浅間日記

2004年09月18日(土) 「的」的考察

何年か前、ひどくつらい思いをしたことがあって、
もう生きていたくないなあ、とHにこぼしたら、
「俺は自殺行為はしょっ中やっているけど、自殺はしないなあ」、と言われた。

聞いた相手が悪かった、と後悔したが、
似て非なる言葉の意味がおかしくて、話はそれきりになってしまった。



政治と、政治的。

家庭と、家庭的。

そして、病気であることと、病的であること。
今日は、特にこのことを思う。

病気であるということは、専門医師の診断を受け、
治療の方針が立ち、本人が全てを自覚し、
解決への道が内定している状態である。
つまり定義済みなのである。

病的であることは、これに対し曖昧である。
何かの不具合や異常で人に心配や迷惑をかけたりするが、明確ではない。
当事者がそれを自覚できるほど客観性をもった状態にないので、
解決の道筋がつかない。未定義なのである。

始末が悪いのは、圧倒的に後者のほうだと思う。
病的な事象が蔓延するこの世の中で、
病気であるということは、むしろ健全なのだとおもう。



リストカットや拒食症など、青少年の心の問題の解決が難しいのは、
既に明らかに「病気」であるのに、
本人が「病的」な状態のまま、そこから先に行きたがらないことにあると思う。

これはいささか経験的に、そう思う。

大人や社会に対する不信感が、病気という定義づけを拒否するのだ。
安易に治せばよいというものではないと、深い深いところから訴えているのだと思う。


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