何年か前、ひどくつらい思いをしたことがあって、 もう生きていたくないなあ、とHにこぼしたら、 「俺は自殺行為はしょっ中やっているけど、自殺はしないなあ」、と言われた。
聞いた相手が悪かった、と後悔したが、 似て非なる言葉の意味がおかしくて、話はそれきりになってしまった。
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政治と、政治的。
家庭と、家庭的。
そして、病気であることと、病的であること。 今日は、特にこのことを思う。
病気であるということは、専門医師の診断を受け、 治療の方針が立ち、本人が全てを自覚し、 解決への道が内定している状態である。 つまり定義済みなのである。
病的であることは、これに対し曖昧である。 何かの不具合や異常で人に心配や迷惑をかけたりするが、明確ではない。 当事者がそれを自覚できるほど客観性をもった状態にないので、 解決の道筋がつかない。未定義なのである。
始末が悪いのは、圧倒的に後者のほうだと思う。 病的な事象が蔓延するこの世の中で、 病気であるということは、むしろ健全なのだとおもう。
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リストカットや拒食症など、青少年の心の問題の解決が難しいのは、 既に明らかに「病気」であるのに、 本人が「病的」な状態のまま、そこから先に行きたがらないことにあると思う。
これはいささか経験的に、そう思う。
大人や社会に対する不信感が、病気という定義づけを拒否するのだ。 安易に治せばよいというものではないと、深い深いところから訴えているのだと思う。
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