引き続き山の家。
父の野良着は昔使っていたスーツで、結構いいものも混じっている。 見ると、名前が入った仕立てたものやなんかも多い。
それがどうしたという感じで父に何の未練もなく泥だらけにされ、 ガラガラと洗濯機で洗われている。
それはそれでよいとして、 この人は自分の仕事を本当に好きだったのだろうか、と最近思う。
社会的に重要でないポジションではなかったし、 何よりも父は自らすすんでその責務を引き受けているように思われた。 でもそれは、間違った認識だったのだろうか。 そう思わせるほど、仕事を軸とした社会との接点を、意図的に断っている節がある。 あるいは、それは私の思い込みであり、 もともと仕事の話を家庭に持ち込む人ではなかった、という気もする。
*
もうリタイアしつつあるのだから好きなことを好きにすればよいのだが、 それにしても、全く新規の音楽分野に足を突っ込むというのは、 −これは少しでも親の仕事ぶりを見習ってきた者として− 大きな声では言えないが、実は本当にやめて欲しいんである。
頼むから、九官鳥が首を絞められたような声でレクイエムなど歌ったりしないでくれ、と密かに思う。 この人があのように堅実な仕事をした人か、と思うと、結構げんなりするんである。
その年齢になればまた考えが変わるのかもしれないが、 仕事というのは一生続けられるものがよいなと思う。
2004年09月18日(土) 「的」的考察
|