浅間日記

2008年07月01日(火)

過去を記録するという行為は、人間だけがするのである。

記録、すなわち情報の格納は、人類の発見である。
ヘロドトスが歴史を綴った時から、司馬遷が史記を記した瞬間から、
世界は世界として、国家は国家として成立した。

子どもは過去を記録しない。
子どもにあるのは、現在という瞬間だけである。
でもしかし、それの何と正直なことか。



過去を語るということは、現在を語ることである。
そこで他者に伝えられることは、自分がどんなふうに在りし日を切り取り、
否認、願望、強調のフィルターをかけて編集したかという、
今日の自分の心の在り様だけである。



だから、私は人が昔語りをする時、そういうつもりで耳を傾けるのである。
それはそれで味わいがあるし、よく理解したいと思う人であれば、その助けになる。

でも、私はできればもうあまり、人前で昔の話をするのはやめようと思っている。
何故かというと、「現在だけが全て」という子どもの感覚を、
もう一度取り戻してみたいと思ったからである。

2006年07月01日(土) 人を殺せと教えしや
2005年07月01日(金) シャコンヌ
2004年07月01日(木) 


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