次の週末に、大学時代の仲間達と久々に会うことになっている。これが楽しみでならない。 これまでも思い出したように集まっては呑み会を開催したり、月島までもんじゃ焼きを食べに行ったりとぽつりぽつりと集まっていたのだが、最近、皆忙しくなったのかなかなか顔を合わせる機会がなかった。今回は後輩のひとりが仲間達に声をかけてくれて、久々の呑み会である。中にはすでに家族を持ったヤツもいて、こうした集まりもいろんな意味で変化があっていいものだ。 その飲み会には、俺にとっては実に久しぶりに再会する後輩が顔を出してくれることになっている。 大学時代をともに過ごしてくれた後輩達は気持ちのいい連中ばかりで、俺はココロから愛しているのだが、ヤツにはまた別の思い入れがある。彼の大学時代での逸話は枚挙に暇がないが、真っ先に思い出す話はこれだ。
俺は大学2年の春から夏にかけて、アメリカ留学をしていたので、学校に戻ったのは留学が終わってから、ということになる。だから、サークルに入ってきた後輩達と顔を合わせるのも8月のサークル合宿の最終準備が始まったころだった。その中でもヤツは異彩を放っていた。 簡単に言えば“不良”のイメージ。黙っていればそこそこ男前だから余計にその印象は膨らんでいく。だが、実際の行動は、こうなんというか、人智を超越したものがある。大げさかもしれないが、当時の(自分で言うのもなんだが、相応に真っ当な人生を歩んできた)俺にとっては想像のつかない男だった。分かりやすく言えば、ふだんからばかなことばっかりやっている男だった。 俺には相当とっつきにくいタイプだったが、話してみればなかなかいいヤツだった。うちのサークルは中途半端に上下関係がはっきりしていて、こういう時代錯誤的な慣習には付いてこない性質の男だと思っていたが、ちゃんとわきまえる所はわきまえる(そのかわり、羽目を外すと手がつけられない)、人間味のあるところも見せてくれた。新しい年代の後輩達が入ってくる毎に、その上下関係は徐々に緩まっていった感もあったけれど、少なくとも俺達の学年と、ひとつ下の学年のヤツらとの間には、いい意味でのそんな関係が続いていたような気がした。 ある日、サークルの部室で後輩達と談笑しているとき。多分、俺はもう4年生になっていた頃だったと思う。部室にはたくさんの後輩達がいて、最上級生は俺だけ。そんななかで「敬語」とか「礼儀」の話になった。 俺は普段から思っていることを話した。大学を卒業して、幾つになったとしても目の前に大学の先輩方が現れたら、気持ちは大学1年生になってしまうんだろう、てなことを。 「やっぱ、敬語になっちゃいますよね」 「まあ、そういうもんだろう」 そのとき、ヤツが言った。
「でもね、のづさん。もし俺が“スーパーサイヤ人”になったとしても、俺はのづさんに敬語を使いますよ」
『ドラゴン・ボール』をよく知らない俺だが、きっとヤツはどれだけ自分がすごい人間になったとしても――という例えをしたかったのだと思う。 なんだかわからないけど、大笑いした。ヤツらしいと思った。
今度の飲み会で、もしヤツがスーパーサイヤ人になっていたとしても、先輩の俺に敬語で話してくれるだろうか。
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