衛澤のどーでもよさげ。
2005年10月08日(土) やる気とがんばる気の間には。

調理する環境が少しよくなったのでいろいろなものを、とは思ってはいるのですが、漠然と「いろいろ」と考えるだけで具体的には何をつくって食べればいいのか判っていません。……考えるのが面倒なのですよ。献立をつくるための基礎智識も不足していますし。
このような次第で、献立を考えてくれる人が近くにいればいいなあ、なんて考えています。「飯をつくってくれる人」とか贅沢なことは言いません。調理は面倒がらずにやりますから、献立を。

不意に草案が浮かんでしまったので、それを一日中練り練り。半ばぼーっとした状態で御話の概型を考えるのも、考えていることのかたちが少しずつはっきりして「物語」の体裁になってくるのも、愉しいです。
でも、この作業はとても沢山の時間を使う割りにあまり進行しないし、手許に「眼に見えるかたち」として何も残らないし、何よりほかの仕事ができなくなります。
つまり傍目に見るとぼくは今日一日ぼーっと何もせずにごろごろしていたように見える訳です。締切がある原稿を放ったらかしにしてそんな状態だった訳ですから、ほぼ何もしていないのと同じなのかもしれませんが。

これは、やっぱり逃避行動なのでしょうか。どう考えても、締切がある原稿の方がプライオリティが高いはずですよね。「ばりばり書いてばりばり稼ぐぞー!」という気持ちは充分にあるというのに、どうしてやらないんだ>自分。


【今日のだけども】
つくるのもよろしいですが、読む方もがんばりたい。と思うのだけれど、全部やるには「時間」が足りない……。


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