イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

http://d.hatena.ne.jp/Da-Z/
↑というページができました
感想専門の日記です

▼▼▼森博嗣▼▼▼
☆「大学の話をしましょうか」が中央公論新社から発行!
☆「τになるまで待って」が講談社ノベルスより発行!
Gシリーズ第3弾
☆「朽ちる散る落ちる」が講談社文庫から発行!
Vシリーズ第9話
☆「森博嗣の浮遊研究室5 望郷編」がメディアファクトリーから発行!
完結編だそうです
☆「ダウン・ツ・ヘヴン」が中央公論新社より発行!
スカイ・クロラシリーズ第3作
文庫になったらよもうおかな(「ナ・バ・テア」も未読)
☆「君の夢 僕の思考」がPHP文庫より発行!
☆「迷宮百年の睡魔」(スズキユカ画)が幻冬舎コミックスより発行!
◎オススメは「MATEKI−魔的−」(詩集、PHPより発行)です
というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2004年01月31日(土) 解剖セクシー

CBCの試写会へ応募するには3パターンある。
ハガキで、PCで、携帯での3つである。
その中でPCで応募する場合のみ募集人数が極端に低い。
具体的にはPCからの応募者限定で10組20名様に当選となっている対し、ハガキと携帯からの場合は300組600名様に当選となっている。(たぶん両方でその人数が当選すると思われる)
このことから、応募するのにハガキでは面倒で切手代がかかり携帯を使うとパケット料がかかるのに対し、PCの場合は切手代もパケット料も気にせずポストに行く手間も省けるということで一番好まれるのだろう。
それ故の10組20名なのだろうとふんでいるのだが、そう考えるとむしろハガキで応募する方が確率としては今や高いのかもしれないとふと思う。

―END―



2004年01月30日(金) シャガールに塗られた世界

今日の某番組に宝生舞が登場した。
番組で彼女は、自分が構想している物語の断片を語った。
それは舞台が鍋であり、中に色んな具が入っていて、人間に食べられる時にはその具の役者がクレーンで吊られるというものだという。
前々からのインタビュー記事などで思っていたが、やはり発想が普通ではない。
その鍋物語りをいつの日か見てみたいものだ。
うーん、クドカンに創ってもらっちゃえ!

―END―

近日公開「ドラッグストア・ガール」「ゼブラーマン」はいずれもクドカン脚本だがどちらも観てみたい。
出来れば「ゼブラーマン」は劇場で。



2004年01月29日(木) 僕の夢

僕の夢は未来の自分です。

―END―



2004年01月28日(水) 二回連続

友達とカラオケの店に入り以下の歌を歌いました。

Replay、BURN、HEAVEN'S DRIVE、Calling、口唇、街、奇跡の地球、NOT FOUND、イノセントワールド、エロティカ・セブン、にこにこぷん、にこにこぷん、名もなき詩、また会えるかな、ガッツだぜ!!Not Gonna Get Us

友達と映画館へ行き、以下の映画を観ました。

着信アリ

早く友達とではなく彼女と行きたいです。

―END―

ついしん
にこにこぷんが二回続くのはあまりにも短い歌だったので実際二回連続で歌ったからです。



2004年01月27日(火) ジャパニーズ・カルチャー

渡辺謙がアカデミー賞にノミネートされ、「たそがれ清兵衛」が外国映画としてノミネートされ、今回の授賞式は見ごたえが一層あるものになりそうです。

―END―



2004年01月26日(月) ドラッグストア・グッズ

薬局でどれでも100円と謳ってポテトチップスだのカップ麺だのペットボトルのジュースだのを売っているのはどういう目論見なのか?
そういうのを食べさせて偏食させ健康を害させそれによって薬を売りつけようということなのだろうか?
薬局にやたらそういう系統の食べ物が置いてあることに違和感を覚えるのは僕だけだろうか?

―END―



2004年01月25日(日) 給料が入って自転車直って

自転車ってしばらく乗ってなくて久しぶりに乗ると気分がいいですね。

―END―



2004年01月21日(水) 次の日

大変だ。
いつのまにか、太陽が沈まなくなってしまった。
おかげで一日中、昼間の如く空は明るい。
これほどまでにカーテンや雨戸が重要なものであると感じることは、太陽が毎日沈んでいた頃には思わなかった。
もはや、時の流れは時計で計るしかなくなった。
そして、同じ地域に住む人同士でも、互いの就寝時間には差が開きつつあった。
寝る時も、外は明るい。
もはや本当の暗闇など存在しない。
あるのは人工的なものだけだ。
人々は、暗闇を懐かしく思った。
中には極度の不眠症に陥るものもいた。
一体、自分には次の日がやってくるのだろうか?
本当はいつまでも、同じ日をさ迷っているのではないか?
大抵の人はそう思った。
ああ、まさか一日がこんなに長いものだとは…
大抵の人は、そう思った。

―END―



2004年01月14日(水) 小雪という女優

『僕と彼女と彼女の生きる道』というドラマが放送中である。
先日第二回が放送されているがどちらもみている。
その中で目立っている女優が小雪である。
最近では映画『ラスト・サムライ』でも活躍し、うまく芝居の経験を重ねていっていると思う。
今回なぜ目立っているかというと、主人公であるはずの草なぎとりょう演ずる夫婦とその子供の温度が冷たく描かれているので、と言っても冷血人間の設定であるのでなく、その家族がお互いに相手のモチベーションを下げているという意味で冷たいのだが、そんな家族に子供の家庭教師として関わってくる小雪演ずるキャラクターの健全さがその家族の中に溶け込んだ時に反対に目立っているのである。
目立つからいいという問題ではないが、彼女に好印象を持つ視聴者が多いことだろう。

―END―



2004年01月13日(火) 試写会

携帯から『シービスケット』という映画の試写会に応募したら当選した。
学生の身分にはありがたいことである。
それにしても試写会といえば映画であるが、他の試写会もあっていいのではないだろうか?
たとえば人生の試写会。
その会場に行ってみると、今の自分の以降の人生がシュミレーションされたものを見られるのだ。
これに何回か行くことにより、人は今までよりも豊かな人生を送れるとしたらどうだろう?
ただし主催者が公僕の場合は疑ってかかるべし。

―END―



2004年01月12日(月) 雨戸を閉める係

長年に渡り、うちのおばあちゃんは家の雨戸を閉める係である。
特に家族会議などを行ない決めたことではない。
自然とそうなのである。
おばあちゃんは二階の雨戸を閉める時、その場に僕がいれば、決まって「誰も雨戸を閉めない」と文句を言っている。
それなのに、僕は「代わってあげようか」とも何とも声をかけないでいる。
率直に言えば、代わる気になれないからである。
なんと気の抜けた理由だろう。
しかし、それが本当である。
毎日毎日毎日毎日のサイクルの中で、僕は家の雨戸を閉めるという役割を担っていない。
だからおばあちゃんに「誰も雨戸を閉めない」に聞かされるまで、雨戸を閉めるということを思いつきもしない。
もしも雨戸を閉めないことが世の中でいいとされていなかったら、僕は<生活習慣病>の人間であると称されることだろう。
それは生活の中で自分が気づかないうちに雨戸を閉めないことに慣れてしまい、いつのまにかその存在さえも自分のなかから締め出されているが故の、<生活習慣病>である。
しかし、実際に世の中でそれをしないことが許されない状況であったなら、今頃僕は毎日起きなければいけない時間に起きるように、雨戸だって必ず閉めているだろう。
ただ、今急にそういうことが言われるようになったら、それは困る。
しかし、それも初めだけのことだろう。
その証拠に僕は消費税が上がっても暴動を起こさなかったし、カメラ付き携帯電話が登場し個人の肖像権が起こされそうになっても、文句は言っていない。
それらには何かしらのデメリットを越えるメリットがあるからである。
ただし、幸い皆が雨戸を閉めることを義務づけられる法律や条例は決まりそうにもない。
そうすることに誰もが多大どころか少しのメリットも見出せられないからである。
そういうこともあり、僕は雨戸を閉めるという行為を自分から遠く離れた星を、それも望遠鏡を使って初めて確認できるようなそれを眺めるように認識している。
つまり、僕のおばあちゃんは雨戸を閉めるという行為を覗かせてくれる望遠鏡だと言える。
それにしてもおばあちゃんも、先程述べたような文句を言いながらも毎日、自分で雨戸を閉めるから悪いのではないか?
嫌だったらほったらかしにしておくなりして、他人に任せようとすればいい。
嫌嫌ながらもそれをやっているということは、きっと雨戸を閉めるということが、おばあちゃんの生活習慣として定着しているからである。
言わば、僕は雨戸を閉めない、おばあちゃんは雨戸を閉める生活習慣病に侵されているのだ。
こう考えると目眩が一気に襲ってきたような気になる。
今とは限定せずとも、いかに人間が、地球上の生物が生活習慣病を患っていることだろうか。
ただ、問題はそれを自分のなかに取り込めているか否か、であろう。

―END―



2004年01月08日(木) 確かなものとは

君は世の中に不平ばかり言っている
それにしても世の中って何
少なくとも、実体のあるものではない
そんな幽霊のようなものに、君はいつも不平ばかり言っている
それは、花に喋りかけることよりも、確かではない
夢を見ることよりも、確かではない
そうか、ということはあなたという存在も、確かではないのかもしれない
確かなものとは何
確か、確か
確か私は君に君は世の中に不平ばかり言っていると言った
それにしても世の中って何

―END―



2004年01月07日(水) 温度の記憶

程よく温かいお風呂に浸かる度、私は思い出す。
昔、自分が魚であったことを。
昔の海は温かかった。
というよりも、熱かった。
熱かった。
今ではもう、あんな熱い中にいた事が信じられない。
今、私は、程よいと感じる温かさのお風呂に浸かることが好きである。
もう、あの頃の熱い海には浸かれない。
たまに適温ではない一定量の水を注ぐことが必要とされるお湯に足を突っ込むと、これよりも遥かに熱かっただろうあの頃の海にいた自分が信じられない気がする。
ああ、それにしても20度のお湯って温かくて気持ちがいいなあ。

―END―



2004年01月04日(日) 絵本の読み聞かせとかけまして

・絵本の読み聞かせとかけまして、運動会の予行練習とときます。その心はやるに超した ことはない。
・仕事が生き甲斐の中年の刑事とかけまして、靴の裏に貼りついたガムとときます。その 心は粘着的な性質の現われ。
・漫才コンビのボケ役の方とかけまして、既に四隅には置物がある部屋にこれから置く予定の置物とときます。その心は隅におけない。
・先立たれた妻を想う男とかけまして、はずれくじの舞う中に潜む捨てられた当たりくじととく。その心はかない。(は家内、儚い)
・ ご飯に生卵と醤油をかけまして、お箸でとく。その心は慣習的な平穏さに満ちている。
・視聴率を少しでも多く取ることにかけまして、私からは道徳(とく)心は消え去りました。(某テレビ局プロデューサー)
・ 人生を競馬にかけまして、お寺の和尚さんに説法を説かれました。心を入れ替えます。
・八百屋さんで38円のジャガイモを3つ購入するといくらになるかを計算するには、38円に3をかけましてこれを解きます。すると答えは114円となりますが、お店のご主人によりますと3つまとめ買いをした場合は100円丁度になるようなので、心なしか得をした気分になります。それがお店側の思う壺であることは重々承知をしておりますが、それでも私はジャガイモを買うつもりです。なぜなら…
・休みの日のお父さんとかけまして、はらたいらの倍率とときます。その心はなかなか動きません。
・はらたいらとかけまして、山田太郎とときます。その心は職業何?
・目覚めた時のあくびとかけまして、トランペットのマウスピースとときます。その心はどちらも口に関係があります。
・去年解散した漫才コンビの片割れとかけまして、執刀中の外科医とときます。その心はどちらも人間です。
・授業中に教わったことは将来どのくらい役に立つのかはわからないとかけまして、生ぬるい甘酒はまずいと思うとときます。その心はどちらも日本語です。
・マママママママとかけまして、蛾蛾蛾蛾蛾蛾蛾とときます。その心はどちらも同じ文字が七つならんでおります。
・私は同じクラスの渡辺さんと駆けまして、一緒に問題を解きました。その心は二人三脚障害物リレー。
・朝起きてすぐにする習慣がジャムを歯磨き粉の代わりにし、歯磨き粉をジャムの代わりにする人間が東大に合格するかどうかをみんなでかけました。するとそのかけの対象にされている人間が「試験では問題をスラスラとときました」と言っていたので、東大に合格する方にかけていた僕の心は有頂天でした。それもそのはず合格する方にかけた奴なんていないからです。ところが、結果は不合格らしく、僕は一人、損をしました。
・ ジェルを頭にかけ、くしで頭をとくと髪型がきまり、僕の心は晴れやか。
・ 鍵をかけとくと、安心だ。
・かわいいアヒルとかけまして、寝返りを打った時とときます。ところで心には実体がありません。
・ なぞかけとかけまして、なぞかけととく。その心はなぞかけ。

―END―


 < シーラカンス  everyday history  光の射す方へ >


ダーZ [MAIL]

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