2006年02月19日(日) 大丈夫だよ。
急激に持病が悪化。天地がひっくり返ったような悪くなり方。持病というのは精神科領域の病気。鬱病とパニック障害の二つの診断名を貰ってはいるが、ほかにもあるのかもしれない。
突然動けなくなった。
身体を起こそうと腕を突っぱることさえできない。固形物が喉を通らない。頭蓋骨を覆う筋肉のすべてが緊張して痺れ続けている。まる二日寝込んで起き上がれるようにはなったものの改善されたのはそれだけで、実を言うと指が震えるので筆(硬筆)では文字が書けない。はじめてのことではないから別段驚きもしないけれど、随分困る。
昨日のことに、とあるルートで「まともな食事」というものをさせて貰えた。それが奏功したのか今朝は身体を起こすどころか歩きまわれるようにさえなった。だから「やはりきちんと栄養素を摂取できる食事をしなくては」と思い、買いものに出たはいいが、材料を買い込み、改めてそれを見て「この材料を調理して食べなければならないのだ」と思った瞬間に動けなくなってしまった。
「荷物を持って(自宅まで)移動する」
「買った材料を加工する」
「加工した材料を調理する」
「調理したものを口に入れる」
「口に入れたものを咀嚼する」
「咀嚼したものを嚥下する」
ざっと分けただけでもこれだけのことをしなければならないことの苦痛とそのための力が自分の身体の中にないことが明らかに自覚できる絶望が、どれほどの恐怖を喚起するか。
「人間として生きているからにはやって当たり前のこと」ができない状態にありながら生きてしまっている絶望は、当たり前のことを当たり前に実践できる人にはおそらく判り得ない。
意識しなければ呼吸できないときには「呼吸するのがしんどいからやめてしまおうか」とふと思う。「生きていればいいこともあるよ」なんて、死に近付いたことがない人の妄言に過ぎないことが全身で判る。
直面はしても死にはしない。明日になればまた天地がひっくり返ったように元気一杯になっているかもしれない。たいしたことはない。一二時間置きに三回の発作を起こしても死にそうに苦しくなっても救急車は来てはくれないしよしんば救急車が運んでくれても搬送先の病院は何もしない。できない。
それが精神科領域の病気。放っておいても死にやしないもの。死んだ方がましだってくらいに苦しくはなるけれど、死にやしないもの。
だから大丈夫。明日もきっと生きている。