白月亭通信別記
老い先短い残照の日々、
おりふしの所懐を、
とりとめもなく書き留めて…

2002年09月30日(月) サンプル・タグ

 フリー(シェアも)ソフトやサンプル・タグを公開している人たちの頭脳はどうなっているのだろう。私などは足下にもおよばない才能を持っているひとたちだ。月齢を画像付きで表示するJava Scriptのサンプルを見つけたがカレンダーまで付いているので、タグのどこを切り取れば月齢だけがつかえるのかよくわからないで苦労している。



2002年09月28日(土) OPERA

 朝日の土曜付録(「Be」)が話題の新ブラウザ「OPERA」を紹介したのでダウンロードを試みているがなかなかアクセスできない。記事を読んだ人たちが殺到しているのだろう。「IE」はひろく使われているがその分だけウィルスにねらわれやすいからバージョンアップをこまめにおこなって注意をおこたらないようにしようと記事には書いてある。



2002年09月27日(金) DIY

 郊外にオープンしたDIYの巨大店を覗いてみた。大型店だけあって品揃えが豊富で圧倒された。とくに建築用材は内装外装用材ばかりでなく金物も大小長短の釘やビスを一本でもバラ売りしてくれるので家を一軒建ててみたくなるのであった。年末には別の大型店が開店予定で「Do It Yourself」熱はますます過熱しそうだ。



2002年09月26日(木) 政府調査団

 拉致被害者の安否確認のため政府は調査団を派遣することになったがZAKZAKによる情報では北朝鮮は調査を拒否するという(25日)。続々と行方不明者が明らかになり拉致疑惑について日本の調査もずさんだがいったん死亡を発表した北朝鮮があらためて生存を認めるのか両国の主張の食い違いが大きすぎるだけに目的通り正確に調査ができるのかむずかしそうだ。「金正日のおわび」のような予期せざる成果は期待できそうにもない。



2002年09月25日(水) 腹五分

 「もう少し食べないと死ぬわよ」とカミさんはいうけれど食が細くなった。ビールもコップ一杯で十分だ。五木寛之さんによると「腹八分」というがこれは一生を通じての数値ではなく十代では育ち盛りだから腹十分で十歳刻みで一分づつ減らして行くべきである。だから六十代は腹五分でいい。したがって一日三食ではなくて一食半で過ごしているという。「大河の一滴」に書いてある。



2002年09月24日(火) ソロー語録

 「老人は事実上、青年に対してほんとうに大切な助言を与えることなどできはしないのだ。彼ら自身の経験はごく限られているし、その人生は、ひとに話せないわけがあって、無惨な失敗におわっているからである」(「森の生活」岩波文庫)。
 その通りだ。



2002年09月23日(月) 寺尾引退

 私は若い時鹿児島で暮らしたがそのころ新入幕で人気のあったのが技能派力士の鶴ケ嶺。鹿児島出身という縁で応援するようになったが時移って鶴ケ嶺の息子が角界入りし親以上に玄人ごのみの取り口で人気を得た。これが寺尾。23年にわたってファンを沸かせたがきのうついに引退を表明した。朝日はその功績をコラム(「天声人語」)、スポーツ面、社会面でたたえるという異例の扱いだった。寺尾もって銘すべし。



2002年09月22日(日) 大打者の条件

 昨夜の巨人ヤクルト戦。野球の神様は松井に三冠王にふさわしい舞台(9回表1死12塁、同点逆転のチャンス)を与えてくれたのにあえなく凡退。勝利には阿部の逆転打を待たなければならなかった。思えば今シーズンも松井は打ちまくったけれど、ここぞという場面での一撃(一発)はあまりなかったような気がする。ドームの天井をかする大ホームランもいいけれどチャンスに必打の勝負強さが大打者の条件だ。



2002年09月21日(土) デパ地下総菜

 カミさんがオカズを作るのがイヤというのでデパートの総菜コーナーに行ったが都会のデパートとちがっておふくろの味風の田舎料理ばかり。結局何も買わずに帰った。あてにしていたカミさんは不機嫌だったがシブシブおかず作り。私としては何でもいいのだが三度三度何を食べるか我が家では人生の最大課題だ。



2002年09月20日(金) 異常音

 車(96年式インプレッサ)からヘンな音が出だした。走行中ゴトゴトという音と振動がある。不吉な予感がして有り金をポケットにねじ込んでディラーのサービス工場に持ち込んだ。「重傷かな?」と聞いても「調べてみないとわかりません」と当たり前の返事しかかえってこない。待つこと10分、ハンサムの修理工がニコニコしながらやって来て「これがくっついていました」と黒いものを示した。それは小石大に丸められたガムテープだった。



2002年09月19日(木) 曼珠沙華

 ヒガンバナがあちこちに咲いている。燃えさかる火のような花は見れば見るほど不思議なかたちだ。デジカメを買ったので秋空をバックにすっくと伸びて紅蓮の炎を燃え立たせる姿を撮してみたいのだが低い角度からの撮影は這い蹲わねばならないのでなかなかチャンスがない。花の詩人木下利玄の短歌を一首「曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきび)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち)」。



2002年09月18日(水) 小泉支持

 拉致被害者の安否確認の情報が流れた時、私たちは晩飯を食っていた。つづいて家族の記者会見が始まったがその悲痛な心情を思うともらい泣きをしないわけには行かなかった。一夜があけて小泉さんの決断をどう評価するか識者の見解が新聞テレビで洪水のように流れているが感情的には北朝鮮の蛮行を許してはならないが「国際社会において名誉ある地位をしめたいと思う」(憲法前文)という国家理想に照らして言えばこの決断は許されるとして小泉さんに支持の一票。



2002年09月17日(火) 日朝首脳会談

 昨夜のニューステーションが2000年6月の南北首脳会談において金正日がいきなり会談決裂を持ち出したり歓迎レセプションに欠席したりして韓国にゆさぶりをかけ「ならず者国家」の首魁らしいパフォーマンスで主導権をとろうとした行動を再現ドラマ風にえがいていたが、今日小泉さんが老獪な金総書記とどうわたりあうのかドキドキしながら会談のなりゆきを見守っている歴史的な1日が始まった(8:30)



2002年09月16日(月) 完結・大変だぁ!

 (意外な事実とは)工事にあたった四人の若者は実はその時点で会社を退社してしていて会社名をかたって詐欺的な工事をしていたというのであった。しかも各地で不始末をしでかしておりその後始末に会社としても迷惑しているというのであった。告発しようにも四人のかしらというべき男は現在アメリカにおり賠償できる資金力もないのであきらめているというのが会社の態度であった。我が家の場合、シロアリ工事そのものに落ち度はなく排水パイプの取り付けミスだけだからその責任追及の矛先を絞るのは困難だ。不運というしかない。



2002年09月15日(日) まだ・大変だぁ!

 (工事会社への責任追及)契約書にある会社に電話をしたところとにかく実情を見てみようということになってきのう床下にもぐってもらった。調査結果によるとまだ土台の木材は腐食していずシロアリもいないという。ただ床下が乾燥したら本格的なシロアリ防除工事をしたほうがいいという診断だった。しかし工事ミスによる漏水被害の補償という肝心の問題は土台が腐っていないということでウヤムヤになってしまった。そればかりか意外な事実もわかった。(つづく)



2002年09月14日(土) また・大変だぁ!

 (床下漏水はなぜ起こったか)2年前白アリ防除のために床下換気扇を取り付けた。その工事に床下にもぐった人以外に床下にはいった者はいない。腹這いになっての不自由な体位での作業だから排水パイプなどをはずして工事をしなければならなかったこともあっただろう。致命的な作業ミスは元に戻すことを忘れてしまったことだった。と原因を推理してみたが2年もたったいま工事を請け負った会社に責任をとってもらえるのか? (つづく)



2002年09月13日(金) 続・大変だぁ!

 (床下に水がたまっているのを発見した)1日経てば水が引いているだろうと思っていたが2日経ってプロに見てもらったところまだ水回りの床下は4センチぐらい水がたまっているという。しかも排水管がはずれて水が床下に流れ出すようになっていることもわかった。そこでまずたまった水を流し出さないといけないということになったが業者には排水コンプレッサーが用意できないというので窮余の一策で電池式の灯油ポンプで排水することにした。(つづく)



2002年09月12日(木) 追悼の日

 カミさんが見慣れないワシントンD.C.のロゴ入りのTシャツを着ているのでどうしたと聞いたら「アメリカに行った時買ったのよ。どうしてこれを着たのかというと今日は同時テロ追悼の日でしょ」。なるほどシャツは黒だった。



2002年09月11日(水) 大変だぁ!

 床下から変なにおいがするし洗濯機の水が排水溝に流れてこないとカミさんが言うので床下にもぐってみると大変、水びたしというより池のようになっている。配水管の仕組みがどうなっているのか素人にはよくわからないのでとりあえず洗濯機の排水パイプをはずして水源を断ち切って業者にSOSを発した。ここまでが8日のこと。(つづく)



2002年09月10日(火) ハマコー

 戦後一貫して野党第一党として自民の独裁にブレーキをかけてきたとされる旧社会党が実は肝心なところで金で自民党に魂を売り渡していたことを暴露したのがハマコー(「TVタックル〜秋のハマコー祭り」)。社会党の実態はヒソヒソ語られてはいたが昨夜のようにあからさまにされると現職時代組織的に社会党を支持応援していたことがバカらしくなってしまう。たけしをはじめ同席したコメンテーターもバカ笑いしていたが聞いていて空しくなる国会裏面史である。



2002年09月09日(月) 難解にして晦渋

 戦後をたくましく生き抜いた市民のアルバムを借りて編集された宮崎県日向市の市史の一編として刊行された「日向写真帖」がユニークな写真集として話題になっているらしい。この写真集を紹介した朝日の記事の一節に「(写真集は)まぎれもなく日向市の歴史であるが、同時に日向市に還元できない過剰なお話しをその中に含みこんでいる」と記述された箇所がある。持って回った表現ですんなり理解できない。難解で晦渋。文化欄の論文だからやむをえないのかも知れないが一般の人にもわかりやすい表現を工夫してもらいたい。



2002年09月08日(日) 五郎の遺言

 「…金なんか望むな。倖せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚につつましく生きろ。それがお父さんのお前らへの遺言だ」(理論社版「北の国から〜2002遺言」より)



2002年09月07日(土) 北の国から

 ドラマ「北の国から」前編を見る。11時30分までというから大丈夫かいなと心配だったが2時間半が意外と短かった。蛍(中嶋朋子)や純(吉岡秀隆)が襲いかかる試練に耐えて挫折感にうちひしがれながら生き抜くという悲しい物語だが秋の北海道の色彩感あふれる画像が物語の暗さをいやしてくれた。いつも感じることだが杉田成道演出の映像は美しい。しかしきょうの後編は人妻・結(内田有紀)と純の恋の結末が極寒の北海道で描かれるのでどんな映像になるのか期待される。



2002年09月06日(金) 秋の歌

 藤村は「静かにきたる秋風の/西の海より吹き起こり/…」(「若菜集」)と歌っているいるけれど東からの強い台風がさわやかな季節を運んでくれた。台風で大被害を受けた沖縄の人にはお見舞い申し上げるが暑気の抜けた日差しがやわらかくなってホッとする。もうひとつ名詩の一節。「際涯もしれず遠くなった紺青の空の遙かな高みに、/秋は/郷愁の歌のやうに流れてゐる」(「尾崎喜八詩集」)。



2002年09月05日(木) ペタジーニ

 打者が一塁に出るとたいてい一塁手はランナーになった選手に話しかける。「ナイスヒット」とかなんとか言っているのだろうがペタジーニは無言だ。特に松井選手とは視線を合わそうともしない。三冠王に一歩近づいた松井だがペタジーニだってまだ逆転の可能性だってあるのだから両者の緊張した対立感情がうかがわれておもしろい心理戦だ。



2002年09月04日(水) 羊頭狗肉

 長男一家が帰る前の晩にお別れパーティを某酒造会社のビアガーデンでした。自社製の自ビールが飲み放題ということだったがシーズンも終わって客は私たちをいれて二組という寂しさだったせいかビールの一種類は品切れになっていた。自ビールの飲み比べができると思っていたのにあてはずれ。こういうのを「羊頭をかかげて狗肉を売る」というのじゃないかしら。



2002年09月03日(火) 難問奇問

 長男のこどもはまだ4歳と3歳。しかし甘えざかりで私にまとわりついて離れないのでいささかわずらわしい。おまけに見るもの聞くものなんでも疑問がわくらしく「おじいちゃんは何で髪が白いの? おしえてェ」「おじいちゃんはなんでピアノが弾けないの?」「なんでごはん食べるの?」など難問奇問続出で解答不能。台風で飛行機が揺れたので「地震だ」と叫んで周りの乗客を笑わせたというのものもこどもらしい表現。その孫たちも帰郷してまたふたりだけの孤独なくらしにもどった。



2002年09月01日(日) マックユーザー

 MacUserの長男はなんとかして私をMacに改宗させようとあの手この手を使って誘惑するが、私がその気にならないのでせてWindows色を消そうとしてこんどはブラウザーをNetscapeに変えさせようと勝手にインストールしてしまった。使い慣れたIEは残してくれと懇願したのでふたつのブラウザーが入ってタスクバーはおびただしいアイコンが並んでどれがどれかわからない状態である。


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