ヤグネットの毎日
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2002年06月30日(日) 映画「郡上一揆」を観る 

 午前中は、地元党支部のみなさんと宣伝。途中雨が降り出したが続行。
 午後からは、映画『郡上一揆』を観に宇治市へ。「一緒に大きなビデオみにいくか?」と息子に聞くと、「行くよ、ボク」といってついてきた。

 「郡上一揆」は、江戸時代の宝暦年間(1751年〜62年)に幕藩財政の悪化を理由に強行しようとした「検見法」(収穫高に応じた徴税法)に反発した郡上農民が、江戸まで押しかけ「駕籠訴」や目安箱への「箱訴」を通じて、農民の窮状を訴えるなど郡上農民が総力をあげた五年越しに展開された一揆のことだ。この騒動で、「検見法」自体はなくすことができなかったものの、老中はじめ幕府指導者数人が免職、郡上藩主はとりつぶしとなった。江戸時代の一揆でも代表的な一揆である。

 映画は、想像以上の迫力だ。いきなり、1000人もの農民たちがほう起するシーンは、地元の人たちが手弁当でエキストラとして出演。近年、CG処理などで簡単に映像が作成されてしまうぐらい技術がすすでいるが、人間の力の結集には、何ものにもかえ難い迫力がある。
 緒方直人扮する主人公・定次郎が「駕籠訴」するシーンで、まず涙がでてきた。迫真の演技とは、まさにこのこと。自分が演説や議会質問で、このぐらい迫力のある訴えができたらよいのに、などと現実なことを考えながら見入ってしまった。
 
 2回目に涙がでてきたのは、定次郎が騒動の責めをうけ、激しい拷問でひん死の状態になったとき、同じくとらわれの身となった父親の助左衛門(加藤剛)と対面するシーンである。
 定次郎の父は、定次郎が幼少の頃から、「大きくなったら郡上の役に立つ人間になれ」と教えられ、読み書きそろばんを徹底的に教え込む。定次郎がどんな拷問にも耐え、困難に立ち向かえるのは、父親から引き継いだ「人のために生きる」という、信念と思想があったからである。定次郎をはじめ、大義に生きんとした人々の熱き心は、郡上の農民の心に火をともし、歴史に残る一揆へと発展させたのである。
 
 クライマックスは、獄門にあった定次郎はじめ3人の指導者が仕置場にさらされている場面である。定次郎の妻“かよ”が最愛の娘“きよ”に、こう語りかける。
 
“おとっさぁまやで・・・・・・・おとっさぁま、神さん仏さんになって帰っておいでたんや・・・・・”

 この映画を観て、強烈に考えさせられたことがある。
 一つは、大義に生きること。いまを生きる自分に、世の中の不正や不公平を許さずに人のために生きぬく、というまっすぐな生きざまを貫けているかどうか。心の奥底にぐっと迫るものがあった。
 そしてもう一つ。一揆とは、暴動ではなく、人々の熱い心を一つになることである。そして、世の中の不正や不公平を許さずに人のために生きぬく、というまっすぐな生きざまは、時代をこえて、親から子へ、人から人へと受け継がれることによってこそ、大きなスケールで時代をかえ、人を変えていく力になるものだ。ラストのシーンは、観るものにそのことを訴えているように思えてならない。このことは、現代にこそ生かされるべきテーマである。

 岐阜県は、妻の実家である。ぼくにとっては、第3のふるさとでもある。今度、郡上地方をゆっくりと歩いてみたい。


2002年06月29日(土) 説明する力


 28日は、午前中は党の会議。午後からは、議会報告の準備で市役所へ。
 そのあと、自治会議長さんのところへ訪問。
 夜は、地元の公共下水道工事にかかわっての説明会が開かれた。
 地元への説明会はすでに一度は行われていたが、談合疑惑のあおりを受けて、予定箇所の工事着工のメドがたたない状況のもとで、あらためての説明会となったものだ。地元の自治会は400世帯の大所帯。下水道工事を待ち望んでいた住民にとって、いつ工事がはじまるのかは関心の的。70〜90人が集まった。
 はじめに下水道課長からの現状の説明、そして質議応答。
 「未着工の部分のメドは?」「上水道やガス管の移設業者への指導を強化してほしい」など、質問があいついだ。それらに対し、職員のみなさんは一つひとつていねいに回答。わからないこと、できないことについてを明確にし、行政の責任でやるべきことについては、その決意をきちんと住民に伝わるように述べる。

 とくに、談合疑惑のあおりで予定箇所の工事着工のメドがたっていない問題について、「工期が遅れることなく、おそくとも年度末、いやそれよりも一月でも一日でも早く供用開始をしたい、という思いは私たち現場を預かる職員もみなさんとお気持ちは一緒。年度末という期限をクリアできることが我われに課せられた至上命題(命令)であり、そのために全力をあげる」との説明は、真摯さがよく伝わってきた。

 説明する力とは、より深められ洗練された専門知識と相手に理解してもらおうという情熱と、最後に住民と同じ目線で事にあたろうという、人間的な真摯さが大切ではないだろうか。
 夕べの説明会では、そうした「説明する力とは何か」をあらためて学ばせてくれたように思う。少ない職員体制で大変苦労をされていることと思うが、体を大切にこれからもがんばってほしい。ごくろうさまでした。
 
 


2002年06月28日(金) 6月議会終わる

6月11日から開かれていた城陽市議会6月定例会が、27日で閉会した。
 27日は最終本会議だったが、2つの大きな出来事があった。
 一つは、有事法制に関して慎重審議を強く求める意見書が全会一致で採択された。
 前にも書いたが、城陽市議会には意見書調整委員会という調整会議が存在し、まずこの会議に、それぞれの会派が案文を提出する。今回、緑の会から、慎重審議を求める案、僕たち日本共産党からは、基本的に緑の会の案文にそいながら、「今国会での成立に反対する」ことを強調した案、さらに公明党からは、有事法制の制定を求める案がそれぞれ提出されていた。会派間の調整の結果、慎重審議を求める意見書の採択となったものだ。中身は、今国会での成立に反対する国民が圧倒的であることや、自治体への説明が不十分であること、さらに思想や良心の自由が侵される危険性があることなどが、明記されていることなど、あくまでも、問題が多いので慎重審議をすべし、という中身である。

 もう一つは、公共下水道工事をめぐる談合疑惑で臨時に議会の全員協議会が開催された。午前10時からの議会運営委員会で、城志会やわが党の松永議員が全員協議会の開催を要求。僕も、「新聞という媒体で疑惑が報道されているのだから、疑惑を払拭するのは、行政の責任だ。議会はしっかりとチェックする必要がある」という立場から、早期の開催を求めた。その結果、午後3時から2時間にわたって開催されたものだ。
 詳細は、メルマガで書くが橋本市長は、今回の疑惑に対し、「疑わしい点が多々あると判断し、警察に捜査の要請をした。厳正な対処を行って参りたい」と述べた。しかし、疑わしい点とは、何なのか?記者会見などで行政が発表した中身と地元紙が報道した中身が食い違っているのはなぜなのか?こうしたことを聞いても、「捜査に支障を来すのでお話できない」と煙幕をはってしまう。毅然とした態度の中身が、警察への捜査のお願いだけでは、あまりに不十分である。少なくとも、談合の疑いでの刑事告発を手続きふんで行うこと、行政としての徹底したい調査をすすめること。これらが必要だと思う。
 今後の推移を見守る必要がある。

 夜は、7/18の党創立80周年を記念する夕べの会議。若い仲間たちとワイワイはなしながら具体化をすすめる。実に楽しいものである。
 


2002年06月27日(木) 息子への読み聞かせ

26日は、午前中から団会議。最終本会議に向けての打ち合わせなどを行った。最終本会議のポイントは2つある。一つは、助役選任の同意を求める議案、もう一つは、有事法制に関する意見書案の採決だ。
 結果は、この日記でもメルマガでも報告したい。

 昨日も書いたが、福島章さんの『子どもの脳が危ない』(PHP新書)を読み終えた。
 僕が精神障害者の問題に関わりはじめたころ、この障害が「脳の病気」であり、適切な治療とリハビリこそが必要であり、その意味でも精神障害への啓発・啓蒙をはじめ、万全の医療と福祉のネットワークの構築が急務であることを学んだ。
 最近、少年による重大犯罪がクローズアップされ、学級崩壊などの問題とも関連して、「教育の危機」が叫ばれている。学校の問題にせよ非行の問題にせよ、その原因を親のしつけや教師の教育技術や地域や社会の教育力の低下に求める議論が今日一般的となっている。僕も、基本的にその立場にたっていた。
 ところが、著者は「それだけでは十分な説明にならない」と指摘し、「そういう深刻な事態に直面しているのが、今の子どもの問題の現実」だとして、次のような仮説を提起する。少し長いが、引用する。

 この問題(少年犯罪や学級崩壊のことー引用者)を解く鍵は、人の行動や心を動かしている器官である《脳》にあるのではないだろうか?人間の心や行動を理解するには、生物ー心理ー社会など、少なくとも三つの次元を検討し、その知見を総合しなければならない。

 この本ではまず、生物学的次元にあたる脳が、いまどきの子どもたちの間で変化していいるのではないか?という仮説を提起してみたい。

 以上のような立場から著者は、少年死刑囚らの精神鑑定を行ってきた豊富な経験とデータに基づいて、胎児期に与えられた環境ホルモンが脳に重大な影響を与えることなど、多くの社会病理現象が《脳の形成異常》というキーワードを通じて環境ホルモンと関係してくる接点を読者に明らかにする。
 さきほど、「豊富な経験とデータ」と書いたが、本書のなかには脳のMRIの写真などが紹介されている。ぜひ、一読をすすめたい。

 もう一つ。著者は、乳幼児期からテレビなどの大量の情報に接して育つことによって、子どものパーソナリティが形成が一世代前とはまったく変わってしまう《新人類化》が起こり、いわゆるキレル少年など、暴力行為に入る衝動的な子どもや注意欠陥多動性障害(ADHD)のような現代的な課題を生み出している可能性もある、と指摘する。
 では、どうすればよいのか?著者は、次のように提言する。
 一つは、これから子どもを産む女性たちへのメッセージとして2つのことを述べている。1)早婚の勧め。なぜなら、10代後半の若い母親のダイオキシン類の蓄積量は、30代後半の高年出産の母親のそれの約半分だからだ。2)出産に関する女性の役割分化の勧め。なぜなら、母親は、出産と授乳によってそれまでに蓄積したダイオキシンの半分の量を子どもに転移するといわれており、第2子に伝えられるのは、第1子に伝えられる半分、第3子は四分の一と減り、多産によって、子ども全体のダイオキシンへの平均汚染度を低くすることができる、というわけだ。

 二つは、テレビ放送に対する社会的取り組みをすすめることである。膨大かつ多様な情報が流れているなかで、人間の脳のOS、すなわち基本的な認識のプログラムに変化をきたしている、と著者は指摘する。親の世代以前を《旧人類》とするならば、旧人類の脳のOSが言語優先で論理的認識が中心であったのに対し、子どもたちの世代《新人類》の脳のOSは、大量のイメージ情報を処理するのに優れている、というわけだ。そして、テレビなどマスメディアを通じて流れる、暴力シーン等々が子どもたちの成長にとってもマイナスの影響を与えている、と指摘もしている。そのうえで、著者は次の二つを提言する。

1)親が個人としてできること。乳児期に子どもをテレビから離すこと、幼児期も1日1時間以内に制限するのがよい。これらは、子どもの人格形成に親が責任をもつ、という角度からも大切なことである、という。
2)社会全体としての取り組み。良識あるテレビ局が、番組の内容を視聴率本位ではなくて、子どもの心の健全な育成を考慮に入れて番組を編成するような努力が求められる、と指摘する。もちろん、何が健全で何が不健全かは、科学的な調査研究を時間とコストをかけて、子どもの脳と心を守るために行うべきだ、という注釈も忘れていない。

いずれにせよ、これらの問題は、社会全体の改革と密接にむすびついている。子どもの健全な発達と成長を第一におく、社会の抜本改革が必要だ。


 僕自身は、本書を「ハラハラドキドキ」しながらページをめくった。どれも、わが息子の子育てと切っても切れない話である。
 まずは、本の読み聞かせを実践することにした。家に帰ってからと夜寝る前、可能な限り息子と会話し、本を読んであげること。これを、本書を読んでの実践の第一歩としたい。

 


2002年06月26日(水) 一般質問最終日



 25日は、城陽市議会の一般質問最終日。ごどう議員が、公共下水道工事の談合疑惑問題にかかわって、市長の基本姿勢を問うた。上下水道部長も、また市長も、「毅然とした態度で臨む」と表明した。しかし、大切なのは、その中身ではないだろうか?「今回の問題の真相究明よりも談合がおこらない入札制度への改善が大事」というニュアンスの答弁もあったが、これでは問題の根本的解決にはならない。これまでもたびたび談合疑惑が噂されたが、一度もその事実が究明されたことはない。談合にあまい土壌、構造的問題そのものにメスを入れる必要があるのだ。その土壌や構造的問題の究明こそが、焦眉の課題である。
 この問題は、引き続きわが議員団でも追及していくことになるだろう。


 保育園に息子を迎えにいったら、他の子どもたちが寄ってきて、「抱っこして」とせがむ。5〜6人を一人ずつ抱っこしてあげて、ギューっと抱きしめてあげたら、みんなキャーキャーいって喜んだ。そのあと、お相撲もとった。
 いま、福島章さんの『子どもの脳が危ない』というPHP新書を読んでいる。環境ホルモンが胎児をふくめ子どもたちに与える危険な実態を自らの豊富な鑑定等から明らかにした衝撃の書である。いかに、子どもたちが育ちにくい環境になてしまっているのか、がわかる。
 
 どの子もかわいい子どもたち。未来の宝を最良の環境で育ててあげたいものだ、そう強く思った。


2002年06月25日(火) 庭先の紫陽花

 24日は、一般質問3日目。僕たちの会派の松永議員が有事法制に関する市長の基本姿勢を問うた。その中で、橋本市長は、「憲法と本市の平和都市宣言の精神に乗っ取り市民の安全を守る」と原則を述べながら、有事法制そのものについては、「ならかの法的整備が必要」との認識を示した。一方、今回提案されている法案については、地方公共団体への役割などについて明確にされず、しかも十分な説明もされていないことなどをあげ、国会において慎重審議が望まれ、動向を注視したい、と答弁した。
 
 庭に紫陽花が咲いている。
 僕は6月が誕生日なので、昔から紫陽花が好きだ。18歳まで住んでいた家にも同じ色あいの紫陽花が咲いていた。もう10年以上も昔にとり壊されてしまって、今はない。毎年きれいに咲いていたあの紫陽花は、心のなかでいつまでも咲いているのだけれど、それが巡りめぐって、いまの僕の家に咲いているのでは、そんな錯覚をおこす。

 ここ数日は忙しくてじっくり見る余裕などなかった。雨の雫が紫陽花の葉っぱに水玉となって残っている。自分が気づかないだけで、自然は自分たちのペースでそれぞれの生涯を送っている。決して人間だけが特別ではないのだが、人間には「美しい」と感じ、それを広げる能力がある。その力を使わない手はない。
 もっともっと、自分が感じたこと、考えたことを自分以外の人たちと共有する努力を続けたい。


2002年06月24日(月) ザリガニと聖書


 22日は午前中、党支部のみなさんと宣伝カーで地域を宣伝。有事法制のこと、医療改悪のこと、そして城陽市の公共下水道工事をめぐる談合疑惑にかかわって、真相究明と再発防止の必要性を訴えた。
 宣伝が終わってから、家の近所で写真を撮影した。ホームページのトップページをそろそろ換えたいと思っていたのだが、適当なものがなかった。撮影者は妻。息子が、「お父ちゃん、何してんの?」と声をかけたところでパシャ。やはり、額が確実にあがっている…。

 話は変わるが、息子の保育園にアメリカザリガニがプレゼントされた。保護者の方がもってきてくれたものだが、子どもたちは大喜びのようで、息子も「きょうはね、ザリガニさんがね…」と話してくれる。
 その様子を聞いていて、自分の幼少のころの思い出がよみがえった。
 何歳の頃かは忘れたが、小学校にいくまでの小川にザリガニがよく釣れる場所があった。今思えば残酷な話しだが、最初に釣ったザリガニのしっぽを剥いて餌にし、小枝に糸をつけて釣り上げる。おもしろいほどにとれたときがあり、熱中しすぎて家に帰るのがとても遅くなった。家族が心配していろいろ探し回っているところに帰宅したものだから、父親にひどく叱られたことを憶えている。
 そのとき父は、どういう脈絡からかは忘れたが「聖書」の話をしてくれた。どんな話しだったのかもいまでは思い出せないのだが、そのときの父のイメージは「厳格」で「尊いもの」への畏怖の念のようなものをもっていた(ように感じた)。
 以前にも、「父親の威厳というものは、実感できずに育った」とこの日記に書いたが、僕のなかで厳格な父という姿は、それくらいしか思い描くことができない。

 息子は大きくなったとき、父親である僕の姿をどんなふうに思い出すのだろう。
 「威厳」や「厳格さ」はまったく自信がない。でも、人間らしく生きたいと息子に向き合いながら、ともに悪戦苦闘する、泥臭さのようなものを思い出してくれたら、それだけで幸せだ。
 息子に伝えていけるものは何だろう。このことを常に自分に問いかけながら、人生の後半戦に挑んでいきたいものだ。


2002年06月23日(日) 篆書にみる「民」の由来


 22日は、午前中が党の会議。午後からは、雑然となりすぎた家の部屋の掃除。どこから手をつけてよいのやらわからないくらいの散らかり。まだまだ続きそう。夜も会議。

 以前、とても興味深いお話を聞いたのだが紹介する機会がなかったので、今回書いておこうと思う。
 城陽市の党後援会長は、大変な博学で書の専門家。その方が、最近「篆書」を学ばれているそうだ。ある宴席で「篆書」の「民」という字の由来は大変興味深い、というお話をお聞きした。

『篆書ー入門から応用までー』水野栗原・著の中からのおなしだ。引用すると、こうである。

「民」があります。目を針で刺された奴隷の姿です。為政者にとっては賢い連中がゴロゴロおられては厄介ですから、転じて民衆とはそういうものであってほしい、いやあるべきだとのエゴの産物のような気がします。
   

と矢で射いた形の民もあります。民衆とはつまり盲目の民なのだそうです。何となく現代にも通じるような話しでありませんか。小篆では目の部分が抽象化されて、

 

となっています。
   

 奴隷制社会と資本主義社会。その間には、幾世紀もの時代が流れているというのに、支配者の民衆に対する見方、「自立し力を貯える」ことへの怖れは不変であることは、興味深い。
 しかし、高度に発達した資本主義社会の最大の違いは、幾世紀もの民衆によるたたかいを経て、連帯する力闘いを組織する力を身につけていることだ。そのことが試される世紀こそ、21世紀ではないだろうか。そんなことを、この話しを聞いて感じた。


2002年06月22日(土) 自分の一般質問終わる

 21日は、午前中2番手で一般質問を行った。今回は、文化行政と観光行政とのタイアップ、それから精神保健福祉の充実などがテーマだった。
 僕は、観光行政と文化行政について、今年3月に観光協会が設立されたことを評価したうえで、観光行政は市外からの入り込み客数のアップも大事だが、市民がしばし日常生活を離れ、憩い、癒され、郷土愛や地域文化を育むことに重点をおいた事業展開が必要であること、をまず強調した。
 そのうえで、21世紀のまちづくりは観光行政と文化行政が車の両輪のように取り組むべき課題と3つのことを提言した。
 一つは、総合的、体系的な施策展開をはかるために、城陽市文化振興基本条例やマスタープランを制定すること、二つ目に、教育委員会の部局の文化振興を市長部局に移行させ総合行政として位置付けること、三つ目は、南山城地域でも最大級の古墳であるにもかかわらず、用地買収等の課題が残り未整備となっている車塚古墳について、市民の声を反映し計画の練り直しをはかることだ。
 これに対し、教育委員会は。文化行政の理念には共通の認識を示したものの、条例制定は否定。史跡整備の見直しについては、市民や有識者の声を聴いてすでに具体的に決めているとしながらも、「地域住民の声を参考にしながら進める」と柔軟な姿勢を示した。
 また、文化行政の市長部局への移管については、助役が「法例上なじまない、移管は困難だが、連携をはかっていきたい」と文化、観光行政の連携をはかる考えを示した。

 僕は、行政の文化化についても質問した。行政の文化化とは、わかりやすくいえば、次のようなことだ。

これまでの行政にありがちな慣例偏重、縦割主義などを市民の感覚で問い直し、職員一人ひとりの意識改革をとおして行政の自己改革をめざす取り組み。

 助役は、本市の職員は、そういう意識を持って知恵を出して仕事をしている、と答弁した。
 そうであれば、よいのだが、僕の耳には、本当にそういう立場で仕事が出来ているのか、と首をかしげたくなることも入ってくる。
 質問でも取り上げたのだが、例えばこんな話しがある。

 僕の住む近所に、城陽団地の第二公園がある。これは下大谷1号古墳でもある。ここは、児童公園という位置づけなので、管理は自治会にお願いをしている。この古墳公園は高台にあって、三方ののり面に200以上もの植木がうえられている。古墳の中にある公園というだけでも文化的価値のあるものだが、ご近所の方がまさに手塩にかけてこれらの植木の剪定を毎年行って、まわりの環境にも見事にマッチする形で管理を続けており、地域住民の手による個性的な公園となっている。この努力は尊いものであり、この話をお聞きして、僕は感動した。ところが、最近この剪定のボランティアで行っていた方が亡くなられ、奥さん一人になってしまった。急斜面のところの剪定などできるはずがない。今後、この管理をどうするのかが課題としてもちあがっている。地域の人々の憩いの場となっていること、下大谷1号古墳という文化的価値のあるものを考えれば、これは決して文化振興という観点抜きには語れない問題で、管理課だけではく文化財や自治会活動への支援のあり方などにも関連してくる。
 現時点では、こうした公園を行政と市民が協働して管理する方向にはなっていないようなのだ。
 こういう問題こそ、地域住民と行政とがよく話し合って前向きに解決すべき問題なのに、僕のところには、「これまでも自治会で剪定等はお願いしているので、まずは自治会で努力をしてほしい」という返事だったそうだ。
 こういう事例があるだけに、助役の「職員が知恵をだしてやっている」という答弁に、「はい、そうですか」とすぐには納得できないのだ。今後とも、この文化と観光のタイアップのテーマは、とりあげていきたい。

 精神保健福祉の問題は、地元紙などでは紹介してもらえなかった。
 精神保健福祉の問題では、当面、窓口での国家資格を持った専門家の配置が求められることや啓発活動の強化を提言したが、行政側は現状を述べるにとどまった。
 僕は、質問の中で全国の自治体で試行的に精神障害者へのホームヘルプサービスを実施したところで、「表情が明るくなり、自分から挨拶をしたり話しかけたりするようになった」など、大きな成果をあげていることを紹介し、本市での充実策を求めた。

 自分の一般質問が終わって、一段落といいたいところが、まだまだ6月議会は続く。最後まで気を引き締めてがんばろう。


 
 
 


2002年06月21日(金) 城陽市議会 一般質問はじまる

 20日から、市議会の一般質問がはじまった。それに先立って午前中は、一般会計補正予算の審議。
 主なものは、富野幼稚園の建て替えにかかる、木造園舎の解体と鉄筋園舎の耐震調査と設計委託費で1700万円が計上。さらに学校給食センターの建て替えにむけての設計委託予算が5300万円を限度に債務負担行為として設定されている。また、富野長池地域にとっては、懸案である清水川の部分的な改修のための予算も計上された。
 この審議のなかで、僕たちは、建て替えのスケジュールや設備の内容、仮園舎となっている富野小学校での安全対策などについて質問。給食センターについては、小学校と中学校との別献立のための2つのラインで調理できるような施設とすることや、食器についても強化磁器を採用するなど、教育としての学校給食がより充実した中身となるよう保護者や現場の調理員の声を聴いて作業をすすめることなどを要望して、この補正予算に賛成した。
 
 本会議終了後、公共下水道工事をめぐる談合疑惑で、徹底した真相究明と再発防止に全力をつくすよう、橋本市長と伊庭公営企業管理者に緊急の申し入れを行った。(写真の右手前が僕)
 いよいよ、明日が僕の質問である。最後のつめの作業を急いでいるところ。


2002年06月20日(木) 一方的な正義に疑問

19日は午前中から党議員団の会議。20日に審議される一般会計補正予算等の論議を深めた。午後からは、一般質問の準備などに追われた。とにかく原稿の執筆が追いついておらず、ようやく20日の未明に完成。公式サイトで公開しメルマガでも送信した。

 ウルトラマンコスモスの主演男優が、未成年時の「恐喝」と「暴行」事件で逮捕されたニュースは子どもたちだけでなく、僕たち親の世代にも大きなショックを与えた。今朝のニュースでは様々な波紋が広がり、毎日放送には「突然の放送中止ではなく、物語としても完結させてほしい」旨の要請が2000本以上も寄せられているそうだ。親が子どもにどうこの事件を伝えているかについて、「ありのままに伝えている」という親がいる一方、「ムサシ隊員は任務を終えて星に帰ったのよ」と説明する親もいるという。
 ちなみに、わが家では、放送が終わったことだけを伝え、それ以外はまだ話していない。

 それにしても今回の主演男優の逮捕劇は、あまりに唐突すぎる。さらに急きょ結成された「守る会」の現状報告や活動報告を読む機会があったが、そこに書かれている報告が事実であるとすれば疑問点がいくつも浮かびあがってくる。
 以下は、「守る会」の活動報告をもとにした僕の個人的意見である。

第一。「恐喝」と「暴行」事件は、逮捕された男優が未成年時の19歳の時。2年前の出来事である。そして相手が訴状を提出したのが1年前。そして、先日の逮捕へとつながる。あまりに時間が経過しすぎてはいないか?

第二。逮捕に至る経緯も乱暴である。本人をよんで事情関係を問いただすこともなく、任意同行を求めることもなく、逃亡の危険があるはずもないのに突然6人もの刑事が来て、逮捕したという。
 
第三。いわゆる「逮捕」とは、いまだ容疑事実の認定等がなされていない状況であり、あくまで容疑者である。ニュースなどの報道では、逮捕された主演男優の犯行事実を既定のものとして、警察の判断を一方的正義と決めつけている点がある。しかし、警察は万能の正義を行使する機関ではないことは、この間の一連の警察の不祥事や、無数のえん罪事件が雄弁に物語っている。
 
 僕は、「逮捕」という事実はたいへん重い意味をもつものであり、毎日放送などがウルトラマンコスモスの放送中止を決定した判断に異論を挟むつもりはない。
 しかし、現時点では、主演男優が「恐喝」や「強盗」を行ったことが真実として私たちの前に明らかにされたわけではないのもまた事実である。この時点で、未来ある青年に「罪人」のレッテルをはり付けて、一方的な正義を主張するのは、いかがなものだろうか?

 ウルトラマンコスモスが、これまでの「正義が悪を成敗」式の番組ではなく、共生の考えや愛する心を教える好番組であっただけに、この問題はより慎重に取り扱われ、人権とは何か等も含め、大人と子どもが話しあえるよい機会にすべきだと思うのだが、みなさんはどう考えるだろうか?ぜひ、意見を聞かせてほしい。


●「守る会」のサイトは次の通り  http://csx.jp/~takayasu/


2002年06月19日(水) ありがとう日本代表チーム


 18日は、35歳の誕生日。昨日も書いたが、人生の半分を生きたという思いが強い。息子の寝顔をみると、肌がツルツルでおよそ、しわやぜい肉というものと無縁。このまえ自分の顔を鏡で見たら、確実に額があがっているのに気づき、ショックを受けた。自分の人生が有限なのだという、あたりまえの真理をようやく自覚しはじめた。一日一日を悔いなく生き抜く、とは言うはやすく行うは難しだが、がんばろう。

 サッカーのW杯。日本チームは、終始攻めていただけに悔しい思いが残る。でも、よくがんばったと思う。
とくに、日本人がこんなに感情を表に出して、からだいっぱいで表現する姿って、ちょっと見たことがなかった。僕たちを熱くしてくれた日本代表チームに、心からありがとうといいたい。

 21日の城陽市議会の一般質問の原稿がまだ完成しておらず、とても追いつめられた気持ち。
 文化行政と観光行政のタイアップという大きなテーマを選んでしまい、自分の言いたいことをしぼりきれずにいる、というのが原因だ。今日こそ、今日こそ書き上げるぞ。
 また、役員をつとめる城陽保育運動連絡会の第1号のニュースも今日が印刷なので、焦りながら一気に作成した。こちらのほうは、原稿を書いて下さる保護者がいて、もっぱら僕はレイアウト。7月からホームページもたちあげる予定で、今後の活動が楽しみだ。



 ハーブティー。ミントの香りで、今朝も妻がいれてくれた。玄関をいきなり飛び出していくので何かとおもったら、庭から採ってきた、という。おいしいハーブティーの作り方知っている方がいれば、ぜひ教えてほしい。
 


2002年06月18日(火) 免許更新とハーブティー

 17日は、朝から車の免許の更新に伏見区の羽束師の運転免許試験場へ。朝の時間を逃すと、お昼を挟んで一日つぶれてしまうので、朝から気合いを入れて段取りよく息子を保育園へ送り車を飛ばしたが、それでも人、人、人。
 30分程度の講習を受けた。(これでわかる人はわかるでしょう)職員の人がOHPを使って、改正された道路交通法や運転者対策の推進をはかるための法整備などを解説。これが、結構参考になって面白かった。
 たとえば、昨年度の京都府内の交通事故による死亡者数は164名。しかし、これは、交通事故発生から24時間以内の死亡者であって、それ以降に亡くなられた方はカウントされていないこと。実質は188人であること。また、交通事故で亡くなられた方のうち、高齢者は54人。このうち、道路を歩いているだけで亡くなられた方が27人もいることなど、ショッキングな話しだった。
 また、悪質・危険な運転者に対する対策等を強化するための規定の整備として、刑法に「危険運転致死傷罪」が新設された。飲酒運転などで死亡させた場合、これまでの業務上過失致死罪では、5年以下の懲役・禁錮叉は50万円以下の罰金であったのが、1年以上の有期懲役に、負傷させた場合には10年以下の懲役を科すこととなった。
 自動車は凶器にもなりうる危険な乗り物であることを十分自覚して、安全運転に徹しよう。あらためてそう決意した。

 18日は35歳の誕生日だ。もう、人生の半分を生きてしまった。そういう思いが強い。
 人生の後半戦は、もっと貪欲さをもって生きてみたい。地位や名誉とか、そういうことではなくて、価値あるものに感動し、普遍的なものに共感し、少しでも自分がそのことの伝道師のような役割が果たせれば、と思う。(抽象的だけれど)
 持っている資格といえば、更新したばかりの自動車の免許。人生には免許なんかいらない。自分のモチベーションの高さと納得できる生き方ができていると実感した時が、「免許更新」のときだ。

 いま売れっ子の和田秀樹さんの『30代から始める頭のいい勉強術』を読み始めた。21日の一般質問の原稿を書かなければいけないのに、あまりに面白くて読み耽ってしまう。感想と学んだことは後日。

 テレビの占いをみていたら、せっかくの誕生日なのに、運勢は最悪。ハーブティーを飲むと運が開けるというのを見て、妻が庭に植えてあるハーブを摘んで、「ハーブティー」をいれてくれた。
 少し砂糖をいれて飲む。部屋中にハーブの香りが広がり、あら不思議。「よっしゃ!今日もやるぞ」という前向きな気持ちが湧いてきた。ハーブティーのおかげか、それとも妻の粋な心づかいのおかげか…。
 
 35歳の誕生日の決意が、人生後半戦を意義あるものにした歴史的な日だったと、人生の最期に思い出せるよう、一分一秒を大切に生きたい。

 


2002年06月17日(月) 時代と向き合い自由に生きる姿は美しい

  16日は、「戦争に協力しない自治体労働者のつどい」というイベントがあり、朝から京都市内のシルクホールに向った。7月18日宇治市でライブをしていただく山本亜希さんが、ステージにたつのだ。

 ライブがはじまると、スティービーワンダーの曲が流れ、会場の最後部ドアから亜希さんが入場。
 歌いあげた曲は、「翼をください」と「イマジン」それから、スティービーワンダーの「I just Call to Say I Love You」。少しハスキーなのにのびやかなボイス。大好きな声色だ。

 山本亜希さんのライブの魅力は、音楽だけではない。昨日のステージでも自ら語っていたが、本業はライターである。だから、時代をみつめる目も研ぎすまされている。
 9/15のテロの事件にふれながら、ジョンレノンに話をふり、平和、暗殺、生きることの意味、そして自分の人生などをキーワードにして、山本宣治に話をむすびつけていく下りは、圧巻だった。

 たとえば、イマジンの前にはこんな語りが入る。


「ジョンレノンは、ベトナム戦争反対など平和のメッセージを訴え続け、平和活動家といわれることがある。しかし、彼は決して英雄や伝説上の人間になるつもりはなかったに違いない。自分の曾祖父の山本宣治も暗殺によって命を落としたが、彼も同じ。もっと生きたかったに違いない。暗殺されたジョンレノンも山宣も過去の人じゃない。過去を知ることで未来をつくっていきたい。自分は、音楽によって心を開放できる。もっともっと21世紀をたくさん生きてやるぞ、そう思いながら歌っている。」

 個人の人生が時の権力や世界の流れのなかで左右されかねない激動の時代のなかで、一度しかない人生を意義あるように生きたいと思いながらも、自分の将来を具体的にイメージすることができず、思い悩む若い世代に、素敵なメッセージを送るアーティスト。

 そして、なによりもジョンレノンとヤマセンを結び付けて自由と平和を語るすばらしいアーティストである。
 時代と向きあい自由に生きる姿は美しい。
 今度は、7月18日に宇治市文化センターで再び僕たちにその姿をみせてくれる。ぜひ、一人でも多くの人に見て、聴いて、感じてほしい。
 イベントの詳しい問い合わせは、yagunet@fm2.seikyou.ne.jpまで。
 


2002年06月16日(日) ハンドマイクで宣伝


 連日、暑い。15日は午前中にメルマガの作成、発行とホームページの更新作業。もうすぐ、公式サイトのアクセス数が1万回となる。
 ITがもつ即時性と双方向性を生かして、僕のありのままの姿を知ってもらいたいと思ってスタートしたホームページの開設とメ−ルマガジン。
 機敏な情報提供とサイトに訪問して下さる方とともに行動する、というダイナミックな活用に発展できないだろうか、これがもっぱら今の僕の問題意識だ。ぜひ、ご提案などあれば、お聞かせいただきたい。

 午後からは、地元の党支部の方とハンドマイクで宣伝。W杯で日本中にわき上がっている間隙をぬって、医療制度改悪法案を委員会で強行可決したことへの抗議。それから、先日発生した公共下水道工事の入札をめぐってまたぞろ談合疑惑が持ち上がった問題で、徹底した真相究明と再発防止へ党議員団として全力をつくす決意を述べさせていただいた。

 夜は、男声コーラス、ジョイナスグリーの練習。7月20日に文化パルク城陽を会場に、「コーラルフェスタ」が開かれる。僕たちも出演するので、その練習もいよいよ追い込みだ。30分時間を延長して練習に励んだ。



2002年06月15日(土) 市民運動の力


 城陽市議会は14日、建設水道常任委員会。
 この日はどうしても傍聴したい案件が2つあり、朝から議会につめた。傍聴を終え、控え室にもどったら、サッカーW杯で日本がチュニジアに勝利したニュースが飛び込んできた。よかった!傍聴した中身は、次の通り。

 ●「都市計画道路予定地を集会所用地として貸借することを求める陳情」は「趣旨採択」に

 ひとつは、僕の住む近所にある城陽台自治会(150世帯)から出されていた、「都市計画道路予定地を集会所用地として貸借することを求める陳情」審査。経過と趣旨はこうだ。
 いま城陽台自治会の集会所が建っているところは、集中浄化槽が埋めてある私有地。平成16年には公共下水道が接続することから、地主より集会所の撤去を迫られている。
 自治会としては、集会所用地として代替地をさがしていたが、他に適当なところがみつからず、行き詰まっていた。そこで、都市計画道路として認定されてから14年も経過しても宇治市側とつながる見通しもなく、フェンスでかこったままの「道路予定地」を一時的に貸借してほしい、と声をあげたものだ。
 行政は、「道路予定地を目的外に使用することはできない」の一点張りで従来から対応。今回の陳情審査でも同じ立場をくりかえした。
 しかし、建設水道常任委員会では、ほとんどの議員さんから、「自治会活動の重要性を集会所の必要性を重視し、行政側は柔軟に対応を」との積極的な質疑があいついだ。
結果は「趣旨採択」となった。「道路予定地に集会所をたてるのが難しいのなら、他のところもふくめ行政側は自治会への積極的支援を行うべき」という前向きな議会の意思の表示である。

僕も、自治会のみなさんからお話を聞いたり意見を求められたりする機会があったが、何よりも感服するのは、粘り強い運動である。陳情の提出にあたっては2000筆を超す署名が添えられた。自治会の中に集会所問題の特別委員会を設置し、住民のみなさん自らが法例の学習や討議などを行ったという。
 委員会の議員にも、詳しい資料を渡し、住民の気持ちを汲み取ってほしい、と率直な思いをつたえたそうだ。
 ここに、市民運動の原点と力がある。議会の審査でも、各議員が住民の立場から積極的に質議する姿をみて、すがすがしい思いがした。趣旨採択ではなく、きっぱり採択になれば、なおよかったけれど…。

 ●下水道工事の入札をめぐってまたもや談合疑惑!毅然とした対応こそ、談合をなくす道

 もう一つは、城陽市の公共下水道工事の入札を巡る談合疑惑の報告と審議。3月にも同じ工事箇所で事前に談合情報が入り、契約が保留となっていた。談合情報により同じところで二度にわたり契約ができないというのは、前代未聞のことである。「一日も早く公共下水道を」と願う市民にとっては、怒り心頭だ。ところが、行政の対応には、「被害者は市民であり城陽市」という受け止めが著しく弱いように感じざるを得ない。談合をなくしていく大前提は、行政側の毅然とした構えと対応、とくに談合をすることによって、デメリットが大きくなるペナルティを厳しく課すことだろう。
 そのあたりが、あいまいでいるところに強い疑念を感じざるを得ない。この問題は、今後、波紋を呼びそうだ。徹底した真相究明と再発防止を求め、奮闘したい。


2002年06月14日(金) 文教委員会ひらかれる



 13日は、文教常任委員会。午前中、小学校に一時移転した富野幼稚園とあたらしい給食センターの建設予定地を視察。 
 委員会審議の焦点は以下の通り。

 ●市民プールについて。老朽化のため南市民プールが廃止となるが、北市民プールの施設の充実と市民要望の強い温水プールにむけての計画の具体化を求める声が多数あげられた。

 ●学校週5日制度が4月から実施。教育委員会は、この新制度にどう対応するかの報告書をこのほどまとめ、委員会に報告された。
  僕は、この報告書をまとめる委員会が、学校長と市教委メンバーだけで構成されており、地域で多彩に活動する市民団体やボランティアや保護者などの意見も十分踏まえるべきではなかった、と意見を述べ、行政の果たす役割もますます大切になることから、地域と学校、家庭をつなぐコーディネーターとしてのイニシアチブを発揮すること、城陽市の青少年育成のための総合計画の策定が必須であること、などを指摘した。

 ●富野幼稚園の建て替えについては、保護者やOBが傍聴にかけつけるなど、この問題が引き続き注目され心配もされている。このほど、木造園舎部分の建て替えにむけての予算も補正で提案されている。委員から、「鉄筋の園舎も築30年を経過しており、耐震調査のうえ補修する場合、と全面的に建て替える場合の検討などが十分なされたのか?との質問も出された。
 
 ●給食センターの立て替えについて。僕たちの会派は、自校方式への転換を主張してきたが、新センターの建築が決まった以上、市民の要望にこたえ、これまでよりもよりよい給食となること、そのためにも運営は直営を堅持することなどを主張している。今回、センターの建築にかかる基本・実施設計にむけての予算が債務負担行為として5300万円を限度として設定されている。
 本市として、教育の一環としての給食の位置付けをあらためて明確にすること、センターが小・中学校と統合化されることから、小中統一メニューではなく、別献立とすること、保健所からも指摘されている、出缶から喫食までの二時間以内という基準が守られること、食器も樹脂系から陶磁器へとかえること、などより充実させた中身にすることなどを要求している。そして、こういった角度から、建設をすすめることの決意なり方向性なりがでることが必要で、建築そのものへの白紙委任ではない、ことを委員会でも強調した。

 


2002年06月13日(木) 6月議会 一般質問の準備

 いま開かれている6月議会で、一般質問を行う。
 委員会での審議とは違って、3回しか質問ができないもので、よくテーマをしぼって、組み立てることが必要だ。

 骨子だけを紹介しておきたい。詳しくは公式サイトで事前に質問原稿を公開もし、メルマガでも紹介したいと思っている。

【まちづくりについて】

1、文化行政と観光行政について それぞれの理念と基本姿勢を問う。

(1)21世紀の城陽のまちづくりの課題と照らして、それぞれどういう理念と目標のもとに取り組まれるのか?
(2)とくに文化については、文化振興基本条例の制定が必要だと考えるが、本市の考えは?。

2、文化行政と観光行政のタイアップについて

(1)心耕す文化で観光振興をというコンセプト

● 私が考える観光とは、入り込み客数のアップも大事だが、地域住民がしばし日常生活を離れ、憩い、癒され、郷土愛=地域愛を育むものに。

(2)人びとの笑顔おだやかで、日本一アットホームなまち 
   立原啓裕さんの問題提起を正面から具体化すべきでは?

● 今年立ち上がった観光協会は、どういう目標をおいて、何を具体化するのか?本年度の具体的事業を問う。

3、古墳や史跡の整備について

(1)古墳は、城陽のまちでも貴重な観光資源となりうるもの。文化的価値を効果的に知らせることと、地域住民が憩えるスペースとなることが必要。
● とくに、車塚古墳、12号古墳について。すでに整備計画などの青写真はできているはずだが、そこにどれだけ市民の声が反映されているかは、甚だ疑問。

(2) それぞれの整備には、いくつかの課題があり中長期的な取り組みとならざるをえないと聞いている。

→だからこそ、このさい、住民参加型に、あらためて整備計画をつくることにしてはどうか?(現在の計画をベースにしながら)


4、行政機構について

(1) いま全国に広がる、行政の文化化について
(2) 文化振興の担当課を教育委員会部局から市長部局に位置付けをかえるべきでは?

【精神保健福祉について】


1、すでに4月から窓口をひらき、福祉面での相談活動をスタート。  
 評価等は、もうしばらく様子を見る必要があるが、現時点で対策を講じておくべきこともある。

(1)窓口の相談体制
 *すでに、何件かの相談が入っていることと思うが、その特徴は?
(2)専門家の配置と活用
(3)啓発活動の強化

2、今年度の施策の重点
(1)相談体制の強化
(2)手帳をもっていることによるメリット 
 →公共施設の利用の際の割引き制度 *JR等交通機関の割引制度など
(3)地域精神医療のネットワークづくり
 ?支援センターと行政との連携は?
 ?保健所や市区町村の保健センターの充実を
  都道府県の精神保健福祉センターの拡充をはかるとともに、地域精神医療のネットワークを確立することを関係機関に強く働きかけすべき。精神障害者にたいする在宅福祉サービス(グループホーム、ホームヘルプサービスなど)を、抜本的に拡充する。→4月以降の希望者は?
 ?電話相談・対応システムをつくるとともに、24時間対応可能な精神科救急医療体制の整備を関係機関に強く働きかけるべき。

3、要望
(1)福祉医療の適用は、引き続き重要課題。調査研究と早期の実施にむけての検討を強く要望したい。
(2)地域精神医療のネットワークづくり
  
                               以上


  
 



 


2002年06月12日(水) 城陽市議会 6月議会がスタート

 6月議会が昨日からスタートした。有事法制に関する意見書をめぐって、重要な動きがあった。要点は次の通り。

 (1)意見書案提出〆きりの11日午後5時までに、有事法制に関連して3本の意見書案が提出されました。

 a)民主党系会派「緑の会」提出 
 b)公明党議員団提出 
  「武力攻撃事態法」など三法案の制定を求めることを明記した案文
 c)日本共産党議員団提出
  審議で明らかになった法案の問題点を指摘し、今国会での制定に反対  
  し、地方の意見を尊重し、徹底した慎重審議を求めた案文

 (2)ただ、以上の3つの意見書案がそのまま、本会議に上程されるわけではない。城陽市議会では、「意見書調整委員会」という機関を設けており、第1回目の調整会議が6月20日、本会議後に開催される。
 ここで同主旨や近い内容のものについては、一本化などの話しあいがなされ、提案者と賛成者が決まる。このあたりは、宇治市議会の「共同提案型」とは異なるところだ。
 通常は、意見書は、最終本会議(6/27)に上程され、採決がとられる。
 
 (3)議会での力関係は、「今国会での成立反対・慎重審議派」は、共産7、緑の会4、城志会3で14人。他方、「制定を求める」派は、公明(議長についているので、実際には3)、自民党市民クラブ3で6人。これに、保守系2会派の4人を加えると、10人となり、動向が注目される。
 自民党籍のある無会派議員は、「有事法制は必要だが、戦後50年もかかってつくれなかったものを、いま拙速につくることには反対」という立場で、話し合いによっては、「反対・慎重審議派」に加わる可能性もある。
 
 つまり、15対10で、私たち「今国会での成立反対・慎重審議派」が多数派となる可能性が十分にあるわけだ。

 (4)ただ、これからどう転ぶか、わからないところもある。僕たちは、公明党案が否決されることを重視し、「今国会での成立反対・慎重審議」の意見書が採択されるように、努力する決意だ。

 いまの事態を、お知り合いなど周りの方にお知らせてほしい。市民の声を代表して、議会として国に提出するのが、意見書だと思うから。どこまでも、主役は、市民!


2002年06月11日(火) 7/18は宇治文化センター小ホールへ


僕たちの党は、今年の7月15日で党創立80周年を迎える。
 洛南地域で創立80年を記念するイベントを7月18日、宇治文化センター小ホールで開催することになった。

 第1部の文化イベントに続き、第2部では記念セレモニー(主催者あいさつや地元議員の紹介)、第3部では国会議員による記念演説などを予定している。
 
 その第1部の文化イベントに、あの「ヤマセン」こと山本宣治のひ孫にあたる、山本亜希さんがライブと語りで出演していただくことになった!
 山本亜希さんのポートレートとプロフィールは、以下の通り。
 
 【プロフィール】

1975年10月3日生まれ。京都市出身、東京都世田谷区在住。京都外国語大
学卒業後に上京、フリーライターとして雑誌やインターネット媒体で執筆
するかたわら、アマチュア・バンドのボーカリストとして音楽活動をつづ
けている。テロ後のNYレポート、恋愛観などをつづったコラム集や、ライ
ブの情報などはHPに掲載。 http://tokyo.cool.ne.jp/akiyamamoto/

 政治にあまり関心がない方々をふくめ、有事法制や個人情報保護法案などなど、個人の意思とは関係なく、自由や権利が巨大な権力によって侵害されていくいまの時代をどう生きたらよいのかを、考えあえるような企画にしたいと考えている。一人でも多くの方に参加してほしい。詳しくは、僕の公式サイトでもお知らせしたい。


2002年06月10日(月) つたない歌に涙を流してくれたこと

 午前中は地元の党支部の会議。妻が教え子の結婚式だったため、息子をつれて参加。でも、会議の場所につくなり「おしっこ!」「もう帰りたい」と連発。参加していたみなさんに多大なご迷惑をかけてしまった。
 午後からは、近くの自衛隊駐屯地を「人間の鎖」で包囲する企画があった。もちろん参加するつもりでいたが、息子がねむってしまい参加できず。あとから聞くと、500人以上集まり成功したそうだ。よかった。

 夜は、深谷地域での市政報告と懇談会。12名の方に集まっていただいた。「近くの史跡公園に若い人たちが朝方、バイクを乗り入れたりして騒音がひどい。どうしたものか」「下水道の工事を早くすすめてほしい」「不法投機が改善されていないところがある。環境行政を重視するなら至急手をうつべき」などなど、たくさんのご意見やご要望が寄せられた。可能な限り、議会での活動に反映するようにしたい。

 懇談会の最後、性懲りもなく、ギターによる弾き語りをさせていただいた。時間も迫っていたので、やめておこうか、とも思ったけれど、参加者の方から勧められ、野田淳子さんの『千羽鶴』を歌わせていただいた。
 Fコードの押さえ方が甘くて、演奏のほうは納得できるものではなかった。でも、お母さんと子どもたちの無念に思いを馳せながら、心を込めて歌った。
 私のつたない歌を流してくださった方がいた。感動を与えたのは、私の歌よりも作者の野田淳子さんの力によるものだ。だが、命と平和の大切さを、音楽を通じて広げることができることを実感した。僕は、流していただいた涙を一生忘れないだろう。思い出に残る「デビュー記念日」だった。
 新しい自分が確実に息づいている。その夜は、サッカーW杯で日本が勝った喜びも相まって、興奮してなかなか眠れなかった。


2002年06月09日(日) ひとりでやるから

 
 午前中は、党の会議。午後からは、久しぶりに家族3人で買い物に。前の家で隣に住んでいた家族とバッタリ。向こうも子ども一人の3人家族。しばし懐かしくはなしをする。

 夜は、男声コーラスの練習。夕御飯の準備をはじめたとたん、妻が翌日ある教え子の結婚式の準備で、「買い忘れたものがあるの」といって買い物に飛び出していったので、夕食の準備をしていたら、練習に大幅に遅れてしまった。(みなさんごめんなさい)
 先週までは、風邪などもあいまって、のどを痛め声があまりでなかったが、昨晩は結構声がでた。

 練習を終え、「しんぶん赤旗」の配達を終えて帰宅すると、息子がまだ起きていた。お風呂にも入っていないというので、一緒にザブン。
 最近、息子はなんでも一人でやりたがる。この前も、上手に歯磨きするところをみせてくれたが、昨晩は、髪の毛を洗うのを自分でやりたがる。少しだけシャンプーをつけてあげると、自分でお湯を適当にしみこませ、ゴシゴシやる。同じところばかり洗っているので、最後は僕が仕上げにゴシゴシしてあげた。
 「ひとりでやるから」が最近の息子の口癖になっている。父親としては嬉しい限りだ。


2002年06月08日(土) 久世校区 議会報告会


 午前中は、市町村合併の学習会。議会の代表幹事会で開催が決まっていたものだ。国では、拱手傍観の姿勢ではなく、積極的な問題提起、情報提供という言い方で、合併論議の風を吹かせたい思惑だ。でも、城陽を含め近隣では、そんな気配はいっこうにみられない。学習会の質疑でも「合併の話しをするまえに、税源委譲の問題や国と地方の財政悪化の原因や責任をまず明確にすべきではないか」など、厳しい意見が出されていた。
 今回の学習会の講師は、宇治振興局の自治振興課の課長さん。なんと33歳!東大出身のキャリア。黒い公用車で送り迎えだ。話の中で、「日本は戦後50年をかけて経済的に豊かになったが、その代償も大きい。今後、20〜30年かけて豊かさがもたらした歪みを是正するのに、市町村合併は一つの有効な手段」という主旨の話しをしていた。どれだけ庶民のくらしの実態を実感を持って受け止めてくれているのだろうか?
 講師と受講者という関係ではなくて、いちどゆっくりと話をしてみたいものだ。

 午後からは、上下水道部に調べものに行く。その後は、夜の久世校区の議会報告会の準備に追われた。

 久世校区の議会報告会には、14名の方に参加していただいた。普段あまりお話をすることができなかった方にも参加していただけたことが、うれしかった。
 ニセコ町への視察報告と6月議会の提出議案や焦点、一般質問で取り上げる予定の文化と観光のタイアップに関する問題意識などをぼ僕のほうから最初に報告。
 その後、参加者のみなさんからご意見やご提案をいただいた。
 「城陽市の観光協会がたちあがったが、観光に対する基本姿勢や明確な方針がなにもない。成功するとは思えない」「散歩をする人たちが楽しめるような工夫、古墳や史跡をわかりやすく案内するプレートなどの設置を」など観光に関しても、たくさんのご意見が寄せられた。
 また、文化に関しても、「まちづくりやコミュニティづくり」という観点から、人びとの横のつながりが広がるような政策提起や支援を強めてほしい、などの意見もよせられた。
 さらに、有事法制の問題で、「向日市や大山崎町で市民の声を反映した意見書があげられており、城陽市議会でも、ぜひ積極的な声をあげてほしい」という強い要望もだされた。

 僕は、最初に報告しただけで、あとは口を挟むタイミングを失ってしまうくらい、活発な意見が出された。こういう形での報告会をこれから、こまめにどんどんと開いていきたい。

 最後に、なんと!ギターの弾き語りで野田淳子さんの『千羽鶴』を歌わせていただいた。弾き語りデビューである。こちこちに緊張して、あまり覚えていないが、歌い終わったあとの拍手を聞いたら、やみつきになりそうだった。
 9日は、深谷校区で同じように議会報告会だ。さらに準備をすすめたいし、また歌うぞ!


2002年06月07日(金) 母親思い

 少年少女合唱団の再生にむけてともに活動をしているNさんのお母さまが亡くなられた。Nさんは、毎週プライベートジャーナルを発行し続けている。186号を数え内容も充実しており毎週楽しみにしている。そのメール通信で、突然脳内出血で倒れたことが綴られていたが、事態の急変に驚いた。
 仕事の関係でお通夜にも間に合わず、通夜を終え親族のみなさんがお休みになられているところで御焼香だけさせていただいた。

 御焼香を終えて、家に帰る車の中。Nさんのメール通信でお母さまが倒れられてからの気持ちを綴った文章を思い出し、涙がでてきた。

朝も,母の起き出す音で目覚めていたものだから,母のいない今でも,音が聞こえるような気がしてならない。食事に母が欠けているのにも馴染めない。

 また、実母を亡くした歌手の五木ひろしさんが、先日、お通夜のあとで、号泣しながら「自分にとって、母親はふるさとそのものだった。ふるさとをなくした思いだ。ずっと長生きしてほしかった」と語っていた。

 母親への思いが強ければつよいほど、失ったあとの悲しみも言葉では言い尽くせぬほど深いものがあるにちがいない。
 僕の実母はわけがあって、もうずいぶんと長い間父親と別居が続いている。できることといえば、月々送金をしてあげること(それも滞りがち)ぐらいで、親孝行といえるものもできずにいる。

 自分は、親たちに精一杯の孝行をしているだろうか?

 Nさんのお母さまの遺影に手をあわせながら、心の中でつぶやいた。

 
 


2002年06月06日(木) ギター弾き語りデビューするぞ!

 暑い一日だった。午前中は、党中央委員会総会(第4回)の報告を衛生中継で視聴するために地区委員会へ。
 自民党を変えるといって、総理総裁になった小泉首相は、政治腐敗の問題でも、外交問題でも従来どおり、いや従来以上の自民党政治を続けている。この国民への公約を裏切る態度一つとってみても、小泉内閣は不信任であること、日本共産党はすみやかな解散・総選挙を要求することを、党中央として正式に表明した。
 
 午後からは、市役所で請求していた資料の説明を教育委員会から受ける。まだ整備が終わっていない古墳などの今後をどうするのか、という問題意識から請求していたものだ。
 僕は、用地買収など困難な課題を抱え、時間もかかる問題だからこそ、整備そのものも時間をかけて住民参加で、真に市民に喜ばれる古墳公園として整備をすべきではないか、と考えている。6月議会の一般質問で取り上げてみたい。

 その後、家に帰り、久しぶりにギターを弾いた。約一ヶ月ぶりにさわる。やはり手の感触が元に戻ってしまって、うまく弾けない。僕のギターは一枚の木でつくってあるもので、弦も細く優しい音がする。7日と9日の市政報告の冒頭に、有事法制問題にかかわって、野田淳子さんの「千羽鶴」と山本さとしさんの「ヒロシマの有る国で」を弾き語りで歌わせていただこうと思っている。
 事実上の弾き語りデビューだ。もっと練習しないと、止まってしまうのではという不安もある。

 この日記を読んでいただいている方で、「一度聞いてやろう」という方は、ぜひ足を運んでほしい。

 ●6月7日(金) 午後7時30分〜 城陽団地集会所2F
 ●6月9日(日) 午後7時30分〜 城陽南団地集会所 

 
 
 


2002年06月05日(水) 6月議会 議運開催

6月議会が、11日からはじまる。4日はそれにむけての議会運営委員会だった。今議会では、7549万7000円の一般会計補正予算案などが提案される。この中には、富野幼稚園整備に1700万円、地域住民から要望の強かった清水川改修予算などが盛り込まれた。一方、老朽化した給食センターを新築移転するために、新センターの設計委託にかかる費用5300万円が、今年度と来年度にわたる債務負担行為として計上されている。僕たちは学校給食については、センター方式を改めあたたかくておいしい自校方式への転換を一貫して要求してきているだけに、この予算項目については、関係者のみなさんと十分話し合いを持って慎重に態度を決めていく必要がある、と考えている。

 また、4日の議運ではある議員さんから、助役提案について厳しい一言があった。というのも、3月議会で選出された栗栖助役に続き橋本市長は、議運の席上、「もう一人の助役についても調整が整えば提案したい」旨の発言をした。ところが、その日の地元紙には、「2人目助役に○○○○氏提案へ」の大見出しとともに、「すでに与党会派は基本同意」とも。
 ある議員さんは、「議会がはじまる前から、実名入りでこのような報道されるのは問題。」と指摘。別の議員からも、「本市の情報管理はどうなっているのか?」と厳しい意見がだされた。

 市長は、新聞報道についてはいっさい預かり知らぬこと、事前に情報が流れたことは遺憾であること、などを述べた。
 しかし、今回のようなケースは城陽市にとっては、いわば「常態化」しているのだ。地元紙の報道によって議会や行政が右往左往するとは、いかがなものだろうか。
 しかも、野党である私たちは、蚊帳の外におこうという意図が見え見えだ。こうした閉鎖体質、共産党排除を市民の監視の目のもと、変えていくことがますます重要だ。

 夕べ、息子が「歯磨きするよ」といって、洗面台の前にたって、歯ブラシでゴシゴシはじめた。
 保育園で、上のクラスが歯磨きの練習をするついでに習っているようだ。あまりに器用にみがき、ついでに手で水をすくって、「ガラガラガラ、ぺーッ」とうがいまでするので、妻と一緒にいっぱい拍手をしてあげた。
 すると、余計に得意になって、何度も磨いていた。とても、感動した!


2002年06月04日(火) 『子どもの社会力』を読む

 とても蒸し暑い一日。いくらでも水分がとれてしまう。水分をとるだけ体がだるくなる。自重しなければとおもいながら、つい。午後から、議員団控え室で6月議会にむけての諸準備。
 合間に門脇厚司著『子どもの社会力』を読み終える。詳しい内容は、プライベートサイトの「ブックレビュー」にのせることとして、感想を短く書いておく。

 共感したのは、「いじめ」「学級崩壊」など子どもたちをめぐる深刻な状況の根本原因だ。教育社会学を専門とする著者は、最近のわが国の子どもや若者にみられる変化の特徴は、他者への関心や愛着や信頼感がなく、自分が住む生活世界について具体的なイメージを描けない、とする。「社会的人間として育っていない」「社会をつくり維持していくために必要な何かをなくしているのではないか?」という強烈な問題意識から、著者は、「社会力」を育てる重要性を力説する。

 「社会力」とは、門脇厚司氏の造語である。本書の随所で、「社会力」の概念が紹介されている。いくつかピックアップしてみよう。

本書で私は、社会的動物ないし社会的存在たるに相応しい人間の資質能力を「社会力」と呼ぶことにした。…「社会性」なる用語が、既にある社会に個人として適応する側面に重きをおいた概念であるのに対し、本書で用いる社会力には、一つの社会を作りその社会を維持し運営していく力という意味を込めている。

「社会力」とは何か。端的にいえば、社会を作り、作った社会を運営しつつ、その社会を絶えず作り変えていくために必要な資質や能力ということである。

「社会力」とは、よかれと思う社会を構想し、それを作り、運営し、その社会がさらにいいものに変えていく力であるとした。また、社会力が本来の機能を発揮するには、その下地として十分な他者意識や他者への共感能力が備わっている必要がある。

 「社会力」の乏しさは、何も子どもに限ったことではなく、親など大人が相当に社会力を欠いているのが現状だ、という指摘にはギクッとさせられた。思い当たる節はあげればキリがないからだ。

 人間がもともと社会の中で、人と人との相互の働きかけのなかでしか存在できない動物であること、またそのための高い能力を備えていることなどを様々なデータをもとに実証する。
 「ヒトの子無能説」(著者)にたつイギリスの代表的哲学者ジョン・ロックへの批判や心理学者ピアジェの「ヒトの子は4歳まで自己中心的な見方しかできず、他者の立場でものを考えたりすることはできない」などの理論を最新の研究結果にもとづいて、次つぎと論駁していく箇所などは、刺激的だ。

 では、社会力を形成するために、何が必要か。著者は、「原理的には、生まれた直後から、可能な限り、子どもとの相互行為に努めること」だという。子どもとの応答(子どもが仕掛けてくる様々な意図に敏感に察し、それに応じて適切な行為を返してあげること)が必要だ、と指摘する。
 そのために、世の親、とくに父親に仕事人間、会社人間であることを変えるべきだ、とズバリ提言。
 そして子どもとかかわることに喜びにして、子どもを中心にして、地域の教育力などを高めることが必要だと力説。「CCC運動」(Create the Comunity for Children)=児童・青少年の健全な発達促進モデル地区育成事業)の実践や「ライネル・プラン」などを提案してきた著者の実践が具体的に紹介されている。
 「ライネル・プラン」とは、これも著者の造語で、Life Need Learning Planを短縮したもの。自分がよりよく生きるために必要だから(life-need)学ぶ、自分の今の生活をもっといいものに改善していく必要があるから(life-need)学ぶ、とのメッセージがこめられたものだ。

 個人の切実な欲求や、日常生活で抱えているさまざまな問題や、地域で実現すべき課題にはっきり“答えをだす”ことを目指して学ぶべきで、地域における活動もこのような考え方と学習を踏まえて行うべきだ、と提案している。

 僕が、著者の実践活動として、もっとも興味をひかれたのは、地域活動の拠点としての冒険遊び場づくりである。

 冒険遊び場とは何か。著者はいう。

子どもの身体や、欲求や、行動は、発達段階に応じて、どんどん変化するものであり、また同じ年齢でもその子によって様々に異なるものである。それゆえ、どの子のどのような欲求にも応じることができ、また子どもの欲求を喚起する刺激に富んだ環境こそ、子どもの発達に望ましい」とい哲学にもとづいたつくられた場所ということである。

 専門的教育をうけ、子どもの悩みや遊びの相手になれて、子どもたちと地域の大人たちを引き合わせる役割をも果たす。それが、この冒険遊び場に常駐しているプレイリーダーである。待遇は先生と同じ地方公務員。欧米ではすでに実現している「冒険遊び場づくり」を、東京・世田谷区でも住民があらゆる困難を乗りこえてつくりだしているそうだ。
 少なからぬ住民の苦情に悩まされながら、それでも冒険遊び場を維持しようとするのは、なぜか?
 
 本書の最後で、著者はこう結ぶ。

そこに住む父母たち多くの、「わが子をよく育てたい!」という熱い真剣な思いに違いない。さらには、地域の子は地域で育てようという姿勢であろうし、自分が住む地域をよくしたいという志向ではないかと思う。煎じ詰めれば、地域住民の中に、コミュニティ意識が強くあるということである。

子どもの社会力は、生きることに対する大人たちの前向きな姿勢があり、それから発する強いコミュニティ意識があり、それに根ざした大人たちの地域づくりに連なる様々な活動があり、その中に子どもを取り込みつつ重ねられる大人と子どもの相互行為の過程で育てられ強化されていくのだと考えるべきである。

 考えようによっては、息の長い努力が必要な課題である。
 経済不況やリストラの不安にあえぐ男親たちに、子どもや地域を中心にした生き方を選ぼう、とよびかけて、果たしてすぐに振り向いてもらえるかどうか、不安も残るが、子どもたちの生き生きとした笑顔を思い浮かべるとき、自らがまず実践しなければ、という強烈な問題意識と決意を迫られる一冊だった。


2002年06月03日(月) ヤマセンのこと


 日曜日。午前中は、党の会議。午後からは、妻が右肩の痛みを訴え、休日診療の病院にいったため、息子と二人で家で過ごした。

 僕が所属する日本共産党は、今年の7月15日で党創立80周年を迎える。
 激動の戦前・戦後の日本の中で、80年の歴史を持つ党の存在意義を党内外の人たちと考えあい、「新たな戦争」準備へひた走るいまの政府に正面から立ち向かう決意をこめて、7月の適切な時期に「党創立80周年を記念するイベントを」という話しがもちあがっている。
 詳細はこれからだが、僕の頭にあるテーマに「山宣」こと、山本宣治の生き方をあらためて学びたい、というのがある。

 山本宣治とは、「ヤマセン」の愛称で親しまれた戦前の医学者であり代議士である。「育児制限運動」の提唱者としても知られているが、1928年の普通選挙で代議士に当選するも、最高刑を死刑にするという治安維持法の改悪に反対し、右翼に殺害された。

 山宣ひとり孤塁を守る だが、私は淋しくない 私の背後には大衆が支持しているから

 という言葉はあまりに有名だ。

 先日の「朝日新聞」に、そのヤマセンを曾祖父(ひいおじいちゃん)にもつ若い女性が登場していた。
 その人の名を山本亜希さんという。
 京都の大学を卒業後、シンガーを目指して上京し、現在、年に4〜5回ヴォーカルとしてライブのステージにたっているという。名前を頼りにインターネットで探索したところ、ヴォーカリストという顔だけではなく、「健康で美しく、正しい知識のセックスと出産、そして母子のカンケイ」等々を取材するなど、若い女性を対象に活躍中のライターであることもわかった。

 その山本亜希さんが、新聞の投書欄に「ひいおじいちゃん」について書いたことが、ある老人の目にとまる。老人は、ヤマセンが暗殺をされた瞬間を幼少の頃に目撃をしていた。
 この老人からの手紙をきっかけに、山本亜希さんがヤマセンに興味をもち、感じたことを「朝日」の新聞記事ではコンパクトに紹介している。
 その中で僕が印象的だったのが、「ヤマセンは時代に消されたんだ。」という一言。

 ヤマセンの暗殺現場を目撃した老人も、記事の中でこう語る。

「せめてあとヤマセンのような議員があと10人もいれば、歴史も変わったかもしれない」。

 重い言葉である。

 山本亜希さんとこの老人との対談を企画できないだろうか?これが、僕の密かな思いなのだが、果たしてどうなることか…。


2002年06月02日(日) 体が震えるほどの怒りをもって

 人間にとって大切なこと、それは他者への共感能力である。これは、最近つねに僕が考えていること。行政はもちろん、歴史や法律、政治に携わるものは、自分をとりまく「人間」に対してどう共感し、そこから、未来へ歩むべき道を見い出すのか。社会科学は、このことを問い続ける営み、といえるかもしれない。最近、行政の文化化というテーマに関心をもつのも、文化にとって不可欠な美しいものに感動する「感性」=共感能力が求められる時代になったのではないか、という思いからだ。

 福田官房長官の「非核3原則」見直し発言と小泉首相の「あれは、どうってことはない」と言い放った冷たい態度。一瞬、耳を疑った。しかし、歴史に対する謙虚な反省もなく、医療改悪など国民への「痛み」は当然といって憚らない彼等にとっては、まさに「どうってことはない」事柄なのだ。

 もっともたちが悪いのは、自分の意見をもっているような振りをして、実際の行動は権力者に右顧左眄する態度である。
 有事法制にせよ、「非核3原則」見直し発言にせよ、彼等のこころのうちを支配しているのは、ブッシュ政権の意向にどう沿うか、ということだけだ。

 高校の修学旅行でナガサキに行ったことをあらためて思い出す。そこで出会った3枚の写真が僕の人生を方向づけた。1枚は全身赤くやけただれた少女の写真。二枚目は若いお母さんが赤ちゃんにおっぱいをのませている写真。被爆直後で母親は呆然としており、赤ちゃんはおっぱいを吸う力も弱々しい。そして3枚目は、お兄さんが弟を背負って焼け野原を途方に暮れて歩く写真。ーーー僕に衝撃が走った。もし、この全身やけどの少女が自分の姉だったら、この若いお母さんが自分の母親で弟を背負っている兄が自分の兄貴たちだったら…。
 絶対に許せないと思った。当時、父親の借金問題などで家族がバラバラになりそうで、そのことに悩んでいた僕だったが、家族の絆をバラバラにするもうひとつの社会的な力ーーそれが戦争ではないのか、と考えた。そして、この当時、いのちがけで戦争に反対した政党があったことを知ったのである。

 小泉首相をはじめ、閣僚たちに一番欠けているものは、想像力と共感能力である。それは、普遍的な真理への真摯な態度(たとえば憲法九条)と自分の頭で考え行動する、自立的態度によってこそ、培われ研ぎすまされる。

 こんな内閣のもとで、有事法制などとんでもない。廃案はもちろん、小泉内閣には即刻退陣してもらいたい。体が震える程の怒りをもって、そのために力をつくす。


2002年06月01日(土) 息子のやさしさに ホッ

  
 午後は、市役所で6月議会にむけての調べものなど。視察から帰ってから、風邪ぎみ。というか、視察中からのどが痛くて「コホッ、コホッ」という咳がでていた。ついに、夕べは食事をしてから「少し横にならせて」と妻にいったきり、布団の中で爆睡。
 
うれしいことが2つあった。

 保育園に息子を迎えにいったときのこと。息子は、大きなアスレチックをお友達とのぼっていた。先にてっぺんにのぼりつめた息子は、あと少しのお友達の手を引いて「○○ちゃん、もうちょっと、はい、手につかまって…」とお友達を気づかっていた。親バカと思われるかもしれないが、こういうシーンをみるのがうれしくて仕方がない。
 一人っ子で家に帰るとテレビに向ってビデオばかりをみている息子。友達関係を結べる人間になれるだろうか、思いやりをもった人間に育つだろうか。いま読んでいる『子どもと社会力』が「現代の子どもが社会的発達や言語的発達が明らかに遅れている」などと、あまりにショッキングな指摘をしているものだから少し不安になっていた。親はもちろん大人が積極的に子どもたちとコミュニケーションをとることが大切なのだ。
 僕は、息子のお友達がさしだしてきた小さな紫陽花をティッシュに大切にくるんで、小さな鞄にいれてあげた。そして、息子には車の中で、「お友達がアスレチックをのぼるのを手伝ってくれたところ、みていたよ。やさしい君がお父ちゃんは大好きだよ」とギューとしてあげた。息子のやさしい笑顔をみて、もう一度抱きしめてあげた。

 もうひとつは、メールマガジン第66号を発行したところ、愛読していただいている方から、感想を書いたメールが送られてきた。「文化ホールは1000席を超す大規模なものより400程度の小さいホールのほうが使いがってもよく、市民参加もはかりやすい」という主旨のことを書いたのだが、名古屋の小さな劇団ことなどをひきあいに、共感をよせてくれたものだった。こういうときにネットでつながっている喜びを感じるものだ。

 


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