2005年03月21日(月) |
我ら思う、故に価値あり |
本に出てくる虫眼鏡というものが欲しい、とAが言うので、 それでは、どこかで買わねばなるまいと思っていた。
戯れにダンボールを虫眼鏡型にくり貫いて与えたら、 手に入った!これが欲しかった!と言って、嬌声をあげて喜んでいる。 ちゃちな厚紙を大事そうに肌身離さず持ち歩き、色々覗いて観察している。 この人は、欲しかったものはもう手に入ったと、完全にそのように認識している。
人々が手に入れようとしているものが、本物かどうかは、自分の満足度と相対する、 そんなことが結構あるのかもしれない。 金や株というものも、みんながそれで満足しているから価値が成り立つのだ。
*
現代社会はそれを軸に完璧に確立されているから、資産というのは重要は重要なのである。 でも金というのはそれ自体に意味はないものだから、この価値は 「絶対に覚めることができない集団幻覚の中にいるが故」ということを覚えていたほうが、人生得をする。
そこに金銭的価値や社会的価値はなくても、好きなものは好き。大切なものは大切。 物知らずとか馬鹿みたいと言われたっていい。 そういうものを、いくつか持って大事にしていかれたらきっと、 自分の人生の後半は楽しいだろうなあ、と思うのである。
|