2001年09月12日(水)
テロは終わらない

アメリカは今同時多発テロで大騒ぎをしている。
このニュースを見て(一般市民を平気で殺す犯人グループ、その後ろで糸を引いている組織に憤りを覚えはするものの)先ず思い浮かんだのが広島、長崎の原爆投下だ。アメリカは一般市民の巻き添えを怒っているが、日本の一般市民の犠牲は数千なんてものじゃない。戦争と平和時の違いはあるが、ひとの死の意味は戦争も平和もない。戦争のルールを自分に都合いいように勝手に変えるのがアメリカの流儀だ。ベトナム戦争もそうだった。当然、報復は全面攻撃になるだろう。それがイランなのかイラクなのか、パレスチナ、あるいはパキスタン、それともアフガニスタンなのかは分からない。とにかく目には目をと一般市民を攻撃するだろう。そしてその攻撃を正当なものにするべくNATOや国連のコンセンサスも強引に取り付けるだろう。
しかし、それでいいのだろうか?イスラム過激派を許すべきではない。だが、テロリストが自死までして(特攻隊)テロをするにはそれだけの理由がある。そしてもちろん特攻隊を編成した当時の日本が狂っていたようにその理由には不条理が巣くっているだろう。だが、当事者にはそんな不条理など見えはしない。
この対立はユダヤ・キリスト教とイスラム教という不幸な双生児が現状の教義のまま存続する限りつづくだろう。
解決は仏教にしかないというトインビー説を思い出す。世界中の指導者がそれを受け容れるべきだ。そして仏教徒が立ち上がるべきだ。時間は掛かるだろう。百年ではすまないだろう。しかし、一神教の対立は原理的な対立であり、(つづく)


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