500文字のスポーツコラム(平日更新)
密かにスポーツライターを目指す「でんちゅ」の500字コラムです。

2001年09月13日(木) 中田批判への反論

 12日のサンケイスポーツによると、パルマのMF中田英寿が10日の地元テレビ番組で、ファンから「いばりすぎ」との批判を受けたという。リーグ戦2試合連続引き分けの「戦犯」にされた恰好だ。
 中田は自らのオフィシャル・サイトで、リーグ開幕戦を終えた時点での問題点をこう指摘している。
1, DFラインとFWラインが長すぎる。
2, 両サイドの位置が低いためにサイド攻撃が少ない。
3, サイドチェンジが少ない。
 コンパクトなサッカーができず、だれた中盤で相手にパスを自由に回されてしまえば攻撃の基点である中田にボールがつながらない。サイドの上がりがなければ攻撃のオプションも制約され、持ち味のキラーパスも機能しない。つまり、中田個人の能力というより、チーム全体のフィット感の問題なのだ。冒頭の批判は、そのフラストレーションが言動に表れるからなのか、単に彼が日本人だからなのかは不明だが、スクデット(優勝)という目標のためにはチームメイトとの対話を密にし、時には強い態度を示すことも必要だろう。バッシングにひるむことなく「中田」を貫き、良い結果を出して欲しい。


破壊的教義の宗教はナチスと同じだ(9/13)

 相変わらず悲惨なテロの映像がテレビ画面から目に飛び込んでくる。きのうも書いたが、これがイスラム原理主義者たちの手によるものならば、彼らは狂信的な破壊カルトの一団であると断ぜざるを得ないし、報じられている指導者はオウムの麻原・・・いや、ヒトラーと同列に属すると言っていいと思う。ナチスがユダヤ人虐殺を正当化しようとしたのと同様、彼らはアメリカ人を殺すことを「正義」であるとうそぶく。
 宗教はその属性として排他的なものである。ある宗教の信者とそうでない人との間には理解を超えた壁が存在する。両者が折り合うことは本質的にはありえない。ましてや「原理主義」のような非寛容で破壊的な教義を持つ宗教においては・・・。
 もしこの世からあらゆる宗教がなくなれば、世界の紛争もかなりの部分がなくなるのではないかと、そんな風にさえ思えてくる。


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