三歳の子どもにタバコの火を押し付けた、という虐待のニュース。
ラジオでアナウンサーが読み上げる言葉に、何?何?と、Aが反応する。 音量をさりげなく下げようとしたが、遮られる。真剣に聞いている。
「3歳の子どもがタバコの火を押し付けちゃったんだって」と語る。 Aの理解が追いつかなかったことに、ほっとする。 虐待という言葉も、今回はAの中を素通りしたようで、胸をなでおろす。
この頃のAは自分をとりまく世界がどうあるのかにすごく興味をもっていて、 たまに他所で見るテレビでは、ニュースに釘付けになる。 大人たちは何を話しているのか。それはどういう意味なのか。
イラクやロシアで人が死んでゆく映像に向って、これは何?と聞く。 適当にお茶を濁すと、すぐにばれ、ちゃんと説明せよという。
でも、戦争について説明するよりも、今回のこの虐待ニュースへの反応が、 自分には最もつらく、しんどい出来事だった。
言葉に窮し、しょぼくれていた私に気付き、 Aは話題を変えたり、歌などうたいだしたりする。 そしてそれがまた、私をなんだか悲しくさせるのであった。
次世代にこんな気遣いをさせて、大人として本当にすまなく思う。
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