失うものが何処にある。 - 2002年03月30日(土) 「TRIGGER]の『薄汚い』が『ウサギちゃん』に聞こえて困っている今日この頃(どんな耳しとんねん)。だって聞こえないか。聞こえねぇよ、スマン。 しかしホントに歌詞が好きなのよ今回。 一曲一曲、妙に『聞こえてくる言葉』ってのがインパクトがあって力を持ってて。 この曲ではこういう言葉が『聞こえて』来る、っていう。 今回は、ヘビーローテーションっても、体力のなさと時間のなさが専らの原因で車の中で聴いてるのが常なので、いつもみたいに歌詞カードと照らし合わせて、ってのとは聴き方が違う。 そのせいか、聞こえてくる言葉とそうでないものがかなりハッキリしてて、もう『言葉』としてすんなり入ってきたり来なかったり。 何度も言うが、やはり言う。 今回、『言葉』的には素晴らしく好きだ。曲的には私はシロウトなので言及を避ける(ま、『言葉』もシロウトなんだが)。 何も失わないね、と強い言葉がどうしても響いてくるのは、私が喪失感に悩まされているせいかもしれない。 何も失わないぞと思いながらも、何かを失っているようで覚束ない。 何かを失おうとしているようで覚束ない。 変わって当たり前で、変わってゆかないものの方がどうかしてるのだと、頭では解っていても、それでも変わってゆくものがどうしても寂しい。 明日結婚する友人が、ついさっきまで来ていた。 忙しい中、『最後だから』と何度顔を出してくれただろう。 それも今日、本当に最後だったのだ。 少なくとも、独身、の状態で、気軽に顔を出して貰えたのは。呼べばすぐ傍にいる状態だったのは、今日までなのだ、と彼女が帰ってしまってから、改めて思う。 少しだけ遠くにお嫁に行く。 そう遠いわけじゃない、少しだけ、なのだと解っているけれど、それでも、寂しい。 ようやく寂しくなってきたのは、彼女があんなふうにはもう、この部屋を訪れないのだと頭が理解してからだ。 けれど大きな喜びも目の前にあって、どうして良いのか『気持ち』が酷く当惑している。彼女が幸せになるという大きな喜びの前に、この寂しさは光と影みたいに当たり前に存在するだけのものなんだろう。 ずっと傍にいるのが当たり前だと思っていた、感傷。 大切な恩師が亡くなられた日に、大切な友達が離れてゆく。 でも『離れる』訳じゃないんだという妙な納得とか、いろいろ入り混じってて、やっぱり、感傷。 もう明日なのか。 何だかとても不思議で、とても。 万感の想い、っていう言葉は大袈裟じゃないなとまた妙な納得。 幸せな花嫁さんに逢える、と思うことは、やっぱり大きな喜びで、それが自分の友達であるということが喜びで。 ………そのためのセルフファッションショーを昨日一人で繰り広げてたせいで風邪ひいた…ことは黙っておこう。 -
|
|