオタイプのイメージが流布されているが、女性たちが被る抑圧を、イスラームという宗教のみに還元してしまう結果、イスラーム世界に対して、差別的な認識が共有され、それが政治的にも効果を発するという悲劇を生み出している。植民地主義主義に対する民族的解放問題が、歴史的な重要課題となっている。
●パレスチナ人は、半世紀以上にも渡り難民として生きることを余儀無くされている。しかし、これは、旧約聖書の時代にまで溯るような、民族的、宗教的対立などではなく、第2次世界大戦後のイスラエルによる、人権や国際法をふみにじった暴力的な抑圧政策によってもたらされたものである。このことが、パレスチナ人の女性にとっても最大の抑圧となっている。「イスラームの戒律によって抑圧されている」とのステレオタイプの認識は、イスラエル政府とそれを一貫して軍事的、政治的、経済的に支援するアメリカとそれに、無条件に追随する日本政府などグローバリズムを叫び拡大する勢力によって流布されたものであること。
●従って、いま私たちに必要なのは、「南」の国を搾取し政治的に従属させる、アメリカを盟主としたグローバリズムの流れに対し批判の目を向けるとともに、南の国ぐにの自由と平等を求める人びととの連帯と共同を広げていくこと。このことによって、わが国の政治のどこをどう変えていくべきかの道すじも見えてくるのではないか。


 パレスチナ問題について、あらためて関心が高まった。もっと勉強してみたい。

 合研Tシャツもたくさんうれて、充実した母親大会だった。

 夜は、男声コーラスの練習。7/20がコーラルフェスタのステージ。最後の追い込みだ。2週間ぶりの練習だったので、声があまり出なかった。明日は、七夕。朝は、自治会の溝そうじもある。忙しい一日となりそうだ。


2002年07月06日(土) 田中康夫・長野県知事不信任におもう

「県民が選んだ知事が公約を守ろうと努力しているのを議会がよってたかってつぶそうとする」ーーわがまち城陽市でつい1年前まで続いていた同じ構図が長野県で再現され、「田中知事の不信任案の可決」という最悪の結果をもたらした。不信任案可決の一部始終を傍聴していた市民が、「県民益かゼネコン益か。そのことが問われている」とこたえていたが、問題の核心をついている。
 土建一辺倒の行政か、県民のくらしや福祉、21世紀という長いスパンでみての公共事業のあり方をとらえなおす行政かが問われているだけではなく、有権者への「公約」を大切にし、主権者とともに政治をつくるという当たり前の姿勢をもった議員、議会をつくることができるのか。このことが、鋭く問われている。
 そのためには、「壁」は厚く高い。何よりも大手ゼネコンなど土建業者と政治との癒着構造、根深い行政の官僚主義、そして政治家の党利党略、個利個略。6日付の「朝日」記事では、こんな下りがある。

 県議会側が解散覚悟でこの時期に不信任を突きつけたのは、来春の統一地方選で議会が改選されるということもある。定数が四つ削減されるうえ、田中知事を支持する新顔が立候補する可能性もある。むしろ、いま県議選をしたほうが現職に有利との読みがあるためだ。

 議員である僕がこんなことをいったら、おしかりを受けるかもしれないが、議会を真に有権者の代表の機関に変えていくためには、政策の形成過程への積極的な参画、執行過程での監視、結果への評価を不断に行っていくこと、政治の主人公としての国民、市民の沸き立つような運動が不可欠ではないか。
 また、これからの時代の議員には、沸き立つ運動を市民とともにつくり、その中で政策立案をし、市民の目線から行政をチェックする力量を持つことが求められていると思う。

 そういう立場でがんばっているのか、来春自分自身が市民から審判を下される。


2002年07月05日(金) 函館市議会の議会活性化に向けた取り組み

視察三日目。この日は、函館市議会の議会活性化にむけた取り組み状況について調査。函館市は、いわずとしれた世界三大夜景に数えられるとおり、国際観光都市である。しかしながら、ご多聞にもれず、不況と少子化の波がおしよせ、人口減に悩まされているという。青年会議所が中心になって、巨大ツリーを飾るクリスマスファンタジーなど工夫をくらしたイベントをうつことで、観光振興にも力を入れたり、大学を誘致するなど様々な取り組みをすすめている。

 函館市議会で特色ある議会活性化の取り組みとは、発言制度の試行である。
 ひとことでいうと、代表・個人、一般質問および質疑の発言時間は、質問時間と答弁時間をあわせた往復時間制にする、というものだ。
 それまでの函館市議会では、深夜に及ぶ議会がたびたびあり、市民からも「わかりづらい」との声があがっていた、という。質問を聞きたい議員さんが、何日の何時からがわからず、傍聴しても待ちぼうけにあうこともあった。これらの経過をふまえ、「市民にわかりやすい議会」をめざすなかで、導入されたのが発言時間を質疑の往復で、具体的に定めるという取り組みだった。
 具体的には、議員のもち時間は、1人60分以内としつつ、その上限を100分以内とすることである。これに、会派の人数に応じて質問時間の長短が定められる。この結果、12年度と13年度を比較すると、議会傍聴者の数は、1、5倍にアップした、といことだ。

 議会事務局のはなしで印象的だったのは、函館市議会の場合は、議会活性化にむけて発言制度を具体的に定めることがカギであったが、それは全国の自治体や議会がおかれた状況によってまちまちのはず。議会ごとに十分な話し合いと討議で、活性化の方策を探るのがいちばんよいのでは、という主旨のはなし。
 そのために、僕たちは全国の議会を調査に歩いてまわっているわけだが…。

 さて、城陽の市議会では、議会の活性化をどうすすめるのか。僕たちに課せられた課題もまた大きなものがある。
 夜、京都に戻る。気温は28度を超し、湿度も高い。汗がじわ−ッとふきだしてきた。


2002年07月04日(木) 「30代から始める『頭』のいい勉強術」を読む

視察二日目は、終日移動日。電車に揺られる時間が多かったので、いつものように車中読書。
 せっかくの機会だから、もっと他の議員さんと交流を深めるべきかもしれないが、こういうときでなければ、まとまって本を読むことができない。申し訳ない、と思いつつ「三色ペン」を握って、どんどん本に線をひいていく。

 著者の和田秀樹さんは、いま超売れっ子の著述家である。精神科医として活躍する一方、「勉強術」や「心理学」の分野で次つぎとベストセラーを出し続ける。とくに、「認知心理学」を深めている著者の「メタ認知」能力が本書全体をつらぬくキーワードである。
 認知心理学とは、人間の思考を「知識を用いて、推論を行う過程」ととらえる。なんらかの問題、課題に対して、これまでの経験や学習から得た知識をもとにして、あれこれ考え、頭のなかでシュミレーションして、問題解決のための答えを出すことが「思考」ととらえる。(本書36ページ)
 そして、メタ認知能力には、意識的に一段高い場所に立って、自分の「知力の状態」について、客観的に認知し、把握してみよう、という意味が込められている。
 著者は、「30代こそ、もっとも勉強に向いた時期である」と断言する。自分の頭をよくし、上手に考え問題解決や業務上の改善をふくめて知的アウトプットを生み出すための勉強をする条件や必要性がもっともある時期ーーそれが30代だというわけだ。
 「今読むべき本を短時間でどうみつけるか」「新聞、雑誌の情報収集にいっさいの無駄をなくす」などの点で、たいへん示唆にとむ内容が満載だ。しかしながら、僕がもっともインパクトがあったのは、「大人の勉強には、『企画力』が必要だ」ということ。
 自分のこれからの人生を具体的にイメージし、何のために学ぶのか、勉強した果実で何をなそうとするのか」このことをはっきりと自分の中で目標を設定すること。これが何よりも大切だ、という著者のメッセージに、うなずくこと大であった。僕にとっては、それを問い続けることもまた勉強なのだが…。

 函館のまちは、生憎の曇り空。函館山からの夜景は見られない、とのこと。京都ではもう、咲き終わった紫陽花がまだ蕾みのまま。やはり北海道だ。


2002年07月03日(水) 議会運営委員会視察1日目

議会運営委員会の視察で北海道に来ている。初日は帯広市議会で議会活性化の取り組みについて調査。帯広市議会では「委員会中心主義」をとっており、すべての議案が議案審査の特別委員会に付託される。また議会閉会中も、おおむね月一回のペースで常任委員会を開いているそうだ。住民のニーズが多様化、高度化するなか行政の監視役だけではなく、政策提言活動を議会の重要な任務とするために「委員会中心主義」を採用している、という。僕は、実際に議員提案した議案等がないか、と質問したが「それはこれからの課題」とのことだった。北海道は梅雨がないのにあいにくの曇り空。二日目は函館市へ移動だ。


2002年07月02日(火) 息子の風邪

息子の風邪は、月曜日になっても好転せず保育園も休むことに。 二日から議会の出張で、それまでに片付けけておかなければいけない仕事が山積してその処理に追われた一日だった。自分のサイトの更新もようやくできた。四日までは短い日記になる。携帯からの書き込みになるので。


2002年07月01日(月) ウルトラマンの誤認逮捕に怒り心頭



 息子が体調を崩した。一昨日の夜中に「お茶が飲みたい」と言い出し、飲んでは吐き、吐いては飲むのくり返し。日曜日は、妻がテスト問題を作成しなければならず、一日家の中で息子の様子をみることになった。最近、体調を崩すことがなく、油断をしていた。寒暖の差が激しいのが原因だろう。

 子どもたちにとって土曜日の人気番組だった「ウルトラマンコスモス」が2回の総集編で放送終了となった。主役であるムサシが一度も画面にでてこない、不自然な編集である。8月に公開される劇場版も代役をたてて編集中とのことだ。
 極めて不自然で、子どもたちに失望を与える「ウルトラマンコスモス」の終わり方になったのは、主役の男優が未成年時に、暴行と恐喝の疑いで「逮捕」されたことが唯一最大の理由だ。
 ところが、「恐喝され暴行を受けた」とされる少年から、実は、「狂言であった」という陳述書が司法機関に提出された、という。スポーツ紙の報道などを総合すると、次のようである。

◆恐喝され、45万円を口座に振り込むことを強要されたとされているのは、実際には少年が何度も盗んだ金を返すと約束したためのもの。少年と逮捕された男優とは、小さいころからの知り合いで兄弟のような関係で兄が弟をしかる「兄弟喧嘩」程度のものであった。
◆ろっ骨骨折の傷害は、逮捕された男優ではなく「不良グループ約10人に殴られた」が、「仕返しを受けるのが怖くて」ムサシ役の男優に殴られたと警察にウソをついたという。
◆所属事務所も傷害事件があったとされる12年10月17日には、ムサシ役の男優は「東京で映画収録をしており、大阪には帰っていない」と明確に主張。
◆告訴から1年以上が経過し、少年は「自分のウソが大きくならずよかった」と安堵していたが、今回の逮捕劇に驚き、「殴られた本当の相手を警察に話したが、『メンツがあるから』と取り上げてくれなかった」
◆警察は、(ムサシ役の男優に)一度も任意の事情聴取などせず、6人がかりで、今月14日にいきなり逮捕された。
 これだけの事実が明らかになれば、誤認逮捕であることは、明白ではなかろうか?ところが、守口署の署長の話は、こうである。「そういう陳述書が出されたという話は聞いた。(逮捕して身柄をとった以上)こちらとしては、立件する方向で、継続的に捜査を進めている」
 あいた口がふさがらない、とはこのことである。

 数日前の日記でぼくは、次のように書いた。

 僕は、「逮捕」という事実はたいへん重い意味をもつものであり、毎日放送などがウルトラマンコスモスの放送中止を決定した判断に異論を挟むつもりはない。
 しかし、現時点では、主演男優が「恐喝」や「強盗」を行ったことが真実として私たちの前に明らかにされたわけではないのもまた事実である。この時点で、未来ある青年に「罪人」のレッテルをはり付けて、一方的な正義を主張するのは、いかがなものだろうか?


 自らのメンツにしがみついて、未来ある青年の心を傷つけ、とウルトラマンコスモスに励まされ、未来への希望を見い出していた子どもたちの夢をむしりとることに、警察は、何の痛みも感じないのだろうか?
 僕は、あえて書いておきたい。ヤミ金の被害に苦しむ人が、被害届をだして取締りの強化をお願いしても、「少なくとも、借りたお金はかえしてもらわないと」とのらりくらりで、結局取り締まり強化の申し入れを受け取らなかった。それが警察機関の現実なのだ。裏にひかえる闇の勢力が恐いのか?!
 強き者を助け、弱きものを挫くとは、いったい何ごとだろうか。
 多くの市民は、不正や暴力から守ってくれるのが警察であると信じている。今回の誤認逮捕も、潔く誤りを認めてムサシ役の男優の名誉を一日も早く回復するべきである。
 そして、「帰っていたウルトラマンコスモス」などの放映で、正義は必ず勝つことを子どもたちに身を持って教えてあげるべきではないか。


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