2001年08月31日(金) |
10・19とドーハの悲劇 |
88年10月19日。この日のダブルヘッダーで近鉄がロッテに連勝すれば優勝が決まる。いまや伝説となった10・19決戦である。 第1試合、3-3で迎えた9回、この年限りで引退を決めていた梨田がタイムリー。その裏、阿波野が満塁のピンチをしのぎ望みをつなぐ。 第2試合はシーソーゲーム。8回、ブライアントが勝ち越しソロホームランを放つとスタンドのボルテージは最高潮に達した。 しかしその裏、連投の阿波野がロッテの高沢に痛恨の同点ホームランを浴びてしまう。 ダブルヘッダー第2試合は4時間を超えたら新しいイニングに入らない。延長10回表、近鉄の攻撃終了時点で残り3分。この日川崎球場の3塁側スタンドにいた私は、うなだれて守備につく近鉄ナインの背中を見送りながら涙が止まらなかった。
5年後の93年10月、サッカー日本代表はカタールのドーハでW杯初出場をかけて戦っていた。日本リードで迎えたロスタイム。悪夢の同点ゴール。夢はついえた。
10・19とドーハの悲劇。悲喜劇がめまぐるしく交錯したこの2つの試合には、スポーツの全てが詰まっている。
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