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| 2002年01月30日(水) |
馬頭観音さんとワーズワース |
よくねたー!今6時40分。少し走ってきます。
今日は息子も早く起きて登校しました。どうしていることやら。
午前中池の周りをまたジョギングしました。馬頭観音さんとか子育て観音さんとか 日蓮さんの銅像などがあるお寺さんの境内もお散歩しました。
えっと。数値は28パーセント。100分の28ということは、3割くらい脂肪がついて いるんだわ。1キロでも増えると堂々たる肥満です。ボーダーラインですね。
今朝は夕べの鰻丼の残り半分も食べたし、牛乳も飲んだ。
そういえば、入院していた頃、赤ちゃんを置いてマンションから飛び降りた人が おられました。今ではお元気じゃないかと思うんですが。今年年賀状とかクリスマスカードはきてなかったな。当時げえげえとだいぶ吐いて苦しそうでした。背中をさすってあげるとありがとうございますとかおっしゃっていましたが、私より4つくらい年上でしたかね。ねたにしてください、とか叫んでおられたけど。 誰からも忘れられてしまったら、自分がかわいそうですよね。
娘の叔父にあたる人は自分で自分に劇薬を点滴して亡くなりましたが。 とても几帳面な人だったそうです。ぽっちゃりしたかんじの人でしたが。 一度しかお会いしたことありませんが。 紫色になっていたそうです。お兄さんはそれを見て血が引いたらしいです。 心中したいと思って彼女もそれに従うと言ったが、本心彼女が死にたいと は思っていないと思うというので、人を殺すようなことするな、と言うと、 彼は彼女にはブドウ糖を点滴したそうです。 お兄さんは、どうしてお前も死なないでくれと言えなかったのか、本当に死ぬとは 思っていなかったからだ、と言いました。二人でどこででも暮らしていける ではないか、と。まだいろいろなことができたはずなのに、と。 彼は私が死ぬ前にもう一度会いたいと言った時、死んではいかんと言いました。 私は死なない、でもいつか死ぬその前にもう一度会いたいと言うと、また いつでも会えると言いました。 人はみないつか他界するものですが。
娘はおこづかいはもらっていなくて、時給1000円の高級とりだそうです。 ケータイの料金もそこから出るとか。 でも一人で出かけるのは心配なので、まだ家族以外の人と外出はなかなかできない ようです。
そういえば、いいお天気ねーと言ったらそうねーといってくれるひとが欲しいって そうだなあと思いました。
政局混乱ですって?
ところで、全然話は違いますが、私、高校生の頃、数学の時間、まじめに聞こうとすればするほど、眠ってしまいました。 聞かないつもりはないわけですから、隠すこともできず、先生からかくんかくんと うたたねする様子が丸見えのところで、口をぽかーんと開けて、あごを前に突き出して眠っておりました。 修学旅行で、おねしょもしました。
微分積分の方程式などを暗記できなかったばかりか、その内容はまったく把握できませんでした。中学の頃の数学は少しだけ楽しめたのですが。 でも、中学の頃は、失恋が多かったです。
で、真紀子さんはどうして泣かれたのでしょうか?
思い通りにはなかなかいかない。でも思い通りになってしまっても怖いですね。
息子は、今日はパパがいる曜日なので、早く帰ってきました。 でも、パパは、今日は昼間展示会のために仕事に出かけていきました。 そんなに遅くならないと思うけど。
ところで、弁天さまって弁財天なんですね。私、弁才天とか書いてしまったような気がします。 厳島神社。
で、ワーズワースの水仙の詩ですが。
開文社の英詩読本(荒牧鉄雄 岡地嶺著)によると、
ワーズワースは野山を散歩している際に、実際に見たり聞いたりする場面を、詩の題材にした人で、野原や日没や子供や風景などは好んで歌った。彼の有名な詩は大部分がそうであるように、この詩も詩人の妹Dorothyと共に散歩している時にヒントを得たものである(130ページ)。
あらら、私ったら、孤独なんて書いてあるので、一人で散歩していたのかと思っていたわ。とんだ勘違いね!
従って、ワーズワースの詩を理解するためには、Dorothyの詳細なJournals(日記)を是非参照しなければならない。この詩Daffodilsは詩人が34歳の時の作であるが、これより2年前の1802年4月15日のDorothyの日記に次のように記されてされてある。 (私たちがガウバロウ公園の向こうの森に行った時、水際近くに水仙が少し見えた。。。。進むに従って水仙はますます多くなり、遂に、木々の枝の下に、岸辺沿いに、長い帯のように続き、それは田舎の有料道路の幅くらいであった。こんなに 美しい水仙は見たことはなかった。水仙は苔の岩岩の間に生えたり、その周囲に生えたり、その上に生えたりしていて、中には、疲れて枕の上に頭を休めているように岩の上に頭をのせているのもあれば、揺れたり、ふらついたり、踊ったりするのもあり、湖水を渡って吹き寄せる風と一緒になって本当に笑うようにみえた。水仙は絶えず閃き変化して、大変陽気そうであった。)この日記を読むと、詩の書き出しの如く、ワーズワースはただ一人で山野を散歩していたのではないことになるけれども、詩は必ずしも事実どおり歌わなければならないというのではない。自分が 歌いたいこと、感じたことなどを最も美しく最も有効に表現することが芸術であり 詩である。
憂き我を寂しがらせよ閑古鳥
と歌った芭蕉も、
これぞ孤独の宝なり
と歌ったWordsworthも、等しく好んで求めたものであった(荒牧鉄雄 岡地嶺)。
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