白月亭通信別記
老い先短い残照の日々、
おりふしの所懐を、
とりとめもなく書き留めて…

2002年04月30日(火) 両雄並び立たず

 ある日のドジャースベンチ。好投をねぎらうチームメートの一人ひとりに握手で応える野茂は一番奥に座っていた石井は無視してベンチを出ていった。石井はバツの悪そうな表情をしていた。石井の連勝が続くと両者の関係はますます冷たくなりそう。イチローと佐々木も仲が悪いらしい。レストランにやってきたイチロー、佐々木も来ていると教えられそのまま黙って帰って行ったという。♪やっぱりね、そうだろね。



2002年04月28日(日) 景品

 行きつけのパソコンショップから景品つきの売り出し案内状が来るようになった。はがきを持っていくとパソコングッズがもらえる。今回は「原稿ホルダー」。小物だが売値は500円とある。「景品だけもらうというのは相当な心臓ね」とカミさんはひやかすが他に買いたい物がないから仕方がないではないか。



2002年04月27日(土) 自由の死碑

 これが成立すれば戦前の「治安維持法」よりも悪法になると警告する城山三郎氏が昨夜のニュースステーションに生出演しトツトツとした口調で小泉首相の反動的体質をきびしく批判した。「人権擁護法」「個人情報保護法」などいわゆる〈メディア規制〉法が成立したらこの法案に賛成した議員の名前を彫り込んだ石碑を作って「自由の死碑」と名付けると老いの一徹で宣言。



2002年04月26日(金) RV車

 車を運転していて腹の立つことはいろいろあるが特に気に入らないのがバカでかいRV車をブッとばしているやつ。こんな車を女が乗り回しているのがとりわけ許せない。「クルマは四輪駆動のオフロードタイプが引っ張りだこで、これをRV車というらしい。しかしこのオフロード車の鼻先に、頑丈なアニマルガードを取り付けて日本の狭い横町を走り回るのは危ないからやめてもらいたい。日本の横町にはカンガルーはいないのである」とシーナ(椎名誠)氏も怒っている。



2002年04月25日(木) 美月ちゃん

 おととし(平成11年)に私たちが仲人役で結婚した若夫婦に長子が誕生したのが去年の夏、父親の職場のある群馬県で生まれたのだがこのほどやっと里帰りしてきょう顔見せに来てくれた。美月と名付けられた女の子。これがなかなかかわいい子で、たとえば 昔森永のミルク缶に印刷されていた赤ちゃんのモデルにそっくり。そういったら母親もまんざらでない様子だった。



2002年04月23日(火) 笑われる日本

 「こんな国会に誰がした」と慨嘆したのは朝日の社説(20日)だが世界は日本の国会の混乱ぶりを見て「笑って」いるらしい(デイリーWeb版 19日)。たとえばロイターは「銀色のたてがみをなびかせ、旧態然とした自民党政治からの脱却と経済の立て直しを誓った小泉氏は、スーパースターの輝きを失った」と、小泉政権のちょう落ぶりを紹介し、ガーディアン紙も、不祥事、疑惑続きの現状を「下品な見せ物」「次々に議員が辞職する国会はサッカーに例えるなら、ピッチにいる選手不足で成立しない」とこき下ろしたという調子。



2002年04月22日(月) 薄濃

 「薄濃」は「はくだみ」と読むらしい。漆に金箔で彩色したもの。天正2年(1574)、浅井・朝倉を滅ぼした信長は上機嫌で、年賀の席に浅井長政たちの髑髏で作った薄濃の盃を持ち出す。それで光秀らがすすんで酒を飲む中、前田利家は魔物の所業と信長を面と向かって非難をした。側近たちが信長にヘラヘラしているなかで利家が敢然と意見したことで利家に対する信長の評価が決定的になる。
 昨夜の「利家とまつ」のおはなし。「信長公記」をもとにしている。



2002年04月21日(日)

 土日を利用して畑仕事や庭仕事を予定していたが降り続く雨のため一歩も外に出られない。新芽の出た庭木の剪定や雑草の目立つ芝の除草など一日も伸ばせない仕事が待っているのだが雨では仕方がない。春雨に濡れた新緑や庭石の色合いもなかなか風情がある。「星の王子さま」の翻訳で知られる内藤濯氏は雨が好きで一年中雨が降っている国に住みたいと随筆に書いているけれどいざ降り続いてみるとやっぱり晴れ間が待ち遠しい。



2002年04月20日(土) 懸賞

 常時接続が実現したころはせっせと懸賞に応募していたけれどさっぱり当たらないのでそのうち熱がさめてしまった。「労せず利益を得ようとする魂胆こそさもしい」な〜んて殊勝にいいわけしていたが某ドリンク剤が記念セールで10万人にプレゼントするというのでひょっとしたら当たるかもと応募してしまった。欲望に人生訓は勝てない。



2002年04月19日(金)

 井上参院議長は議長に選任されただけに貫禄もあり清廉潔癖の人というイメージがあったが疑惑が報じられたとたん強欲非道の面相に変わった。「おヌシも悪よのう」という時代劇のせりふが似合いそうな風貌に見えてきた。



2002年04月18日(木) 判定負け

 昨夜はサッカーと野球をチャンネルを切り替えながら同時観戦。サッカーは両軍のゴールを運良く見ることができて幸運だった。明神クンのセンタリングが幸運にもゴールを割ってこれで勝てたと思ったのもつかの間敵軍のFWにするすると抜かれ2人がかりで防いだが同点にされてしまい万事窮す。負けはしなかったが劣勢に終始した日本チームだった。サッカーにもボクシングのようにジャッジがつけば日本は「判定負け」。ジーコ氏の戦評は「意味のないゲームだった」(日刊スポーツWeb版)。



2002年04月14日(日) 機密費

 きょうのサンデープロジェクト(テレ朝)は当然のごとく「官房機密費問題」。司会の田原総一朗も五万円の香典をもらっていたと報じられているだけにどんな展開になるかとカタズをのんで見守っていたが、田原氏は問題の香典袋を取り出して文書の信憑性を証明した。ところが公明党の冬柴幹事長や保守党の野田党首は記載事項を否定し窮地の自民党を懸命に援護。パラサイト政党の醜さを露呈した。




2002年04月13日(土) 個人情報保護法

 本日発売の週刊誌の広告が新聞でオドロオドロしく踊っている。いわく「田中真紀子の大ウソを嗤う決定的証言」「元公設秘書反論田中真紀子にピンハネされた」等々。田中だけではなく加藤も鈴木も鳩山も。疑惑だらけの政治家たちの暴露話だ。暴走する週刊誌の取材合戦に歯止めをかけようとするのが「個人情報保護法案」だが疑惑の政治家たちには都合がいいのかもしれないが巨悪が闇に葬られるようなことになったら困るゾ。



2002年04月11日(木) 花より野菜

 屋敷の隅の十坪ばかりの空き地を畑にして季節の野菜を作っている。冬の間は荒れるにまかせていたが暖かくなったので夏野菜の準備のために鋤き返した。ガーデニングブームで隣家はどこもとりどりの花で飾られているが我が家は「花より野菜」の実用主義者だ。



2002年04月10日(水) 二元外交

 党首討論で共産党は去年の3月対ロの事務レベル交渉に鈴木宗男議員が勝手に出しゃばって出席し、歯舞・色丹二島返還を優先することを容認したという外務省文書を示し、「政府の四島一括返還要求を否定し、二元外交だ」と追及したのに対して首相は「二島返還は鈴木議員の個人的意見」と答えたがこんな答弁で逃げようとする小泉さんは情けない。時間切れで志位さんも簡単に引き下がったのは残念。共産党ガンバレ!



2002年04月09日(火) 疑惑

 92年(平4)、加藤紘一氏が起こした「共和事件」は次のような事件。「鉄骨加工メーカー「共和」からの1000万円献金疑惑で、元後援会長だった医者が『現金授受に立ち会った』ことを内部告発し、加藤は国会で厳しく追及された。どう見ても加藤の弁明は筋が通らず、容疑は十分だったが、加藤は何とか逃げ切った」(衛藤征士郎議員のサイトから引用)。不思議な事件だったがきのうの参考人招致の質疑で「そうだったのか」とナゾが解けた。この事件の取り調べに当たった東京地検の主任検事が加藤議員の兄さんの友達であった永野義一氏。氏は現在加藤氏の顧問弁護士。「永野氏は古い友人でありながら共和事件では私をアタックする側になった。検事と議員として、公正な関係だった」(朝日新聞)という答弁もなんだかシラジラしい。



2002年04月07日(日) 阪神

 阪神の歴史的な快挙を見届けようとテレビの前に座っていたが開幕8連勝はならなかった。それでもあわや逆転というところまで行ったから阪神の強さはホンモノだ。チームは過去3年最下位だったし監督が交代したといっても星野監督は中日を11年率いて2回しかペナントをとっていない(シリーズ制覇は1回もない)凡将だし、どうしてこんなに強くなったのか不思議だ。



2002年04月06日(土) 町内会

 町内会の班組織で我が班は班長は輪番制だが70歳になったらお役御免という内規がある。ところがまだ70にならないのに班長はしないとごねる人が出て来て予定より3年も早く当番が回ってきた。班長になると3ケ月ごとに会費を徴収してまわったり町内会のイベントの世話役として下働きをしなければならなかったり大変だが誰かがやらなければならない仕事だから快く引き受けることにした。大半はカミさんがやることだけれど。



2002年04月04日(木) 結婚記念日

 きょうは38回目の結婚記念日。遙けくも遠くに来つるかな。子どもたちからのメッセージもなく二人だけで記念日を祝う。町のレストランでフランス料理のディナーといきたかったが焼き肉屋で780円のサービスランチ。



2002年04月02日(火) 無防備

 きのうのつづき。保育所に甥の子どもを引き取りに行くときカミさんに運転免許証をもっていくようにと注意した。子どもと姓が違うし、保育所にもはじめて行くのだから職員に身許を確かめられたら証明するものが必要だと思ったからだ。ところが保育所では引き取り人が誰かも確かめもしないで簡単に子どもを引き渡したという。ずいぶん無防備な保育所があったものだ。



2002年04月01日(月) 育児

 甥のヨメさんの産休が明けて初出勤日だが保育所から3時半に引き取ってほしいといわれて5時まで我が家で預かることになった。私たちも育児の経験があるがもう30年も前のことだからノウハウをすっかり忘れてしまい誕生まもない幼児の世話にすっかり疲れ果ててしまった。


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