散髪。 いつからこんなに結婚相談の広告が増えたのだろう、と思いながら、 備付の女性雑誌を読む。
親と決めた相手と半ば無条件で結婚させられていたその昔と、 コンピューターが自動で送られてくる相手と一緒になるのと、 ひとつも違いはない。 でも、本来結婚とはそういうものなのかもしれない、と思う。
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私は想像する。 家族制度が崩壊し、田舎から都会に人口が流出していって、 自由恋愛で結婚するというのは、アイデンティティを確立する 一つの有効な方法だったのだろう。 自分で相手を決めたということは、さぞや誇らしかったのだろう。
だがしかし「家庭を築く」という目的に対して、恋愛というものは 別段寄与するものでもないし、多分必須ではない。 ああいった狂気がかったものはむしろ、安定した家庭運営には不向きであると、そう思う。
この膨大な結婚斡旋広告を見ていると、結婚を志向する人は、 どうもそういうことに気が付き始めているのではないかと思う。
「好いた相手と結婚する権利」でなく「嫌な相手と結婚しない権利」があれば充分と思っているのではないだろうか。
結婚相手を恋愛感情以外から選ぶことは、 相手に愛情をもたないということでも、 長丁場になる結婚生活をおろそかにしているということでもないと思う。
* かくして、散髪中の私の、どうでもよい駄考の行く先は、 「カルメンとかアンナ・カレーニナよりも、 見合い結婚したマスオさんと楽しく暮らせるサザエさんのほうが、 実は自立した人生と言えるのではないか」、という結論に達したのであった。
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