出張先の営業活動でも当然車が必要となる。 必要な台数のうち3台は現地でレンタカーを調達した。普段会社で使っている営業車と同様の小型車で、トヨタのヴィッツがそれ。コンパクトで小回りが利き、個人的にはセダンの車よりも好みである。なんといってもこのレンタカーで調達したヴィッツには『カーナビ』が装備されているのだ。恥ずかしながら、俺は生まれて初めて、黙っていても目的地まで道案内してくれるという便利この上ない『カーナビ』なるものを使った。
『カーナビ』――21世紀の科学技術の結晶。
おそらく取扱説明書などが車のどこかにあるのだろうけれど、そんなものをゆっくり読んでいる暇などなかったので、初日はモニタ上でただ道路の現在位置だけを三角形(つまり自車ですな)が走っていく様を「おお、カーナビだあ……」と眺めているだけだった。なにしろ使い方がわからんのだから仕方がない。しかし、せっかくある機能を使わないのはもったいない――と思い立ち、感覚的にキーやらボタンやらを思うままに触っていたら、突然、 『目的地ヲ設定シマシタ』 と、アナウンサー的な女性の声が聞こえ、カラー画面に道順が表示された。まあ、今のこのテの機器というのは感覚的に使えるようになっているのだ。 ポーン……と電子音が鳴ったかと思うと、車内の両サイドにあるスピーカーのうちの運転席側のスピーカーから、“彼女”の声が聞こえてくる(カーラジオを聴いている時は、この時だけラジオは左側だけのスピーカーから聞こえてくるのだ。考えられている)。 『――実際ノ交通規則ニ従ッテ走行シテ下サイ』 ……。実際の交通規則に従って――とはどういうことだろうか。カーナビは幾つかのルートを設定するらしいが、今、画面で図示されている推奨ルートのほかに、“交通規則に従わない”ルートも案内してくれる、というのか。そりゃあ面白い。 『――コノ先、200m右ノ進入禁止ニ入ッテ下サイ』 「おいおい、進入禁止はマズいだろ!」 『大丈夫デス。メッタニ警察ハイマセンカラ』 ――などといつものくだらない妄想をしながら車を走らせた。
確かに便利だ。 いちいち地図を確認しなくても、目的地さえきっちり設定してやれば、あとは『カーナビ』が右だの左だのと案内してくれる。これは俺が想像していた以上に便利だ。俺が乗っている車の『カーナビ』はおそらく古い機種なのだろうが、それでも曲がり角近くになると画面の半分が道路の拡大図となって分かりやすく表示してくれる。しかしこれは、俺のようにその地域を熟知しなければならないような仕事をしていると、地図を見て車を走らせることが道やそのマーケットを覚えることにもなり、そういう意味ではこの便利な機会は仕事ではあまり使い込んではいけないのかも……という思いもある。
次の目的地を設定して車を走らせているとき、ふと寄り道をしたくなったので、俺は“彼女”の案内を無視して走ることになった。 『――コノ先、300mヲ左方向デス』 『――マモナク左方向デス』 俺は左にハンドルを切ることなく、そのまま交差点を直進した。すると“彼女”は、“そこからさらに目的地へ到達する最短ルート”を自動的に再設定し、また一生懸命案内を続けてくれるのである。 だんだん申し訳ない気分になってきた。“彼女”は俺が決めた目的地への道順を正しく案内してくれているのに、俺はことごとくそれを無視し、“彼女”にとってみればあらぬ方向へと車を走らせていくのだから。 『――マモナク右方向デス』 ごめんねえ、左に行くんだよお。俺は悠然とハンドルを左に切った。 『――イイカゲンニシテクレナイ?』 突然、冷めた声で“彼女”が言った。 「え」 『――サッキカラ私ノ案内ヲ無視シテ。ドウイウツモリ?』 「……いや、あの」 『――大体、サッキカラ思ッテタンダケド、アンタ運転下手ヨ』 「……」 『――右折ノタイミングハ悪イシ、トロトロ走ッテルシ……』 「……法廷速度で」 『――男ノクセニ……、ア、ホラマタ抜カレタヤン! 悔シゥナイノ!』 「……」 『――ア、ココ左ヤロ! ドコ見テ走ッテンネン!』 “彼女”の口調がだんだん荒くなってきた。それも関西弁。 『――チッ、ウシロノベンツガパッシングシテキヨッタ。鬱陶シイッチュウネン!』 『――オラオラ爺イ! チンタラ横断歩道ヲ渡ッテルト轢キ殺サレンデ!』 『――ヤカマシワ! チョットこすッタクライデ、ヤイヤイ言ウナヤ!』
『カーナビ』――21世紀の科学技術の結晶。
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