努力をしなければ何も手に入らないと 誰もが本当はだいぶ子供の頃から 知っている事。 それでもいつの間にか「それなり」という言葉を 覚えて、努力する事を少しさぼってたり。 そんな自分に気づいて、必ず浮かぶ顔に 自分を恥じる事がある。 子供は誰もが特別でありたいから、 当然それを信じて生きてる。 誰もよりも特別な存在。 神童・天才・秀才、何より魅力的な言葉。 それを求めるのが子供らしい子供といえる。 自分は平凡だからなんて幼い頃から思うなんて 逆に寂しい事だと思う。 だから、つい努力家という言葉に嫌悪を 抱いてしまいがちになる。 努力をする事が何だか損な気持ちになってしまう。 努力をすれば出来るようになるなんて、努力しなければ 何も得られない、全く才能のない子に生まれたような 気になって落ち込んでしまう。比べられる兄弟が 優秀ならなおの事。それでも私はいつからか 努力家という言葉が嫌でなくなった。 それは割と早い時期からだったと思う。 誰よりも立派な人がそう言われている人だったから。 家族の為努力をする。そしてそのための延長線上に まだまだ自分を成長させる努力をする。 何十年も一人で仕事をこなして来た男が、それ以上を 目指して難しい試験だってしっかり受けてしっかりパスする。 一番似ているかもしれないと言われた時の誇らしさを 私は忘れていない。まだまだ足りない自分。 一生追いつけない背中を追いかけ、それでも努力をする 事の素晴らしさを貴方に教えてもらった私は これからも目指す世界へ向けて努力をする。 その背中をいつでも見失わないように。
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