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1975年03月23日(日) a

「神や霊のことや死後の世界などは、何を体験しようが全くわからないことである。それらは自分にとっても誰にとっても不可知なことである。」、という、忘れがちですが当たり前のことを今一度認識すべきではないかと思います。「神はいる、死後の世界はある...」、と信じることは個人の自由です。しかしそれは、「根本的にはわからないことであるが...」と、はっきりと認識した上で信じるべきではないでしょうか。その認識がないことには、何かのきっかけが与えられると、例えば霊動のような現象を見せられて驚いてしまうと、見えない世界についての説明を簡単に信じてしまうのです。

真光では、「手かざしによっておこる霊動で出てきた霊が、誰も知るはずのないことをしゃべり、後になってそれが実際に確認された。だから霊は存在する。だから真光は本物である。」ということを言う組み手さんがいらっしゃいます。しかし、その手の話はめったに無く、たいていが誰かからの伝聞です。そして、それが本当に事実なのか、実際に体験した本人以外確認のしようがありません。真光を信じてもらうためのつくり話なのか本当の話なのか、はたまた本人がそう思い込んでいるだけの話なのか、聞いているだけの人には全くわからないことです。

もし仮に、そのようなことが本当に起こるとしても、それは真光以外の他教団でも起こっていることではないでしょうか。現にそのような奇跡体験、霊体験の話は多くの宗教教団にあり、それを支えにしてそこの信者さんは信じているのです。色々なところを訪問して話を聞いてみればわかりますが、真光の体験がそれほど特別ということはありません。どれも似たようなものなのです。その同じような霊的体験をもとにして、真光とは違う教えを信じているのです。

所詮見えない世界のことはどうとでも言うことができるのです。不思議な現象も実際にあるのかもしれませんが、それらはいかようにも説明することができるのです。手かざしで体調がよくなる、病気がよくなる、という現象も、なぜそうなるのかは現在のところ誰にもわかりませんが、それは真光以外の宗教教団でも起こっていることですし、普通の人がやっても起こると言われています。不可思議な現象の中に隠された真実は、私たちごく普通の人間にはわかるはずもありません。




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