懐かしい人の夢を見た。 - 2002年03月29日(金) 亡くなったのだと最近知らされた恩師が居る。 私の今の人格形成に多大な影響力を持ち、書く事、や表現する事、を助長させてくれたのが、今までに何度も此処でも書いた恩師なら、今日夢に出てきたのは、私の『言葉』の原点に居る先生だ。 私が小学校4年から、中学校卒業まで通った学習塾の塾長。 正直言って、勉強をしに行っていたのではないところがまたイタい。 小学生の頃、教わっていたのは国語と算数だった。算数はともかく出来ない。見事に出来ない。なのでもう、教わるとか教わらないとかのレベルをはるかに凌駕していた。 そして国語。コレは出来る。ともかく出来た。だから、教わるべき事が何もなく、テストの度、100点だと貰える図書券が楽しみで行っていた。 それでも通っていたのは、一緒に行っていた親友との時間が楽しみだったからだ。 先生は、私とその親友の関係をいつも微笑ましく見てくれていた。 親友と喧嘩したまま、塾の時間になり、私達は隣同士で顔を背けあって座っていた。そうしたら先生は、2時間丸々私達の仲裁に時間を割いてくれた。 人より言葉の発達の早かった私は、回転しすぎる舌と脳を持っていた。それまでは 大人たちからは『生意気』としてしか捉えられていなかったそれを、先生は『言語の才能』という方向で、一番最初に解釈してくれた人でもあった。 大人を、全般的に信用できない環境に居た私が、もしかしたら最初に『全幅の信頼』を寄せた人だったかもしれない。 先生は終始、私を『子供』ではなく扱ってくれ、それが心地好かった。 その先生が亡くなったと、私の師事している茶道の先生から聞いた。家がご近所であり、またウチの先生は噂話が大好きな人(悪い意味ではない。好奇心が幾つになっても旺盛という意味で)なので、ひょいと出た話だったのだ。 睡眠薬を飲んで、だという。 私は、塾を卒業後も、先生と親交が暫くあった。 先生が悩んでいた事も知っていたので、そういう形を取った死に、驚きがなかった。 却って、先生は楽になったのかなという気さえした。 けれどもう、二度とあの狭い学習塾の中で、先生に煎れて貰ったお茶を飲みながら、つまらない話ができないのだなと思うと、切ない。 やはりひとつの拠り所で、私はそうやってたくさんの拠り所を持って生きていたこと、を改めて知らされる。その拠り所を、櫛の歯が欠けるようにぽろぽろと失いながら、けれどしっかりひとつの芯にならねばならないのだ。 懐かしくて堪らず、一生思い出していく人だ。 その先生の夢を、何故だか今日見た。 あの頃と同じで、じんわりと懐かしい気持ちで、私は何だかの講釈を聞いた。 明後日結婚する友人とセットで出て来たのが何だか意味深だが、じんわりと懐かしかった。 懐かしくて嬉しいなという気持ち、が先だったことが、私はとても嬉しい。 最期にお別れをしていないせいだろうか。 よくここでも語る恩師のときは、思い入れの深さもまた格別だったのもあるだろうが、何よりお通夜に行き、最期のお顔を見ている。お葬式の日の雨の冷たさを覚えている。出棺のときのクラクションの音を覚えている。あの方が今これから焼かれてしまうのだという絶望を、今でも鮮明に覚えている。 だからどうしても、あの喪失感が拭い去れないけれど、塾の先生の場合、引越し等のせいで知らされず、だから私はお別れをしていない。 喪失感よりも、残してくれた多くの懐かしさの方が先にたち、それを嬉しいとも思う。そして勝手な想像だが、きっと故人にも、その方が良い残り方なんじゃないかと思う。 夢の中で、先生は笑っていた。それを嬉しいと、単純に思える。 時々で良いから、私の夢に、また降りてきて、と思う。 -
|
|