500文字のスポーツコラム(平日更新)
密かにスポーツライターを目指す「でんちゅ」の500字コラムです。

2001年09月12日(水) 「街」が一つ消えた日

 目の前で巨大な「街」が一つ消えた。1つの都市に相当する万単位の数の人が働く世界貿易センタービルが、卑劣なテロによって一瞬にして灰塵に帰した。
 この日行われる予定のメジャーリーグの試合は全て中止。スポーツどころではないということに加え、大勢の人を一箇所に集めることはさらなるテロの標的を作り出すことになるので当然の判断といえる。
 それにしても・・・モスクワ五輪の例を引くまでもなく、平和が引き裂かれた時にスポーツはかくも無力だ。
 東京ドームの傍らに、先の大戦で亡くなった野球人を悼む鎮魂碑がある。戦争は数多の人々の命とその夢を奪い去る。為政者の、あるいは宗教指導者のどんな理屈も、罪なき人々がこの世を去らねばならなかった正当な理由にはならない。
 武力抗争に幕が引かれ、世界中で心置きなくスポーツを楽しめる日はいつ訪れるのだろう。


殺戮を肯定する宗教は邪教である(9/12)

 私は公正中立を旨とするマスメディアに身を置く者の一人として、いかなるイデオロギーにも与しない。しかし、宗教を口実にした殺戮には吐き気を覚える。
 イデオロギーは理屈を伴った思想である。誤った理屈であればそれを論破することで活路が開ける可能性がある。しかし宗教は特別な理屈を必要としない「妄信」であるから、説得は意味をなさず始末に困る。
 今回のテロの根源をたどれば、イスラム教とキリスト教の根深い対立に行き着くだろう。この2つの勢力がもし今後も殺戮を奨励するのなら、残念ながらそれは「邪教」と呼ばざるを得ない。それは殺人を「ポア」と呼んで正当化しようとしたあのカルト教団と何ら変わらない。聖戦などこの世には存在しない。
 私は問いたい。アラーは真にこうした殺戮を望んでいるのかと。私は問いたい。キリストが全知全能なら、なぜこうした悲劇の連鎖を断ち切ることができないのかと。


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