その時俺はどうしても“ラーメン”が食べたかった。今流行りのナントカ系とかいうんじゃなくて、こう、シンプルな、安い中華料理屋で出すようなラーメンが。
営業車を駆っての外回りという仕事柄、自分の担当エリア内の何処にどんな飲食店やファミレスがあるか、というのは主要な店ならだいたい頭ン中にインプットされている。特に美味い蕎麦屋とラーメン屋は必須事項、打合せの為に使うことも多いのでファミレスもしっかり押さえておきたいところである。
すでに“口がラーメン状態”になっていた俺は、その時はたまたま自宅の近所にいて、記憶にある街道沿いのラーメン屋を思い起こしながら営業車を走らせていた。 ラーメン屋はあるにはあるのだが、どうも“気分”ではない店ばかりだった。明らかに不味かった店、いわゆるチェーン店のラーメン屋などを2、3軒通り過ぎ、気がつけばずいぶんと自宅の近くまで来てしまっていた。 ふと、赤い看板の中華料理店が目に入る。それはまさしくその時の俺が欲しているラーメンを出しそうな、間口1、2間ほどの小さな店であった。 目標をロックオンした俺はゆっくりと営業車を減速したが、その店の専用駐車場がどこなのか見当がつかず、 (――車が停められないんじゃしょうがないな。別の店を探そう) 心の中でそう呟きながら、そのまま俺は店を通り越してしまった。 さて、このあたりのラーメン屋と言えば――。頭の中であらためて検索を始めたが、これ以上俺が食いたいラーメン屋を求めて走り続けるのは危険だ、ということも同時に浮かんだ。なにより次のアポイントの場所からは俺は確実に遠ざかっている。ラーメン屋を探していて約束の時間に遅れました、というのはあまりにもばかだ。 (――引き返そう。さっきの中華料理屋だ。路上駐車でもなんでもいいや) 俺はすぐさまUターンをし、側道にこっそりと車を停めて、先ほどロックオンした小さな中華料理屋に入った。
運命的な発見、と言っていいだろう。
5、6席のカウンター席、小さなテーブル席が4つほどの狭い店だった。「いらっしゃい!」の声。夫婦ふたりで切り盛りしている様子。しかし、俺の目に飛び込んできたものは――。 ジャイアンツの選手のサイン色紙が壁一杯に張られている。 反対側の壁には、原辰徳現監督の現役時代の最後のホームランのパネル、清原が薄笑みを浮かべる「報知ジャイアンツカレンダー」、2000年にジャイアンツが日本一になった時の、テレカ・レリーフ・新聞切り抜きなどグッズの数々、選手のフィギュア、松井の記念ホームランのテレカなどなど、思わず真剣に見入ってしまいそうなモノ達がびっしりと壁に張られているのである。 まさに“ジャイアンツの店”。 俺は注文したワンタンメンをすすりながら、壮観な店内をぐるぐる見回していた。 これだけのものを集めるのには相当の労力と気合が必要である。 「マスター、実にいいお店ですね」 会計を済ませて、俺は人のよさそうな笑顔の店主に話しかけた。店主は、ありがとうございます――そう言って小さく笑うと、 「お客さんもジャイアンツファン?」 「ええ。今年は20試合近く観に行ってます」 「へえ、そらすごい。私も月に一度は行くようにしてるんですよ」 油断をしていたら、今年の原采配や松井の三冠などなど、終わりのないジャイアンツトークに発展しそうだったが、なにせお互い仕事中である。 「ごちそうさまでした。また来ますよ!」 後ろ髪を引かれる思いで俺はその店を出た。 「また来て下さいね! 待ってますよ!」 店主の弾んだ声が心地よかった。 あの時、思い直して車を引き返し、この店に入って良かった、と俺はしみじみ思った。そんな奇跡がなければ俺は一生この“ジャイアンツの店”に入ることはなかっただろう。 今度は野球中継がある時に来よう。そして、唐揚げでもツマミながらテレビ中継を観ようっと。
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