2001年11月12日(月) |
杉浦忠氏の急逝に思う |
元南海ホークス投手の杉浦忠氏が、11日午前急性心筋梗塞で死去した。10日の札幌でのマスターズリーグの試合で代理監督を務めたのが最後の姿だった。享年66歳。 杉浦氏は長嶋茂雄氏と立教大学の同期で、昭和33年に南海に入団。実はこの時、長嶋も一緒に入団するはずだった。ドラフト制度はまだなく自由競争の時代。長嶋を早くからマークしていた南海は、立教OBの大沢啓二氏らの人脈を使って長嶋・杉浦の2人から入団の確約を得ていた。2人には「栄養費」名目の小遣いまで球団から渡されていた。しかし土壇場で長嶋が「裏切って」巨人に入団。当時の鶴岡監督と大沢氏を前に、長嶋は畳に頭をすりつけ、泣きながら詫びたと言う。 この時長嶋が南海に入団していたら、プロ野球の歴史は間違いなく変わっていた。長嶋が国民的英雄になったのは親会社が巨大メディアで露出度が高かった事が大きいからだ。逆に南海が巨人と戦った翌34年の日本シリーズでこの悔しさをバネに4連投4連勝を飾った杉浦の伝説的な活躍もなかっただろう。 長嶋氏が球界を去ったその年、遠征先のホテルで息を引き取った杉浦氏。これもまた因縁かも知れない。
待ちに待った帰化(11/12)
先日イタリア相手に好ゲームを展開して可能性を感じさせた日本サッカー界に、待ちに待った嬉しいニュースが飛び込んできた。かねてから法務省に帰化申請中だったアレックス(清水)の日本国籍取得が正式に決まったのだ。 アレックスは94年に明徳義塾高校(高知)に留学生として来日。全国高校サッカーなどで活躍後、97年に清水エスパルスに入団した。日本語も堪能で帰化が認められるもの時間の問題とされていたが、2002年W杯が目前に迫り、ファンをやきもきさせていた。トルシエ監督も彼に興味を示しつつも、これ以上時期がずれ込めば特別扱いはできないと表明していただけに、この決定は大きい。 今後は代表チームへの召集時期(今年はもう試合が組まれていないので来年早々?)や、その際のチーム構成をどうするかといった事(代わりに誰が外れるか)などが焦点になるが、ともあれ一ファンとしては彼の活躍を一日も早く見てみたい。
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