衛澤のどーでもよさげ。
2006年08月31日(木) 眼瞼下垂手術(翌日)。

手術から一ト晩経つと術創を冷やすのもしなくていいらしい。これはあとで医師から聞いたのだが、手術の翌日や翌々日が術創周辺が最も腫れる時期らしい。それまで冷やしておけば幾らか腫れをましにすることもできるが、一旦腫れてしまったら冷やしてもさして腫れ具合いは変わらないのだそうだ。
という訳で、冷やすのは手術直後から消灯までの九時間弱だけだった。

手術を受けたと言っても身体の具合いが悪い訳ではなく、ただ手術で傷が入っているだけだから、食事に制限はない。病院で出されるのも通常食だし、退院後も余程の刺激物でもなければ食べてはいけないものはない。
しかし、身体が傷付いたりして弱ると「身になるもの」を、身体が食べようとする。この日の朝食には納豆が付いてきたが、ぼくは関西人の例に洩れず納豆が苦手だ。けれども、蛋白質(筋肉の素)を日常よりも更に積極的に摂って傷を早く治そうという気持ちが働いて、納豆も全部食べた。

食事が終わった頃に担当医がやって来て、術創を診た。眼瞼下垂の術創は手術が終わってからもガーゼで覆ったり眼帯を着けたりはしない。傷は露出させたままなので、かけている眼鏡を取れば直ぐに傷を診せることができる。医師は腫れているが誰もこれくらいは腫れます、と言った。そして今後冷やしてもたいして変わらないから冷やさなくてもいい、しかし治癒が進んで痒くなったら掻かないで冷やすと痒みはましになる、と教えてくれた後、退院許可をくれた。
退院の手続きをして病院を出たのは一〇〇〇時過ぎだった。病院に着いたのが丁度これくらいの時間だったから、二泊三日の入院で、病院の中にいたのはまる二日程度だったことになる。

病院から貰った入院案内に「帽子やサングラスを用意のこと」と書かれていた。術創が腫れるから人目を忍ぶために必要だということだ。それ以外にも術創を紫外線にさらさないためという理由もあるのだが、主たる目的はカモフラージュらしい。
腫れると言っても多少より少し余計に腫れぼったくなる程度だろうし、自分からは見えないから気にしなくていいや、と思って、いつも被っている前鍔の帽子だけを持参したのだが、程なくそれが甘かったことに気付く。

松本市から大阪方面へ向かう高速バスは一日に二本だけ出ていて、一本は〇七一〇時発、もう一本は一六〇〇時発だ。今日の〇七一〇時発の便は既に出てしまっているので、次は一六〇〇時まで待たなければならない。六時間ほどもあるので国宝松本城でも観に行けばいいものだが、目蓋が腫れているので視野が狭くて危なっかしいのでやめておく。
入院前日に一ト晩泊まったインターネットカフェに再び入り、身体を休めておくことにした。そこで手洗いに入ったときに、ぼくは術後はじめて鏡で自分の顔を見た。

ああ、これはサングラスをかけて隠しておかないと、見た人が吃驚する。

縫い目がはっきりと見えていて、術創がぱっつんぱっつんに腫れて縫合糸がはち切れそうな状態だということが傍目に見てもばっちり判る。さながらボンレスハムだ。しかも術後暫く続いた出血のせいで縫合糸が暗赤色に染まってしまっている。一ト昔前に流行ったスプラッタホラー映画に出てくるモンスターみたいだ。
写真を掲載しようかと考えたが、あまりにもグロテスクで見たくない人の方が多そうだから、隠しておく。見たいと思った人だけ「写真」の文字をクリックしてください。別ウインドウが開きます。見た目がかなり痛そうだから見る場合はそれなりの覚悟をしてください。

こんなに大きな傷が両眼にあるけど、ぼく自身は痛くないし自分からは見えないしでまったく気にならないのだけど、顔を合わせた相手の気持ちを考えると、これは隠しておくべきだと思った。だからこの日は帰宅するまでずっと帽子を目深に被っていることにした。深く帽子を被っておけば帽子の前鍔と眼鏡のフレームで隠れて、かなり気を付けて顔を覗き込まないと術創までは見えなくなる。
明日は安いサングラスを買いに出掛けよう、と思った。


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