竜の爺の戯言日記
DiaryINDEX|past|will
2005年05月09日(月) |
連休は人様だけが楽しんで 人影途絶えわが町闊歩 |
昔のことで記憶が朧なのですが、竜の爺も鳳来寺山を登ったことがあります。16歳? 17歳? の ころだろうと思いますが、なぜ、そこへ行ったのか、誰と一緒だったかがはっきりしません。閑院亞仁1 さん 竜の爺です(木瓜ーー笑)
昨日、奥三河へ行ってまいりました。仏法僧で御馴染みの鳳来町の町花が<ホソバ石楠花>なので・・・ 町営の児童研修センター:やまびこの丘に沢山植えてあり、満開でした。我家の真っ赤な石楠花も咲き出しました。 (MSN 閑院亞仁さん12005/05/04 11:52) 険しい、狭い、濡れてつるつるする(ん? 雨が降っていたのか?ーー笑)石段を息を弾ませて登った記憶が。寺のあるところも狭かったような記憶が・・・・とにかく豊川稲荷駅で下車して木炭自動車に乗ったこと、鳳来寺から裏道(???だと思うがーー笑)を降りて、川近くの温泉宿に宿泊した・・・・???いかんがねぇ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・・・・記憶回路が壊れている(笑)まだ、物が豊かでない時代だったのに、なぜ、竜の爺はそこに行ったのか、なんとも、思い出せません。竜の爺は18歳で名古屋を離れていますから、それ以前の行動だと推測します。 うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・・・・(笑)
鳳来寺山・・・たしか小学校の遠足でいったかとおもいます。たしか紅葉のころでして 風流を解さないお子様だった私は「かったる〜い」と言いつつ 山道あるいた覚えがございます。Jyapuche1 2005/05/06 10:44
Jyapuche1 さん おはーーー。ン ????? 小学校の遠足 ???? そうか、小学校の遠足ねぇ、(笑)竜の爺も風流を解さないお子様でしたが(笑)しかし、当時小学校の遠足は総て徒歩でしたし、卒業旅行は、奈良でしたから・・・・・・・依然として霧の中の出来事です。鳳来寺山・・・ぶっぽーーーそーーー と啼いていたのかどうかも、記憶にないもので、して。それにしても風流を解さないお子様でも名古屋から遠足で鳳来寺山まで行くと言うのは、経済も神武以来の時の話でしょうか? 閑院亞仁1さん 湯谷温泉とおっしゃったので、調べてみましたが http://www.z-tic.or.jp/site/page/kawahara/kankou/database/stay/yutani/ しかしながら、こんなに立派な建物でなくて、竜の爺の記憶では湯治場のような雰囲気でした。カンテラが下がっていたような・・・・・ハイ。木造の2階建て、温泉は川原の野天・・・だったような。人間の記憶と言うものは薄れるものなのか、記憶しておこうとしないものは思い出せないものなのか。いわれた湯谷温泉をそこでさらに調べてみましたが・・・・、どれも宿はすごい設備ですねぇ。(笑) http://www.honokuni.or.jp/hourai/yyu.html
余談ですが この宿のホームページが面白かった。 思わず ドキッ と、したりして(笑)。http://www15.ocn.ne.jp/~hisago/
うーーーん 調べても竜の爺の記憶は回復しません。ひなびた温泉宿、という雰囲気ではなくなってしまったのか。約50年・・・半世紀前のことだからなぁ。(笑) 温泉と言えば、このごろは温泉目的の旅はしなくなった。義母が足の不調を訴えだしてから、だけれど義母が健康なころは下田や御宿周辺の民宿へ良く行った。 四国、鳥羽、能登・・・・・・と同じ場所を季節を代えて旅してみた。こうした旅は都会生活だったから自然回帰が目的だったが、今は自然の中に住んでいるから遠くに行きたい気持ちが沸いてこない。温泉も、冬のスキー宿だけになってしまって、桜を見ながら、温泉で一献ということは最近ない。
中休み---来客 今しがた、鵜岬と天心美術館を下見してきたわが町の、社会学級副会長ご夫妻が報告をして帰宅された。6月の研修学級で市のバスを借り切って37名で移動学習会。鵜岬の温泉に入る時間割が取れない、とかで、昼の食事の手配を、見本を見て1人当て1600円に決める。これは個人負担。入場料、高速道路費用、保険料などで約4万円弱を会が負担と決定する。 5月15日は防災訓練をするので、この打ち合わせを消防署と。消火器の噴射体験、通報訓練、応急処置、応急手当の講習、さらに期限切れの家庭消火器溶剤(粉末)取替え受付も。この広報の、再度の広報を徹底することで、役員と話し合いを。かくて2005年の連休は終わる。 連休は人様だけが楽しんで 人影途絶えわが町闊歩
5/7出あった花たち その1←クリック
|