ヤグネットの毎日
DiaryINDEXpastwill


2002年02月28日(木) さようなら 松山千春

昨日は、ホームページの更新や生活相談の段取りなどなどで、昼間は結構忙しかった。
 「ムネオ疑惑」追及でいまや時の人となった佐々木憲昭衆院議員のサイトを仕事のサイトのトップページで、紹介しリンクをはらせてもらおうと、事務所に電話をしてみた。
 衆議院の佐々木室には、僕の大学時代の先輩が秘書で入っているので、その方が出てくれたらうれしいな、と思っていた。すると、「ぴったしカンカン!」(ちょっと古いか)、先輩が電話にでた。
 あの国会での質問以来、取材攻勢やテレビ出演などで佐々木室(事務所)は、嵐のような日々だそうだ。
 それだけ、国民の怒りを代弁し期待が集まっている、ということの証だろう。「健康に十分留意してください」とつたえ、快くリンク了解してもらった。

 この話しの関連で、もう少し書いておきたいことがある。
 昨日の昼、テレビ朝日系の番組で佐々木憲昭さんとシンガーソングライターの松山千春が激論を交わしていた。
 僕はなにを隠そう、松山千春の大ファン、だった。「だった」というのは、昨日の番組をみて、ファンであることに決別しようと思ったのだ。

 中学生二年生の宿泊学習の時のことだ。
 「赤面山(あかづら)」という、そう高くない山を登る企画があった。僕は、クラス委員としてみんなの先頭にたって歩いていた。ところが、山の中腹で同じクラスの女子が体調を崩し、歩けなくなった。
 そのとき僕は、その女子を背負って頂上を目指した。その道々で、歌ったのが、松山千春の「大空と大地の中で」だった。

 ♪ 果てしない大空と広い大地のその中で
   いつの日か 幸せを
   自分の腕で つかむよう
  
   凍えた両手に息をふきかけて
   しばれたからだをあたためて
   
   生きることがつらいとか
   苦しいだとか いうまえに
   野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ

 すがすがしい、空の青さと澄んだ空気のうまさを、いまでも覚えている。松山千春は、そんな僕の淡い青春時代の思い出に欠かせない存在だった。
 昨日とても残念だと思ったのは、松山千春は「音楽っていうのは、政治や宗教を超えたもの」といっていた。それは、正しいのだ。
 ところが、司会者から、「鈴木ムネオさんと同じ選挙区から衆議院にでる気持ちはあるのか?」と聞かれて、「バッチをつけなくても、政治活動はできる。生活していることそれ自体が政治にかかわっていることだ。ギターを弾くことで政治に参加することはできる」と答えていた。

 それならば、僕はいいたい。
 松山千春がまずやるべきは、テレビにでて、鈴木ムネオを結果として擁護するような発言をするのではなく、人道援助の名のもとに地元企業に便宜をはかり、施設には自分の名前を冠し、工事受注会社から政治献金をもらって、私腹を肥やす。国民の税金を食い物にする、という鈴木ムネオのゆがんだ政治姿勢をただすこと、それを音楽を通じてメッセージをだすべきなのではないか?と。
 「一方的に攻められるのは、公正じゃない。鈴木さんが可哀相」というのは、音楽がめざす、人間の心の解放、美しく価値あるものを求めるというものとは程遠い、それこそ「政治的」発言だ。

 だから、僕はファンであることをやめようと思った。
 自分の気持ちを音楽で訴えることをしなかった彼に失望したからだ。
 しばらく彼の歌はうたえないかもしれない。何か、自分の青春時代が傷つけられたような、もの悲しさを感じる。


2002年02月27日(水) 後味の悪い「不採択」


 26日は文教常任委員会だった。その前日、妻は夜10時すぎまで学校で生徒指導の対応に追われ、帰宅が夜11時すぎ。翌朝、僕は近鉄久津川駅に駅頭宣伝。生活リズムがバラバラで大変だ。
 親の仕事に翻弄されて、息子には本当に申し訳なく思っている。

 昨日の文教常任委員会では、富野幼稚園の改築問題や学校給食の移転問題など重要な課題が論議された。僕は、不登校問題で少し詳しく質問をさせていただいた。これは、メルマガで紹介したいと思う。

 とくに、書き留めておきたいのは、「陳情審査」のこと。文化複合施設である文化パルク城陽の駐車料金の負担軽減を求める陳情が、昨年から文教常任委員会に提出されていた。ところが、無料になっているままの他の公共施設の駐車料金との整合性云々の理由で、約1年「継続審査」となってきた。
 陳情の中身は、現在2時間までが駐車無料となっているものを3時間まで無料にしてほしい、というもの。
 当然の要求であり、陳情者の意向をくみとるべきだ、と一貫して主張をしてきた。

 ところが、今議会では、これまで継続審査を主張してきた議員の方から、「(無料時間を延長した場合に市が負担する金額)600万円とは、財政をさらに圧迫させる」「受益者負担はお願いしなければいけない」という意見が表明された。
 他方、中立会派の議員さんからは、「受益者負担の考えは一定理解できる。しかし、いまの経済状況などを考えれば、陳情者の趣旨を十分汲み取って、行政に反映させるという意味で「趣旨採択」すべき、との意見が出された。
 「趣旨採択」とは、もともとの陳情(これを原案という)への修正議案とみなされる。前々から原案である「文化パルク城陽の駐車料金の負担軽減を求める陳情」を早く採決し、採択(議会として賛成の意志を表明すること)を主張してきた僕たちの会派にとっては、この時点で一つの決断を迫られることになった。
 あくまで、「原案」の採択を主張するのか、それとも「趣旨採択」という「修正案」に賛同するのか。仮に、趣旨採択が賛成多数で採択されることになれば、原案はその時点で消滅する。しかし、趣旨採択が否決されれば、あらためて原案が採決に付されることになるわけだ。
 
 結果は、趣旨採択が否決され、原案も否決された。つまり、この陳情は文教常任委員会としては、賛意を示さない、ということになったのだ。
 僕は、趣旨採択に賛成する討論をしたので、原案には「反対」という態度にならざるをえない。(わかりづらいが)原案の中身には賛成なのに、賛成に手をあげられない。ーーー後味の悪い陳情「不採択」だった。
 しかし、趣旨採択とは、陳情に賛成することと同義である、という見方もある。
 一方的に否決してしまうより、趣旨採択を主張された方の見識に心を動かされた。そういう方と行動をともにできたのは、これまでの流れに一石を投じる結果になったのではないか、と自分を納得させている。みなさんは、どう思われるだろうか?


2002年02月25日(月) 再就職のうれしい知らせ


 24日は、朝から地域でポスターはりを行った。
 これまではっていただいたことがあるお宅に、「短期間ですがぜひポスターをはらせていただきたいのですが」と知事選挙での支援と協力を訴えた。久しぶりにOKしていただいたお家などもあった。やってよかったね、とみんなで喜びあった。

 午後は、知事選挙の城陽連絡会の事務所びらきに参加。
 夜は、メルマガの発行とホームページの更新作業。となりで、息子が妻のパソコンを使って、「トイ・ストーリー」のCDで遊んでいる。マウスを使って、ドラッグ&クリックなどを自然にやってしまう。
 子どもの吸収力には、本当におどろく。

 夜、食事中に保育園で同じクラスのお父さんから電話がかかった。
 以前つとめていた会社が倒産し、求職中だった。三歳の息子さんとまだ下にお子さんがいる。
 不安やプレッシャーでいっぱいだったと思う。
 電話の声は弾んでいた。思わず僕も、「やった!」と声をあげた。
 新しい環境になれるのも、苦労がいると思うががんばってほしいと思う。
 同じ世代の人間として、我がことのようにうれしかった。本当におめでとう!

 


2002年02月24日(日) 番狂わせ

 

 ウィークデーに日記をつけるのは、ゴミ出しや洗濯物干しなどを一通りやったあと。
 週末になると、ウィークデーと生活のリズムが変わるので、ついつい日記もさぼりがちになってしまう。  
 22日と23日のことをまとめて書いておこう。
 
 順番は逆になるが、23日は午後から滋賀県甲賀郡の「忍術村」に家族でいってきた。
 妻の仕事がこの間、あまりにハードでストレスが相当たまっているので、緑豊かなところで少しリフレッシュをさせてあげたいという思いと、息子もこの間の親の多忙で落ち着きを少しなくしていたので、わが家にとっては、どうしても必要なイベントだったのだ。オフシーズンだったこともあり、人はまばらだったが結構たのしめた。写真も何枚かとったので、機会があればサイトで紹介したい。

 22日は、平成14年度第1回の定例会。冒頭に市長の施政方針をかねたあいさつがあった。
 開会にあたっての、僕たちの会派の声明は公式ホームページに掲載するので、ぜひ多くの方に読んでほしい。(もちろん、メルマガでも送信する)
 予算議会の初日は、提案されている予算案を審議する予算特別委員会が臨時に招集され、正副委員長を選出するのが恒例である。
 この日も本会議終了後、予算特別委員が集まり正副委員長をきめる話し合いがされた。ちなみに僕は今回予算委員にはなっていないので、ここからの話は、同僚議員と新聞報道を総合しての話しだ。
 これまで委員会の人事は、共産党排除などを目的として、いわゆるベテラン議員などを中心に事前の根回しが入念にされていた。選出の前に短時間の休憩がとられ、立候補の意志を委員に問い、事前に声をかけれられている人が「私がやります」と立候補する。仮に僕たちの会派が立候補をしても、選挙では数が足りないので、根回しされた候補者が当選する。
 ずいぶんと長い間、こういう前時代的なやり方が踏襲されてきたのである。
 
 ところが、昨年9月の市長選挙後、これまでのやり方に異義を唱える声が公然と出始めた。今回の予算特別委員会での正副委員長の選出でも、大きな番狂わせが生じて、ちょっとした波紋を各方面に広げている。
 まず、会派別の委員数は17人だ。内訳は日本共産党4人、緑の会2人、城志会2人、公明党2人、自民党市民クラブ2人、市民クラブ1人、ひびきの会1人、無会派1人、これに正副議長が各1人。
 委員長選挙では、最初に自民党市民クラブの野村議員が手をあげた。その後、公明党の宇治議員と城志会の大西議員も立候補。大西議員は中立会派なので、与党会派から2人も立候補してしまったことになる。もともとの本命で誰を決めていたのかは不明だが、従来の「根回し」がまったく機能しなかったことだけは、確かなことだ。
 結局、中立会派の大西議員が委員長に選出された。副委員長は大西委員長からの指名で宮園委員長が選ばれた。
 注目すべきは、票の割り振りである。大西議員は8票、宇治議員は6票、野村議員は3票。僕たちの会派は、橋本市政に中立を宣言している大西議員に投票した。すると、少し計算があわなくなる。つまり、大西議員が獲得した8票のうち、4票は共産党、2票は城志会、1票は無会派議員(であると思われる)。あわせても7票しかなく、1票足りない勘定となる。この1票は誰が投じたのかは、不明だ。
 しかし、この番狂わせは、予算審議はもちろん今後の議会運営にも大きな影響を与えることは間違いない。
 新しい風がふいた格好だ。この風が、もうすぐ訪れる春の風のようにさわやかであたたかさを城陽市政と議会に呼びこむものとなるようにしたいものだ、とつくづく思う。
 


2002年02月22日(金) 父親の威厳

 
 この間、日記でも妻の学校が大変になっていると書いてきたけれど、ついに新聞で「6人の中学生を逮捕」との記事がでた。
 詳しいことは書かないが、子どもたちの「心の荒れ」に学校や家庭も含めて、大人たちがどう向き合うのかが、問われていることだけは間違いない。 
 
 母親の帰宅が遅い日が続いたこともあって、最近3歳の息子の落ち着きがない。
 一昨日は、母親が「今日は保育園にお迎えにいくからね」と約束をしたものの、結局迎えにきたのはぼくだった。それまでご機嫌だった息子は一気に不機嫌モードに。
 
 「ぼく、イズミヤにいって、おもちゃみたい。」と言いはじめた。
 「今日は、いかないよ。お家帰って御飯食べよう」と父親の僕。

 「いや!イズミヤにいって、おもちゃ、いっぱいほしい〜!」と最高のテンションに。
 
 こうなると、息子はガンとして言うことを聞かない。
 結局、イズミヤにいって、おもちゃ売り場でいろんなおもちゃにさわって遊び、
 ひとつだけ、前からほしがっていたおもちゃを買った。

 翌日、このことを保育園で先生に話すと
 「そろそろ、お父さんも厳しくするところは厳しくして、父親の威厳をみせたほうがいいですよ」
 とアドバイスを受けた。たぶん、そのとき僕は顔が真っ赤になっていたに違いない。恥ずかしかった。
 父親の威厳。厳しい一言。でも、ふるかえると僕にとって、父親の威厳というものは、実感できずに育ってきた。毎日帰宅が遅かった父。休みは、ゴルフとかひとりで外にでてしまっていた父。
 いまの僕にとって、父親の威厳というのは憧れと同時に、自分の中でイメージできるものがないものなのだ。

 「おもちゃでつる」ようなことをしてはいけないことも、頭ではわかっている。一般論としてはよくわかる。でも、母親の帰宅が遅いことが続くのは、息子に責任があるわけではなし、どうしても「かわいそう」という思いが先にきてしまって、甘い対応になってしまう。本当に難しい、と思う。

 話はそれるが、その日イズミヤでは、7時をすぎようというのに、100円コインのゲームコーナーでは、小学生がたったひとりゲームに熱中していた。
「こんな時間に。御飯は?おうちの人心配していないのかな?」と思ったが、恥ずかしいけれど、そのときは息子のことが手いっぱいで声をかけられなかった。

 昨日は、城陽市少年少女合唱団のことでスタッフが集まった。詳しいことは書かないが、熱心に再生にむけてスタッフをやってくれていた女性がやめることになった。
 活動が休止状態になったいた合唱団をなんとか盛り上げようと、みんなで思いを共有してがんばろうとしていただけに残念だ。彼女と他のスタッフとの間に、少しずつ思いにズレが生まれ拡大していった。コミュニケーションというものは、本当に難しい。この件は、まだ自分のなかでも整理ができていないので、機会があればまた書きたい。
 合唱団再生にむけての事務局的な仕事は、ぼくが引き継ぐ。一緒に活動してくれるスタッフを広げることが当面の課題だ。この日記を読んでくれている人で、城陽周辺で力を貸してくれる人、あるいは貸してくれそうな人を知っている、という方いればぜひ知らせてほしい。

 最後に。今日から、3月議会。また、忙しくなる。3月議会の焦点などは、メルマガで詳しく書くので、ぜひ読んでみてほしい。
(メルマガは、ぼくの公式サイトから購読ができま〜す。)
 


2002年02月20日(水) 初めて子連れで会議

 19日は、予算議会にむけての諸準備で、議員団室で一日をすごした。
 
 この日記でも何度か書いているけれど、いま学校現場は大変だ。
 妻の学校でも、「荒れ」は極限状態といえるかもしれない。
 生徒指導の関係で、最近9時前に帰ったことがない。

 昨日も、結局帰ることができず。ぼくは、息子に夕食を食べさせて、どうしても出席をしなければいけない会議に、子連れで参加。初めての経験で、おとなしく聞いてくれているだろうか、と心配だった。
 でも、ちょこんとぼくの膝の上にのって、静かに聞いてくれていた。

 ぼくの報告が終わると、「かえろうよ」と目で促す。
 みなさんにお詫びをして、先に帰らせてもらった。

 家にもどると、まだ妻は帰っていない。

 息子は、ガマンしているのかもしれない。夜ねるとき、妻は息子ギューッと抱き締めてあげていた。

 


2002年02月19日(火) 誰のために


ここ数日、日記を書くのをさぼってしまった。
 18日は、朝から会派の団会議。予算議会が22日からはじまる。
 来年度の予算案も提案されたので、予算案の吟味等を中心に夕方まで議論
 を重ねた。
 
 17日の出来事を書いておこうと思う。17日は、職場の党組織の仲間たちと地域を歩き、京都府知事選挙での支援や「しんぶん赤旗」「京都民報」の購読を訴えさせていただいた。夜は、ある自治会の方からの相談で、午後6時から外出。

 一緒に行動していただいた方の知り合いの家でのこと。職を失い、いま日雇いで働いている。
 玄関先で出た言葉が、「行政も政治家も信じられるか」。射るようなまなざしで、その方がぶちまけた話は、こうだ。

 自分は、今日食べていけるかどうか、ホームレス寸前のギリギリの生活をしている。
 政治家やマスコミに出てくる評論家は、生活が安定しているくせに、高いところから評論しているばかりだ。信じられるのは、自分のこの体だけだ。サラリーマンの医療費負担を3割負担というが、自分はその医療保険にすら入らずに必死に働いている。子どもたちが荒れているというが、それは大人社会の反映だ。大人社会で、職場をやめざるを得ないような陰湿ないじめが平気でやられている。その反映が子どもの荒れにつながっていると思う。せっかく訪問してもらって悪いが、自分と家族のことで精一杯なので、政治のことなど考える余裕がない。

 話す途中、ぼくの名刺と議員バッチに時折目を向ける。ぼくは、その方の迫力に圧倒されて、一瞬言葉を失った。ようやく出た言葉は、
 「小泉さんがすすめる構造改革は、いまお話いただいたようなリストラに苦しむ人たちをもっと増やそうというものです。私は、そういう政治が絶対に許せません。まじめに働いて生きる人たちが大切にされる政治をつくりたいとがんばらせていただいています。」というのものだった。

 新聞の購読はしていただけなかったが、考えさせられた。住宅ローンなどいろんな面で経済的な負担をおってはいるが、いまの僕はなんとか生活を成り立たせていただいている。
 しかし、いま仕事を奪われ、あるいは奪われそうになっている人たちがたくさんいる。

 時に、くじけそうになったり、「こんなもんでいいか」と妥協する自分がいる。
 また議員以外の仕事でも、保育園の保護者会、保育運動連絡会、に加え男声コーラス、少年少女合唱団を復活させる活動、そしてもともとは、党を強く大きくしていく大仕事がある。
 いろんな活動が錯綜する。少し気を緩めると、収集がつかないくらいの忙しさになる。
 
 でも、そんなときにいつも原点にたちかえる。

 「誰のために、おまえは頑張るのだ?」。

 僕は、自分の能力や人生を自分の幸せだけではなく、まわりの人たちの幸せのために生かしたい。自分の人生を社会進歩のために少しでも役立たせたいと、思ってきた。いまも思っている。
 誰のために?を問い続ける姿勢こそ、忘れてはならないことなのだ。


 


2002年02月16日(土) 憲法知事の誕生を


 午前中は、予算議会にむけての議会運営委員会。来年度予算案などが議会に提案された。これから、また急がしくなる。
 午後からは、少年少女合唱団のスタッフ会議があったのに、仕事がどうしてもはずせず、大変な迷惑をかけてしまった。忙しいのはみんな同じだし、そのことを前提にして自分のスケジュールの調整などをやらなければいけないな、と深く反省した。
  

 夜は、4月に行われる京都府知事選挙にむけて、学習交流集会が行われたので、地域の方を車にのせて参加した。文化パルクのふれあいホールで開いたのだが、各団体、地域からたくさんの方がたが参加。
 女性のみなさんや建築労働者のみなさんは、それぞれパネルシアターや寸劇などで要求と決意を披露。
 大いに盛り上がった催しとなった。
 
 冒頭、森川明さんがあいさつ。出馬を表明後はじめて、森川さんの話を聞いたが4年前よりも確実に演説もうまくなっているし、話しがリアルになった。小泉改革が痛みばかりをおしつけるのであれば、府民の防波堤となる知事が必要。そして、憲法をふみやぶって有事法制などの企みがあるなか、憲法を守ることをはっきりと主張する、憲法知事が必要という、自らのことばで知事像を語る姿等は、とっても力強くてグッドだった。
 憲法知事。ぜひとも誕生させたい。


2002年02月15日(金) バレンタインデー


 昨日も学校調査で小学校を2つ、中学校を1つ訪問してきた。
 新しい発見があった。数日前の日記で「小学校に簡易シャワーが必要だ」と書いた。
 昨日訪問した小学校では、アトピーの子が4人いて、とくに夏場などはシャワーで流してあげないと
 痒くてかゆくて(実際には、こんな言葉では表現しきれないくらいだと思う)大変。
 校長先生をはじめ先生方が強く声をあげて、昨年の9月に市内ではじめて簡易シャワーが設置されていた。
 本当に役立っているそうだ。やはり、現場を歩かなくてはいけないな、と強く思った。

 中学校では、教室に入らない生徒が先生にからんでいる姿をみた。
 女性の先生が毅然として立ち向かっている。
 ぼくの妻も中学教諭。毎日くたくたになって帰ってくる。日記には書けないような事態が毎日おきている。
 妻の姿とダブってしまって、こみあげるものがあった。
 
 昨日はバレンタインデー。妻は学校の生徒指導で帰宅が9時30分。ぼくが息子に食事をつくり、二人で過ごしていた。帰ってきた妻は、まずは息子にチョコレートをあげ、そのついで(!)にぼくにもチョコをくれた。みんなでわけあって食べた。

 今朝、息子が「おとうちゃん、おっぱいチューチューさせて」とねだってくる。
 たしかに、ぼくは太りすぎて「豊かな」バストかもしれないが、これだけは勘弁してほしい。
 「お母ちゃんに、お願いしいな」と朝食の準備で慌ただしい妻にふった。
 一分一秒を争う朝のひととき、息子は母親のおっぱいをガブリ。
 とても安心したような息子の表情が印象的だった。バタバタしているからさびしかったのかな。

 


2002年02月14日(木) 学校教育と社会教育


 引き続いて学校調査を行っている。昨日は、地元の中学校にお邪魔してきた。
 最高時1200人を超える学校だったのが、現在は500名弱。半分以下に減少している、とのこと。
 余裕教室等を活用して、図書学習室なども整備されていた。
 とくに、図書室がきれいに本が整理されており、過ごしやすい様々な工夫をされていることが印象的だった。
 
 僕が中学生の頃、いまからもう20年も前になるけれど部活動が学校生活で大きな割合を占めていた。
 このことについては、明日少し詳しく書きたいと思う。
 現在はどうか?子どもたちの数が少なくなっているもとで、一つの学校では大会に参加することが困難になる、という状況も生まれているとのことだ。
 そして、学校の先生が顧問をする、ということも難しくなって社会人講師の方に援助をお願いする例も生まれていいる。

 僕の意見が正しいのかどうかは、いまのところ勉強不足でわからないが、これからの学校というのもは、いっそう地域に開かれていくべきだ、という思いがある。
 ひとことで言えば、学校教育と社会教育の積極的な交流、とでもいえるかもしれない。
 というのは、子どもの躾や学力、人間関係の構築などを「学校にまかせておけばよい」という時代では、なくなっているのではないだろうか?
 家庭、地域、学校の連携ということはくり返し言われるけれども、そのことをより緊密にしていく、よりつっこんだ手立てが必要になっているのではないか、という思いがある。
 そして、生涯学習ということばはよく聞くが、社会教育という言葉は最近めっきり使われなくなった。
 このことも、あらためて書いてみたいことだが、いずれにしても、学校教育と社会教育の積極的交流、というテーマについて、この問題意識をさらに深めたいと思っている。
 ぜひ、この日記を読まれている方からのご意見を聞かせ欲しい。


2002年02月13日(水) 学校調査


 時より粉雪がちらつくほどの寒さ。いまが一番冷え込む時期。保育園の息子のクラスでも風邪が流行っているようだ。
 
 12日は、市内の学校調査にあわただしく走り回った。
 来年度の予算を審議する3月議会が2月22日から開会する。
 来年度予算案は現時点でコンクリートされてしまっているから、あらたに施策を盛り込ませるというのはかなり難しいのだが、予算審議を通じて指摘したり要望した中身が、その後補正予算等で反映されることも結構多い。
 学校施設がどうなっているか。僕らの会派では、直接、現場をみて予算審議に反映できるようにしようと話し合っていたので、今週いっぱいで市内小学校10校、中学校5校を7人で分担して訪問することにしたのである。奥村議員、ごどう議員と一緒にまわった。本当は、教育条件、教育のなかみまで立ち入って、先生方からお話を聞かせていただけたらいいのだが…。
 
 12日は、3つの小学校をまわった。
 校門をくぐる。ピアニカを奏でる音、子どもたちの歓声、そして給食のにおい。もしかしたら、廊下の角から25年も前の小学生のころの自分がかけだしてくるかも…そんな感覚をよびさまさせる風景だ。
 「こんにちわ!」「今日は、何をしにこられたのですか?」行き交う子どもたちが、次々こんな言葉をかけてくる。かわいい。この子たちのために、できることは何でもしてあげたい。そんな気持ちにさせられた。

 僕たちの市の学校施設は他市に比べたらメンテナンスなどを丁寧に行っているほうだ。施設自体はどうしようもなく古いが、ていねいに使われているという印象を受けた。
 3つの学校を訪問したなかで、気づいたことは3つ。
 1つは、保健室に簡易シャワーをつけるべきだ、ということ。小学生でもおもらしをしてしまう子もいるそうだ。またアトピーの子にも、温水シャワーなどは欠かせない。保健室には給湯器がすでに設置されている。工事費はそんなにかからないのではないか。
 2つは、小学校区によって子どもの数、そして今後の増加数にアンバランスが生まれている。ある学校では空き教室や学校内のスペースが不足していることが悩みの種、とのことだ。一方で、空き教室の活用をどうすすめるのか、が重要課題として検討されている学校もある。
 3つは、特別教室のこと。城陽市ではすべての小中学校にコンピュータ教室を設置。二人で一台のパソコンが使える。また、図書館や音楽室に空調設備がついている。とくに図書室などは、地域の団体や来客接待などにも活用されているそうだ。
 
 13日、14日と学校調査は続く。少しでも予算審議に生かせるように、一生懸命みて、聴いて、話してこよう。

 夜は、保育運動連絡会の会議。前日からバタバタと準備に追われた。
 前の会議から約二ヶ月も準備期間があったのに、直前にならないと準備できない自分の無計画性が嫌になる。
 


 


2002年02月12日(火) 多忙な3連休


 今朝は、とびきりの寒さ。ガレージにおいてある車はフロントが完全に凍てついた。
 久しぶりに久津川駅の駅頭にたち宣伝をしたのだが、手がかじかんだ。まるで氷の塊を両手で持ち続けているようなジーンとした冷たさを感じた。
 ポケットからわざわざ手を出してビラを受け取ってもらうのも悪いような気がしてしまう。
 この寒さのなか、駅を通って出勤する人たち。
 どんなに寒くても、出勤しなければいけない。働いて食べていかなくてはならない。
 働くとは、まさに生きていくために欠かせないものであり、自己実現の大切な場だ。それを、「構造改革」の名で、いとも簡単に切り捨てていく政治でいいのか。
 ぼくの掲示板に、ある女性から書き込みがあった。
 「NTTに勤める父親が本社にのこるか関連子会社にでるのかで悩んでいるようだ」という。
 幸せな家庭に容赦なく襲いかかるリストラの嵐。
 資源に乏しいわが国において、宝ともいえる人間を大切にせずにしてどうして社会の発展や安定があるだろう。根本をはき違えたいまの政治のやり方に怒りを覚える。そして、真っ白な息をはきながら、ぼくの前を通り過ぎる通勤の人たちの急がしそうな姿をみるにつけ、僕の立場でできることを精一杯やらせてもらうことが本当に必要なんだと思った。

 この三連休はバタバタとした。
 知事選挙目前であり、ポスターはり、音の宣伝、そして僕たちの主張を知ってもらうための新聞読者を増やす活動などなど。その合間をぬって、家族で買い物にいった。
 連休があけて、なぜか、息子のおもちゃがまた増えた。

 今朝は、息子が保育園にいくのを渋って、困ったこまった。僕は、9時半に人とあう用事があった。
大概、連休明けと親が忙しくしているときには、保育園にいくのを渋る。
 「きょうは、もうほいくえんにいかないの。うちにいる!」と頑としてきかない。こんなときは、僕はもうだめだ。
 「早くして!」「協力してよ!」「わがままいうんじゃないの!」を連発。こんなに急かしてはいけないとは、思いつつ、ついつい出てしまうこの言葉。
 ごめんなさいね、むすこさん…。

 ホームページの更新ができずに少し焦りぎみ。
 
 


2002年02月09日(土) 視察から帰る

6〜8日と会派の出張だった。
 帰ってからも何かとあわただしくて、公式サイトもプライベートサイトも更新したいのに、時間がとれず。
ようやく、日記から手をつけて書き始めているところだ。
 
 今度の視察はとても勉強になった。
 詳しくはメルマガで書こうと思うが、徳山市では市民活動支援センターの施設と活動の様子を見させてもらった。新幹線が止まる駅なのに「倒産」した駅ビル。その空き店舗スペースを利用して市民の自主的な活動を支援するセンターを「公設公営」でたちあげているものだ。
 地縁型の住民組織だけではなく、環境や福祉といった「テーマ型」の市民運動の組織をも視野にいれて、情報、会議スペースの提供、コピーや印刷機も安い使用料で使える…。
 まちの活性化とは、人の活性化である。そういう問題意識が伝わってくるとりくみだと感心した。

 太宰府市では、「まほろば号」という市内循環バスと「まほろば2000年会議」というまちづくりの計画に住民参加型で取り組んでいる実績を学ばせていただいた。
 太宰府市は、菅原道真公が祭られている太宰府天満宮はあまりにも有名だ。平日だというのに、観光客が目立つ。駅から降り立つと、吹きぬける風が4月上旬の頃のように、すがすがしくてあたたかい。さすが九州。
 
 
 「まほろば号」は、公共施設と公共施設、そして観光地などを結ぶ、お年よりや体の不自由な方にはなくてはならない移動手段となっている。いただいた資料では、初乗り180円で最高200円という運賃だったが、今年の1月から料金改定をし、「どこまで乗っても100円」となった。前年度比で3800人も乗降客が増えたそうだ。

 太宰府市の視察で感じたことは、2つ。
一つは、「まほろば2000年会議」の取り組みもそうだが、徹底して市民の声を聴き、市民の声を行政に反映させるとりくみを重視していること。「まほろば号」のバス停はすべて住民のみなさんからの要望を聴き、住民自身に決めてもらったとのこと。これには驚いた。また、太宰府市の将来について考える「100人委員会」という検討委員会委員を募集したところ、200人を超える応募があり、選考に苦慮したそうだ。住民の行政への参加意識が高い地域なのかもしれない。
 もう一つは、職員の平均年齢がとても若いこと。40歳代の半ばぐらい、だとのこと。たしかに、視察で説明をしてくれた職員はみんなぼくとあまり年齢が変わらない人たちばかりのようだ。
 「まほろば号」への試乗に同行していただいた職員の方(布施明にとても似ていた)は、バス停でわたしたちが質問を浴びせると都市計画図をバッと広げて人家の塀に押しあて、一生懸命に説明してくれた。
 見ていて、とてもさわやかだった。

 今回も電車での移動が多かったので、移動中は読書にいそしんだ。体調があまりよくなかったので、食事後宿の部屋でも読んだりしたので、結局三冊も読破してしまった。

 実は、今回あまり体調がよくなかった。食欲があまりなくて。
 肥満のぼくにとっては、そのくらいがちょうどいいのかもしれないけれど…。いまも、お腹がいたい。
 

 
 


2002年02月05日(火) 共感と共生の運動を


 4日は朝からあわただしかった。
 ある方から、デンマークの精神障害者福祉の現状についてのレポートの印刷を頼まれて、10時までに完了させてお届けした。
 午後からは、来年度予算に向けての行政からのヒヤリング。
 その後、お子さんが長期間不登校になっているお母さんからお話を聞かせていただく。
 学校や教育委員会、そしてぼくたち自身が不登校というものを、「学校に元気に登校できる状態にする」ことが不登校への対策の基準にしていなかっただろうか?そのために、時として過剰なまでの登校「指導」をしてこなかっただろうか?不安や不信にさいなまれている本人やその家族の心の内側まで入って共感する、という粘り強い取り組みをすすめてきただろうか?反省させられることばかりだ。
 不登校加配をつけてほしい。この心からの叫びも、「お金がないから先生は増やせません」。
 優勝劣敗、強きものだけが生き残るーーこれは、ぼくが中学や高校時代の受験競争のなかで疑問に思いつづけてきたこと。いまの「構造改革」路線、規制緩和、グローバリズム等々は、すべてこの「強きものだけが生き残る」イデオロギーと論理に貫かれている。
 こうした論理と行動原理そのものに批判をくわえ、グラスツールの共感と共生の運動こそ必要になっていると思った。ちょっと抽象的だけど…。
 ぼくのような仕事にあるものは、論理構築だけではなくそれをもっとも身近な地域社会で実践してこそはじめて生きた力となるのだから。

 6日から8日まで議会の出張。今回は、徳山市と太宰府市へ会派の視察。
 ということで、この期間日記はお休み。視察報告はメルマガで報告予定。
 
 
 


2002年02月04日(月) 木津川マラソン ボランティア



 今年で19回目を迎える木津川マラソンのボランティアに参加してきた。
 木津川マラソンは、小学生からお年よりまで誰でも気軽に参加できる、手づくりマラソンとして全国的に高い評価を得ている「市民マラソン大会」だ。「環境マラソン」をうたい、ゴミを出さない大会。いわゆる「足きり」がなく、フルマラソンで9時間かかっても、スタッフがあたたかく迎えてくれる。
 銭湯を貸しきりにして汗を流してもらう。参加者全員にあたたかいうどんがふるまわれる。
 どれをとってもユニークで、参加型と「ランナーが主役」が貫かれているのだ。

 ぼくの仕事は、「監察」。気持ちよく安全にランナーが走れるように交通整理やランナーを激励することだ。
朝8時30分に家を出て、10時前からコースに立つ。小学生から最高齢82才の方が寒風をついて、さっそうとゴールを目指して走り抜けて行く。
 3キロコースでは、もうみんなが忘れてしまったと思う時間に、ひとりの男の子が歯を食いしばって走ってくる。沿道では、お母さんや付き添いの人が懸命に声援を送る。
 ぼくは、言葉がでなかった。しゃべると涙がでそうだったので。

 それぞれが自分の可能性を広げるために懸命に努力する姿は美しい。
 そして、そんな人間の可能性を支援し、スポーツ人口の裾野を広げるために毎年毎年取り組まれるこの大会は本当にすばらしい。
 はじめてボランティアに参加した方を車で送った。
 70才前だからまだまだ若い方。その方が、
 「元気をいっぱいもらった。もっともっと生きようとおもった」と実感を込めてお話をされていたのが印象的だった。そんな感動を与えてくるのが、この木津川マラソンなのだ。

 みんなの一生懸命走る姿に刺激をうけて、ぼくも走ってみたくなった。
 この気持ち、三日坊主に終わらせてはいけないな。
 


2002年02月03日(日) 市町村合併 その2


 午後、宇治市内で開かれた市町村合併に関するシンポジウムに参加してきた。
 定員400人だったが500人を超える参加者。関心の高さを示していた。

 詳細は、メールマガジンでお伝えしようと思う。
 日記では、シンポジウムに参加して率直に感じた感想を1つだけ。
 基調講演で東大大学院教授の森田朗さんは、大要次のようなことを話された。

 ○平成13年度で国と地方の支出総額は、約163兆円。税収入は約半分の85兆円しかなく、あとは借金。こうした体質は国全体で666兆円の借金に膨らんだ。税金では返していけない。これ以上借金を増やさない方法を考えなければいけない。いま地方自治体は財源不足を国からの交付金や補助金で賄っているが、国の財政が厳しくなっている現状をはじめ、少子高齢化、右肩上がりの経済成長の終焉などの社会状況を考えれば、大胆な発想の転換が求められる。そのために、万能薬ではないが有効な方策の一つが市町村合併だ。
 国からの押しつけではない、あくまでそこに住む住民の主体的、自主的な判断だ。

 しかし、その後のシンポジウムで森田さんは、「合併しなければ相当住民に税負担を求めなければ、住民サービスは確実に低下する。合併をしてはじめて現状維持だ。」とも述べられた。

 ということは、事実上、市町村合併しかメニューは用意されていないわけだ。

 でも、ぼくは素朴な疑問がいくつも湧いた。

 第一。国と地方あわせて借金は666兆円に膨らんだが、その原因は歳出よりも歳入=税収、が慢性的に不足している「体質」にあるという。
 しかし、果たしてそうだろうか?いや百歩譲って、「それだけ」だろうか?
 バブル経済崩壊後も異常なまでの大型公共事業の推進をうたい、あるときは地方自治体に「借金のすすめ」までして大型公共事業をすすめさせてきたのは、誰だったのか?
 また、住民の福祉や教育をなおざりにして、大型プロジェクトをすすめる財源確保に血道を上げたのは誰だったのか?
 その当事者たちの深い反省と政策の根本的転換ぬきに、いくら「右肩上がり経済の終焉」や「少子高齢化」という状況説明をしても、有効な対策、答えが導き出せるだろうか?
 今回のシンポジウムに参加しても、この疑問への回答は得られなかった。

 この合併問題のスケジュールはどうなっているか?
 平成17年(2005年)の3月31日までに合併を完了していれば、財政的な優遇措置を受けられるそうだ。この優遇措置はその後継続される見込みは少ないという。
 事務手続きには、最低22ヶ月を要するという。1年と10ヶ月。今が14年2月だから、平成15年1月からは具体的な合併に関する手続きがはまる。
 つまり、あと1年もない期間で、市町村合併をするか否かを住民自身が決めなければいけないわけだ。
 これは、身近なくらしに引き寄せると決して他人事ではなくなる。
 たとえば、4つの合併すれば市役所庁舎は4つあったのが1つに減らされる。
 これまでは近くにあったのに遠くなる。区役所や支所のようなものをつくらなければ、お年よりなどには大変なことになるだろう。
 なによりも、「なぜいま合併なのか?」「どんなメリットやデメリットがあるのか」「わがまちが合併されたらどうなるのか?」などをできるだけ詳細なデータを住民に示すことが急務だ。
 そのために、ぼくも奮闘したいと思う。
 

 


2002年02月02日(土) 市町村合併


 昨日は午後からずーっと会議。
 夜は、子もり。チャーハンをつくったぞ。
 息子に「合格?」と聞くと、
 ニコニコして首を横にふるだけ。「オイ!」
 7時半すぎにかえってきた妻は、
 「おいしい!めずらしい味だわ」
 褒められたんだろうか?

 2日は午後から宇治市文化センターで市町村合併についてのシンポジウムがあるので参加してこようと思う。

 市町村合併とは、早い話が国が地方へおろすお金がこの財政危機のなかでしんどくなってきているので、「平成17年までに合併すれば、財政的な措置は相談になりますよ」という国からの誘導型。
 別に、そこに住む住民みんなが望んでいる動きではない、とぼくは思っている。

 城陽という名前がなくなるかもしれないのだ。
 地元出身のある議員さんと話をしていたら、
 「これからは、人口10万人以内の都市がもっともまちづくりをしやすいのでは」とお話をされていた。
 まったく同感だ。
 しっかり、勉強をしてこようと思う。そして、正確な情報をどんどん提供して市民のみなさんと一緒に考えていきたいと思う。


2002年02月01日(金) SSW(スクールソーシャルワーク)

 ここ数日、とても寒い。明後日は節分だ。
 寒い季節からあったかい季節へ、政治の世界にも早く「節分」を迎えさせるようにしたいものだ。

 永田町でのドタバタ劇。小泉さんは、自民党を変えるといって総理のイスを手に入れた。なのに、今度の一連の出来事で、もっとも自民党的な解決をはかった。国民の支持が急落するのも当然だ。
 喧嘩両成敗で田中真紀子さんと外務省の野上事務次官を「処分」、鈴木宗男氏が議院運営委員長を辞任。
 しかしこの問題で、もっとも注目しておかなければいけないのは、鈴木氏の動向ではないか。だって、今回の決着のつけ方は、外交族の鈴木宗男氏が引きつづいて外務省に顔を利かすことができる、という構造そのものには何らメスが入れられていないからだ。外務省だって、第二、第三の「野上事務次官」が出てこないとも限らない。
 政治と官僚との癒着。それが国民の目にさらされることをあらゆる権力機構を使って、隠ぺいする。この旧来型の政治構造を打ち破ってほしいというのが、小泉総理に国民が期待していたことではなかったか?
 それが、裏切られた。でも、裏切られているのは、実はこの問題だけではない。
「構造改革で財政も景気も好転する」というこの主張こそ、いちばんのまやかしなのだ。このことを、もっと国民に知らせなくてはいけない。「なぜ、まやかしなのか?」わかりやすく訴えたい、ともに考えたい。
 そして、「では、私たちはどうすればよいのか」も。

 教育問題でおもしろい記事を見つけた。「朝日」1/28付
 SSW=スクールソーシャルワーク。はじめて聞く言葉だった。ごくごく簡単にいえば、学校と関連して子どもの周辺で起こる事柄に対し、福祉的視点(教育を受ける側の視点)に立ち、ソーシャルワーク的手法を用いて当事者の方が自身でその状況を抜け出すことを、援助するというものだ。
 ぼくがずっと問題意識をもっていたことがズバリ体系化されていることで、とても感動した。
 これから少しつっこんで情報収集や勉強をしてみたいと思っている。なにか情報をもっている方がいれば、ぜひメールで連絡してほしい。


ヤグネット |MAILHomePage

My追加