のづ随想録 〜風をあつめて〜
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【のづ写日記 ADVANCE】

2002年12月06日(金)  体験

 どこの職場でも恐らくそうなのだと思うのだが、それまである時期になると「健康診断」の案内が来るはずなのが、ある日ある時からそれが「人間ドック」の案内に変わる。それはつまりウチの職場では35歳を迎えた社員への「おっさん通告」といった赤紙のようなもので、二ヶ月ほど前その案内が来たこの俺も、同じ職場の若手(――といったって奴等も32、3歳)にさんざおっさん呼ばわりされている。
 おっさん呼ばわりされるのは実に心外だが、この人間ドックというものには実は興味津々だった。ここ数年の「健康診断」では実費で人間ドックを受診しようかと思っていたくらいだ。
 なにより未知の『バリウム』という存在。決してゲップをしてはならないという、あの恐怖の検査。かつて、俺に先駆けて『バリウム』を初体験した友人Uは、
「あれはスゴい飲み物だ。実にスゴイ」
 ――とバリウムの印象とその恐怖の検査の内容を俺に熱く語った。
 で、兎に角行ってきました、生まれて初めての人間ドック。今日はそのご報告。

 すでに人間ドックの予約をしてあった地元の医療センターに到着したのが9時過ぎ。今日は出社扱いにはなるが、人間ドックが終わった後も会社に行く必要がないので、ほとんど休みのようなものだ。緊張感の無さか、家を出るときに二度も忘れ物を取りに戻ってしまった。
 平日だったが医療センターは思った以上に受診者が多くてすこし驚いた。採尿後に受け付けを済ませ、青い作務衣のような検査着を渡され着替室へ。いよいよ人間ドックの始まりである。この意味のない昂揚感はなんだ。
 受け付けで渡された検査の項目と順番を記したプログラムのような書類に沿って検査が進んでゆくのはいままでの健康診断と同じだ。しかしその検査の内容が、健康診断という初級編からさらにステップアップした応用編になる。
 視力を測り、身長・体重・体脂肪を測り、採血。この採血はいつになっても耐えられない。
 もともと俺は“血液絡み”には大変弱い体質であって、テレビドラマで手首を切るシーンなどを観ると、手の力が抜けて文字が書けなくなってしまう、というくらいである。そんな俺だから採血のときは、オノレのヒジの反対側のやらかいとこに注射針が刺さる瞬間など決して見ることはしない。見られない。
「へえ、アルコール消毒もダメな人がいるんですかあ」
 と意味もなく看護婦の他愛のない一言に過剰に反応し、意識をあらぬ方向へそらそうとしている自分が情けない。

 別室で肝臓などの様子を調べる検査を受ける。
 カーテンで仕切られた薄暗い部屋のベッドに横になり、検査医がなにやらプラスチックの棒みたいなもの――感覚としては野球のバットの先、てな感じか――を俺の腹に押し付けると、傍らのモニタに俺の腹の中の様子がモノクロで映し出される、というアレ。
「特に痛みのある検査ではありませんから。ちょっと、必要なのでクリームを塗りますね」
 検査の前に、横たわる俺の腹に検査医が生温かいクリームを塗りたくった。これが気持ち悪い。おまけにこの俺、必要以上に“くすぐったがり”であり、プラスチックの棒をぐりぐりやられる度に過度に反応してしまう。どうも変に力が入ってしまうので検査医は何か勘違いでもしてしまうのではないかと気が気でならなかった
 ちょっと頭をもたげると、斜めからではあるがモニタに俺の腹の中が映し出されているのが見える。「これはまた随分と腹黒いですねえ」と冗談で言ってくれたら面白いのに、と期待していたのだが、どうもこの検査医にはそういう“笑い”の素養がないらしい(必要ないだろ)。

 聴力検査。
 電話ボックスを一回り小さくしたような小さな箱の中に腰掛け、ヘッドホンから微かな音が聞こえてきたら手元のボタンを押す、ということらしい。
 集中して耳を澄ましていると、ヘッドホンから高低の周波数でピー音が聞こえてくる。うん、聴力には問題はないな――と自覚すると、俺はまったく余裕で聞こえてくる音に反応していた。
「これで突然“君が代”とか“落語”なんかが聞こえてきたら面白いのになあ。“女のすすり泣き”なんて聞こえてきたらいやだなあ」
 などとすぐに妄想しだすのは俺のいつもの悪い癖。

 いよいよ胃腸検査。バリウムだ、バリウムだ。
 俺は全く知らなかったのだが、ただバリウムを飲む――というのではなく、いろいろ手続きが必要なんですね。まず、別室に案内されると、看護婦が「では、注射をします」と宣言。聞けば、撮影しやすくするため胃の動きを鈍くするための薬を注射するんだそうな。右肩にぶすり注射をされ、さらに検査室へ移動する。
 一人ひとりの検査の時間がかかるらしく、数人が検査室の外に並べられた丸椅子に腰掛けて順番を待っていた。そこから検査室を覗くと、受診者が紙コップを渡されてなにやら説明されているのが見える。
(きっとバリウムを飲む際の注意事項を滔々と説明されているに違いない。「決してゲップはしてはなりませんよ、いいですね!」ときつくきつく言い渡されているに違いない)
 検査室の壁には「胃腸の検査の注意〜バリウムの飲み方」てなポスターが貼ってあって、細部まで読んでみるとはやり「ゲップは絶対に我慢して下さい(正しく胃の撮影が出来ない場合があります)」などと書いてある。“絶対に我慢しろ”だなんて……。それほどゲップをしたくなるようなものなのだな、恐るべしバリウム。しかし俺は負けない!(意味不明)
「60番の方〜」
 いよいよ俺の番である。ココロの準備を整えて、呼吸も整えて、屈伸なんぞも二度三度、いざ――などと考えていたのだが、「ハイハイじゃあこっちの部屋に入って下さいハイこの上にスリッパ脱いで立って下さいハイそうですハイ」とけたたましい口調で看護婦が一気にまくし立ててきた。促されるままに撮影機のようなでかい機械のステップの部分に立つと、けたたま看護婦が再びまくし立てる。
「ハイでは始めますハイまずこの発泡剤を口に入れてこっちの紙コップの水で一気に飲んで下さい“ゲップしたらダメですよ”そしたらこのバリウムを一気に飲みますいいですかでは始めますよ」
 ゲップの部分だけはやはり強調していたようだったが、とにかくこの台詞を5秒位で言うものだからココロの準備もへったくれもない。とにかく言われるままに、そして最大のテーマである“ゲップをしない”を念頭に置き、右手に発泡剤、左手に紙コップ。
 発泡剤は思っていたより飲みやすい。駄菓子屋で昔20円くらいで買った“ソーダ水の素”と何ら変わらない。さささっと口に流し込み(ゲップは我慢、ゲップは我慢)、左手の紙コップの水を(ゲップは我慢!)一気に飲み込んだ。

 ゲフッ

「あああっ!」
 なんの我慢も出来ず、いとも簡単に口から下品な空気が飛び出した。なんと弱いカラダなのだと自分を呪う。けたたま看護婦の白い目。しかし、彼女のハイスピードが緩むことはない。
「はいそっちのバリウムを一気にごくごく飲んで下さいでは始めますよ」
 そう言い残して彼女は検査室を出ていく。それに代わるように、スピーカーから別の検査医の声が聞こえてきた。見ると、検査室の窓の向こうから声の主の検査医がこちらを伺いながら、俺の乗る撮影機を操作しよう、ということのようだ。
 500ml缶くらいの大きさの紙コップになみなみと白いどろりとした液体。これが世にいう“バリウム”。
「一気に飲んで!」という声に急かされながら、ちょっと緊張しつつごくりごくりとその液体を体内に流し込む。
 あれ?
 思っていたより、全然楽勝ではないか。なんというか、ちょっと堅めのジョアを飲んでいる風情。不味い、というものではない。イメージしていた、もしくは友人Uに聞かされていた「液体セメントを飲んでいるようなカンジ」とは程遠い。
 そんなことを感心している間もなく、俺の乗る撮影機はぐいんぐいんと動き出し、ちょうどベッドに横たわるように水平になった。俺という人間を具材にしたサンドイッチよろしく、冷たい大きな板のようなモノが 俺を挟み込み、ガツン、と音がする。これで一枚撮影したことになるのだろう。
「では身体を右に向けて右そうもうちょっとはいOKでは正面向いてもっと早く早くはい今度は左に向いて下さいあちょっと傾き過ぎそうですそこで大きく息を吸って――止めて――」 ガツン。
 さっきの看護婦と同じような早口で検査医の声がスピーカーから聞こえてくる。いろんな方向から胃の撮影をするためなのだろう、その声に合わせて、俺は機械の上で寝そべりながら右を向いたり左を向いたりうつぶせになったりしなければならないのである。実に忙しい。その間も、俺が乗った撮影機は頭の方やつま先の方へとシーソーのように傾き続けるのである。ちょうどわき腹のあたりにある手すりをしっかり握っていないと、頭の方からずり落ちてしまいそうだ。そしてまた検査医の声の通りに身体を右に左に動かし続けるのだ。
「はい正面を向いたら腰を左右に振って下さい」
 意味がよく分からなくて、一瞬俺の動きが止まる。
「早く!左右に腰を振って下さい!」
 この時期、クリスマスを彩るディスプレイの片隅に、ちょっとアヤシく腰を左右させている笑顔のサンタのおじさんがいるでしょう。
 35歳になった男が、ういんういん動く機械の中でばたばたと右向いたり左向いたりし、揚げ句の果てにその機械の中でハゲシく腰を左右させている。
「誰にも見せられない……」
 バリウム以上の衝撃に、ちょっとうつむきながら俺は検査室を後にした。

 最後の検査が「眼底撮影」。
 視力検査の時に覗き込むようなあの機械と似た灰色の箱が机の上に置かれ、その中の緑色を見つめているとしばらくしてばしっとフラッシュが焚かれ撮影終了、という流れ。
「のづさんはこの検査するのは初めてですね?」看護婦が俺のカルテを見ながら言った。
「はい、そうです」
「今まで、“眼”について何か言われたことはありますか?」
「はい、“黒目がちのつぶらな瞳だね”ってよく言われます」
 ――そう言いたい気持ちを抑えるので必死だった。ああ、面白いのになあ。

 かくして俺の人間ドック初体験は終了した。まだお伝えしたいことはあるが、無駄に長くなってきたのでコレくらいにしておこう(二回に分けて更新すればよかったかな、と今ごろになって後悔)。
 なにしろ、こんな時間になって、バリウムを体外に出すための“下剤”が効いてきやがった……!
 


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