つたないことば past|will
あれから何度か季節が変わって、気がつけばまたあの時と同じ季節になっていた。 窓の外が白い。 木の葉の隠れ里は深く雪に覆われている。 また、冬がやってきた。 僕は下忍の教官という任を解かれ、悠々自適な暮らしを送っていた。 もうだいぶ長い間任務も請け負っていない。 誰も口に出しこそはしないが、明らかに三代目の計らいだった。 皆が無意識のうちに口を閉ざしているあの事件以来、僕は自分が忍者であること すら忘れてしまったかのようだ。 もしかしたら、実際に僕の忍者登録は抹消されているかもしれない。 僕は完全に忍者としての自身も誇りも無くしていた。 「幻術をかけた・・・・・?自分に?何のためだってばよ!」 「・・・・・・・忘れるためなの?」 「そうじゃ」 「どうにかできねーのかよ、じーちゃん!」 「出来ん。あの術は禁術のひとつ。本人しか解くことは出来んのじゃ。あいつ 自身が自ら解かぬ限り、チャクラが果てるまで解けることはない」 「つまり死ぬまで・・・・・?」 「・・・・・そうじゃ。しかし今すぐ死ぬ事はない。消耗していくチャクラはほんの 僅かじゃ。だが使い続けるならば・・・・・1年が限度じゃろう」 「なんでそんなコト・・・・・辛いのは先生だけじゃねーのに・・・・・・」 「・・・・・誰でもな、一番大事なものはそれぞれ違う。大事にする方法も違う。 それがお前たちとカカシとでは違う。ただそれだけの事じゃよ」 「失うくらいなら、いっそ忘れてしまった方がいいっていうのね」 「そういう奴なんじゃよ、カカシは」 「バカだってばよ、先生・・・・・」 「そうじゃな・・・・・」 「先生、本当に大切だったんだね。サスケくんのこと」 雪はまだ止まない。 窓の外の情景が、あの日の記憶を一つ一つ甦らせる。 こんな雪の深い1年前の冬、僕が担当していた生徒が死んだ。 うちはサスケ。 名門うちは一族の生き残り。 うずまきナルト、春野サクラを含めた僕の初めての生徒だった。 それは任務終了後のことだった。 僕たちはいつも通りDランクの簡単な任務を終え、任務報告書を提出し、それぞれの 家路に着いた。 別れ際、本当にいつも通りに別れて。 生きているサスケを見たのはそれが最後だった。 翌日、雪に半分埋もれるようにサスケは死んでいた。 場所は里を少し離れたところだった。 白い雪の上に血が椿の花びらみたいに落ちていて、サスケの遺体より先にそっちに 目を奪われたことを、今でもはっきり覚えている。 サスケを覆う雪は赤く凍りついていた。 血を雪に吸われた身体は白くて、なまじ綺麗な顔立ちのサスケは余計綺麗に見えた。 外傷は刃物で心臓を一突き。 死因はそれによる多量出血だった。 誰がやったかまでは解らない。 ただ、サスケを恨んでいて殺したのではない、そう思った。 僕は居合わせたナルトとサクラを慰め、サスケを抱えて里へと戻った。 火影様に報告。 同期の下忍の子達にも念のため報告。 そして慰霊碑に名前がひとつ刻まれる。 それだけだった。 サスケの埋葬が済み、僕は自分の部屋に戻り、すっかり凍りついてつくはずもない サスケの血が服についているのを見たとき、初めてサスケが死んだ事を確信した。 頭の中が真っ白になった。 まるであの雪景色みたいに。 気がつくと僕はベッドに倒れ込んでいた。 窓からは日差しが差し込んでいる。 随分寝入ってしまったようだ。 着たままだった血のついた服を着替える。 その足で僕は火影様のところへ行き、7班担当辞退を申し出た。 それから1年。 僕はすっかり腑抜けていた。 一日中ごろごろしながら本を読んだり、たまに植物の世話をしたりと、そんな風に 毎日を送っていた。 元々金遣いが荒いわけでもなく、働きづめだった暗部時代からの貯えもあったから 生活にはちっとも困っていなかった。 ましてや男の一人暮らし。これでは減るものも減らない。 たまにナルトやサクラが遊びに来ていた。 身の回りのこともたくさん話してくれる。 7班は再編成してまた任務についていること。 新しい仲間のこと。 新しい先生のこと。 本当に色々話してくれた。 ただ、サスケの事以外は。 サスケは野望がある、と初顔合わせしたときに言った。 一族を滅ぼした兄への復讐と、一族の復興。 それが彼をどれだけ苦しめただろう。 たった12歳の子供が背負うにはどちらも重過ぎた。 だからこそ僕は少し安心しているのかもしれない。 血のつながったもの同士が殺し合うなんて。 ましてやどちらも少年だ。 そんなのはいくらなんでも切ないじゃないか。 だけどそれはあくまで人間的な考え。 忍びとしては別だ。 サスケを埋葬した後、彼の遺体はひそかに掘り返され、両眼を刳り抜かれた。 イタチが行方不明になった今、サスケは唯一写輪眼の血継限界の血を持つ者だ。 里としてはあまりにも手痛い損失なんだろう。 刳り抜かれた両眼は火影の元で保管されているらしいが、そう遠くないうちに 有能な忍者を選び、移植するに違いない。 かつて僕がこの左目を手に入れたように。 流石にこの事はナルトやサクラには言えなかった。 尤も里の重要機密なのだけど。 だけどそれよりも僕はあの子達に嫌われてしまうのが怖かった。 残酷だ、薄情だと罵られるのが怖かった。 そんな言葉は嫌というほど聞いてきたはずなのに。 どうやら僕は自分で思っているより忍になりきれていないらしい。 いつのまにかあの子達が本当に大切になっていた。 窓の外を落ちてゆく雪を見て、微かに記憶が過ぎる。 誰かが言った言葉。 『忍も人間だ』 『感情のない道具には なれないのかもな』 ああ。 そうかもな。 午後になってもなかなか雪は止まない。 薄暗くなり始めた頃、玄関のドアがノックされた。 「誰ー?開いてるから入っていいよ」 とは言ったものの、気配で誰かなんてすぐわかった。 案の定、ドアが開いて金色の髪と青い瞳が現れる。 が、いつもの勢いも元気もない。 「どうしたんだあ、ナルト。元気ないぞ」 僕はわざとらしくおどけて見せた。 それでもナルトは下を向いて押し黙ったままだ。 やがて下を向いたままゆっくり話し出した。 「・・・・・・今日で、1年だってばよ」 「・・・・・・・。サスケ、か」 ナルトは小さく頷く。 「もう、いいだろ先生」 「・・・・・・・?何が?」 「とぼけんなってばよ!!」 ベッドに腰掛けていた僕の胸倉を勢いよく掴む。 その手は震えていた。 「先生、このまんまじゃ死んじまうぞ!いいのかよ、これで!」 「ナルト、お前何言っ」 「先生は自分で自分に幻術かけてるんだってばよ!サスケを、サスケのことを 大切にしてたこと、忘れるために!」 「え・・・・・?」 忘れるために? サスケを大切にしていた事を? 自分で自分に、幻術を? 僕は、忘れている? 「オレ、実は・・・・・誰にも言わなかったけど、先生がサスケの事、抱きしめてたの 見た事あるんだ。先生も、サスケも幸せそうだった。だから!」 「だから・・・このまんまじゃ・・・・・悲しすぎるってばよ」 ナルトはおそらく、泣きそうなのを精一杯我慢してるに違いない。 震える方がそれを物語っている。 何かが僕の中で引っかかっていた。 それがわからなくて、もどかしかった。 僕は忘れている。 いや、僕が僕自身に忘れさせた。 何かとても大切なことを。 「なあ先生。先生、ホントにサスケのこと大切だったんだろ?だったらさ、忘れた まんまなんて、サスケ可哀相だってばよ。だって、サスケだって先生のこと大切 だったんだ。絶対!なあ、カカシ先生!カカシ先せ・・・ッ!」 ゆらり、とナルトが揺らめく。 当て身をくらって崩れ落ちる身体を抱きとめて床に横たえる。 「ごめんな、ナルト」 窓の外を見る。 そして僕はゆっくりとベッドに体をうずめた。 胸の上で手を組んで、目を瞑る。 「それでも」 「それでも俺は・・・・・」 体の力が抜けていく。 もう目も開けられない。 外が雪のせいか町のざわめきも聞こえない。 静かだ。 静かで、真っ白だった。 ふとそこに誰かいるような気がした。 手を伸ばして探ろうにも、手は動かない。 そっとその手が握られた。 幼い、小さな手だ。 ナルト?と、掠れた声が出た。 でも返事はない。 僕は少し笑って、じゃあサクラか?とまた掠れた声で言った。 それでも返事は返ってこない。 「・・・・・サスケか?」 多分今のは声にもなってない。 もちろん返事もない。 それでも僕はうわ言のように呟く。 「ごめん。サスケ、ごめん。ごめんね」 忘れてしまったこと、許してくれなんて言わないよ。 それが僕に出来る弱い自分を守るための、お前への想いを守るための、 精一杯の手段だったんだ。 だから、 「ごめん」 「それでも、本当に君が大好きだったんだ」 たぶん雪はまだ止んでないのだろう。 里はますます深い雪に閉ざされてゆく。 薄れる意識の中、懐かしい声を聞いたような気がした。 「バーカ。この、ウスラトンカチ」 END 02年8月21日より再録
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