2008年12月09日(火) |
お金しかもっていない貧しさ |
古新聞を整理していたら、数日前の「論壇リポート」の記事。 埃だらけの押入れの前で読む。
金融危機と経済秩序、というタイトルの下、各論壇月刊誌十二月号で取り上げられている内容のダイジェストが掲載されている。 「現代」は「米国型強欲資本主義の終焉」と特集。ジョージ・ソロスの弁として、「「過剰に信用を創造した」金融関係者の「飽くなき強欲」を問題視」とある。 「世界」は京都大学名誉教授の伊東光晴という人の、サブプライム住宅ローン問題の分析。1980年代の低所得者向けの中古車ローンという金融サービスに発端があるという。 「中央公論」の、京都大学大学院教授の佐伯啓思の弁。先進国の経済問題は「深層には、その表面的な消費の沸騰とは裏腹に、経済活動の潜在的な『過剰』があり、このグローバル競争経済は、ますます事態を深刻にするだけ」と論じている。
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世界中に暗い影を落としている資本主義経済であるが、 この世界の約束が他のものに取って代わるということは、そう簡単にはないと思う。
金を払うものがいれば、金をもらうものがいる。 ドルが下がれば、円が上がる。 笑うものがいれば、泣くものがある。
動力機関として実にうまくできているからこそ、近現代にこれだけ定着した。 けれども、このシステムはオーバーユースとなってしまった。 佐伯氏のいうように、グローバル競争のせいかもしれない。 そういう風に、私は理解する。
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ガタがきた動力機関は、酸素欠乏と過呼吸を繰り返して、 健全な血液の循環を滞らせている。
得をしなければ損をすると思うような価値観をつくりあげ、 そもそも人が人に対して下す評価である「信用」を無機質なものに与え、 家族も友人もなく、お金しかもっていない貧しい人間集団をこしらえた。
人々の心が「安心」から遠ざかるのも無理からぬことである。
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私達は何のために息をしているのかを思い出し、ゆっくりと深呼吸をする時だ。 そうすればきっと上手くいくし、それしか上手くいく方法はないだろう。 ジョージ・ソロスにもそう伝えたい。
2006年12月09日(土) 2005年12月09日(金) 2004年12月09日(木) 宮崎監督のゲルニカ
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