2006年10月24日(火) |
親子であることは尊いこと |
朝のラジオで、福島県知事逮捕のニュース。 Aは、泥棒をした人のことかと問いただす。 みんなの代表なのに、自分が得をするようにずるをしちゃったんだよ、と解説。
その直後に、虐待で死んだ子のニュース。 速攻で音を小さくするが、Aから解説を求められる。
毎度ながら、子どもを愛情をもって育てている家庭にとって、 この手の過剰な、それでいて本質に何一つ踏み込んでいないニュースは、 親子の関係を蝕む有害情報以外の何者でもない。 情報の取り扱いに配慮を強く求めたい。うんざりしていると言ってもいい。
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子どもにとって、他の同年齢の子どもに起きた出来事というのは、大人のそれよりも他人事にならないのである。
そうだから、いまや、何かの意図の下にこうした情報を流しているのではないかとさえ思う。
そうでないというのなら、世の中にいくらでもある幸せの事例を共有する知恵をみせてもらいたい。 ほとんど多くの家族や親子は、なにものにも代えがたいものとして、愛情と慈しみの中にその関係を築いているのだから。
もう少し言うと、子どもの虐待の深刻さについて、私は決して知らない訳ではない。 身近なところから、地域的に極めて現実的な情報は入っているし、それがこの地域に限った特殊な事例ではないことも理解しているつもりだ。
そして、たぶん、虐待という出来事にいささかでも関与しようとするものは、 この通常の良心の下では受容れられない状況について、一旦受容れる忍耐なしには、何故こうしたことが起きてしまうかの真実を突き止めることは難しいのだと思う。 そしてその作業は、子どもの命を緊急に救う作業と平行して、いくらかの役割分担をしてでも行われるべきだと思う。
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腹を据えてAに解説することにした。 親が子どもを幸せにしないというのは、あってはならないことだということ、 ごく稀な出来事として、こういう不幸なことが起きてしまうことを、丁寧に言葉を選んでAに話す。そして、
死んでしまった子は、ウチの子に生まれてくればよかったのかもね。 そしたら、美味しいご飯がお腹いっぱい食べられたのにね。 そうでなくても、もしうちの近くに住んでいたら、食べに来られたのにね。
そう言うとようやくAは、何か少し、救いを得たような顔をした。
2004年10月24日(日) 毒を喰え、皿まで
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