数日前のこと。 チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で閉じ込められた33人が全員無事救出のニュース。
テレビがないので、様子がよくわからない。 Aにせかされるようにしてネットで調べた。 フェニックスは意外と素朴な装置のように見えた。
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世界中の耳目を集めたこの事故は、国家の一大事として取り組まれた。 そのことが、映像からよくわかる。
張り巡らされた国旗。ピニェラ大統領の陣頭指揮。 助け出された作業員やその家族の、国家を称える賛辞。
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ここで私は、もう一つの救出劇を思い出す。 偶然にも同じ南米であるが、96年の在ペルー日本大使公邸占拠事件である。
救出までが長丁場であったこと、土壇場が全世界に放映されたこと、 そして映像の前面に、一国の大統領がリーダーとして象徴的に現れたことが、 今回と共通する点である。
どちらの大統領も、救出劇を通して国の威信を全世界に示した。 ただし、その示したものは大きく異なる。
フジモリ大統領の防弾チョッキ姿は、国民を威嚇し統制する姿であり、 ピニェラ大統領のヘルメット姿は、国民へ心を合わせるよう励ます姿だった。
チリも長い間軍事政権の続いた国である。 チリがペルーよりも民主的であるとか安定しているということが言いたいわけではない。
ただ、国家的災難というものは−国家の威信をかけて解決したとしても−、 その種類によって後に残すものが大きく違う、ということを思うのである。
およそどんな大義名分であれ、人間が集団となって殺戮を行う行為は、 「信じあい助け合って生きたい」という−私はそれは、人が社会を形成する基本的な理由だと思うのだけれど−感情をすり減らすのである。
2005年10月17日(月) 参拝される日 2004年10月17日(日)
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