都内某所で会議。
地下鉄の売店で「後藤田氏死去」の見出しをみつけ新聞を入手。
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内務省出身で陸軍に所属したこともある人、 カミソリ後藤田の異名を取った、鋭い政治手腕をもった人、 浅間山荘事件の陣頭指揮に当たった人、 などというように、記事に書かれている。
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死亡記事というのは、死んだことよりもむしろ、生きたことを伝えている。 その人の活動や思想が総括され広く伝わる最大のニュースが、死亡記事なのだ。
後藤田さんのことをよく知る人にも、知らなかった人にも、それは等しく伝わる。
「自衛隊派遣は間違い。小泉君は戦争を知らない」と言い切ったことや、
「おかしいよちょっと待て、という政治家がいなくなった。 おかしいことをおかしいと言わなくなったら、その国は危ない」
という氏の発言を、今日多くの人が目にし、耳にするだろう。
そうした思想から新たに気付きを得る人もいるかもしれないし、 自分の意見に後藤田氏の後押しを感じる人もいるかもしれない。
そして繰り返すが、 死亡記事という目の引き方だからこそ、そうした機会がある。
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だから、ひどい選挙結果で国民が無力感と不安感ばかりのこの時に、 もう今しかないというタイミングで、 後藤田さんは「死亡記事」という、自分の政治家としての最後のカードを使ったのだ。 私のその思いは、ほとんど確信に近い。
心から、ご冥福を祈る。
2004年09月21日(火) それでも地球は回る
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