私は、日本が被爆国であるということに、 実は、平和の鳩以外の不安と恐怖を感じている。
戦争で核爆弾が使用されたのは、第二次世界大戦での日本だけであり、 それ以前も、それ以後も、例がない。 数ある兵器のなかでも別格であることは、素人でもわかる。 使う方にも−人を人と思わないような−、ためらいがあるのである。
だから思う。 ひとたび、汚染されているということは、 ふたたび、汚染される危険性が高いということだ。
ポイ捨てゴミのたまる場所みたいに、 既に汚れている場所は、再び汚されやすい。 被爆国へ使用することは、 世界の人の記憶を、ほんのちょっと修正するだけですむ。
だから、「原爆を落とされても仕方がなかった」という防衛相の発言は、 「もし戦争になったら、日本にまた原爆を落としてもいいです」、ないしは 「日本との利害関係の調整に原爆を使用してもらってかまいません」 というように、私には聞こえるのだ。
良識ある市民から噴出する、人道的な側面からの指摘に加えて思う。 久間防衛相の発言は、私達の生命を危険にさらすものである。
2006年07月03日(月) 2004年07月03日(土) 主権が彼岸からやってくる
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