2001年11月22日(木) |
イチローのMVPに仰木彬を思う |
メジャーでMVPに輝いたイチローの姿をテレビで見ながら思った。もし彼が仰木彬と出会っていなかったら…と。 イチローはオリックス入団以来2年連続してウエスタンリーグの首位打者に輝いた。高卒の新人としては驚異的な事だ。しかし、当時の監督は、自らの趣味に合わなかったのか、なかなか彼を一軍で使おうとはしなかった。3年目、オリックス監督に仰木が就任した。仰木はその才能をいち早く見抜き、「パンチ」佐藤と共に「イチロー」という登録名で売り出そうと考えた。その思惑通り、いや想像を遥かに越える働きでイチローは一気にスターダムに駆け上がる。 イチローの実力をもってすれば、仰木がいなくても遅からず今と同じような活躍をしたかもしれない。でも、登録名のアイディアは仰木ならではだ。このネーミングがイチローへの注目度を高め、見られているという緊張感が彼の進化を早めるのに一役買った可能性は十分にあると私は思う。 仰木はある解説者に「どうしてオレの所ばかりからメジャーに行くんだろう」と漏らしたそうだ。なるほど野茂も吉井も長谷川も皆、仰木の元から旅立っていった。だがこれは仰木の持つ自由な雰囲気がそうさせたのだろう。他の監督だったら野茂の渡米も遅れ、後に続く選手も出なかった。当然イチローも…。そう考えると仰木彬という監督が球界に残した足跡はとてつもなく大きい。 仰木監督が正式に辞任を表明した9月28日、長嶋茂雄も監督退任を発表した。翌日の新聞各紙は長嶋については写真と関連記事でハデに報じた反面、仰木については冷淡とも言えるほど小さな扱いをしていた。だが、「監督として」どちらが野球そのものを面白くしたか。その答えは明白である。
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