ヤグネットの毎日
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2002年03月31日(日) ガミガミ言わずに育てること

 
 妻が子育ての本を買ってきた。
 「ガミガミ言わずに育てる」秘けつのようなものが特集をされている。
 そのなかで、ドキッとしたこと。

 ●最終的に「ごめんなさい」と謝らせる親はいませんか?
 
 これって、まさに僕だ。
 息子と「たたかいごっご」をしたとき
 「『おとうちゃんには、かないません』というか!」と、最後は力でねじ
ふせる。息子は、「おとうちゃんには、かないませんよ〜〜!」といっ
て、その場をしのぐ。のがれるとまた、たたかいを挑んでくる。

 これは、「じゃれあい」のなかでの一コマだけれど、
 自分の感情や都合だけで、しかりとばすことがこれまでにもあった。
 
 感情をむき出しに向うことをスキンシップのしるし、愛情の深さ
 そんな勘違いが、相当自分の中にはびこっている証拠だと、思う。
 
 子育ては、親の人間性が全面的に試される。
だから、やりがいがあり、喜びがある。

 携帯電話から、僕の日記を読めることがわかった。
多くの人に見てもらいたい。
 
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
 http://www.enpitu.ne.jp/m/


2002年03月30日(土) “後輩”からのメールにジーン

 29日の夕方、久世保育園の保護者会主催で転任される保育士の先生に花束の贈呈というささやかなセレモニーを行った。あいにくの雨もようだったけれど、たくさんの保護者が集まり別れを惜しんだ。
 
 お世話になった先生方、本当にありがとうございました。
 新しい職場でも、おからだに気をつけてがんばってください。

 朝、メールチェックをしていると僕の出身高校の“後輩”からメールが届いていた。
 懐かしさがこみあげた。
 僕は、茨城県の私立茨城高校出身。3年間吹奏楽部に所属していた。
 自己形成にも大きな影響をあたえてくれたブラス。
 それなのに、いくつもの不義理を働いている。
 一つは、大学時代に恩師である顧問の先生が急逝されたのに、帰省して葬儀に参加できなかったこと。いまも、お墓参りができずにいる。
 もう一つは、高2のときに部長まで勤めていたのに、卒業後はまったく音信不通となってしまったこと。
 後輩のところへ顔を出すこともなく、いまだに何も連絡ができていない。

 音楽活動を再開したいま、心の奥に刺さったままになっている、こうした不義理への“しょく罪”をできるだけ早く果たさなければいけない、と思っていた。
 そんな折に、送られてきた“後輩”からのメールだった。

 誰もいない校舎で、スポットライトのような電灯がついている場所を選んで、ユーフォニュアムの練習をした。と校舎に反響して、うまく吹けているように錯覚しながらガラス越しに映る姿を見つめていた、あの頃。

 山奥で川遊びとともに、汗を流した夏合宿。
 夜、応援団のまねごとをしながらライバル校“打倒”へ気勢をあげて、みんなで大いに盛り上がった。
 
 懐かしさとともに、申し訳ない気持ちがあふれた。
 
  


2002年03月29日(金) 了見の狭さか、それとも政治手法?

昨日で、来年度予算を審議することなどを目的にひらかれていた、城陽市議会の3月議会が終わった。

 日本共産党議員団は、来年度予算が介護保険料の軽減を盛り込むなど、市民の粘り強い運動に押されて実現している施策があるものの、全体としては、市民の健康を守ることが自治体の役割なのに、市民健診に1000円の有料化を導入したり、乳幼児医療無料化の拡大に背をむけるていること、さらには、何の見通しもないスタジアム公園整備関連事業など、大型プロジェクトを本格的にすすめる第一歩となる予算となっていることなどから、一般会計には反対の態度をとった。それ以外の国保会計、下水道会計などの特別会計には賛成した。

 知事選挙が終わってから詳しい議員団ニュースを発行する予定なので、ホームページにもその内容をアップすることにしたい。

 市議会最終日の出来事を書いておこう。
 橋本市長の了見の狭さか、それとも政治手法なのか、私にはまったく理解できない出来事があったので、私自身の記憶にしっかりととどめておくためにも書いておきたい。

 その出来事とは、人事案件にかかわることだ。
 
 昨日は、人権擁護委員など加えて教育委員選任の同意を求める人事案件が提案された。
 提案された教育委員二人のうち一人は、昨年12月に前の教育長が退任され、空席となっている教育長ポストである。
 提案された方は、昨年12月まで教育現場はもちろん、教育行政に一度も携わったことがない方だが、与党議員の賛成で選任することに同意をうけた。日本共産党議員団7人と中立会派3人、会派を構成しない議員1人の計11人が反対に回った。後日開かれる教育委員会で正式に教育長に選出される見通しだ。
 
 問題は、選考過程である。

 地元紙の新聞報道によれば、「橋本市長は、3月上旬から市議会与党及び中立会派に根回しを開始」(「洛南タイムス」3月28日付)した、とのことである。
 しかし、反応はまちまちで、最終的には与党5会派(議長をのぞいて14人)の賛同を得られる見通しがついたので、今回提案にふみきった模様だ。

 大西市長の時代は、議会野党(現与党)の強い抵抗で助役を置くことができなかった。一度だけ大西前市長は助役人事を提案をしたが、否決。その理由は、「根回しが不十分で真剣さに欠ける」というものだった。
 今回も多数を握る与党に「根回しが不十分」と指摘されないように、3月上旬から念入りに根回しをはじめたのだろうが、日本共産党議員団(7人)と会派を構成しない議員(1人)のところへは、一度も打診がなく、排除された格好だ。

 私は、「事前の根回しが不十分だからけしからん」といっているのではない。21世紀は教育の時代ともいわれている。大切な問題だけに、どういう人物が教育長という任にふさわしいのか、もっと真剣に、かつオープンに議論されて然るべではないのか。それを、提案するかどうかも不明なまま、最終日を迎えるというのは、本当に残念なことだと思うのだ。

 以下、議会運営委員会で指摘させていただいた私の発言の要旨を記しておきたい。

●歴代教育長は、いずれも教育者が選任されてきた。奈良県などの公立高校の校長に民間会社の元幹部だった方が就任するケースもあるように、私は、学校長や教育長などトップを司る者が、必ずしも教育経験者でなければいけない、という立場にたつものではない。
 しかし、なぜこれまで教育現場から登用されてきたのに、今回は教育にほとんどタッチしてこなかった人物を登用するのか、そのことを城陽市の教育がおかれている現状や教育に対する考えなどに照らして、説明をする必要がある。その点の提案説明は、今回はいっさいなかったことは、きわめて残念なことである。
 教育行政は、子ども育てる地道で困難さを伴う仕事である。だから、その他の行政課題とは区別されてきた。教育については、いろんな考え方がある。それだけに、それらをまとめる教育長の人事は、もっとオープンに様々な議論を聞いていく、という方法があってもよかったのではないか。
●いま一つは、結果として事前の相談の過程のなかで、わが党議員団は排除されたことになる。これは、教育長という教育にかかわる重要な問題が政治的に利用された、ということだ。これも、きわめて重大な問題である、と言わざる得ない。
 
 議会が終わると、市長はじめ助役など三役が各会派をまわるのが、通例である。新しい人事が決まった時などは、なおさらのことだ。
 ところが、昨日は、わが党議員団の部屋には何の音沙汰もなし。

「意見の違うものとはそもそも話をする気もない」というのが、市長の政治姿勢だとしたら、何という了見の狭い御仁か、と嘆かざるを得ない。

「何を細かいことで…」と思われるかもしれない。
だが、社交辞令や日常の常識も踏まえない対応をうけると、了見の狭さだけにとどまらず、「自分に反対するもの、意見の異なるものとは接触を持たない」というのが橋本市長の政治手法だとしたら、何という時代遅れか、とさらに嘆かざるを得ない。情報公開と市民参加は、橋本市長自身も掲げていることではないのか。
 84000人城陽市民の代表なのだから、「器の大きい人だ」と市民みんなが胸をはれるようにしていただきたいと思うのだが…。



 

 


2002年03月28日(木) 月の美しさ


 27日は、午前中が議員団の会議。
 28日が3月議会の最終本会議なので、議会対応を協議した。
 そのあと、3月議会報告のニュースの打ち合わせと作業。

 夜は、久世保育園の保護者会の三役会議。
 来年度の保護者会活動の基本方向などを話し合った。
 午後11時ごろまでの長時間の論議となったが、この議論が向こう1年間の保護者会活動の方向性を決めると思うと、みんな熱が入っていた。
こういう議論、ぼくは好きだ。

 話は変わるが、ぼくは公選法の関係で4月7日までメルマガの発行を控えているのだが、先日、ある国会議員の方のメルマガが送信されてきた。
 中身は、国会活動の報告が大半だが、京都では知事選挙の応援で、、、とちゃんと書かれてある。

 いったい、選挙期間中は、メルマガの発行はできるのか、できないのか?
 どうも、曖昧だ。選挙に直接関係なければ、発行できるのだろうか?
誰か教えてほしい。

 保護者会の会議が終わって、家に帰り玄関に入る前に、ふと空を見上げた。満月。
 風が強かったためか、月のまわりを細くやわらかい雲がすーっと流れていく。
 その度に、微妙に月の光の濃さが変わる。
 しばらく、それを眺めていた。
 月の表面がもちをつくうさぎに似ていることを、いまさらのようにしげしげと見た。
あたりに何もない月より、流れる雲とまじわる月のほうが美しい、と感じた。


2002年03月27日(水) 道路であそぶ子どもたち

 昨日も、引きつづいて地元の自治会の桜の花見にお邪魔してきた。
 おとといよりもあたかかったので、参加者も多かったようだ。
 ぼくは、少しだけカラオケのお手伝いをさせていただいた。

 昼間のことだ。家に忘れものをして、車で戻ろうとしたとき
 道路で遊ぶ子どもたちに出くわした。
 なわとびを車輪付きの自転車にくくりつけて、引きずって遊ぶ子
 そう、息子と変わらない4〜5才の子たちだった。

 僕は、「危ない」と思ってだいぶ前から減速し、
 近付いたところで、車を止めた。

 普通ならここで、子どもたちは車がきたことに気づいて道路の
 脇によけるものだ。そう信じ切っていた。

 ところが。

 子どもたちは、一向にそこを離れようとしない。
 しばらく待っていたが、動く様子がないので、ついに車から降りて、
 「おじちゃんのこと、通してくれる?」とお願いした。
 ようやく、子どもたちは「避難」してくれた。

 考えてみれば、車がきたら、道路わきに避けるというのは、
 車からみた発想だ。
 子どもたちの立場にたてば、自分たちが遊んでいるところに
 車が侵入してきたことになる。
 遊び場が減り、子どもたちの自由な空間が少なくなっているもとで
 
 「危ないから、よけなさい」というだけでは、子どもたちの心に
 響くだろうか?と考えてしまった。

 常識だけで、子どたちに向ってはいけないのだ。
 そんなことを感じたひとこまだった。
 
 


2002年03月26日(火) 桜の話題

今年は異常気象の影響で、観測史上もっとも早く桜が咲いている。
僕が住んでいる城陽団地でも、例年4月に自治会主催の「夜桜見物」がひらかれているが、今年は急きょ予定を変えて、25日と26日で開くこととなった。
 昨日は、予定が重なったがなんとかやりくりして少しだけ顔を出させていただいた。
 
 桜の話題は、いまネット上でもおそらく花盛りだろう。

 僕が参加をしているメーリングリストに「chance」がある。9/11の同時テロをきっかけにして、平和について語り合う人たちが参加している。一時は一日100通ものメールが流通していた。
 この「chance」にはいろんな考えをもつ人たちが集まってくる。このMLで僕が学ばせていただいたことの1つは、「平和とは内側から広がるもの」ということだ。
 だから、考えの押しつけはしない。異なる意見でもまず自分のなかに一度受け入れてみること、そして自分がどう感じたのかをそれぞれが思い思いの角度から言葉に綴っている。
 
 その「chance」のMLに、桜の話題が登場した。この方は、ピースウォークなどのスタッフをされている方で、そのミーティングを桜がきれいな公園で開いた時に、感じたことを書いている。

 とても、感動したのでその一部を紹介したい。

以下、引用
----------------------------------

なんだかうれしくてうれしくてうれしくなって。
なんだかハイになって。(わかるよね?この感覚。わかってくれ〜。)
こんなふうにさせてくれるなんて、桜ってすごいな、と。
桜は、私に対して、こうしろ、とかああしろ、とか言ってきてないんです。
なにもおしつけない。
ただ、桜は桜らしくそこに立っているだけ。
なのに、私の中でなにかが変わってゆく。
変わってゆくというよりは自分の良い状態がひきだされるというか、
おもいだされるというか。

これって、私にとってのCHANCE!やPWの理想形です。
世間や他者に対して、「変われよ!」って言うのではなく、
ぼくら自身が素敵な存在としてここに存在して、
それに触れた人々はそれぞれの中で自分で自分を変えていく、というか。

(中略)

他者を変える一番の方法は
まず自分が変わることではないかと。

きれいごとではなく。

----------引用ここまで

 夜桜をみて、「他者をかえるにはまず自分が変わること」とまとめることができるとは、すばらしい感性の持ち主だ、と感動した。
 もしかしたら、これが23日の立原啓裕さんの講演で強調されていた、コミュニケーションの方法、つまり感性を磨いて人に伝えてそれが「返伝」される、プロセスなのかな、とさらに感激した。

 今日も夜桜に顔を出してこようと思う。僕にも、何か新しい発見があるかもしれない。


2002年03月25日(月) 立原啓裕さんの講演に「目からウロコ」


 23日は、城陽市観光協会の設立総会だった。
 午後1時半からはじまった総会は、発起人代表や来賓からのあいさつに続き、会則や事業計画、財政計画、理事と監事などを提案し、それぞれ拍手で承認。その後、理事の互選により商工会議所の会頭が観光協会の会長に選出された。
 
 その後、行われた記念講演がとても刺激的で、「目からウロコ」が落ちる話だった。
 公式サイトとプライベートサイトに講演の要旨を僕なりにまとめたものをアップしようと思っている。

 僕が印象的だったのは、次のことだ。
 新しく会長になった人が就任のあいさつで、これからは観光開発を強めなければいけない、と述べてその例として「大阪にできたUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)のようなもの」をあげていた。
 立原啓裕さんの講演の中で、ご本人が客席インタビューを試みられたときにも、ある女性が「ワールドカップの開催地からもれて残念。ぜひUSJのようなレジャー施設を」とこたえていた。
 しかし、立原さんの講演の中心テーマは、中途半端なハードをたてるよりも、これからの時代に大切なことは、城陽に住む人々の心を耕す文化に力をいれること。ソフトの観光資源を相互にリンクさせて、笑顔に会える城陽を」ということだった。
 そのギャップがとても印象に残ったのだ。僕は、立原さんのお話に終始、うなずきっぱなしで関西芸人の裏ばなしになどには、ホントに腹を抱えて笑った。
 
 城陽も、もう桜が咲き始め満開状態に近いものもある。朝、「しんぶん赤旗」を配る。ラジオからバロック音楽特集で、バッハの有名な小フーガと、カンタータ「169番」が流れる。花冷えのする凛とした空気と桜の花の美しさをバロックを聞きながら楽しむために、車のウインドウを開けて少しボリュームを大きくしてみる。なんともいえない幻想的な世界。めったにない経験に、ひとり悦に入る僕だった。

 24日は、一日保育園保護者会の「活動のあゆみ」の印刷と製本でバタバタとした。保護者会としての活動を記録にまとめ、翌年度の活動に役立ててもらおうというもので、久世保育園保護者会のよき伝統行事だ。
 朝から、輪転機を回し108ページにも及ぶ資料を印刷。午後からは、10人以上の保護者が集まり製本作業。テキパキとした作業で時間通り終わった。


2002年03月23日(土) 今日、観光協会設立総会

僕のホームページに京都以外から訪問された方から、「城陽の観光スポットなどを紹介したらどうか?」ということをよくアドバイスされる。
 考えてみれば、僕のメルマガの当初のねらいは、「城陽の歴史や自然、風土とそこに暮らす人びとを生き生きとレポートしたい」ということにあった。
 城陽の観光といえば、青谷梅林がある。日経新聞によれば、城陽の梅林は全国で9番目にランクされるほど、「おすすめの梅林」だということだ。
 そのほか、水度神社へと続く水度参道、鴻ノ巣運動公園などなど。
 城陽以外からの入り込み客数をどう増やすのか、という観点からの施策をすすめることも「産業の活性化」といいう角度からは大切なことだ。メルマガでも時折紹介していきたい、と思う。
 折もおり、23日は午後から城陽市の観光協会の設立総会がある。
その中身は、明日報告したい。


2002年03月22日(金) 秋休みの導入で景気浮揚??

 朝から忙しかった。
 昼からは、街頭演説会を聞くために、四条河原町にでた。
 久しぶりの四条通り。青春の甘酸っぱい思い出がつまっているこのまち。懐かしさがこみあげた。
 街頭演説会の様子をビデオにおさめた。スーツ姿でバッチをつけた男がビデオを回す姿。自分でもおかしさがこみあげるが、わざわざ京都まで出てくることができない仲間のみなさんのためにも、ビデオを回して臨場感をもってみてもらおうと考案したものだ。

 今朝(22日)、ネットでニュース記事を検索していたら、「asahi.com」で「首相、景気浮揚に「秋休み」提案 税金使わず経済効果」というタイトルをみつけた。

 経済財政諮問会議で小泉首相以下、経済閣僚や財界のトップが真剣に議論していた、という。内容は、こうだ。

●集中休暇をとると、経済効果が上がる。一週間の集中休暇は盆暮れとゴールデンウイーク。他に一週間、集中的に休む、というもの。
●委員の中からは、以下のような意見が相次いだという。一部紹介すると、「百貨店の売り上げが増える」(竹中平蔵経済財政担当相)、「観光もそう。間違いなく芝居も増える。音楽会も込む」(牛尾治朗ウシオ電機会長)。奥田碩・トヨタ自動車会長も「盆暮れの大混乱で50キロ渋滞が起きるのは本当にばかげたこと。2カ月ぐらい交代で休めば、ずいぶん違う」
●もっとも、ある委員からは、「休日増は当面の活性化として意味があるかもしれないが、話がそちらばかりになると少しおかしい。私は本来の活性化論議を進めたい」と、クギを刺す意見もでた、という。

 この国のトップは、本当に秋休みの導入が、景気浮揚に役立つと考えているのだろうか?
 いくら休みを増やしても、「外にでてレジャーを楽しもう」「何かを買おう」という気持ちにさせなければ、意味がない。
 第一、自民、公明、保守が鈴木宗男氏への議員辞職勧告決議案を本会議に上程せず、「疑惑にふた」を必死にかけて、政治に寒々とした風を送っている一方で、庶民の懐も消費したくても寒すぎるのだ。
 それに、国民の多くは、休日をどう過ごすかよりも、食べていけるだけのくらしをどう保障するのかを必死に考えているのではないか?

 いま何よりも必要なのは、社会保障の充実で将来への不安を取り除くこと、国民の懐をあたためて「ものを買おう」という気持ちにさせること、そして、政治に対する信頼回復だ。

 経済財政諮問会議は上流階級のサロンなのだろうか?
 あまりに現実離れした議論に、この国の将来への不安と抜本的治療の必要性を感じたのは、僕だけだろうか?


2002年03月21日(木) 子どたちの歌声とお父さんの歌

今日から、公職選挙法の制限がかかり、政治的な話題、選挙に関する話題の書き込みができない。
 こんな状態が18日間も続くが御了解いただきたい。

 昨日は、地元の小学校の卒業式。
 時間がギリギリになったけれど、出席させていただいた。
 
 この日も、子どもたちの歌声に癒された。
 「卒業式の歌」
 「さよなら」
 「forever」の3曲が歌われたが、どれもとても上手にうたう。

 小学生の高学年のころの声が僕は、いちばん好きだ。
 ぼく自身は、小学生5年生のときに「声変わり」をしてしまったけれど、
 透き通った声と張りのある声。それらが溶け込んだサウンドというのが、とても心地よい。
 
 とくに、卒業生におくる歌をうたった5年生は、先日子どもミュージカルを大成功させた子どもたち。
 練習を積んでいるだけに、声のボリュームが全然違っていた。

子どもたちの歌声に負けないぐらい圧巻だったのが、最後の保護者代表のあいさつ。料理人風のお父さんが、最初はペーパーを読み上げていたのだが、途中から、「子どもたちに歌を贈ります」といって、歌いだした。
 演歌なのか、詩吟なのか、最初はわからなかった。
 でも、後からきくと、舟木一夫の「学園広場?」の替え歌だったそうだ。
 これが、その場の雰囲気と見事にマッチしていて、違和感がないどころか
 すっかり参加者を魅了していた。」
 
 こういう、型にはまらず心をこめた企画はとてもすばらしい、と思う。

 午後からは、議会運営委員会に出席。
 その後、予算委員会や最終本会議にむけた対応を協議する団会議。
 
 プライベートのサイトが2月から更新できていない。
 公式サイトが更新できない分、プライベートサイトの充実に努めようと思う。
 
 プライベートサイトのURLは以下の通り。
 
 http://kumao21.hoops.ne.jp/


2002年03月20日(水) 幼稚園卒園式

 地元にある公立幼稚園の「修了式」に来賓として出席してきた。
 33名のかわいい卒園児が巣立っていく。
園歌を冒頭にうたったが、元気いっぱいの歌。
 みんな、自信に満ちあふれ愛着をもってうたっている。
 おかしいと思うだろうが、僕はこういう場面にでくわすと、感動して涙がでてくるのだ。涙が目の外にこぼれでないように、こらえるのに必死だった。 

 園長先生のお話に続いて、ひとりひとりが修了証を授与される。
 席のレイアウトは、卒園児の後ろに在園児、そして、その後ろに保護者の席。保護者席の前には、「おたち台」が用意されている。
 修了証をもらうと自分の席に戻る前、その「おたち台」にたってぺコリとお辞儀をする。
 一人ひとりの園児にちゃんとスポットライトをあててあげていることに、とても好感をもった。
 
 ハプニングもあった。僕の席の前にたっていた卒園児が突然、鼻血をだしてしまった。
 知り合いの娘さんだったので、とくに心配だった。
 午後、宣伝カーで宣伝していたら、お母さんの自転車の後ろにのって、サーッと走り抜けていった。
 演説を中座して、「もう大丈夫ですか?」と声をかけたら、元気なお母さんの声が帰ってきた。

 ちょうど、乳幼児医療費助成の対象年齢引き上げをよびかけてときだった。
 子どもの怪我や病気は、いつも突発的なもの。
 そんなときに、せめてお金のことを気にせずに安心して医療が受けられるようにしたいもの。

 その後の街頭演説にも熱が入った。
 


2002年03月19日(火) 2つの通夜

昨日は午前中、議員団で打ち合わせ。午後も、知事選挙関係の会議。
 
 加藤紘一自民党・元幹事長が自民党を離党した。
 脱税で逮捕された佐藤・元秘書に対する監督が不十分で政治的、道義的責任はまぬがれない、というのが離党の理由だそうだ。
 冗談ではない!佐藤元秘書とは、加藤紘一の政治的ステイタスを武器に巨額の政治資金を集めてきた人物だ。その意味で、佐藤元秘書は加藤紘一そのものではないのか?それを、「私はまったく知らなかった」というのは、通用しない。
 それなら、僕はいいたい。
 懐刀の所業も掌握できない人物がどうして「天下人」「国のリーダー」となりえるのか?と。

 鈴木ムネオといい、加藤紘一といい、お願いだから議員をやめてほしい。そうしなければ、「議員」一般に対する世間の不信感はますばかりだ。

議員という仕事をしていると、関係の深い方の葬儀などに参列する機会が多い。
 昨晩は、2つも通夜が重なった。
 議員団で車を乗り合わせて、あいついでお焼香をさせていただいた。
 その方との関係の深さに関係なく、ご遺族などの気持ちを思うといつもいたたまれなくなるものだ。
 
 お通夜から帰って、息子と顔をあわせる。
 あどけない笑顔。おもちゃの刀で「えい、や〜!」と切りかかる。
 「やられた〜〜」といって、倒れこむ僕。
 倒れながら、お通夜での読経の声が心のなかで響いてきた。

 この息子や妻よりも先に、あの世にいってしまうことだけは、絶対にしないようにしよう。
 そんな思いにかられた。

 


2002年03月18日(月) ようやく散髪に

※16、17、18日分とたまっていた分をアップしています。残り二日分もぜひみてください。(いきなり失礼しました!)
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 17日の朝は、思いきっり冷え込んだ。軽装で「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出たが、すぐに軽装で出たことを後悔した。

 それでも、昼間は気温があがってポカポカ陽気に。
 この間、ずっと気になっていたのが、散髪にいけなかったこと。
 思いきって時間をとって、いきつけの「カットサロン UNO」に行ってきた。京都市内に勤めていた頃は、事務所の近所に散髪にいっていたが、城陽で仕事をするようになってからは、ずっと通いつづけているのが「カットサロン UNO」だ。さっぱり爽快!さあ、がんばるぞ!という気分にさせてくれる。感謝!感謝!
 旧24号線沿いで、城陽市役所から2〜300メートルほど北上した西側にある。明るい店内と豊富なメニュー。
 とくに、トルマリンによるお肌のパックはおすすめだ。
 ホームページも開設されている。僕のプライベートサイトにリンクをはるンので、ぜひ訪問してみてほしい。

 午後は、宣伝物の作成、そして夕方からハンドマイクで宣伝をした。
 反応は抜群なのだ。有権者のなかで、何か大きな変化が生まれつつあるような、そんな感触をもった。

 夜は、民主府政の会の城陽連絡会の会議に出席されていただいた。

 選挙本番になると、「矢口まさあきのあったか政治メールマガジン」が発行できなくなる。まったくおかしな話だ。
 あまりに時代遅れの状況に、法律改正も検討されているようだが、それでも電子メールはより規制を強めていく方向だそうだ。
 告示までに、できるだけたくさん発行しておこうと思う。


2002年03月17日(日) 山砂利シンポに参加

16日は、午後から「城陽の山砂利を考える会」主催の「どうする、どうなる山砂利問題」に参加してきた。マスコミや山砂利関係者の方の参加もみられた。60人の参加で熱心に討論された。
 僕が印象に残ったのは、「富野のまちづくりを考える会代表」の大森勤さんの発言。
 大森さんは、「早朝から深夜までダンプの振動」「窓を閉め切っていても部屋に土埃がたまる」「平日は洗濯物が干せない状況」など、ダンプの往来でどれだけ生活が脅かされてきたかを、切々と訴えられた。
 そして、「サッカースタジアムにするからと、30ヘクタールの土地を51億円もかけて買収しておきながら、w杯の会場からもれた後、ここにいつごろ何を作るのかを府にたずねても全く明らかにできない」と見通しもない事業に多額のお金を使いながら、本当に住民が必要と思っているところには、お金をかけてこなかった」と行政に対し厳しい批判の声をあげられた。
 
 京都府はようやく、半分の土地を利用して「府民が憩えるようなゾーン」といって整備に着手するようなことをいっているが、いつ完成するのか、まったく見通しはない。
 こんな無責任な公共事業が許せるだろうか?

 もう一つ、たいへん興味深かったのが、シンポジウムのコーディネーターをつとめた中林浩教授さんのお話。中林氏は、「開発ではなく再生型の都市づくり」の一つの見本として紹介されたのが、イギリスでの取り組みだ。企業、市民、行政が一体となって地域を再生するグランドーワークという方法。これからの東部丘陵地の利用の仕方を模索していくうえで、大変参考になる話だった。

 夜は、地元、久世地域で府市政報告会。25名の方に集まっていただいた。高齢者のある方が、有事法制の問題で発言されていたことが印象的だった。

 「わたしは、有事法制なんて、とんでもない話だと思っている。私のように特攻隊を経験したものにとって、有事法制のようなものができるのなら、死んだ方がましだ、という思いになる」。

 とても重いことばだ。

 ムネオ疑惑の影にかくれて、マスコミでもあまり話題にならないこの有事法制の問題。
 4/7は、平和の声を全国と世界に発信する日にもしなければいけない、と思った。



 


2002年03月16日(土) 深谷で府市政報告会

 15日の夜は、民主府政の会・深谷連絡会で「府市政報告会」。
 事前のお知らせが十分にできていなかったけれど、23名の参加で成功した。
 ごどう議員が、いま開かれている城陽市議会の模様を詳しく報告。若山市会議員もご自身が一般質問でとりあげたコミュニティバスのことなどを中心に報告された。
 僕は、パネルなどを使って、府政報告。ポイントは、次の3点だ。

 ●今度の知事選挙は、一地方の首長選挙ではない。ムネオ疑惑に端を発し、税金の私物化=利権政治の構造そのものに国民の怒りが沸騰している。4/7は「よなおし」デー。怒りの一撃で京都と日本の政治を変えよう!
 ●私たちは、この間、様々な選挙で、「大型公共事業優先で福祉、教育を切り捨てる政治にノー!」「逆立ちした税金の使い方を変えよう!」と訴えてきた。ようやく、「なぜ、このしくみが改まらないのか?」という素朴だが根本的な疑問にたいする答えが誰の目にも見えやすくなってきた。
 それは、大型公共工事は、格好の利権の対象となりうるからだ。そこに有力政治家などがバックについて、甘い汁を吸う仕組みが続いてきた。こうした「政・官・業の癒着の構造」にこそ、いまメスをいれなければならない。
 
 ●土木を中心とした大型公共事業では、地域経済の活性化もすすまない。いま必要なのは、福祉や教育、環境にやさしく開発よりも再生型、などの公共事業に転換をさせることだ。
 その典型的な政策として、住宅改修に助成する制度は、全府20億円の予算で1万件に助成すれば、300億円の経済波及効果がうまれる、という試算もある。学校の先生を増やしたり、特別養護老人ホームを増やしたりすることは、一時的に多くの財政を支出することは避けられないとしても、住民に安心感と希望を与え経済波及効果、活性化に必ず寄与する。

 あとの交流のところで、「もっと地域に密着した活動を」という厳しい注文をいただいた。率直に受け止めたいと思った。
 僕自身は、保育園の保護者会や音楽の活動など、自分がかかわれるところで、自然体で人間関係を広げさせていただいている、つもりでいる。

 その方は、党派が違う議員さんを引き合いに出して、自治会活動にも図々しいくらいに出しゃばっていったり、地域でおばあちゃんが歩いていたら、「どこへいきますの?」と声をかけて車でのせていってあげる、とか「身近で小回りのきく世話役活動」をすすんでやっている、というのだ。
 別のことばでいえば、少しあらっぽい言い方だが「どぶ板」の活動をもっとやるべきだ、ということなのだろう。

 この点では、ぼくは是非、この日記を読まれている方からご意見をいただきたいと思っている。
 「側溝の改修」「借金の相談」などなど、身近な相談の解決に全力をつくすことは、当然の事だ。
 確かに、ぼくたちのような小さなまちの地方議員は、その地域で困っている方たちへのお世話をこまめにすることは大切な仕事の一つだろう。そこが国会議員や府県議会議員とは、また違った役割なのかもしれない。
 住民の苦難の軽減につとめることは、僕たちの党の立党の精神でもあるわけだから。

 でも、、、といつも思ってしまう。
 出しゃばり過ぎ、売名行為、というご批判の声も常に自分の心の中でこだまするのも、また事実なのだ。
 必要以上に、地域のことに首をつっこんでいくことや、「私が何でもしましょう」的な請け負い主義には、抵抗を感じてしまう。このあたりは、僕の弱点でもあるのかもしれない。
 
 議員だからこそできることって、なんだろう?

*フリーな立場を生かして行政のことに精通し議会で質問をし、条例や制度をより住民のためになるように改善させる。必要ならそういう条例や制度を創設させること
*「住民こそ自治体をよくする主人公」との立場から住民運動を組織しその先頭にたつこと。
*住民に役立つ情報を的確に機敏に伝えること。
 身近な生活相談に全力であたりながら、上記のようなことを行うのが地方議員の大切な役割ではないか、と思うのだ。
 ホームページを開き、メルマガで情報発信をしているのは、上記のことの僕なりの実践の一つだろ思っている。
 みなさんは、地方議員にどういうことを期待されているのだろうか?ぜひ、ご意見を聞かせていただきたいと思っている。
 
 
 


2002年03月15日(金) 卒業式


 昨日は、地元の中学校の卒業式。来賓として出席させていただいた。
 
 今年で3回目となるが、自分の中学時代を回顧する1日となる。
 僕の席の前に座っていた男子生徒。五分刈りにしたスポーツマンタイプ。
 ニキビ面の彼が、最後の「巣立ちの歌」を歌いながら、ボロぼろ涙を流していた。
 いろんな思い出が走馬灯のように浮かんできたんだろうな。
 自分の感情を素直にあらわしている男子生徒の姿をみていたら、こっちまでもらい泣きしそうだった。
 さすがに、グッとこらえたけれど…。

 僕が中学を卒業する頃は、ちょうど、柏原よしえの「春なのに」が流行していた時期。
 後輩から、「制服のボタンをください」と言われたことを、ふと思い出した。
 


 


2002年03月13日(水) 息子の涙とヘッドライト

予算特別委員会が昨日から始まった。午後から短時間、審議の様子を傍聴した。
 総務関係の審査のなかで、興味深い質問を聞くことができた。
 旧青谷公民館の取り壊し経費等で2600万円が計上されていることについて、城志会の吉野鴻議員が「これから観光協会をたちあげて、まちの活性化をはかろうとしている時に、旧青谷役場だった貴重な建造物を解体するするのは、いかがなものか。新産業の支援だけではなく、まちの文化というものも一つの観光資源として、大切に保存していくべきではないか」と質問した。
 これに対し、栗栖助役は、「指摘をふまえて再検証したい」と答弁した。

 吉野議員の指摘の角度というのは、とても共感できる。僕は、観光とは入り込み客数をどれだけ増やすかという視点もあろうが、これからは、「そこに生活する人たちがしばし日常を離れて心をやすめることができる、空間」としてもとらえるべきだ」という考えを持っている。
 こうした貴重な建造物を保存することは、そのまちの文化の成熟度のバロメーターでもある。
 
 夕べは、僕が役員をしている城陽保育運動連絡会の今年度さいごの役員会だった。京都市内から講師の先生をよんできての学習会を行った。僕は主催者だったのだが、妻がまた学校の仕事の関係で帰りが遅くなった。息子を連れていくことになったのだ。
 「お腹すいていないから、御飯いらない」と6時すぎにはいっていたのに、役員会がはじまると「お腹すいた、お菓子が食べたい」といいはじめた。
 「もうすぐ、お母ちゃん迎えにくるから、待っていてね」といってもダメ。一度言い出すと絶対にひかない。結局、会場の外に連れ出して説得を続けた。ところが、息子はひとりでコンビニを探しにトコトコ歩き出した。「司会をしなければ、、、」と役員会を途中でぬけだして焦る僕。
 「お菓子が食べたい」と泣き出す息子。
 ついに、僕は大きな声を出して叱りつけてしまった。すると、息子の目から大粒の涙、なみだ、ナミダ。
 僕のスーツの裾を掴んで離さない。僕は、その手を払い除けて、息子の左手をつかんでコンビニをめざして早足で歩きはじめた。
 対抗車線を次々と走り抜けていくヘッドライトがまぶしく、通り抜ける夜風が冷たかった。
 でも、涙がかわかない息子の頬はもっと冷たかったのだろうな。大声で叱責した自分を、またいつものように悔いた。


2002年03月12日(火) ムネオ・証人喚問


 昨日は、鈴木宗男氏の証人喚問。家で仕事をするついでに、見始めたら、結局そのあとの民放の特集番組も見る羽目になってしまった。
 確定申告の書類を書いていたのだが、税金の還付のために事実を包み隠さず報告することが義務付けられている国民のことを思うと、あらためてムネオ疑惑への怒りがわくというものだ。

 特集番組で「野党の突っ込み不足」というコメントを何度かきいたが、そもそも2時間で疑惑の究明が全部できるわけがないし、野党の持ち時間は、4党あわせて1時間というものだ。時間的制約が大きかった、と思う。
 
 今回の喚問であらためて思ったことがある。

(1)「ムネオハウス」の入札に関与した問題の本質は、国民の税金の食い物、私物化である。受注した企業から政治献金を定期的にもらい、かつ成功報酬として、献金の上積みもされていた事実。税金が企業とムネオとの間を環流し、外務省がその橋渡し役をになっているという、「政・官・業」の癒着構造こそが、政治をゆがめている元凶であることが鮮明になってきたこと。

(2)しかも、「北方領土の四島返還」のために一貫して仕事をしてきたのが自分だ、と鈴木ムネオは胸をはっていたのが、外務省の内部文書によって、「戦後50年もたって四島返還などできない。国のメンツのために主張しているにすぎない。それよりも今後は、経済交流を重視すべき」と明らかに日本の外交方針とも異なる主張をしていたことが明るみになったこと。

(3)つまり、鈴木ムネオは、日本の国益よりも自らの利権とロシアの国益を優先することを、最大の行動基準としてきたことが、明らかになってきた。利権政治、企業や団体からの献金に支えられた政治、そしてそれにどっぷりとつかった政治家の醜さ、自己保身の為には手段を選ばない、という姿をまざまざと見せつけられた思いだ。

 僕は、この「ムネオ疑惑」の出口は、政・官・業」の癒着構造の改革(こういう構造改革なら大賛成だ)その出発点として、企業・団体献金の禁止、とくに国民の税金で仕事をする企業からの献金の禁止、高級官僚の天下りの禁止などを緊急に行うべきだろう。

 それにしても、このムネオ疑惑追及での野党4党の結束や連携というのは、見ていて気持ちがいい。そう思ったのは僕だけろうか?
 


2002年03月11日(月) 保育園まつりと合唱祭


 例によって、土日をはさむと日記を書くのをさぼってしまう。
 それなりにバタバタと動いて忙しいというのもあるのだが、こう定期的に土日の日記をさぼると、習慣になってしまいそうなのでそろそろ改善しなくては、と思っている。

 8日の金曜日は、市議会の一般質問の最終日。うちの会派から2人の議員が質問にたった。

 *財政運営についての質問が興味深かった。
 この間、市債残高を減らす努力、つまり財政の健全化にむけて相応の努力を重ねてきたにもかかわらず、第二名神道路の建設にともなう関連事業や山砂利採取跡地の整備、とくに木津川右岸運動公園の周辺整備事業等の大型プロジェクトを強力に推進することになれば、早晩城陽市の財政はパンクするのでは?との問いに、助役は、「第二名神道路は国の事業」などとあたかも城陽市の財政負担はほとんどないような印象を与えるような答弁を行った。さらに、こうした大型プロジェクトを推進しても財政がパンクしないように、「財政の構造改革が必要だ」などと、まるで国と同じようなことを言っていた。
 
 *また、市内のバス問題についても課題が多いと思った。
 城陽市には、市内の東部地域を循環するバスがある。民間のバス会社に運営を委託しているものだ。ところが、このバスの利用が極端に悪い。一日の乗降客が2〜4人。この数字を聞かれた人は驚くだろう。高齢化の進展にともなって、市民の身近な交通手段としてのバスの必要性はますます高まってくる。
 なぜ、これほど利用客が少ないのか?その分析と対策からまずはじめるべきだ。
 停まる場所の問題、ルートの問題、料金設定の問題。こうした一つひとつに、行政としてどうメスを入れ対策を講じるのか、答弁では具体的な姿が見えてこなかった。

 9日は、午後から10に予定されている久世保育園の「保育園まつり」の準備のお手伝い。
 バザーの品物を並べ、値札をつけていく作業。みなさんのテキパキした動きに感心した。
 夜は、ジョイナスグリーの練習。本番前の最後の練習だった。

 10日は、多忙だった。
 まず、早朝、しんぶんを配達して、10時からは久世保育園のまつり。たくさんの家族づれで大にぎわい。
園庭で豚汁とおにぎりを頬張ったのだが、ちょっと風がつよくて大変だった。
 でも、息子はとても楽しそうだった。
 その後、僕は、自動車のタイヤ交換の段取りをしたのちに、やましろ合唱祭へ。京都府も後援する南山城一円のコーラスグループが出演する大きなイベントだ。33団体が参加した。
 不思議なもので、その日の体調や気持ちのもち方で、発声も変わってくる。どうも、ここ数日間の忙しさで声はあまりでるほうではなかった。それでも、それなりに歌えた。
 偶然、僕の目の前にライトがあたるようになっていた。舞台のうえでライトに照らされるって、客席からどうみえるかはわからないけれど、気持ちのいいものだ。
 そのあと、息子の子もりをしなければならず、舞台をおりたあとすぐに帰宅。
 妻が学校のことで、いろいろ飛び回らなければならないようになった。
 この時間、近鉄大久保駅前で知事選挙の大街頭演説会が行われ、1000名を超す参加で成功した。僕も当然参加したかったけれど、会場の横を車で「かする」のが精一杯だった。
 妻が帰宅後は、党の会議に遅刻して出席。

 ホームページのアクセスが7000を超えた。「京都民報」で紹介されたとたん、アクセスが増えた。うれしい限り。もっともっと精進したい。
 


 
 


2002年03月08日(金) 千羽鶴


 7日も本会議。一般質問が続いた。
 8日で一般質問は終了する。来週からは予算特別委員会がはじまる。
 
 いま、時間を見つけて練習している歌がある。

 僕の大好きなシンガーソングライターの野田淳子さんがつくられた「千羽鶴」という曲だ。
 1979年だった、と思う。神奈川県の厚木で、アメリカの戦闘機が民家を直撃。二人の男の子が命を失い、お母さんも瀕死の重傷を負った、という痛ましい事故のことを、野田さんが娘さんに話して聞かせたときのことを歌にしたものだ。

 僕は、この歌を野田さん本人の演奏で昨年東京で聞く機会があり、そのときにとても感動し、自分でも歌ってみたいという思いにかられた。
 野田さんにメールでお願いをしたところ、親切にもわざわざ楽譜を送ってくださったのだ。
 歌詞をコードをつけて手帳にうつし、情景を思い浮かべながら覚え、細切れの時間となるけれど、ギターで何度も歌っている。
 山本さとしさんの「ヒロシマの有る国で」とともに、僕にとって一生歌い続けたい、平和の原点の歌だ。

 いつか機会があれば、誰かに聞いてほしいと思っている。
 


2002年03月07日(木) 深夜に家族で帰宅

 昨日は、市議会の本会議二日目。一般質問が終日行われた。
 印象的だったのは、2つ。
 一つは、「4月の知事選挙で橋本市長は誰を応援するのか?」とのある議員さんの質問に対して、橋本市長は、「荒巻府政を継承する方を積極的に支援してまいりたい」とあからさまに答えたこと。
 市長は、政治家だから自分の政治信条を語るのは自由なのかもしれない。
 しかし、少し、というか僕にとっては大いに違和感を感じた。

 もう一つは、農業振興のこと。農業を営んでいる議員さんが、「地産地消」という言葉も使って、地元の農業の再生の必要性を力説された。
 これに対し、支援を強めていきたい旨の答弁を市長はしたのだが、先日策定された「都市計画マスタープラン」では、城陽の農業は、高齢化などの後継者不足などを目論んで、農地を縮小させる方向でまちづくりを誘導する内容となっている。こんな計画を一方では決めておいて、農業振興とはよくいえたものだな、と驚いた。

 夕べも妻が学校の生徒指導で遅くなった。学校をでたのが夜の11時前。
僕も、どうしてもはずせない会議があったので、息子を連れてでかけた。
 ビデオをみて過ごしてもらった。本当に申し訳ないと思っている。

 会議をしていた場所の近くまできて、三人で帰ってきた。
 時計が12時をまわりそうだった。
 眠いどころか、目がさえてまんまるになっている息子の顔をみて、涙がでそうになった。


2002年03月06日(水) 人間の心の弱さの隙間に寄生するものへの怒り


 昨日は、込み入った生活相談で午後から夜にかけて丸々時間を費やした。
 詳しいことは書けないが、あらためてヤミ金や多重債務の「あくどさ」に怒りを覚えた。

 リストラなどにあって、どうしても生活が成り立たない、あるいは企業家の人が社員に給料を払わなけれいけないのに、そのお金も工面できない。こうした急迫不正の場合にやむにやまれずサラ金などに手を出すということはあるだろう。本人の責任を指摘するだけでは不十分で、この場合は、もっと行政が支援をすることが必要だろう。
 だが、浪費癖、無計画な人生設計、等々による「甘い見通し」による多重債務などは、本人が真剣に生まれ変わる気持ちでその「地獄」から抜け出そうという決意と実践がなければいけない、と思う。
 その点で、僕は借り手の責任を免罪する立場ではない。

 しかし、しかしである。いまのヤミ金は法定利息の18%を大幅に上回る利子をつけ、手数料までとる。そして、本人がなかなか返済できないように、そこそこ払ったところで「融資追加」を押しつける。
 そして、払えなくなったら、別のシステム金融を紹介しながらどんどん借金を膨らませるのだ。
 相手が知識不足であったり、お金がどうしても必要という場合は強引に取り立てや借金の膨らませを平気でしかける。
 
 生活苦はもちろん、ものがあふれ、様々な欲望を刺激する現代において、人間の心の弱さの隙間に入り込んで寄生する。サラ金、ヤミ金や性の商品化などなど。本当に許せないと思う。

 サラ金や多重債務に苦しむ人の悩みの相談をうけ、自立に向うよう支援をすることを目的にした「道場」を開いている人がいる。もちろんボランティアで無償だ。頭が下がる思いだ。いろいろ勉強をさせていただいている。
 ここに、人間への信頼の希望と光がある。その光に導かれたい、心から。
 


2002年03月05日(火) 保育運動

3日は、ひなまつり。わが家は、息子ひとりなのでひな人形は買っていない。でも、息子は、「ひなまつり」の歌が大好き。何度も「歌って、歌って」とせがんでいる。
 ぼくは、城陽保育運動連絡会の役員をしている関係で、この日午後から京都市内にいって、「京都保育運動連絡会」の総会に参加してきた。
 小泉内閣は「待機児ゼロ作戦」を打ち出しており、たしかに保育に関する国家予算が増えている。
 しかし、よくみておかなければいけないのは、公的保育を充実させる動きではなく、民間企業が保育分野に参入することを応援する色彩が非常に強いということだ。
 保育は、日本の未来の宝物を育てることだ。ここに、コスト論をもちこんで、「安ければ安いほどよい」という論理を持ち込めば、必ず保育の質を下げ、安全性などなどが軽視される。
 早い話しが金もうけの手段に保育を使ってはいけない、ということだ。
 保育園に通う就学前の期間というのは、人間の自立する力などを身につけるうえで、本当に大切な期間だ。
 保育運動とは、人間の尊厳を守る運動でもある。

 夜は、久世保育園保護者会の三役会議。11時前まで熱心にはなしあった。保護者会の活動も自己改革が必要になっている。仕事の忙しさなど、社会の変化にあわせ、合理的でかつ交流の深まる保護者会活動をどうすすめるか、などを話し合った。

 4日は、議会の本会議。一般質問がスタートした。一般質問の特徴は、メルマガで報告したい。
 


2002年03月02日(土) 子どもミュージカルに感動

3月2日は、息子が保育園を休んだ。この間の僕と妻のバタバタした忙しさを敏感に感じ取って、寝る時間もだんだんと遅くなり、落ち着きをうしなっていることがよくわかったからだ。
 「保育園にいくか?」と聞くと、「ねんねしていたい」というので、保育園に事情を説明し休むことにした。案の定、息子は10時すぎまで熟睡。その間、僕はパソコンに向って、保育運動にレポートをまとめることができた。
 
 午後からは、久世小学校の5年生によるミュージカルを家族三人でみてきた。
 久世小学校の5年生が、総合的な学習の取り組みとして約4ヶ月もの間とりくんできたものだ。
 はっきりいって、感動した!!
 三歳の息子も、アップテンポで場面もどんどん変わる設定に飽きることなく釘付けになっていた。
 タイトルは、「ジャックスの冒険」というもの。あるすじは、こうだ。

 自分に自信のない弱虫なジャックス。ある日、塾に通う途中、雷にあい不思議な動物の世界へ迷いこんでしまう。ヒョウやライオン、チンパンジー、犬やネコなど、いろんな動物たちに出会いながら少しずつ成長していくという、夢と冒険の物語。
 それぞれの動物にふんしたメイクが本格的ならば、大道具なども全部手づくり。効果抜群の照明は、保護者が助っ人で操作。すべてが、本格的でみんなで一つのものをつくりあげる、喜びが体中からあふれていた。
 
 ぼくが少年少女合唱団で、最終的にやってみたいことを久世小学校の5年生たちは見事に実現していた!
 一人ひとりが主人公。音楽や演劇を通じて、自分を表現する力とつけること。みんなで力をあわせて創造すること。これらをみせてくれた。

 本当にありがとう、と心からいいたい気持ちだった。

 夜は、男声コーラスのジョイナスグリーの練習。3月10日が発表のステージ。僕は、午後のミュージカルの感動の余韻を引きずっていて、音楽の世界にすーっと入ることができて集中できた。
 
 活動再開へまだ道をつけられてない城陽市少年少女合唱団。
 学校完全五日制のもとで、子どもたちの自主的な活動、文化的な活動の受皿としてとても意味のある活動なのだ。なんとしても、再開を果たしたい。


2002年03月01日(金) 甘い対応

2月は28日にしかない。毎年のことでわかっていながらも、つい通常月と同じ感覚で、月内にやるべきことができずに3月を迎えてしまう。3月は知事選挙が告示される月。緊張してのぞみたい。

 昨日の朝、息子が保育園にいくなり、本来の遊ぶ部屋に行かずにごねた。
 パズルのような遊びをはじめてなかなか動こうとしない。こういうとき、大概僕は、我慢できずに「早よ、しいな!」と大きな声を出してしまう。

 保育園の先生方からは、「お父さんが甘いからですよ」といわれる。妻からも、「自分の都合や感情だけで叱るからよ」といわれる。
 実は、少しショックをうけている。自分を完成された人間などとは全然思っていないし、そんなことはありえないことだとも思っている。しかし、いちばん大切だと思っている息子への向い方でさえ、よりよく育つような方法と姿勢で迎えていない自分が恥ずかしい。

 教育とは、共に育つ「共育」だともいわれる。
 息子に対して甘い対応というのは、仕事のつめの甘さのような形であらわれてくるものでもある。
 「甘いですね」という一言に、ひるんではいけないなと思う。正面から立ち向かっていく気持ちが大切だと思う。
 

 


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