発足当時から小泉首相の欺瞞と偽善を追及してきた「日刊ゲンダイ」。マスコミ規制の流れの中で孤軍奮闘しているが、紙面がそのままネットで読めるようになったが有料でしかも購読料が本紙を買うのとあまり変わらないから割高感は否めない。九州の田舎に住んでいた頃はなかなか読めなかったがネット上では地域を問わないから地方の人には情報格差が縮まってきたことになるがやはり購読料が高い気がする。
孫の学習雑誌(「小学一年生」)の組立付録の紙工作をまかされて半日ついやした。厚紙で肉団子大のボールを作らなければならないので大変だ。ヤマオリ、タニオリを繰り返してようやく組み上げたが大人でもやっかいな作業。とても子どもに作れるとは思われない。こんな付録をつける出版社の気が知れない。
去年成立した個人情報保護法は言論の自由を規制することになるとマスコミ関係者から反対の声が高かったが、じわじわとこの法律の影響が出始めた。田中真紀子女史の長女の離婚をスッパ抜いた「週刊文春」の発禁問題は耳目に新しいが反自民でニュースを伝え続けた久米宏の「ニュースステーション」が放送終了となり昨夜賑々しく最終回となった。バクロ雑誌「噂の真相」も休刊となり、聞きたいこと言いたいことが不自由な世の中になった。
小2の孫娘が学校から帰ってきて元気がない。熱はそれほど高くないがほっぺたが異常に赤い。夕方になって頭が痛いと言い出したのでかかりつけの小児科につれていったら「りんご病かも知れません」という診断だった。りんご病とは初めて聞いたがなるほど頬がりんごのように赤くなる。伝染するが治療法もクスリもないという。「学校には行かせないほうがいいでしょう」といわれてきょうは終業式だったが休ませた。
日曜の午後、静岡産(おそらく焼津)のアジの半開き(一尾400円!)を買ってきた息子、折角なら炭火で焼こうと思い立ったが、なかなか炭に火がつかない。見かねて「古いワリバシを集めろ、板切れをさがせ」と命じて手伝ったらカッカと火がついた。若者には七輪に火をおこすという経験がないからこういうことになるとやっぱり年寄りの知恵がいる。
サッカー五輪予選をドキドキしながら見た。快勝で日本全国が沸きかえったがスッキリしない感じも。圧倒的におしまくりながらシュートやパスが精確さを欠き得点に結びつかない。特に相手チームに乱暴なプレーでレッドカードを受け退場選手を出したあと1点も取れなかったのは物足りなかった。5-0ぐらいのゲームだったのに。
きょうは孫の保育園の卒園式。祖父として呼ばれもしないのに式典に押しかけ参加。生まれてからすぐ以来五年七ヶ月もの間保育園で育ててもらっていよいよ四月から小学校に上がることになる。人生の出発点にあたって重要な時期を保育園ですごしたがここでの生育歴が良きにつけ悪しきにつけ決定的な人格形成と結びついている。担任の先生の一人ひとりについてのあたたかいメッセージがよみあげれられて満場しんみりとなる。教育崩壊の現場が待っているだけにこの子たちの将来が気になる。
毛呂山に来たら早速訪ねようと思っていた「新しき村」にようやく行った。ネットにあった写真入の地図をたよりに行きつ戻りつしてたどりついた。崖道を下り畦道をたどって行かなければならないので車はつかえない。自転車を押しながら行ったので小一時間ばかりかかった。四囲を田圃に囲まれた雑木林の中に一町歩ばかりの農地を開き現在は鶏舎を中心に自活している。梅の季節で馥郁たる香りの中に鶏鳴ものどかで桃花源記を彷彿させる情景であった。
新築の家の庭を緑の芝で飾りたい息子。季節が暖かくなるのを待っていたがころよしとホームセンターで購入してきょうは親子で芝張り作業だ。三坪ばかりの猫の額だが十束ほどを張り詰めた。長い冬を越してきただけにまだまっ黄色。夏になったら緑したたる芝生に生まれ変わることができるだろうか。
金庫製造で有名な熊平製作所がメセナ活動の一環として新聞雑誌に発表されたエッセイの中から珠玉の作品を選んで「抜粋のつづり」と題して刊行するようになってことしは63年目。今年度号に「いろ、いろ」という随筆が収められて興味を覚えた(筆者は宇田川清江NHKアナウンサー)。それによると、江戸時代には、各月に色の名がつけられていたという。一月は「想紅」、二月は「恋待ち蕾」、三月は「夢宵桜」。春霞にかすんだ遠くの山に咲いた桜,白ともピンクとも。江戸の粋をうががうことができる。四月以降はお問い合わせに応じて。
アカデミー賞ノミネート記念の特別放映「たそがれ清兵衛」を観る。幕末の巨大な歴史のうねりの中に埋没した一市民の緊張した生涯を通じ、虚偽や偽善のない誠実な人生の姿を崇高に描いている。清兵衛と余後善右衛門との壮絶な決闘は残酷だが圧巻。しかし世界的な視野に立てば賞を逸した理由もわからなくもない。
浪人暮らしになって身なりに構うこともなくなったので散髪も床屋に行くのをやめてカミさんに刈ってもらっていたが埼玉に来て「オレがやってやるよ」と息子がハサミを入れてくれることになった。カミさんの腕前はいまいちで人前に出る時は頭巾をかぶりたいほどだったが息子は玄人はだし。仕上がりスッキリのうえ散髪代5千円が節約できていうことなしだった。
「雛飾りつゝふと命惜しきかな」 上掲の句は星野立子女史の作。句集「春雷」(1969)による。50歳の作。女史は以後30年も生きた。 宿痾を背負っているからついの日は日頃から覚悟しているつもりだが、それでもどこかにもっと長生きしたいという願望もかくせない。しかし従容として死を迎えるにはどういう心構えがいるのかわからないのがむずかしいところだ。
掘れば(ただし1000米以上)お湯が出るという泉郷(霧島温泉など)がふるさとの私には全然温泉のないこの町はいささか不満である。家庭の風呂では味わえない温泉が懐かしいので隣町にあるクア施設(「ゆうパーク越生」)に半日つかりに行った。飛騨温泉からの移し湯もあったりしてひさしぶりに温泉にひたって少しだけ長生きしそうだ。
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