恩師のS先生宅を訪問。
のっけから「物語というのは、それに相応しい風土や自然の中で生まれるもんやなあ」と言う話。 話の切り出し方がいきなりなのは、指導教官時代と同じだなあと思いつつ、相槌をうつ。
何かと思えば、イングランドへ旅行してアーサー王が生まれたという地を巡ってきたのだそうだ。 不思議なもんや、と仰る。シャーウッドの森へ行けば、そこはいかにもロビンフッドが活躍したような場所であるし、そう思わせる何かがある、と。
そして、そういう英国の様を見るにつけ、日本には、そうした伝説を彷彿とさせる場所がもうほとんど失われてしまったなあ、とも。
全く情けないことに、何しろアーサー王の何たるかすら正確に知らない無教養な私は、その問いかけに十分な議論を展開する勇気がなく、実務上の話題に移ることにしたのだった。
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日本でいう伝説というと、鞍馬天狗とか石川五右衛門とか曽我兄弟あたりになるんだろうか。そうだとすると、明治以降に日本に伝説は生まれていないということか。日本人はもはや伝説を必要としていないのだろうか。 などということを帰路につく道々考えた。
* ただ単に金持ちになって成功するとか、有名になるとか、立派な功績を残すというのは、伝説とは呼び難い気がする。伝説というのはもっと普遍性のあるものでなければいけない。 要するに、物語を受け止める力というのが現代の日本人にはひどく欠けているのではないか、というようにも思われる。
整理もつかずとりとめもない日記になってしまったけれど、先生を久しぶりに表敬訪問できたことが記録できたので、これでよしとする。
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