ヤグネットの毎日
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2002年04月30日(火) 世界の美術品を観る

 29日の午前中、滋賀県信楽町の「MIHO MUSEUM」に家族でいってきた。
 前々から計画していたので、何かと多忙な月末だったのだけれど、片道1時間もあればいけるところだったので思いきっていってきた。

 信楽焼で有名なまちは、沿道にところ狭しと「たぬき」の焼き物などが並ぶ。そららもゆっくりみたかったけれど、時間の都合でまたの機会とした。
国道307号線をとおり、信楽町の中心街をしばらく走ると「陶芸の森」がある。その手前、県道12号線に入ると、緑に包まれた長い坂道が続く。新緑が鮮やかで気持ちがいい。県道12号線を10分ほど走ると「MIHO MUSEUM」に到着だ。

 今回のお目当ては、「MIHO MUSEUM」で春季特別展として開催されている「永青文庫 細川家の名宝」。
かの有名な細川家伝来の美術工芸品を後世に伝える「永青文庫」の所蔵品のうち、国宝や重文など一級の美術品を鑑賞できるとのこと。妻の同僚から紹介されていたものだ。

 たしかに目を見張るもの作品ばかり。とくに国宝の「時雨螺鈿鞍」が印象的だった。わかりやすくいうと馬にのるさいの鞍のことだが、鎌倉時代の作品で、黒漆を塗り、螺鈿(貝殻の光沢のある内側をもちいたもの)だけで両輪外側に模様を刻んでいる。
 解説を読むと、その絵柄は『新古今和歌集』におさめられた慈円の歌「わが恋は松を時雨れのそめかねて 眞葛が原に風騒ぐなり」のイメージをデザインしたものだという。これが国とりに命をかける武人の鞍に刻まれているのだから、「戦の舞台と恋歌のデザイン」のコントラストに思わず笑った。
 息子も、思わず「りっぱやね〜」。ほんとにわかっていってるのか?
 
 特別展以外でも、この美術館ではエジプト、中国、ペルシャ、西アジア、南アジアなど世界の美術品が展示されている。最近仏像に興味を持ちはじめた僕は、南アジアの仏立像の表情が西洋的にみえたことなどが印象的だった。また、如来座像の美しさにもしばしみとれた。

 全体を通じて浮かんだ言葉が、「精緻」。どの作品も細かいところまで描ききってある。自分にはできないことだけに、驚きの連続だった。

 エントランスホールから見える巨大な塔が気になったので、妻が帰り際受付の女性に聞いた。
 「この美術館を運営している経営母体である宗教法人の施設です」とのこと。資料を読むと、その巨大な塔の奥には、ある新興宗教の本部があるらしい。
 そうか。ここは、ある新興宗教の関連法人の施設だったのだ。
 少し興醒めがしたけれど、それによって世界の美術品の価値が変わるわけでもない。息子も鳥の絵をみては「鳥がないているよ〜」などと、自分が感じたことを表現したりして結構楽しんでいたし、有意義なひとときだった。
 また、僕は特定の信仰はもっていないけれど、現世での平和の成就のために、宗教者と力をあわせるのはとても大切なことだと思っている。もちろん、カルト集団など偽宗教団体は別だが。

 午後からは、有事法制の署名と有事法制ノーの論陣をはる「しんぶん赤旗」を広げるために地域をまわった。「まわりの人から集めるよ」と快く署名を預かってくれたこと「母親が民商にお世話になっていた」「共産党の考え方すきです!」といって、快く新聞を購読してくれるなど、うれしい出会いや会話があった。


2002年04月29日(月) 同世代と生きる

昨日は、大学時代いらいの後輩である“同志”N君と、20代の女性に党に入りませんか?というよびかけのお話をさせていただいた。
 N君とは、顔をあわせて話をするのは久しぶり。女性を前に有事法制の危険性や政治や社会を変えるために力をあわせようと、二人で熱く訴えた。立命館大学での学生時代を懐かしく思い出した。

 夜、その後輩の彼からメールが届いていた。

 まえに日記に書いた「イズミヤでの息子のバトル」など、子育ての苦労話しに共感をよせてくれたものだった。息子さんが喘息で咳がはげしくなるときがあり、薬を飲ませる時に嫌がる子どもにスポイトで口にねじこもうとする自分をふりかえりながら、笑顔を見せているときは、「かわいい、かわいい」とかわいがるのに、自分の思う通りにならないと、ひどい仕打ちをしてしまうことに、「なんと身勝手な父親なんだ」と悔いることがあるーーそう書かれてあった。読んでいて、涙がこぼれてきた。
 また、彼のメールには、「我々はバブル世代」という言葉で、僕たち80年代後半から90年代に学生時代を過ごし社会に出ていった世代の固有の困難を表現していた。
 「リストラ、子育て、もう5年10年すれば親の世話をどうするかという問題が浮上してくる−−など悪政の矛盾を体験中」ということだ。まさにそうだ。そして、僕はもう一つ、この世代の「固有の課題」として、「群れる」ことへの抵抗、組織を好まない人たちが多くなりはじめた世代という特徴づけができるのではないか、と思っている。それは、受験競争など詰め込みと受験教育の弊害、地域社会が崩れはじめ、核家族化が一気にすすみはじめたことなどが、その要因となっているのではないか。

 だからこそ、僕は、それぞれが生きる「毎日」の日常から、共感、共振の重ねあいを広げていくことが特に大切になっていると思うのだ。
 
 「生身の人間・父として七転八倒しながら議員を続けるパパさん市議・矢口雅章の姿、京都市から見つめています」と彼のメールは結ばれていた。さらに、「愚直な姿が必ず共感呼ぶと思います。」ともあった。

 70年代から21世紀初頭。高度経済成長を過ぎ、バブル経済に踊らされ、考えてみれば、「人間らしく」生きることが、脇におかれがちだった、僕たちの世代。
 だからこそ、いまふたたび、「人間らしく生きるとは」を問いかけることがますます大切になっているのだと思う。僕が、フォークソングにどうしようもなくひかれる理由も、そんなところにあるのかもしれない。
 同世代として、N君とも共感、共振、ともに励ましあいながら生きていきたい。


2002年04月27日(土) 写真付きの日記を書きたい

 写真つきの日記を書きたいと漠然と思っていた。木村伊兵衛賞を受賞した川内倫子さんが、「写真を撮るのは自分をみつめること」と新聞のインタビューでこたえていた。これまで、写真といえばとかく技術的なことばかりに気をとられていて(もちろんこれ自体大事なことだけれど)、写真をとった人間に思いを馳せることなど、考えるに至らなかった。デジタルカメラの普及によって誰もが日常を気軽に切り取って写すことができるようになった。
 今回、試みに載せたのは家の庭に植えたチューリップ。体いっぱいに太陽の光を浴びようとする姿が、とても前向きに見えた。
 活動報告なども適宜、写真でお伝えするようにしたい。毎回とはならなくても写真つきの日記にも挑戦して、自分をみつめることに役立てたい。


2002年04月26日(金) 知性と理性


 前にも書いたとおり、昨夕同志社大学の学生さんを前に「有事法制」についてお話をする機会があり、十分準備できたとは言いがたかったけれど、約1時間ほどお話させていただいた。
 なぜいま、小泉内閣のもとで有事法制か?、有事法制の歴史をふりかえる、有事法制で国民のくらしや権利はどうなるのか?などをおおまかに話をし、後半駆け足で「なぜ学ぶのか?」にふれて、次のように話した。

○学習し、分析し、課題を自ら設定し、主体的に行動するためにこそ学びましょう。
          
「学習権とは、読み書きの権利であり、質問し分析する権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、教育の手だてを得る権利であり、個人および集団の力量を発達させる権利である。(中略)学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである」。
               (「ユネスコ学習権宣言」抜粋、1985年)

○有事法制は、まさに「人間行為を出来事のなすままにされ客体」のままにさせる企みです。自分自身の歴史を主体的に創るためにも、有事法制についても大いに学び、歴史を前にすすめることに役立つ学習をして下さい」

 質疑のなかで、「講議である教授が戦争などなくらない」と話していたが、あなたはどう思うか?という質問があった。普段、「戦争はなくすべきだ」という立場から考え行動していた自分にとって、この質問はとても意外で即答に窮してしまった。
 将来のことなので、戦争をなくせるかどうかの未来図を書くことができないけれど、戦争によってしか紛争を解決できないという結論もまた一面的ではないか」と答えたが、あとで一緒に参加していた方が、「少なくとも人類は、武力によって争いごとの解決はならないししてはならないことをこの100年の歴史の中で学んできたのではないか。それが人類の到達ならば、英知を集めて戦争を起こさない方向に働きかけることこそ大切ではないだろうか」とフォローしてくれた。
 なんて、うまい表現なんだろうと感激し、僕のほうが学ばせてもらった。

 それにしても、大学の教壇で「戦争などなくならない」と述べる教授の「知性と理性」はいかがなものだろう?学問の世界ゆえ物事を相対的にとらえる視点も大切だろうが、戦争はまさに人間の理性を暴力で押さえ込むもの。
 なぜ戦争が起きるのかを科学的にとらえるうえでの知性が必要だし、どうすれば戦争をなくすことができるのかを探究することこそ学問にたずさわるものがとるべき態度ではないだろうか?
 未来ある学生に、学問を究める研究者が「戦争はなくならない」とネガティブな自説を述べて、実のある結論がでるとは思えない。 

 いずれにしても、若い人たちといろんな話しができて本当に刺激的な時間だった。もっと、深く勉強を重ねなくてはならないな、と痛感もした学習会だった。






2002年04月25日(木) 「大きな歌」

 5月12日に息子が通う保育園の保護者会総会がある。冒頭に、みんなで歌おうのコーナーがある。三役のなかでOKがとれれば、「大きな歌」を歌いたいと思っている。
 「大きな歌」は、小学校の音楽の教科書にものるほど、今日ではあまりに有名な歌である。
作者の中島光一さんは、僕の日記に頻繁にでてくる歌手の野田淳子さんの「人生の伴侶」である。
 最近、「大きな歌」をタイトルにしたホームページのサイトを訪問する機会があった。学生時代、銭湯で男の子の頭を洗ってあげているお父さんの姿が「大きな歌」をつくるきっかけだったことなど、「大きな歌」誕生秘話も書かれてあって興味深い。ぜひ、一度のぞいてみてほしい。

 http://www.asahi-net.or.jp/~fp4h-knzw/harue/
 
 このサイトでも紹介されているが、音楽の教科書には、「大きな歌」の歌詞は3番までしか載せられていない。しかし、ほんとうは7番までこの歌はある。中島さんが訴えたかったのは、歌詞の後半にあるということなのだ。
 
 中島光一さんは、言う。
「しょせん歌で世の中が変わることはないけれど、一生懸命生きようと願う人々を励ましたり慰めたりすることができるはず・・・。」

 この思いで40年歌い続けている。僕も少しでもこの生き方に近づけたら、と思う。


2002年04月24日(水) 自尊心とたまご焼き

 昨日は、子育てについて考えさせられる一日だった。できるだけありのままに昨日の出来事を書き留めておきたい。

 僕の妻(つまり息子の母親)は、今年から新しい学校に転勤となり、今週は家庭訪問がびっしり詰まっている。1年生の担任ということもあり、家でも仕事をしたりするなど慌ただしい。
 ここ数日も妻は、夜ゴソゴソと仕事。神経質な息子は脇に母親がいないと寝つけないのか、布団に入っても12時ごろまで起きている日が続いた。

 先週も「ちょっと眠いから保育園お休み」と保育園を休んだ息子が、昨日も「眠たいからお休みする」と言い出した。母親は学校があるので先にでて、いつもの通り僕と息子だけに。

 「今日は、お父ちゃんお仕事があるから保育園休めないよ。」と僕。

 9時には間に合いそうもなかったので、保育園に遅刻の電話を一本いれた。9時前。まだ、息子はゴロゴロして、ビデオを見たいといっている。

 だんだん僕もイライラしてきて、言葉もきつくなってしまう。
 
 「お父ちゃんに協力してくれよ!。なんで、保育園に行かないの?!」
 なんどいっても、「眠たいから、今日はお休みする」としかいわない。

 ついに(いつものように)折れた僕は、保育園に電話をしてお休みする旨を伝えた。

 息子を抱き上げると、なぜか涙があふれてきた。なかなか自分の思う通りに動いてくれない息子に対して、つい大声をはりあげてしまう。その原因は、たいがい僕の体裁を気にする「自尊心」からくるものなのだ。
 「こんなにしょっちゅう保育園を休ませたら、『お父さんお仕事忙しくないのかしら?』と思われるのでは」
 「保育園にいきたくない、というのは集団生活になじめない子なのだろうか?将来はどうなのだろう?集団の大切を普段から説く者の子どもが集団になじめない子に育っている、などと言われたら…」。

 そんなちっぽけな自尊心にとらわれている自分が情けなく、息子を大きく包み込んであげられずに、感情をコントロールできずヒステリックに叫ぶ自分がイヤで、息子を抱き上げたとたん、涙が自然にこぼれてきた。
 「お父ちゃん、なんか涙がみえているよ。」といって、両手で僕の目を隠した息子の仕草を見て、涙がまたあふれだした。
 
 その後、市役所に行く用事があったので、息子を連れていき、そのあと「イズミヤ」に行くことにした。
 いま思うと「イズミヤに行こうか?」と息子の歓心を買うためにかけた、この一声が失敗のもとだった。

 イズミヤには、息子のお目当てのおもちゃがある。この前の日曜日にいったときには、「また今度にしようね」と納得させたはずだった。ところが、息子は、お目当てのおもちゃを買うといってきかない。フロアーに大の字になって、「買って買って買って〜」とおねだりをする。
 こうなると、また僕の「まわりを気にする」自尊心がむくむくと沸き上がる。
 
 また僕は、敗北。

 お昼をイズミヤの地下で食べて、家に帰ろうとしたときだ。
 「ソフトクリーム食べたい」といいはじめたので、買ってあげたのに食べようともせず、フロアーを走りはじめた。
 ようやくつかまえると、「おしっこでパンツがぬれたので取り替えたい」といいはじめる始末。

 ついに、僕の怒りが頂点に達した。「いいかげんにしろ!!」店内に、怒りの声を響かせてしまった。

 想像してほしい。片方の手にソフトクリームを抱え、もう片方におもちゃを買った買い物袋をネクタイをした男が子どもを追いかけて、バタバタとしている。ソフトクリームとはとけはじめて、買い物袋にポタポタと垂れはじめた。焦る僕、それに比例して泣き声も大きなったいった。
 息子の服をぎゅっとつかまえた僕は、息子が泣き叫ぶのも聞き入れず、片手に抱えてイズミヤを離れた。

 頭に血がのぼっていた。買い物客の何人かが、「何ごとか」と驚いた様子でみていただろう。
 狭いまちだから、僕が議員であることを知っている人も見ていたかも知れない。平日のこんな時間に、買い物袋抱えて、子どもが泣叫ぶのに無理矢理ひっぱって… 

 「まわりの人はどう思うだろう?恥ずかしい…」そんなことが、頭のなかをグルグルと渦巻く。
 泣叫ぶ息子を家に連れて帰ると、服を着替えさせてしばらくすると、息子は寝息をたてはじめた。

 夕方、妻が帰って、一部始終を伝えた。
 息子の歓心を買うために、イズミヤに連れていったことが失敗のもとだ、と言われた。子どもに向き合っているようだが、それは、ある意味で「いなし」なのだ。
 
 せめてドライブでもしながら、保育園でどんなことをして遊んでいるのか、どんなことが楽しいかを詳しく聞いてあげるようなことをすべきだったと反省した。

 子どもに正面から向き合うということは、子どもをありのままに受け止めてあげることだろう。それは、歓心を買ったり、何でも言うことを聞いてあげることとは違う。
 まず、子どもの話を聞いてあげることであり、それに対して親である自分はどうしたいか、どうしてほしいのかを粘り強く語りかけていくことだろう。
 率直さが大事だと思うのに、僕は自分の自尊心から、息子に自分の思いだけを一方的に押し付けるだけになっていなかったか?。
 自尊心は自己嫌悪と表裏一体だ。昨日は、自分が情けなくて嫌でたまらなくて、その後もたまっているデスクワークもあまり進まなかった。
 子どもを自分の未熟さや都合だけで叱り飛ばしてはいけない。頭で分かっていても…と自分を責めた。本当に未熟な父親である自分がイヤだった。
 
 夕食のときだ。

 母親が息子に、「なんで保育園いかなかった?」と聞いてみた。息子は「ねむかったの」とポツリ。

「それだけ?」とさらに母親が聞くと、「お友達にパンチをもらったりする。だからイヤ」と言いはじめた。母親がよくよく聞いてみると、息子がいつも「えいや〜っ!」とお友達にたたかいを挑んでいくのだが、たいがい相手のほうが強くて自分がたたかれてしまう。それがイヤだったようだ。
 「でも、それはあなたがたたかいをしかけていくからでしょ。自分がイヤだったら、お友達もイヤなのよ。だから、もう自分からたたかいをしかけたらダメだよ」と母親がやさしくいうと、「わかったよ〜〜」としおらしく答えていた。

 そのやりとりを聞いていて、僕は自分の力不足を恥じた。
 夜寝る前に、息子は母親に促されて「お父ちゃんごめんね」といってくれた。僕が涙で枕をぬらしたのは、ご想像のとおりだ。
 
 翌朝(つまり今朝)、息子のためにたまご焼きをつくってあげた。妻は「おいしい!」とほめてくれたが、息子は、「ちょっと味がないよこの卵焼き」と一蹴。
 まあ、いいさ。その率直さこそ、父子にとっては大切なのだ。
 元気に今朝、息子が保育園にいってくれた。僕は、自分の弱点が洗い出されるこの子育てに、ひるまずに挑んでいこう、とあらためて思った。 


2002年04月23日(火) 久しぶりに学生さんに話しするゾ


 急な話だけれど、4月25日(木)に同志社大学の新入生を対象に、「有事法制」について話しをすることになった。弁護士さんなど、あいにく適当な人がなくお鉢が僕に回ってきた格好だ。
 僕は、有事法制そのものについてはそんなに勉強をしているわけではない。でも、この間感じているのは、「平和とは一人ひとりの内側から広がっていく」ということ。

毎日の暮らしの中で、僕たちはどういう時に「ピースな気分」を感じるだろうか?僕は、有事法制の問題を一つ切り口にしながら、「子育ての中での平和とは何だろう?」「食の中での平和とは何だろう?」「教育の中での平和とは何だろう?」ということを、新入生とともに考えたいと思っている。
 そして、平和への思いをそれぞれが思いおもいの方法で形にすることをよびかけようと思っている。
 最後に、学生時代になにを学ぶのか?についても、僕なりのメッセージを伝えたい。

 「自分を高めることと社会に貢献することを結びつけるための学問をもっとも自由な学生時代に。そして、その自由な時代を誰からも束縛されないためにも、この有事法制に関心をもってみなさんなり立ち上がってほしい」と。

 ギターを持っていって、ひそかに「千羽鶴」を歌ってしまおうかと、「秘策」も練っている。
 


2002年04月22日(月) ビバ!やましろ健康まつり

21日は「やましろ健康まつり」に参加した。
 宇治市以南の山城地域を対象として地域医療に献身的に取り組んでいる「やましろ医療生活協同組合」が実行委員会をつくって毎年開催しているもので、今年で7回目となる。
 無料の健康チェックやバラエティにとんだ出店、バザーは毎年掘り出し物が出品され人気のコーナーとなっている。今年も開店前に長い行列ができるほどだった。
 そして、舞台でのコンサートなど盛り沢山の企画である。僕は、地域の音楽サークル「どんぐり」の助っ人として舞台に立たせていただいた。あいにく今年は雨となってしまい、舞台は「あさくら診療所」のホールに変更になったが、席はほぼ満席。滝廉太郎の「花」、「forever」、そして「四季の歌」を会場のみなさんと一緒に歌った。
 健康は何ものにもかえがたいもの。相次ぐ医療改悪で、声をあげなければ命すら守れないという状況のもとで、地域で「健康」をキーワードに住民とむすびつき助け合う、医療生協活動はますます大切である。
 音楽、健康、平和、協同。こうしたテーマをうまく結び付けて大きな輪になって広がればいいな、そんなことを考えながら舞台で思いきりお腹の底から声を出した。
 このすばらしい「まつり」がますます発展するよう、僕も微力ながらがんばりたい。

 


2002年04月21日(日) ホームページ開設1周年

4月20日で、僕の公式サイトを立ち上げてちょうど1年になる。
 情報公開や双方向型のコミュニケーションというネットの利点を生かして、自分の議会活動を多くの方がたに知ってもらいたい、というのがそもそもの出発だった。
 実は、自分のホームページを立ち上げたのには、もう一つねらいがあった。それは、議会活動はもちろんだが、ありのままの僕の姿をぜひ知ってもらいたいということだ。
 むろん、ネットの世界だけでは限界があるのは承知のうえだが、なぜ自分が日本共産党に所属する議員なのか、自分の政治信条はどういう思いから形成されたものかを、ホームページを見ていただくことで少しでも理解してもらえれば、という思いがあった。

 「あったか政治メールマガジン」は62号まで発行し日記はほぼ毎日更新、今年からは読書の感想や音楽のことなどを中心にプライベートサイトも立ち上げた。
 アクセス数は、8200を超えた。もともと、飽きっぽい性格の僕が一年間も続けて来れたのは、わざわざサイトに訪問し、共感、意見、苦情、などアクセスをしてくれた、多くのみなさんのおかげだと思っている。

 子育て真っ最中の僕は、すぐに息子を叱りつけたり、言葉が不足していたり、息子の相手をしていて仕事が十分にこなせなかったりなど、自分の未熟さを痛感することがとても多い。
 ひとの命を育むことに、どれだけ社会が十分な環境をつくることができるか--これは、社会の発展の重要なバロメーターではないか、と最近つくづく思う。子育てを通じて自分の未熟さを自覚した上で、自分を高め社会を変えていく地道な活動にこれからも全力でとりくんでいきたい。


2002年04月20日(土) ユーホニュアム、テューバの音色に魅了

 昼間、郵便ポストをあけると、僕の出身高校の“後輩”から郵便物が届いていた。
 あけてみると、音楽CDだった。
 “ラスティック・バリ・テューバ・アンサンブル”という、ユーホニュアムとテューバの四重奏アンサブル。
 なんと、茨城高校時代の吹奏楽部の先輩たちが中心になってつくったバンドのオリジナルディスクだった。「久しぶりにユーフォ・チューバの響きを楽しんではどうでしょうか」という後輩からのメッセージが添えられていた。

 ユーホニュアムやテューバというのは、トランペットやクラリネットなどとくらべれば、ブラスバンドではどちらかというと影の薄い存在と思われている。ベース音を刻んだりなど、「縁の下の力持ち」とでもいえるかもしれない。
 ところが、このCDでは、ユーフォ・チューバはトランペットやクラリネットのように、いやそれ以上に豊かにメロディーを歌い上げ、男声コーラスのような重厚なハーモニーを織りなしている。
 どの社会や分野でもそうだが、「縁の下の力もち」は、もっとも表現力やアピール力をもちあわせ、全体を視野に入れる能力があるからこそ、その役割を果たせるものだと思うのだが、音楽の分野で見事にそのことを証明しているのが、このバンドではないだろうか。
 
 高校時代に、楽譜から曲のイメージを読み取り、それをどれだけ朗々と豊かに表現するのかに、こだわった練習を思い出した。その「豊かさと朗々さ」がこのCD全体に満ちあふれているようだ。
 
 このCDには、「グリーンスリーブス」や「フニクリ・フニクラ・ファンタジー」など有名な曲もおさめられているが、僕がとくに気に入ったのがドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」。
 曲の解説には、「静かな美しい景色の中にいる少女の情景を連想させる」とある。 

 CDをかけている部屋いっぱいに、ユーホニュアムの甘くてとろけるような音色が響く。
 
 高校時代に一緒に音楽活動を共にした仲間が、こうして日本を代表するアンサンブルバンドとして活躍をしていることを知って、とても嬉しくなった。
 同じ時代をともに生きた者の一人として、いまの僕にできることは、なんだろう。
 より美しく、完成された作品をつくろうとみんなが心をひとつにして練習に励んだ、その精神を思い起こしいつまでも心の中に持ち続けることではないか、と思った。

 すばらしいCDを贈ってくれた、後輩にもあらためて心から感謝したい。


2002年04月19日(金) 「ヤミ金」へ取り締まりの強化を

以前にも書いたが、ヤミ金による被害があとをたたない。
 昨今の不況の影響は市民生活に深刻な影響をあたえ、生活苦にあえぐ市民の弱みにつけこみ「トサン」・「トゴ」(金利が十日で三割〜五割)など、出資法違反の超高金利で貸し付け、事例にるような恐怖のとりたてや、さらなる貸し付けの強要などによって市民生活を脅かしているのが実態だ。
 そして、相談の多くが「サラ金」被害から「ヤミ金」被害へと拡大している。

 「取り立てに家に来て、近所に聞こえるように大声で怒鳴って返済を迫ったり、ドアなどにチラシを貼られた。」
 「会社まで電話をしてきて、会社にいられなくなった。」

 など、事態は深刻である。
 
 昨日は、党議員団として団長の奥村守議員が、地元の警察署に

1、「ヤミ金」はもともと違法であり、捜査・摘発と取り締まりを行うこと。
2、債務者の相談に対して、適切な指導・対応を行うこと。
3、通報に対して、速やかな対応をすること。
4、「ヤミ金」のチラシが集合住宅(団地)に多くまかれており、取り締まること。

 という4つの内容で申し入れにいった。
 ところが、地元警察では、「この類いの申し入れは府警本部にもっていってほしい」「申し入れを受けるまでもなく、相談があればその都度対応させていただく」などの理由で、申し入れ書そのものも受け取ることをしなかった。 

 印象でものをいったらいけないかもしれないが、
 「『ヤミ金』とはいえ一つのビジネス。
 借りた以上、元本と法定利息ぐらは返済しなければ、ヤミ金のほうでもおさまりがつかないし、押さえもきかない。」と「どっちもどっち」論にたって、ヤミ金が違法な存在である、という立場が今一つ鮮明でないような印象をうけた。もっと、事態は深刻であり市民の安心と安全を守る本来の役割を発揮していただきたい。

 


2002年04月18日(木) ちょっと眠たいから保育園お休み

 17日の朝のことだった。
 いつものように、保育園にいく準備を万端整え、息子の着替えも終わったとき。
 朝起きた時から、だるそうにしていた息子だったが、積極的に動こうとしない。
 「どうしたの?しんどいの?」と聞くと、
 「ちょっと眠たいの、だから保育園はお休みするの」と息子。

 妻は学校に間に合わないので先にでた。
 4月になって新しいクラスになり新しいお友達に出会って、
 わーっと過ぎた二週間。
 子どもたちも神経を使って、ちょっと疲れているのかもしれない。
 僕は、なんとか仕事をやりくりして息子につきあうことにした。

 二週間も発行できずにいたメールマガジンや公式サイトの更新などを
 息子がぐっすり眠っている間に、こなした。
 明日以降の仕事がたまってしまうけれど、

 息子からの信号を可能なかぎりキャッチし、受け止めてあげたいと思っている。
 


2002年04月17日(水) ユージ立法NO!

 小泉内閣は16日の夜、有事法制関連3法案を閣議決定した。今国会での成立をめざすということだが、僕は声を大きくしてNO!といいたい。

 「有事」などという言葉がわかりづらい。ズバリこれは、戦争法なのだ。
 そして、有事立法とは、戦争に反対する国民を処罰することを可能にする、とんでもない法律なのである。
 もともと、日本は侵略戦争への痛切な反省から、戦争を放棄する日本国憲法を世界に宣言した。
 
 戦争は生命や財産など、何人にも侵すことができない基本的人権を平気で奪う、人類に対する最大の犯罪である。武力による戦争だけが紛争の解決の手段ではない、9・11のテロ以来、多くの心ある人びとが暴力の連鎖を指弾し、話し合いによる紛争解決の必要性を世界各地で訴えているときに、こともあろうに憲法九条をもつ日本が、「戦争ができる普通の国家」(韓国のメディア)をめざして有事立法とは!
 
 アメリカと一緒になって戦争ができる国家づくり。こうすることで、グローバリズムで世界経済を支配するアメリカと日本の多国籍企業の覇権をより強固なものにしたいーー日米の支配勢力のごう慢な「欲望」。
 
 ならば、声をあげよう!
 人が生きる権利、美しい自然環境を後世に残し続けること、人を殺めてはならないという当たり前だが強力な倫理、そして人類は暴力によらず争いを解決できること。
 これらは、どんな力によっても制限したり、否定したり、奪うことはできないということを。

 学習会をはじめ宣伝やイベントなどをどんどん開いていきたい。一緒に力をあわせてくれる人はいないだろうか?ぜひ声をかけてほしい。


2002年04月16日(火) 読みごたえ抜群の小説「日本崩壊」

四六製・二段組で509ページ。読書が好きな方なら、本の厚みや重さまで想像つくだろう。本の厚みだけではなく、テーマやストーリーといい十分読みごたえのある小説をようやく読み終えた。
 というのは、この小説を購入したのは昨年の年末。年明けから読みはじめたのだが、選挙や議会等で、じっくり読む機会を失ってしまっていたのだ。

 2003年6月。総選挙の投票日を一週間後に控えた日本政界が小説の舞台。政治経済の設定が妙にリアルだ。
 
表紙に掲載されたストーリーから一部引用する。

 「日本経済は膨大な国債の急激な格付け低下にともなって、国債、株、円がトリプル暴落し、戦後最大の危機に突入した。デフレは一気にハイパー・インフレーションへと転じ、リストラが横行、失業率は高まり、増税と社会保障費の削減で、市民の家計は困窮の度を増した。連立与党の支持率は、10%を割り、6月29日に予定されている衆議院選挙ではその敗北が確実視されていた。」

 権力の座から引きずりおろされる人物や組織がいかに醜く、手段を選ばない方法で保身に走るものか。さきの京都府知事選挙での出所不明の謀略ビラやあからさまなデマの口コミの流布などで、多くの有権者が目撃をしているところだ。
 この小説では、政権にしがみつく勢力の数々の権謀術策が次々と展開される。政権党である自進党幹事長の伊藤氏の陰謀による首相の令嬢の誘拐をはじめ、自衛艦による北朝鮮のスパイ船の撃沈作戦の計画、インフレを人為的に急激に加速させることで財政赤字を帳消しにする秘策等々。これらのスピーディーでリアルな描写は、まるで映画館でスクリーンを見上げているかのような錯覚に陥らせる。
 選挙戦のなかでは、インターネットを活用した「真実新聞」を中心に、市民勢力がたちあがって「市民政府綱領」なるものが発表され、政権の交代と政治の転換がよびかけられる。
 長く続いた自進党を中心とした政権を打倒してパニックにある国民の心理を安定させ、国民生活を守りながら財政を建て直す具体的な道すじを明らかにした「市民政府綱領」は、まさに現代の日本の政治を改革していくプランといっても過言ではない。
 
 この小説では、「誰が日本の政治と経済を破たんさせたのか?」「『滅びの業火』に向かって舵を切ったものはだれか?」を読者に問いかけ、「まだ間に合う」ことを提唱している。
 長くなるので、結論だけを書く。
 今日の日本経済と政治の危機の最大の原因は、政官財複合体による「土建破滅型国家」を形成したことであり、そして、利権の旨味を忘れられない政治家や官僚が、自らの権力の座を維持するためにのみ汲々としていることだ。そのことを、この小説は見事に喝破している。
 
 では、どうするのか?
 小説では、「土建破滅型国家」から「民主的福祉国家」への転換が唱われている。10年間で公共事業を半減にする。総額ありきの方法ではなく、真に必要な公共事業を積み上げる方式へと転換させる。そして、今後の公共事業は、国主導の巨大事業から、自治体による地域密着・福祉型公共事業への質的な転換を図ることとする。自治体によるこうした事業には、高齢者用施設、保育所、学童保育所などから、市街地や駅のバリアフリー化、木造住宅の低層住宅への公的資金による建て替え、路面電車の導入など多岐にわたる。

 今日、新聞やマスコミをにぎわせている「疑惑報道」の核心は、この政官財複合体による「土建破滅型国家」を21世紀も続けることで、国民の暮らしや平和を守れるのか?、これが国民みんなの前に問われていることなのだ、あらためてそう思った。
 そして、日本共産党が暴露した「機密費」を私的に流用し背広代、花代、餞別などの名目で国会対策にも使われいたというのは、権力の中枢部が私たちの税金を食い物にしながら、この「土建破滅型国家」、(僕は加えてアメリカ言いなりの国家体制)を維持するために奔走していることの、何よりも決定的な証明となるものなのだ。

 「疑惑を追及するより、経済問題や外交の問題を国会で論議してほしい」とテレビのコメンテーターが最近よくいうが、「あれかこれか」の議論ではなく、日本の政治や経済の根本をなす問題がこの機密費問題など、税金の私的流用問題なのだ。どちらも徹底してやることが、大切ではないのか。

 さあ、僕たちは、手後れになる前に、「民主的福祉国家」への転換をはかるために大きく舵を切りなおそう!
 


2002年04月15日(月) 音楽療法の実践を見学

 僕の大学時代からの友人のたぬぽんさんの紹介で、奈良で音楽療法を生かした親子サークルを開いている方の実践を見学させていただくため、14日は朝から奈良へ足を運んだ。
 たぬぽんさんは、僕の学生時代を語るさいに、なくてはならない人。 
 彼の結婚式にも出席させてもらって、その後、ネットでの交流を深めているが、ゆっくり話をするのは久しぶり。朝9時30分にたぬぽんさんと近鉄高の原駅で待ち合わせをしていたのだが、いま読んでいる「日本崩壊」という本のおもしろさに気をとられ、不覚にも乗り過ごし。あわてて引き返し、たぬぽんさんとの感動的な再会が「ごめんなさい」とのお詫びから入ることになってしまった。

 先生とは初対面。たぬぽんさんは、音楽担当でオーディオデッキを操作し、僕はビデオを回す役をまかされ、緊張した面持ちで会はスタートした。
 
 大きなバルーンを会場いっぱいに広げてリズムにあわせて上下させたりウェーブさせたり。
 鈴を使って両腕を回したり、みんなで電車を作ったり、ブリッジをつくったり。
 森のなかの水車が回る音に耳をすまして、気分を落ち着かせたり。
 大小さまざまにふくらむシャボン玉をしずかに目でおいかけたり、
 ボールを床にゆっくり転がして先生とキャッチボールをしたり。

 撮影していると、一緒にリズムをとったりすることはできない。その分、ビデオのモニターを見つめているといろんなことがみえてきた。
 
 最初は、やや落ち着きがなかった子どもたちも会が終わるころには、ゆったりとした雰囲気に。
 ずーっと窓辺にたって、外の風景を眺めていた男の子。
 「こんなことやってられないよ!」という態度をからだ一杯に表現していたのに、途中からは鈴を使ってリズムをとったり、先生とのボールのやりとりでは上手にきめていた。

 なかなか集中できない子どもに、少しやきもきしていた、あるお母さん。悲しそうな表情もみえていたのが、最後のシャボン玉を子どもと一緒に追いかける目に笑みがもどっていた。よかった。
 
 何よりも、参加した僕自身が癒され、やさしい気持ちになれた。

 会が終了後、先生とたぬぽんさんと3人で食事をしながら、いろいろ話を聞かせていただいた。
 M先生が実践されている音楽療法は、おもに知的障害をもつ子どもが情緒の安定や身体機能などの発達促進をめざすのがねらいだが、いっしょに参加する保護者が子どもとより良好な関係をつくることや保護者自身のリラクゼーションにも効果を発揮している、ということだ。音楽療法でセラピストはお父さん、お母さんであり自分はコーディネーターである、というお話には大いにうなずいた。
 「ボランティア同然のこういう実践に自らを駆り立てる原動力はなんですか?」という僕の問いに、「養護学校の教師をしており、仕事の延長線上にあるもの」とサラリと答えたM先生。その使命感とプロ意識に感服した。
 
この音楽療法は、「感動の伝えあい、感性の自己表現」を通じて、自己肯定、他者との共感をつちかっていくすばらしい手段だ、そんなことを感じた見学であった。もっと、関わってみたい、もっと勉強をしてみたい、という思いに駆られた。

 食事を終えてからは、たぬぽんさんの案内で若草山にのぼった。
 桜はもうピークを超えてしまっていたが、新緑と若草色の絨毯のようなゆるやかな丘、奈良市内を一望できる高台、そして鹿さんたち。どれもが輝いて、さわやかな気分だった。
 たぬぽんさんとは、仕事のことや子育てのことなど、つもる話を語り合った。
 話をしながら、僕らの頭上を飛ぶ鳥をみつけた。この前、読み終えた「リトルターン」を思い出した。社会と人間の姿を深くみつめ、未来をみすえているたぬぽんさんの姿は頼もしかった。たぬぽんさんの生き方は、きっと僕たち30代に共感をもって受け止められると思う。
 若草山のあの自然の息吹きを体一杯に感じたように、お互いに自然体でゆったりと生きていこう!
 そんなやさしく、癒された気持ちにさせてもらった。

 今度は、家族で若草山にのぼろう。
 妻との初デートの場所でもあるし、思い出は深い場所なのだ、実は。


 


2002年04月13日(土) 日本の政治の暗闇にメスを

12日午後、志位委員長が「官房機密費」の驚くべき実態を暴露する記者会見を行った。「官房機密費」の名で、巨額の税金が党略的・私的に使われている問題について、その実態を国民に明らかにすることを日本共産党はこれまでも求めてきたが、この日の記者会見で志位委員長は、この機密費の重要な部分について、独自に入手した詳細な内部資料をもとに使途の詳細を明らかにした。

 僕の公式ホームページに詳細はリンクをはろうと思うが、僕が印象的だったのは、次のこと。

●法案に賛成してもらうため、国民にみえないところで、高級服を贈るなどして懐柔策をはかることが当たり前にようにやられていたこと。

●政権担当の派閥に機密費からお金を配るなどして政権にありつくことへの「うまみ」を味わせていた、と思われること。

 
 国民の財産や生命、平和にかかわる重大問題が「なれあい」と裏取引きできめられていたことになる。
 「日本共産党をのぞく」=反共の体制を構築するのは、こうした政界の闇の部分が明るみにでることを恐れていたからだ。
 政治を国民の手にとりもどすために、この機密費疑惑を突破口に徹底して真相を究明することが必要だ。

 僕は、いま一つ大手ゼネコンが、もうかる大型プロジェクトをめぐる政官業の癒着構造、利権の構造が日本の政治をゆがめてきた大きな要因となっていると思う。しかも、こうした大型公共事業がアメリカからの圧力で実行を迫られてきたものであることを考えると、対米追随の日本の外交姿勢というもう一つの課題もみえてくる。
 こうした点を掘り下げて学んでみたい。

 


2002年04月12日(金) 感動の伝え方


 以前この日記でも書いたが、僕の大好きなシンガーソングライターに野田淳子さんがいる。
 その野田さんが発行しているコンサート通信「歩きつづけて」の読者に加えていただき、昨日その最新号が郵送されてきた。

 コンサートにきて下さった方との「感動の共有」。みずみずしい感想が綴られている。「感性の伝えあい」がいきいきと体現されていて、とてもあたたかくなった。

 とくに、大学講師の方の一文に、とても共感した。

 「野田さんの歌声は、『怒り』の多い社会を、『感動』と『励まし』によって、変えることを教えている。私は野田さんの『感動の伝え方』を今後とも応援したい」と結ばれている。

 これだ!と思った。野田さんの歌声の魅力を見事に表現していると思う。そして、この感動の伝え方こそ、社会を変えていく力として、広げていくべきものではないか、と思うのだ。
 もちろん、伝えるべき手段と中身が必要だ。音楽でいえば歌と演奏の技術、そして「人間らしく生きたい。生命を大切にしたい」という生き方であり、思想そのものだろう。
 僕にひきよせれば…
 音楽に加えて、やはり世の中を変える理論とそれを身につけ思想にまで高める「日々の精進」だろう。
 
 


2002年04月11日(木) 子どもには子どもの世界

 10日は、地元の中学校の入学式。11日は地元の幼稚園の入園式。季節柄、こうした行事が重なる。
 昨日は、午後から知事選挙で地域にはらせていただいた、ポスターの撤去作業を行った。
 
 夕方、息子を保育園に迎えにいったときのことだ。
 息子は、園庭のすべり台に僕をつれていき、頭からすべりおりるのを自慢そうにくりかえす。
 「すごいね〜」と誉めてあげると、何度でも続ける。

 あまりにくり返し続けるので、「?」と思ったら、
 隣で、ぶらんこをしている女の子のお友達のことを横目でチラチラみながら滑り台の階段をのぼっていく。
 「○○ちゃんに、みてほしいの?」と聞くと、
 「うん!」と苦笑いしながら、答える息子。

 「○○ちゃん、すべり台ですべるところみてほしいんやって!」というと
 「さとちゃん、がんばって!」

 息子が、大ハッスルしてさらにくり返したのはいうまでもない。

 子どもには、子どもの世界ができているんだな、と思った。
 この世界を大切にして、見守ってあげることが必要だと思う。
 それにしても、人に見られるとハッスルするとは、やっぱり僕の息子なのかなあ。


2002年04月10日(水) 「リトルターン」を読む

 少し気持ちと時間に余裕がでたので、どうしても読みたかった本を読む。
 ブルック・ニューマン作 五木寛之訳の「リトルターン」だ。

 感想の一端を箇条書きにしておきたい。

●あとがきで、訳者はこう書いている。
 「これは必ずしも多くの普通の人たちに読まれる本ではないのではないか。飛べないことで悩んでいる人、急に飛べなくなって困っている友に、この一冊をそっと手渡したい」

 しかし、僕自身がいろんな書店に足を運んでも「品切れで取り寄せ中」と言われたことに象徴されるように、訳者の言葉に反して「飛べないことで悩み」「急に飛べなくなった」人がいかに多く、またそれらの人にいかに共感を持って受け止められたかを示している。多くの人が共感するすばらしい作品だ。

●いま僕たちの目の前には、出口のみなえない経済不況、腐敗した政治、子どもたちの荒れ、あまりに軽んじられる生命などなど、「生きづらい」状況が横たわっている。
 僕たちが大学を卒業したころは、「24時間たたかえますか?」という栄養ドリンクのCMがカラオケでも盛んに歌われた。
 しかし21世紀に入ったいま、人間が生きるとはどういうことなのか?人間に、自然に、環境にやさしいシステムとはどういうものなのか?を社会全体が模索する時代に入ったのではないか?

●僕自身のこれまでを振り返っても、つねに挫折のくり返しがあった。
 (もちろん、他を見渡せば僕の「挫折」など小さなものかもしれない)
 過去を振り返るときはいつも、「あの嫌な思いをしないように」「挫折を味わいたくない」という後ろ向きの思いから奮起をしてきたように思う。
 
 でも、とこの本を読んで思う。

 主人公の「リトルターン」が飛べなくなって地上を歩いた時、自分の影に気づいたように、僕もいっさいの自分の過去をありのままに受け止めて、いまの自分を認めてあげたい。

 僕にとっていま大切なのは、いまの自分と自分をとりまくあらゆるものを、感性を研ぎすませてとらえ、その中に自分という存在を置いて、自分が何をなすべきかをじっくり考えることだ。
 そうすることによって、これからの人生をより豊かに生きることができるのではないか、と思った。


●挿し絵がとてもきれいだ。何度でも読みたくなる。今度は、声を出して朗読をしたい。BGMはどんな音楽いいか、などを考えて読むのもまた楽しいものである。
 

 


2002年04月09日(火) パソコンが故障


 8日の晩、突然パソコンが起動しなくなった。ここ1年ほどは、パソコンの調子が悪くなる経験をしていなかった。データのバックアップも十分にできていなかったので、とても焦った。
 CDでOSそのものを再インストールして、ようやく復旧した。でも、インターネットや電子メールの設定を一からやり直さねばならず、結構時間がかかってしまった。
 自分にとって、パソコンやネットができなくなるとこうも落ち着かなくなるものか、と自分の中での存在の大きさを再発見した。

 9日は朝から地元の小学校の入学式。
 保育園で顔なじみのお兄ちゃんやお姉ちゃんがピカピカの洋服をきて、ちょこんと長椅子にすわっていた。
 入学式の式の最後に、2年生が新入生への歓迎の言葉と歌を披露した。華やかで明るく、のびのびした雰囲気が体育館に広がった。笑顔で歌う姿。
この姿こそ、子どもたちにふさわしい。
 
 公式サイトの更新が3月20日以降できずにいたので、今日と明日で集中して作業してアップしたいと思っている。


 


2002年04月08日(月) 京都知事選挙 森川候補大善戦

京都知事選挙が終わった。
 結果は、荒巻知事の後継で6党相乗りの山田候補が当選。
 森川明候補は、勝利には至らなかったけれど、
 前回を上回る39万票の大善戦。

 負けたのは悔しい。
 支援してくれた有権者にも率直に「力及ばずごめんなさい」と言いたい。

 でも、未来に生きる力をいっぱい見つけることができた選挙戦だった。

 今朝の「朝日新聞」2面に、当日の投票所での「出口調査」の結果が報道されていた。見出しは、こうだ。
 
「相乗り」に強い反発
 無党派の半数、森川氏に。
 
 記事を読みすすめるとさらに面白い。(以下、「朝日」4月8日付2面より)
 「山田氏を推した民主党支持層は森川氏に43%、山田氏が40%と森川氏のほうが多かった」
 「社民支持層も6割が森川氏に投票した」
 「無党派層は50%が森川氏に投票し、山田氏の32%を大きく上回った。京都府内で無党派層が共産党公認・推薦候補に投票した率は、00年衆院選で27%、01参院選で20%だったのに比べると、大幅な増加だ。特に京都市内の無党派層6割近くが森川氏に投票。今回に関する限り、無党派層に共産党アレルギーは稀薄だった。それほど「相乗り候補」への反発が強かったといえる。」

 さらに、興味深いのが次のくだり。
「年代別に見ると、30代から50代の働きさかり世代で、森川氏への投票が山田氏への投票を上回っていた。」

 いまの政治に不満や疑問をもっている人たちとの共同が今回、さらに大きく広がった格好だ。
 また、僕が住む京都南部でも、前回知事選と比べて当選した候補との票差を縮めたし、城陽市でも前回票を上回った。
 
 もちろん、勝利するにはこれからどういう活動が必要なのかは、みんなの知恵を集めて検討を深めていくことになるだろう。
 僕は、政治に関心が無い人たち、政党支持がない人たち、こうした層にいかに接近し、ともに政治を考えあっていくのか、ここが最大の課題であると思う。そのことに、もっと僕たちは知恵と力をつくすべきだ、と思っている。
 
 政治はくらしそのものであり、市井に生きる人びとの日常のくらしや会話、文化やスポーツ、あるいは様々な住民運動、市民運動。こうした中にこそ、政治を変える力のエネルギーがある。
 僕たち政党人は、こうした中にどんどん参加し、ともに政治を変えるために力をあわせる活動をもっともっと強めていく必要があるのだ。

 政治とは、結局、人間どうしの力のあわせ合いだと思うから。

 葉桜がゆれる保育園。息子を送ると、たくさんのかわいい笑顔がある。
 この子たちの未来に、安心できる社会を残すために、また今日からがんばろう。
 
 
 
 

 


2002年04月07日(日) 参加し繋がっていることの喜び


 昨日は、朝近鉄久津川駅にたったが、さすがに土曜日は人が少なかった。
 昼間は、ひたすら動き訴えた。

 夜、雨が降り出した。新聞配達ができていなかったので、車で走り出したが猛烈な睡魔に襲われて、「これは危ない」と判断し、いったん帰宅した。

 昨日佐々木憲昭さんがきた記事を「勝手連」に投稿した。
 すると、さっそく写真つきで紹介してくれた。
 
 自分が伝えたいことを発信し、それを受け止め広げてくれる。
 参加し、繋がっていることの喜びを実感した。
 
 自分の行動が人を動かし、何かを変えていく
 自分が動こうと思わせたもの、自分を突き動かしたものが大切だ。
 
 僕たちの働きかけは、「どうしようもなく自らを突き動かすもの」を
 どう引き出し広げていくのか、このことに腐心したものでなければならな 
 い、と思う。

 キーワードは、「参加、繋がっていることの喜び」だと僕は、思ってい 
 る。感性の伝えあいという、立原啓裕さんの講演がずっと頭を離れない。
 
 
 プライベートサイトに、「フォトエッセイ」を新設した。
 少しずつ載せていきたい。


2002年04月06日(土) 黄色い帽子と菜の花

 幼児クラスになった息子は、保育園にいくのに黄色い帽子をかぶり黄色いバッグをかけていく。どちらも、知人から譲ってもらったものだ。
 まだまだ、帽子もぶかぶかで鞄もちょっと大きめ。
 それでも、本人はお気に入りで写真をとってあげようとすると、ポーズを決めてくれた。保育園にいくのが、楽しそうでほっと胸をなでおろした。 

 6日、今朝城陽に佐々木憲昭衆院議員がやってきた。
 すごい、迫力。すごい聴衆。すごい熱気。
 朝から250人もの人たちが聞き入った。

 城陽から汚れた政治を変えていく、その声をあげていこうとよびかけられた。大西忠前市長も聴衆のひとりできいていたが、途中請われて佐々木さんと同じところに並ばれた。
 
 近鉄の線路わきに菜の花が咲き乱れていた。陽の光に照らされてキラキラ。電車が通るとゆらゆら。
 黄色い花をみて、帽子と鞄をかかえた息子が目に浮かび、そして「幸福の黄色いハンカチ」を思い出した。
 今日、一日悔いのないように動こうと決意した。その記念に、黄色い菜の花をパチリと写真に納めた。

 


2002年04月05日(金) 謀略ビラの愚

今朝、宇治と城陽の路上で
「洛南ジャーナル」号外なるビラがまかれた。
いや、正確にいうと近鉄の駅や路上にビニールの買い物袋に入れられたまま
置いてあったのだ。

発行者も連絡先もない謀略ビラ。
中身は、共産党に対するマイナスイメージを植え付ける
お決まりの内容だ。

オールカラーのタブロイド判裏表。相当お金もかかっているはず。
一体どこから、誰が出しているお金か?
お決まりのやり方で有権者が嫌気をさすことを狙う
本当に許せない。
いま、問われているのは
特定政治家言いなりの官僚で京都がよくなるのか?
大型プロジェクト優先の税金の使い方で京都の経済がよくなるのか?
清潔でくらし応援する府政をつくるのか?

ではないのか?

こうしたことに、正面から論じることなしに反共の口汚い悪口。
これほど、有権者をばかにしたやり方はない。

有権者を馬鹿にするな!絶対に負けられない。
僕も、心込めて政策と人物を語りたい。最後まで。


2002年04月04日(木) 元労働大臣の暴言

 自民党の伊吹文明元労働大臣がまた暴言をはいた。
 「また」というのは、昨年の参院選のときにも同じような暴言をはいたことがあるからだ。
 二度同じことをいうのは、反省どころか自分の正直な気持ちなのだろう。
 
暴言とは、こうだ。

 「350万人の失業者というが、250万人分はハローワークにある。土曜日が休めないとか、きついとわがままをいい、失業保険で暮らしている」とあるところでぶちあげたそうである。(「しんぶん赤旗」4月4日付)

 ここまで雇用と地域経済を落ち込ませた自民党政治、自民党府政の責任は棚上げにして、失業者の責任かのように述べるとは、あきれてものがいえない。
 いや、これが「雇用重視」などといっても口先だけの古い自民党政治の真の姿なのかもしれない。

 古い自民党政治をなんとしても変えなければ、あらためて決意した。
  
 それと驚いたのは、民主党の菅直人幹事長が京都にやってきて、官僚天下り、野中元自民党幹事長の一声で決まった人物を応援するそうだ。
 いったい、国政でのあの追及は何なのか?
 「国政と地方は別」というのだろうが、地方から日本の政治を変えるというのも、民主党が主張していることではないのか?
 こういう態度が、政治不信を助長させるのだ。恥ずかしいと思わないのだろうか?僕には理解できない。


 4日は保育園の入園式と進級式。かわいらしい子どもたちと嬉しそうな保護者の顔がいっぱい集まった。
 このことは、また明日に書こうと思う。


2002年04月03日(水) 「作家」が言葉を失うとき


 7日にむけて政治への関心が高まりつつある。
 昨日、城陽団地に40人ほどの「政治を変えたい」と願う人たちが集まった。そのど真ん中を、「政治を変えたくない」と願う人たちが、車から音をいっぱいにあげて走り抜けていった。
なんとう常識のない人たちなんだろうか?
 怒りどころか悲しくさえなった。
 
 夜、石原東京都知事が荒巻知事の継承を訴える人を応援に、
 おとなりの宇治市にやってきたそうだ。
 
 3日付けの新聞報道からしか情報は得られないが、目を疑うフレーズが
あった。
 
 「私は『共産党』が生理的に嫌い」と声を張り上げたそうだ。(「城南新
報」4月3日付)
 石原知事といえば作家である。言葉で相手に自分の主張や考えを伝えるこ
とには、もっとも巧みで説得力をもちうるはずで、事柄の説明はより厳密
で正確でなければいけない。
 ところが、共産党が「生理的に嫌いだ」とぶち上げて演説の大半を共産党
攻撃に使った、という。しかも、公務を休んで。
 生理的に嫌い、というのは換言すれば、「理由はない。とにかく嫌いだ」
ということだ。

 自分が何かを好きか嫌いかを述べるときには、なぜ自分がそう思うのか
を、言葉によって説明すべきはないだろうか。
 あの第二次世界大戦に突入する暗闇の時代。
 多くの「作家」がペンを握る自由、言葉を綴る自由を奪われた。
 
「作家」が言葉を失うとき、それは戦争が足音をたててやってくる恐い時代
の再来だ。
 自らすすんで、言葉を失って、ヒステリックな反共のお題目を唱えると
は、「作家」にとっては、自殺行為ではないのか?

 反共は戦争前夜の声ーーこれは、蜷川虎三元知事の名言だ。
 いま再び、この言葉を僕たちが心をこめて発信するときではないだろう
か?

 ちなみに、石原知事は横浜市長選挙では、落選した現職市長の応援演説に
力をいれたそうだ。
 僕が心配するまでもなく、有権者は冷静な判断をしているのだ。
 
 


2002年04月02日(火) 桜吹雪のなかで


 例年より早く咲いた桜が、入学式を迎える前に散りはじめた。
 せめてあと一週間もってくれればいいが思っても、どんどんと風に吹かれて道路の上を流れていく。
 桜吹雪とはこういうものか、としばし眺める。
 自然の摂理、流れというものは抗いようがないのだな、とあらためて思う。

 政治はどうだろうか?
 利権に走る政治、庶民のくらしを忘れた政治は必ず主権者である国民から審判がくだる。
 これは、自然の摂理にも似た法則だと確信するが、
 人間のはたらきかけがなければ、あるいは弱ければ、前に進んでいかないばかりか、逆流をもつくりだす。これが、自然界とは異なるところだ。

 加藤、鹿野、辻元の参考人質疑が、4月7日以降に延ばされた。
 いくら、4月7日以前を避けたとしても、国民の目をごまかすための手練手管は、逆に国民の反発を買うだけだ。

 あなたの願いが政治を動かし、日本を変える。
 今日、桜吹雪のなか、声を出してよびかけてみたい、と思っている。 

 


2002年04月01日(月) 「ナマ憲昭」に1000人


 夕べ、妻の実家からおばあちゃんがきてくれた。
 年度始めは学校は超多忙。ぼくも、7日まで超多忙。
 ほんとうに有り難いことだと、甘えることにした。

 おばあちゃんを京都駅に迎えにいく途中、近鉄小倉駅東側に寄る。
 あの「ムネオハウス」追及で時の人となった、
 佐々木憲昭衆院議員がマイクをもって街頭から演説。
 
 コーラスでいえばパートはベースだろうか?
 低く、落ち着いた声で
 利権政治を許さない世論を広げることの大切さを訴えられていた。
 それに聞き入る人、ざっと1000人。
 買い物袋をもったまま、立ち止まる人。
 近くのマンションからのぞいている人。
 車のなかから、手をふっている人。

 「きれいな政治をたのみますよ」という思いが、広がりつつある。
 そんな印象をもった。

 横浜市長選で、自民、公明、社民に担がれた現職市長が接戦の末、
 無所属新人に敗れた。
 政治を変えなければ、生きていくことさえできない
 そんな叫びにも似た、市民の声が聞こえてくる。
 これらの叫びが、僕たちの歩みの力となって共鳴してくるような
 そんな思いにかられる。

 今日から4月。新年度のスタートだ。
 精一杯、一所懸命、いまを生きる。
 
 


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