moonshine  エミ




2003年05月04日(日)  血縁

 家族して、母方の祖父母の墓参りに行った。
 今日は、祖母の祥月命日であったらしい。
 らしい、というのは、それが23年前のことだからだ。
 私は1歳と8ヶ月。物心もついてないよね、さすがに。
 昭和55年の5月3日、私たち家族や他の親戚も祖母の家に集まったのだが、夜には散会になった。
 祖母は元気だった。
 が、4日の朝に亡くなってしまった。心不全だったのでしょう。
 それでも78歳だったのだから大往生といえるだろうし、病床に伏すこともなかった潔さがうらやましい、などと母は言う。

 祖父母というのは誰にでも(死別や離別にかかわらず)必ず4人いるわけだが、私には一人の記憶もない。
 23年前の今日に亡くなったおばあちゃんが、最後の一人だった。
 私の母は6人兄弟姉妹の末っ子、父にいたっては8人兄弟姉妹の末っ子である。
 自然、両親ともに、自分の親と死別するのが早かった。
 私の両親も比較的晩婚ということもあるし、そのうえ姉と5歳年の離れた子供なので、私は父方母方ともに従兄妹の中でも末っ子だ。
 いとこは女の子の比率がものすごく高く、みなそれぞれにお嫁に行っているので、自然、親戚づきあいというのもだんだん疎遠になる。

 そう、我が家は、かなりの核家族。
 双方の実家ともたいした家柄でもないので、伝承すべき家訓とか土地とか歴史もそんなにない。
 それはそれでサッパリしたものであるが、時々、「私のルーツって?」と思うことがあるのもまた事実。
 なにしろ、「お母さんは佐賀で生まれたけど、お母さんのお父さんはどこで生まれたの?」なんて試しに聞いてみても、
「・・・うーん、さあねえ、広島だったような気がするけど、よくわかんない」という答え。これが末っ子の大らかさであろうか。
 母は、祖父母が40歳をとうに越して生まれた子供であるので(そんな高齢出産が当時(=戦後ですらない)大成功していることすら結構オドロキである)、両親どころか兄姉すら数人は早く失っていて、自分のルーツを知る由もない、という部分もある。父もまた似たようなものだろう。父の部屋に飾ってある父の父の写真は、信じられないほど古いものなのだ。
 まあ、どちらにしろ、声高に誇れるような万世一系(?)の家系でないことは明らかだ。
 そして、あまりに少ないご先祖様の情報を寂しく思うことはあれ、それでも逞しく地面に根を張って生きてきた両親を、逆に強いと思ったりする。
 実家の母に子供を預けて・・・なんてこと、ありえなかった我が家庭だ。
 実家もない、学もない両親、そんな中で育てられてきたのが私たちだ。父親だってサラリーマンですらない。
(そういえば、父親の職業なんて、この日記で書いたことすらないよね。うちは零細自営業です。)

 お墓参りも久しぶりだった。
 そのお寺が何宗であるかさえ知らなかった。この前に参ったときはそういうことにすら興味を抱かなかった年頃だったということだ。なんたることか、今日になって祖父の名前がこういう漢字を書くんだ(タケシ、とは知っていたが、猛であることは知らなかった。)、ということすら初めて知った私である。ちなみに、おばあちゃんは綾子。
 祖父母のお骨が納めてある近くには、親戚のお墓もまたあった。
 俗名 音市・静馬などと書いてある。
「音市おじさんは、お母さんのお父さんの弟よ。お母さんが子供の頃は、まだ生きとんしゃったもんねえ」
 と言う母、そりゃー母が子供の頃に母の父の弟が生きているのは当然といえば当然なのだが・・・。
 同じお墓の「静馬」氏は音市さんの息子であるという。享年二十八才と記されている。
「昭和二十年 八月十六日 戦死」と。
 母の従兄にあたる人。終戦の翌日に戦死したなんて、国内で亡くなったのではないのであろう。大陸か、あるいは南洋の島か。母に聞いてももちろん知らなかった。

 お墓をきれいにして、お供え物をささげ、お寺で飲み食いする(酒は飲んでません)。
 そういう作業が新鮮だった。
 そういう作業を、流れるようにする両親が新鮮だった。
 私なんて、お線香のあげ方さえろくに知らなかったのだ。
 ほろ酔っている今だからこんなこと書くのかもしれないけど、
 うちの家庭は大きな海に浮かぶちっぽけな島だ、と思うことがある。
 祖父母の記憶もない、親戚づきあいにも疎い私たち。父母がいずれ失われれば、私と姉には何が残されるだろう? 家系の記憶も頼るべき縁戚もない。
 それでも、血縁というのは確かにある、もう失われていてしまっていても、私にも祖父母がいたし、父母にも叔父や伯母や祖父母がいたし、その記憶が失われているから何だというのだろう、
 人間が生きた証なんて、たかが何十年かの差があるだけで、いつか必ず風化する、それはたいして寂しいことじゃないはずだ。
 そんなことが頭をよぎった日。
 アルバムに、祖母に抱かれた1歳の私がいる。一面のれんげ畑で。





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