2009年07月06日(月) |
未来の大人への説明責任 |
茶畑の続く丘陵地にて仕事。
駅前の、安普請だが地元の結婚式ぐらいは対応できる小さなホテルに投宿。
新幹線が、右から左へと一直線に通過する。 反対側の東名自動車道では、トラックが忙しそうに連なっている。
東海道新幹線は、新幹線の中でも別格だ。 東北や長野にはない、戦後の日本人の魂-汗と涙のようなもの-が溶け込んでいる。 東名自動車道も然り、である。
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太平洋ベルト地域、という言葉を思い出した。 京浜・中京・阪神・北九州の四大工業地帯などというものも教わった。
今やすっかり古びてしまったそんなキーワードを太平洋ベルト地域の端っこでめぐらせながら、自分は莫迦だったなと思う。
多分私は、四大工業地帯は揺るぎないものだと思っていたのである。 産業とは何かも知らずに。
その当時輝きを放っていたものは、今、古びたホテルの窓から古びた姿を見せている。 大人だった人たちは定年退職し、東海道を徒歩でどこまで行けるかなどに興じている。
人のつくりだしたものは、はかない。 輝きを保ち続けるのは難しいし、成熟に値するものは稀である。
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重化学工業が国の基幹産業であった時代が去ったように、トピックスの中味は時代と共に変わるのである。 そんな大人の時代の祭りに子どもが付き合うのは、新幹線の食堂車ぐらいで十分だ。
子どもが社会科として知らなければいけないのは、社会を形成するために必要なエッセンスとバランス、ものごとを決めていくための枠組みである。
せっせと丸暗記した自分の愚かさを誰かのせいにするとすれば、 高度経済成長にうかれた大人達は、未来の大人に対する説明責任を果たしてこなかった。 そういうことだと思う。
2005年07月06日(水) 人間社会か、ヒトの群れか 2004年07月06日(火) 骨身を削る話
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