きのう昼前からどうにもだるくなって風邪の症状が出た。そういう季節でもないので心当たりがない。日曜日、孫のバレー発表会があるというので都心近くの町(志木)へ行って疲れたのが原因か。午後になっていっそうきつくなって熱を測ったら38.4度もあってこれでは仕方がないと早々にフトンにもぐりこんで夕食もとらずに寝た。今朝もまだ37度台で正常ではない。平熱が35度しかないから38度というのは私にとっては高熱である。
解放された人質に対する風向きが変わってきた。退避勧告が出されたイラクにとどまって誘拐されたのは当然予想されたことであって救出も自己責任でなされるべきではないかとか家族が救出を求めてヒステリックに騒ぎ立てたとか救出後も人質たちがなおもイラクにとどまりたいというのはおかしいとか批判が噴出している。救出にかかった数億の費用も山岳事故とおなじように自己負担とすべきとも。これにかかわって家族が迎えにドバイまで行くともいう。解放後元気な姿を見せた3人だけにわざわざ迎えにいく必要もないと思うのだが。家族の旅費はどこから出るのだろうか。
自衛隊は撤兵しない、人質は全力で救出という二律背反の政府方針を聞いたとき三人は犠牲になるだけだと悲惨な最期を想像して目をつむる思いだったがその後釈放の情報が流れていまかいまかとニュースを見守っていたが期限の午前3時になっても朗報は聞かれなかった。昨夜は何度も目が覚めてそのたびにテレビをつけたが「情報があり次第お伝えします」というテロップだけだった。飛び交う情報は怪情報ばかりでテロリストたちに手玉にとられている政府機関のだらしなさは目を覆うばかりだ。
学校が近くにあるから「参加してみないか」と息子に誘われて孫の入学式に行く。年を取った父親と誤解されないかとヒヤヒヤしながら末席に座る。学校長、教育委員会、町会議員、PTA会長と型どおりの挨拶が続くが、校長が新1年生に3つの約束をさせた中に「交通事故に気をつける」というのがあって「元気な生活」「友達と仲良く」とは異質な項目があって時代を感じさせた。
東京ドームが完成したのは1988年だが、柿(こけら)落しに行われたセ・パによるトーナメントの決勝戦(巨人対西武)をたまたま見ることができた。この時も切符を息子が手配してくれたのだが巨人戦はなかなかキップが手に入りにくいだけに公式戦しかも開幕カードを連番で2枚も獲得できたのは予期せざることであった。一時間前から並んで開場一番で入場してドーム内をあちこち見物して歩いたが座席は一塁側とはいえ右翼外野席とくっつくような場所で高橋由伸びいきのカミさんには一等席であった。
きょうは40回目の結婚記念日。息子からプラチナの指輪ならぬプラチナペーパーを贈られた。巨人阪神戦のチケット2枚。「冥土への土産になるだろう」という失礼なメッセージつきだがありがたく頂戴してカミさんとこれから行く。すでに連敗してお先真っ暗な巨人軍、雪辱なるかが見所。
私がホームページを見て「私も作ってみたい」と言い出した孫娘、ホームページビルダーの手ほどきをしたら簡単にマスターしタイトル・ロゴやイラスト画像を一人でこなして小2にしては見栄えのいいページを作り上げた。単独でサイトにするにはまだまだだからわたしのにくっつけてアップした。「リナ・ワールド」がそれ。お目に留まったら見てやってください。
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