2005年10月07日(金) 二〇年遅れの。
ぼくには反抗期がありませんでした。思春期というのは何かと苛々してもどかしくて、誰かに何か言われただけで確たる理由もなく反抗したくなるものなのだそうですね。ぼくにはその経験がないのですよ。
心理学によると反抗期がないと精神面の何かが欠落した人間に育ってしまうらしいのですが、自分を見てみると実際にそうなのだろうなと思います。
それはさておき。
その、思春期の苛立ちだの焦燥だのを、たったいま感じているように思います。しかし、ぼくも年令だけは喰っていてそれなりにオトナなので「確たる理由もなく」という隠れ蓑に隠されたその理由は自分で推測することができています。
「何かをやりたくてとにかく動き出したくてじっとしていられない自分」と、「何かやりたくてうずうずしている自分がいることが判っていながら、具体的には何をしていいのか判らなくて困っている自分」が、ぼくというひとりの中に同時に存在していてコンフリクトを起こしているのでしょう。おそらくこれが「思春期の苛立ち」の正体ではないかと思うのですが、違うのですかねえ。
ぼく自身は二〇年遅れの思春期として捉えているのですが。
いまぼくが抱えている苛立ちだの焦燥だのは、「具体的な何か」を見つけ出してそれに取り掛かってしまえば解消されるものとは思いますが、その「何か」はおそらくきっと、ぼくの「いまやらなくてはならないこと」とは別のことなのですよ。
この場合は「何か」が見つかった方がいいのでしょうか見つからないのが身のためなのでしょうか。むう。
【今日のいつかは】
会ってみたい人がいます。一度はお会いして御話させて頂きたいと思っているのですが、申し出たら会って貰えるかな……特段何の話をしたいというのはないのだけれど。