長崎市の公式ウェブサイトをみる。 トップページはグラバー亭とか大浦天主堂とか大村湾の洒落たイラストで飾られている。
そしてこの公式サイトの正面玄関に、 「市役所」「観光」「平和・原爆」の扉が据えられている。
*
伊藤一長市長は、そういう首長だった。
昨年の長崎平和宣言では、「核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。」と訴えた。
国が自治体に策定を義務付けた国民保護計画に、「核被害への対応が不明確で誤解させる恐れがある」と、具体的な被害想定と対応策を示すよう内閣府に二度も要請した。
そして、返答を示さない政府に対して、核攻撃による被害を想定した項目を盛り込まないまま、計画を策定した。
また被爆都市として独自に(1)原爆による被害と惨状(2)市の平和理念(3)市の平和活動と今後の取り組み‐を計画に盛り込み、恒久平和への姿勢を示す方針を打ち出した。
伊藤一長市長は、そういう政策をした首長だった。
*
誰かに殺されたということは、もういい。 どうして殺されたかということも、たくさんだ。 伊藤市長はかえってこない。
でも、氏が市長として取り組んだ業績は少しも損なわれたりしないし、 尊い財産として、残された者すべてで相続することができる。
とにかく、私達は、彼を追悼する明確な理由を知っている。
*
件の、「平和・原爆」のサイトをみる。 平和アピールを読み、原爆資料館を訪れ、長崎平和宣言を読む。
ワンクリックごとに献花するつもりで、焼香するつもりで、 すべてのページをくまなく読む。
そして思う。 市長の主張は、ちっとも間違っていない。 平和の道を探すのは、私たち国民の生命を保護する、極めて現実的な方法だ。
2006年04月18日(火) ショーの役割 2005年04月18日(月) 死者を想え、次世代を想え 2004年04月18日(日) 不在
|