月と散歩   )   
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2002年08月01日(木) 打ち上げ花火は 横から見たかった


当たり前の話かもしれないけど、
進学をしたり 就職したり、環境が変われば まわりの友達も変わる。

けど、『一生の友達』ってのもいるもので。

―――

小学校の時の友達。
高校の時の友達。

僕は、そういう『〜の時の友達』という言い方が、どうもニガテだ。

なんだか、そのときは友達だったけど いまはもう…っていう響きに聞こえて。

だから僕は、『高校の友達』とか『高校からの友達』ってな具合に言うように心掛けている。ちいさなこだわりだけど。

―――

ひとは大きくなるにつれて、触れる世界も 人も 処理しなきゃならない情報も、だんだん増えてくる。
そのなかで触れ合った人みんなと関係を持ち続けようするのは、とてもじゃないが無理な話だ。

本当に誰かと付き合うってことは、相手の気持ちの一部を自分のなかに取り込むってことだと思う。
それは時として、けっこうなココロの負担になる。

『許容量』を超えて ひととつながりを持とうとしたら、それはとても希薄な関係になってしまうだろう。

だから僕らは、自分の手に余る関係は断ち切ってしまおうとする。
自然と、付き合いを選択している。

それも仕方が無いことだと、思う。


悲しいけれど。

―――

『友達』という言葉の定義を考えることがある。

気が合えば、話が合えば友達か?
心を許し合えれば友達か?
素の自分で付き合えれば そのひとは友達か?


男女の間に友情は在りえるか、なんてことを熱く語り合ったこともある(笑)。

…いや、あるでしょう。
ただ、それは同性の友情とはちょっと性質が違うんじゃない?
ちょっとバランスが狂っただけで『愛情』に傾いてしまう、とてもナイーブなもので
一度『愛情』が入ってしまったら、二度と元の『友情』には戻れない関係…。


…『愛』ってなんだ?
『恋』と どう違うんだ?

無責任にするのが『恋』で、責任が伴うのが『愛』?


…オトナになれば、わかるのか…?
わかるようになれば、オトナ??

…。

ああ! もーめんどくせー!!

―――

そんな僕も、いつのまにか大人になった。

…社会的には。

だけどココロは、いまだにあの頃のまま、足踏みを続けている。


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