2005年03月16日(水) |
性と生殖に関する口角泡 |
文部科学省が、行き過ぎていると指摘がある学校での性教育について、 全国で実態調査を行うという発表。
性教育のあり方について、参加しているあるMLでの議論が沸騰寸前になっていた。 ご法度の、中傷すれすれの場面で、管理者から待ったがかかった。
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不思議だと思うのは、性教育の是非を論じる場合の、この過激な様だ。 この話をする人は、絶対に、一様に、その論旨と関係なく、他者の意見を受け入れない。 「世の中の子ども達のセックスについて、自分色に染め上げなければならない」 という強迫観念が強すぎて、それが裏目にでている。
子どもへ祈りを込める姿勢が感じられないから、 この人達は子どもが大切なのではなくて、自分の主張が大切なんだなと思う。
だから私は、そんなに大人の思うようにはならないよと、意地悪く思う。
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性や生殖というのは、かなり個人の深層の世界に属するものだ。 だから子ども達は、門前の小僧の要領で色々な情報をかき集め、 社会の中がどうなっているのか、父や母はどう思っているのかを薄目でみながら、 密やかにその概念を自分の世界に取り込む。無意識かもしれない。 それが、大人になるということだ。人生の素晴らしい一幕でもある。
そういう個人の深い世界まで関わるつもりもなしに、性のあり方を 指南するのは難しい。
自分達の行動規範について大人たちがイライラと議論すれば、 それだけで子どもは息苦しいだろうから大変だ。
呑気なことを言うなと怒られそうであるが。
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