衛澤のどーでもよさげ。
2006年08月30日(水) 眼瞼下垂手術(当日)。

いよいよ手術の日である。

顔面にメスを入れるのははじめてだ……と思ったが、よく考えるとぼくは過去にも目蓋を切ったことがあった。逆睫毛を治すために、七歳のときに手術を受けた。
一本や二本、ときどき目蓋の外側ではなく眼球の方向に毛先を向けて睫毛が生えることはよくあるのだと聞く。しかし、ぼくの逆睫毛は睫毛全部が眼球に向いて生えていて、しかも生まれつきのものだったから七歳時には既に眼球が傷付いてしまっていて、ぼくを眼科医に連れて行った母が医師に「何でこんなになるまで放っておいたのですか!」と叱られていた。
当のぼくはと言うと生まれつきだから痛くとも何ともなく、眼球が傷付いているなんて医師に言われて「そうかあ」と思った程度だった。

で、逆睫毛を治す手術を受けたのだが、このときは小さな子供でもあったし、全身麻酔をしてくれた。手術室に移動する前に麻酔注射を腕にして、眠っている間にストレッチャーで運ばれ、手術を済ませ、次に目覚めたときには病室に戻っていた。術後も痛みはなく、ただ喉がひどく渇いていたことを憶えている。
しかし今日受ける眼瞼下垂の手術は、局所麻酔で行なうらしい。目蓋の局所麻酔ってことは、目蓋に針を刺すんでしょう。考えただけで怖い。

〇九三〇時に執刀医が病室にやって来て、手術の説明をしてくれる。昨日付の記事に掲載した眼球周辺の図はこのときに執刀医が書いてくれたもの。左右両方の目蓋を切開して眼瞼挙筋と瞼板を縫いつけて、ぼくの場合は目の周囲にある筋肉である眼輪筋の力が強すぎて目蓋が痙攣を起こすことがあるから、眼輪筋を少し切って痙攣をなくすということもする、とのこと。貰った治療計画書には「挙筋前転法」と書いてある。
説明が終わると看護師がやって来て、目蓋の麻酔のためにペンレステープを貼ってくれた。それから小一時間待って、手術室へ徒歩で移動。この日はぼくを含めて三人が同じ手術を受けるのだそうで、ぼくは二人めだったから一人めが終わって後片付けが済むまで手術準備室で一五分程度待った。

手術室に入ると手術台に横になる前に眼の写真を何枚も撮影する。そのときに執刀医が確認したところによると、ぼくは左眼をほとんど使っていないのだそうだ。左の視力が弱いとは思っていたが、それ以前に目蓋が半分ほど眼に被っているらしい。だから見えていない。今日はこれをきちんと開くように治して貰う。
手術台に仰臥すると執刀医は頭の上に席を構えていて、ぼくの顔を覗き込んで「どれくらいの二重にしますか」と訊いてきた。緩んだ目蓋を挙げるためには目蓋を少し折り込んで縫いつけるから、必然的に二重目蓋になる。二重目蓋の程度がぼくはよく判らないから「おまかせします」と答えたが、委されても困るらしくて「派手なのがいいか、並程度がいいか、地味なのがいいか」と今度は三択を提示してきた。「地味に御願いします」と言っておいた。「地味ですね。地味と言いましたね。地味でいいですね」と何度も念を押される。

さて、麻酔注射。目蓋に細い針をぷつぷつと刺される。勿論痛いが麻酔前麻酔が効いているのか多少「ちくっ」とする程度。我慢できないほどではない。歯科医の麻酔くらいと言えば想像できるだろうか。
この注射のときにぼくはひどく緊張してしまって、心拍が強く速くなって息が苦しくなって、パニック発作を起こすかと思った。パニック発作の主症状である過呼吸を防ぐには「ゆっくりと深呼吸をすること」が有効だと知っているからそのようにして難は逃れられたが、もしも局所麻酔で手術を受けることになった神経症持ちの人は、事前に医師に申し出て神経を落ち着かせておく薬を予め服ませて貰うのがいいと思う。

注射が終われば直ぐに切開だが、眼を閉じているので刃物が眼に迫ってくるのを見なくて済む。注射が終わってほんとうに直ぐに切開がはじまったが、すっかり麻酔が効いていてまったく痛くはない。でも、ときどき目蓋が引っぱられる感覚は判るし、ざりざりと何かを刃物で切っているのだろう音が聞こえてちょっと怖い。
執刀医のほかに手術室には助手の医師が一人と看護師が一人いる。執刀医と助手で左右ほぼ同時に切開し、手術を進めていく。だいたい一時間程度で終わる。術中、目蓋の外側をいじるときに多少の痛みは感じるが、悶えるほどでもない。

しかし。怖れていたことが起きてしまった。

ぼくは精神科領域の薬を服んでいるために麻酔剤に多少の耐性があるらしく、麻酔が効きづらかったり早く切れたりする。昨年、内性器摘出術を受けたときは事前に二週間ほど薬を服まない期間を設けて身体から薬を抜くということをしたし、全身麻酔だったから痛みを感じることはまったくなかった。しかし、既に服薬をはじめていた八年前に乳房切除術を受けたときには局所麻酔がほとんど効かず、そのまま切開されてしまったために凄絶と言ってまったく差し支えない激痛に耐えなければならなかった。
そのときの記憶があるから、ぼくは医師に何度も「精神科の薬を服んでいても大丈夫ですか」と訊ねた。答えはいつも「鬱病の薬なら大抵大丈夫ですよ」だった。それを信用するしかなかった。

だが、どうしても全面的に信用する気にはなれず、部分的に残った不信は見事にこの日に起こることを予見していた。残すは縫合のみ、という段階になって麻酔が切れてきたのだ。
縫合ははじまっていて、縫合針がちくっちくっと目蓋に刺さるのがはっきりと判り、それは間違いなく痛みだった。手術がはじまるときに執刀医が「痛かったら言ってください」と歯科医のようなことを言っていたので「痛い」とはっきり言った。医者の「痛かったら言ってください」は信用ならないことを確信した。
「あとは縫うだけだから二、三分で終わるから」
たとえ二、三分でも目蓋に針が刺さるんだから痛いんだよう。麻酔剤追加してくれよう。と、言えたらどれだけ楽だっただろう。縫う訳だから針が目蓋を何度も貫通するのである。全身を力ませて呻き声を絞り出すのが精一杯だ。ひどい痛みを感じると人間は乱暴になるもので、だけど声が出ないから「早く終われバカヤロー!」と胸の奥で何度も叫んだ。

ラスト三分程度で一気に憔悴してしまった。執刀医は「あなた、酒強い?」と訊いたがぼくはまったく酒が飲めない。飲むと直ぐに全身が赤くなって気分が悪くなる。それで危険を感じて直ぐに飲むのをやめるからまだ倒れたことはないが、人並みの量を飲んだらきっと倒れる。
だからそう答えたが執刀医はそれを疑うように何度か繰り返して「ほんとうは酒強いでしょ」、「日本酒は駄目だけどウイスキーは飲めるとか」と訊いてきた。「飲めねえって言ってんだろ!」と元気なら怒鳴っていたかもしれないが、気力がなかった。
怒りと憔悴の原因が同じものだとこういうすっきりしないことが起こる。

縫合が終われば手術は終わり。もう一度写真を撮って、病室に戻る。戻るときには看護師が車椅子に乗せて運んでくれた。とても有難かった。自分で歩けと言われれば歩けたが、きっとふらふらとしか歩けなかった。
しかし、手術が終わって眼を開けたとき、明らかに術前よりも目蓋が軽く感じた。これまで長々と悩まされていた後頭部から肩胛骨にかけての重怠さもすっきりなくなった。目蓋のゆるみを治すだけでこうも違うものか、ということを実感できた。

病室に戻ると丁度昼食が配膳されたところで、麻酔が切れはじめて術創に痛みを感じていたぼくは早々に飯を喰って、昨日貰った薬を服んだ。薬は早く効いてきて、痛みにうんうん唸らずに済んだ。それがせめてもの救い。
食事が終わってから消灯までの間、看護師が用意してくれる氷水とガーゼで術創を冷やした。術後から翌日までの間に上手に冷やしておけば、その後の腫れ具合いが幾らかましになるらしい。腫れるのは誰もが当たり前に腫れるしそれは免れないのだけど。


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